第8話 東の帝国

「おーす、ポンコツ水兵! いい野菜が入ってるよ! キャベツ箱ごと持ってけよ!」

「すいません任務中なので、また来ます」

「あっ、ポンコツさん。この前頼まれてた本、入荷しましたよ」

「ありがとうございます。今は忙しいので、帰りに寄りますね」

「ポンコツくん! この前は引っ越しを手伝ってくれてありがとうね」

「いえいえ、どういたしまして」

「ポンコツー!」

「どうもどうも」


 チョップと衣替えを済ませたマルガリータは、ガヤガヤと賑わいを見せる露店街を歩いているが。


「ねえ、チョップくん。なんか、会う人会う人みんなから声をかけられてるんだけど」

「この辺は良くパトロールしたり、買い物に来たり、昔からの知り合いも多いですからね」

「でも……、それにしたって、ポンコツポンコツってひどくない?」

「まあ、僕に対する評価としては、妥当なとこじゃないんですかねえ」


 と、どこ吹く風のチョップに対し、不機嫌そうなマルガリータ。

 そこへ肉屋の若い男が、包丁をチャキンチャキンと鳴らしながら寄ってくる。


「おっ、ポンコツじゃないか! お前、肉好きだったよな。味見してけよ。牛一頭さばいてやろうか?」

「すいません、仕事中なので。今度、私用で来ますね」


 チョップは、肉屋の冗談を笑顔でかわすが。


「もう、あの人もポンコツ呼ばわりして。牛一頭なんて食べられる訳ないじゃない」

「あ、いや、肉は大好物なので、目の前に焼いてあったら全部食べれますよ」

「え! ホントなの? 確かにチョップくんは昔からたくさん食べてたと思うけど、それにしたって限度ってものが」

「じいちゃんが言うには、『たらふく肉を食って体力をつけるべし』がウチの家訓らしいですから」


 じゅるりとよだれをぬぐうチョップと実は冗談でも何でもなかった事に、マルガリータは驚きあきれる。


「そんなことより、しっかり顔は隠しといて下さいね。バレたら大騒ぎになりますし」

「分かってるわよー」


 マルガリータは白い帽子を目深にかぶり、人目をはばかりながら、光を照り返す白い石畳の街道を二人がしばらく歩いていると。


「お、チョップくんでないかい?」


 珍しく、ちゃんと名前を呼ぶ男性の声にチョップが顔を向ける。

 そこには頭にタオルを巻いた老年の漁師が、にこやかに手を振っていた。


「あ、サバおじさん。こんにちわ」

「おや? 女の子なんか連れちゃって、今日は休みかい?」

「あ、いや、そういう訳では……」

「サバおじさん?」


 マルガリータは、そっと帽子のつばを上げて顔を見せる。


「マルちゃ……いや、姫様!?」


 大声を上げる漁師に周囲の人々が視線を向けるが、すぐに何事もなかったように喧騒に紛れる。


「おじさん、シーッ」

「ああ、すまんすまん。でも、久しぶりだなあ。いつぶりかい?」

「うん、ずいぶん久しぶりだね。あと、昔みたいに『マルちゃん』って呼んでいいからね」

「そうかい? そんじゃ、遠慮なくそうさせてもらうよ」


 しみじみと少年と少女を優しい目で見つめる、サバおじさんと呼ばれる漁師。

 古くから露店街で店を構えており、祖父たちに連れられて良く遊びに来ていた二人にとって、昔からの顔なじみである。

 マルガリータは、トロ箱に並べられた魚の数とラインナップを見ると。


「今日はいっぱい売れたようね。もう、あんまり魚が残ってないみたい」

「これかい? これでもほとんど売れてないんだよ」

「そうなの? あんまり釣れなかったの?」

「いや、そうじゃなくてな。最近は良い漁場は全部帝国に荒らされてしまってるんだよ」

「帝国に……?」


 サン・カリブ王国は島国のため、成人男性の約半分は漁師になるなど、当然のように漁業が主要な産業となっている。

 王国の西側の海上には、サン・カリブ王国と同様の島国が多数あるため、漁業権がバッティングしないように、サン・カリブの漁師たちは主に東の海上で漁を行うようにしている。


「だけど、最近はバミューダ帝国の軍艦が、領海を侵して漁場に現れるんだよ。そればかりか挑発的に発砲までしてくるんでな、ワシも文句の一つも言って、モリの二百本か三百本でもぶちこんでやりたいところだが」

「お、多いですね……」

「そんな事しちゃダメ! おじさんの命が危ないよ」


 無茶な事を言うサバに、マルガリータは心配そうな表情を見せるが。


「死ぬのは別に構わないさ。どうせ魚が取れないのなら、そのうち飢え死にするだけだし」

「そんな……」

「冗談だよ。本当にそんな事をしたら、下手すると戦争の火種になっちまう。マルちゃん達にも迷惑かけちまうしな。前の皇帝の時には、こんな事は無かったんだがなあ」


 バミューダ帝国は代々皇族が皇帝を受け継ぎ、国を支配する世襲制の専制主義国家であり、つい先日新しい皇帝に代替わりをしたばかりである。

 前皇帝は比較的温厚な人物であり、西海洋の諸国との融和政策を進めていたのだが。


「新しい皇帝は好戦的な男らしいでな、もしかしたら本当に戦争を仕掛けるための口実を作ろうとしているのかも知れないね」

「すいません。そんな事になっていたなんて。僕たちがもっとしっかりしていれば」


 漁師たちの窮状を知り、チョップは水兵団を代表して、サバに頭を下げる。


「すまんすまん。チョップくんに謝らせるつもりじゃなかったんだ。ただ、今の皇帝はろくな奴じゃないぞと言いたかっただけで」

「確かにバミューダ帝国の新皇帝には色々と悪い噂を聞くわ」


 サバの話を呼び水に、マルガリータは苦い顔をしながら語りだす。


 前皇帝の三男であるアンドレス=バミューダは、もともと危険思想の野心家で名高い人物だった。

 そして、前皇帝を含めた彼の周囲の皇族が、次々と不審な死を遂げ、皇位を継承する可能性がほぼ無い状況であった彼の元に、いつの間にか新皇帝の座が転がり込んでいたという事は広く知られている。


「それだけじゃないわ、女癖が悪い事でも有名だし。わたし、あいつに一度会った事があるけど、盛りのついたオークみたいな男で、ホントにろくな奴じゃなかったよ」


 バミューダ帝国の前皇帝は、西海洋の諸国にゆうを求め、二年ほど前の首脳会議に一度参加したことがある。

 その際、直後に催された晩餐会に皇子たちも列席しており、すでに社交界でその美しさを知られていたマルガリータとも顔を合わせる機会があったのだが。


「あのアンドレスって奴、わたしにグイグイ近づいて来て、わたしのちちしりやふとももを触ろうとするのよ。チョップくんにもまだ触らせた事ないのに」

「王女が、乳とか尻とか言っちゃダメですよ」

「チョップくん、ツッコむところはそこじゃないぞ」

「わたし、豚みたいなスケベ男は本っ当に超絶大っ嫌いだから、ヒールで足を踏みつけてやったの。あいつ、一応神経が通ってたみたいで、プギーッってオス豚を去勢したような声を出してたわ」


 ぷぷぷっと、思い出し笑いを浮かべるマルガリータにあきれるチョップと、変わらないなあと満足そうに見つめるサバおじさん。


「それでも、やっぱり腹の虫が治まらなかったから、天井裏に忍び込んで、あいつの頭にシャンデリアを落としてやったの。直撃してピギーッって、やっぱり豚を去勢したような声を出してたわ。あれはホントに面白かったなあ」


 マルガリータは実に楽しそうにケタケタ笑いながら、ぶいっとVサインを見せて。


「だから、おじさんの仇は、もうガッツリ取ってるからね」

「あいかわらず、マルちゃんはおてんばのようだね」

「あなたは本当に王女様ですか?」

「ふふーん、わたしは枠に収まらない女なのよ」

「枠に収まらないじゃなくて、姫は単にハミ出し刑事なだけです」

「えー、それを言うならはぐれ刑事じゃないの?」

「いーえ、あなたはあぶないです」

「ふーんだ、チョップくんのいじわるー」


 軽い口論を繰り広げる二人を見て、サバは目を細めて昔を懐かしむ。


「いやあ、本当にマルちゃんは別嬪べっぴんさんになったし、チョップくんも立派な水兵になって。何年ぶりかい、マルちゃんとチョップくんが並んでいる姿を見るのは」


 そう言って、サバおじさんは涙を浮かべ。


「あんな事がなければ、二人はずっと変わらず一緒にいられただろうにね……」

「ダメ!」


 マルガリータは、チョップとサバの間に立って、手を広げ。


「思い出させちゃダメよ! あの血まみれの惨殺事件は、チョップくんのトラウマになってるんだから!」

「マ、マルちゃん、そこまで言っちゃ……」


 思った事を全部しゃべってしまったマルガリータは、あっ……と口を押さえる。

 それに対して、チョップは特に気にした風でもなかったが。


「あ、あっ……、ごめんなさい……」


 自分がしでかした事にいたたたまれなくなり、マルガリータはその場から走り去る。

 チョップは、すぐにサバに頭を下げて。


「サバおじさん、すいません。また今度ゆっくり」

「ああ、次も二人でまたおいで」

「はい、必ず」


 チョップはマルガリータの後を追って、急いでその場から駆け出した。


「本当に、あんな事件さえなけりゃあな……」


 二人を見送りながら、サバが脳裏に思い浮かべるのは、数年前のあの凄惨な事件現場。


 王女誘拐未遂事件。


 城を抜け出して遊んでいた王女と少年が行方不明になり、水兵団の捜索活動に協力していたサバは、血まみれの状態で二人が抱き合っている姿を発見した。


 二人とも心身ともに衰弱しており、王女は奇跡的に無傷だったものの、少年はひどい怪我を負っていた。


 だが、事件現場を凄惨なものにしていたのは彼らの血ではなく、帝国の手の者と思われる三人の誘拐犯の死体から流れた物。


 一人は背中から腹にかけて鋭利な剣のような物で貫かれた痕跡があり、一人は脳天から縦に真っ二つに、最後の一人は横薙ぎに上半身と下半身を切り離された、おぞましい惨殺体と成り果てていた。


 王女の証言によると、見知らぬ剣士が誘拐犯を殺して立ち去ったとの事らしいが、それ以上は何も思い出したくないかのように口をつぐむ。

 結果的に王女が救われたとはいえ、国内での殺人は『死刑』に問われる重大な罪。

 水兵団はその剣士の行方を追うも、何の手がかりも得られず、けっきょく事件は謎を抱えたまま終焉を迎えた。


 その後、王女と少年の交流は途絶える。


 数年の時が流れ、彼らが再会したのは、少年が王族と関わりを持つ事ができる、水兵団に入団してからの事である。

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