四話 覚悟を抱く

「よし、羽根さん――」


――見知らぬ白亜の空間。あそこへ行くためには、何処へ進めばいいのか。


 頼ってばかりで申し訳ないと思いつつ、頼るしかない飛羽が羽根に聞こうとした瞬間だった。


「――ッ‼」


 突如、足下が影を残して白く染まる。


 背後からの光。飛羽は反射的に左手で羽根を掴み、右手で大剣を引きずりながら、躊躇なく龍の石像より飛び降りた。


 ふわっ……と体の浮く感覚に息が詰まる。

 

 次の瞬間、飛羽が先程までいた場所にバランスボール程の球体が降り注ぎ、次々と爆発を起こした。


「―――爆発、した……?」


 下を見ないよう首を回し、背後でその爆発を見た飛羽。


 肝を冷やしつつ、予め位置を把握していた石像の腕の付け根に着地する。


「ぅぐっ……」


 膝を曲げて可能な限り衝撃を吸収したが、剣の重みも相まって両足首から鈍痛が走った。


「我慢ッ! 我慢だ!」


 声を荒げ、自分を言い聞かせる。


(此処で止まっちゃ駄目だ――!)


 痛む足をそのままに、大木の幹を思わせる石像の腕を一心不乱に駆け下りていく。


 石像のあちこちで起き始めた謎の空爆は勢いを増し続けており、いつ飛羽の許へ球体が飛んでくるか分からない。


 生暖かい風が頬に触れる度、心臓が跳ねる。


(――来るな、来るな……!)


 走りながらそう願う。――しかし


「嘘……っ!」


 狙い澄まされたのか、それとも偶然か。


 腕の関節部分を降りようとしていた所に、球体が飛来する。


「やばい……やばいやばいやばいやばい!!!」


 咄嗟とっさに身を翻し、少しでも距離を取ろうとするが…最早、手遅れ。


 着爆。


「わっ…あああああああ――⁉」


 熱い、痛い、怖い。


 そんな事を感じる間もなく浮遊感に襲われ、始まる垂直落下。


 今まで立っていた筈の龍の腕が、凄まじい速度で遠ざかる。呼吸を忘れ、頭が真っ白になった飛羽は唯、剣を握ったまま落ちていく。


(これ……死んだ)


 背後に感じる地面。自分を襲うであろう衝撃と痛みを恐れて目を瞑った。


 ガクン!


「――……え?」


 左腕を襲った謎の衝撃が、飛羽の意識を引き上げる。


 落下が止まった。否、落下の速度が急激に落ちたのだ。


 恐る恐る目を開けると、飛羽の左手首に羽柄を巻き付け、青白く光りながら必死に身体をはためかせている羽根の姿があった。


「ぁ、え……は、羽根さん……? と、飛べた……の?」


 頭が回らず、怯え切った声で浮かんだことを口に出す飛羽。


 ぺたっ。不可視の地面に降りた飛羽の足から音が鳴る。それと同時に羽根は輝きを失い、ふわふわと力無く宙を舞う。


 飛羽はゆっくりと、丁寧に羽根を受け止めた。


「助かった……。ありがとう、羽根さん……」


 紡ぐべき感謝を口にした後、飛羽は羽根をブレザーの胸ポケットに入れようとした。


『―――……クイッ』


 しかしその時、ぐったり萎んでいる羽根が重い動作で、一点の方角に上部を向けた。


 その方角は恐らく、飛羽が聞こうとしていた進むべき方向だろう。


 意外とお節介な羽根に口を綻ばせながら、もう一度「ありがとう」と感謝し、今度こそ胸ポケットに、深く押し込んだ。


「……」


 その場で立ち止まる飛羽の顔が、徐々に青ざめていく。堪えきれていない膝の笑いは、世に生まれ落ちたばかりの小鹿の様。


「ダメだ……折れるな。今……折れちゃだめだ」


 恐怖に負けそうな心。

 

 無理矢理思い出すのは、天使の涙。

 あの子を、救わないといけない。

 自分に言い聞かせる。


 折れるな、折れるな。

 必死に、自分を鼓舞する。


 上空から降り注ぐ光は未だ勢いを弱めておらず、いつまた当たるか分からない。辛うじて動ける今を逃せば、次こそ死は現実となるだろう。


 足が小刻みに震えているが、動かせない程ではない。


「……根性論だ。度胸見せろよ……男だろ……?」


 飛羽は得意のやけくそという名の度胸を見せた。涙を堪えたまま剣を両手で担ぎ直し、歯を食いしばりながら、羽根が示してくれた方角へ走り出す。


「――! あれは……」


 するとその行く先で、複数の淡い光が視界に映る。必死故によく見れていなかったそれを、飛羽は涙を拭いながら凝視する。


 表面は炎の如く橙。中心に向かう程白く、煮える様に揺らめく球体はなるほど、見るからに爆発しそうな代物だ。火球と名付ける事にする。


 そしてその下にいる光に照らされている者達。つまりは、火球を出現させたらしい集団をも視界に捉えた。


 距離にして200メートル先。全員身長は飛羽よりも高く、全身を真っ黒なローブで包んだ人型の何かが数えきれない程。


 暗がりなので正確な数は分からないが、その全員が奇怪な棒を頭上に掲げていた。


「何、あの棒……――っ‼」


 視界上部に映った光を見て、全身に鳥肌が立つ。暴れそうになる心臓を抑え、確かな足取りで着爆地点から遠ざかる。


 やや大袈裟に距離を取り、それでも余裕を残してから火球は着爆した。


「意外と……遅いのか……」


 視界外や数で攻められるのならいざ知らず、単発であれば大剣を担いだままでも余裕を残して避けられると学んだ飛羽。


「また来たっ……‼」


 次々と迫る火球を視界に収め、その一つ一つを丁寧に避けながら飛羽は思考を回す。


「話し合いは可能?穏便に通してもらえる?……いや、無理だ。失敗した時のリスクが大きすぎる」


 穏便に通してもらうに越したことは無い。だが、直ぐにその案は捨てた。


 もし、彼等が好意的な存在ではなかった場合。もし、彼等に言葉が通じなかった場合。


 どれか一つでも噛み合わなければ、狩人の前に獲物が近づいてくるも同然。


「直進は無謀。なら、大きく迂回するしかない……」


 飛羽の右後ろ。十分距離の離れた位置で、火球がまた一つ爆発した。


「爆発の位置は曖昧。何を狙ってるのか知らないけど、もし僕を狙ってるのなら……見つかってない今のうちに行動しないと……」


 決めた。バレないように、大きく迂回する。だが、もし発見されて不特定多数に狙いを澄まされてしまえば、間違いなく死ぬだろう。


“死ぬ”


 その言葉が頭を過る度、心臓が強く脈打つ。


 それと同時に、“本当にこの案でいいのか?”“もっと賢い案は浮かばなかったのか?”と迷いが生じる。


「くそっ……」


 自分の心の弱さに悪態をつくが、これしかない。それ以上の案は思い付かない。


 火球の軌道を読み、爆発地点を正確に見極め、間を縫うように迂回していく。



―――――ブチッ



 唐突に響くのは、何かが切れたような音。


「ぇあ゛ッ……⁉」


 突如右足を襲った激痛に剣を落とし、地面を転がる。


 最も痛むふくらはぎを思わず両手で抑え、うずくまる。


 肉離れだ。

 

「い゛、ったい……」


 心よりも先に、足が音を上げてしまった。


 裸足のまま重い剣を担いで走っていたのだから、足に過度な負担が掛かるのは当然のことだろう。


 心は意志の力で直せても、身体は治せない。


「う゛……ぐぁぅ……!」


 呻きながら立ち上がろうとするが、右足に力が入らない。


「ぁっ………」


 そして、悲劇はそれだけで終わらなかった。


 光に誘われ、空を仰いだ飛羽は絶望に顔を歪ませる。その視線には、真っ直ぐ飛羽に向けて落ちてくる火球が映っていた。


 最早声を出すこともできないまま咄嗟に大剣を手繰り寄せ、その腹で身を守る。


 刹那、襲い来る熱。爆風によって吹き飛び、更に転がっていく身体。


 ポキリ、と。飛羽の中で何かが折れた。


「……ぅ、あ゛あ゛……」


 もう痛くないところなんてない。体中が痛い。


 擦り傷だらけの体を起こそうと腕を使えば骨が軋み、立とうとしても足に激痛が走る。口の中が切れたのか、内臓が傷ついたのかは分からないが血の味がする。


――今度こそ、死ぬ


 死の予感。誰よりも近く、何よりも近く、飛羽は再びそれを感じる。


 怖い、逃げ出したい、夢だったら早く覚めてほしい。


 感じた事もない痛みに、頭が現実逃避を始める。


 弱い心が染み渡り、涙を流し、身体が小刻みに震え出す。

 

 惨めに、無様に、死から逃れようと地を這う。


「嫌だ……死にたくない……まだ、死にたくない……」


 ぽつりと出た言葉。それは生きているからこそ言える願望。生への執着、足掻き。


(―――踏ん張れよ……! あの子の為に頑張るって、決めたばっかりじゃんか……)


 自分を奮い立たせようとするが、恐怖に苛まれた身体は前を向かない。


 頭では解っているのに、心の本質は、身体は、思い通りに動いてくれない。


「くそ……くそっ……どうして、どうして僕は……」


 いつも思う。どうして自分は、肝心な所で、こんなにも弱いのかと。


 飛羽が昔から愛して止まない物語のヒーローは、どんな死の恐怖も、困難をも乗り越えて戦い、必ず勝って前に進む。


 自分もそうなりたいと願い何度も変身ポーズを真似したり、必殺技を叫んだりした。誰にも聞かれたくない恥ずかしい過去だが、その心は今でも消えてはいない。


 その心があったからこそ、天使を救いたいと思えた。


 そして今も、あの天使を救いたいと思っている。


 だが、同時に、自分はヒーローと同じになれない事も理解していた。


 弱者を守る為の力も、強者を倒す為の強さも、自分を貫く心すら持たない。


 いつも口だけで、いざという時には“できない”と自分が知っている。


 “できない”事を知っていながら、“何もしない”。


 そして、最も厄介なのは、それを自覚し受け入れている事。


 それが、飛羽という人間だった、、、


「ふぅ……ふぅぅぅ――っ。おお、おおお…――!」


 歯を食いしばり、膝を支えながら、左足だけで立ち上がった。動くたびに右足が酷く痛む。


「今だけは……耐えろ……!」


 心の痛みも、体の痛みも、何もかも、全部。


「ここで諦めたら、きっと後悔どころじゃ済まない…‼」



“そんな事をしても、損をするのは自分だけだぞ”



 弱い心の声がした。


「そんな事、解ってるんだよ……」


 弱者の強がりで何が悪い。幼稚な正義感で何が悪い。


「死ぬのは怖いさ。でも、どうせ死ぬなら……かっこよく、笑って死にたいんだよ!」


“やらない善よりやる偽善”飛羽が好きな言葉の一つだ。

 

 あの天使が笑顔で居られる為、そう思うと力が湧いてくる。自分を、変えられる。


 根性捻り出せば、まだ動ける。


「もう……あんな悲しい顔、させたくない……‼」


 勝手な願いだけれど、あの子にはずっと笑顔でいて欲しい。泣いている顔なんて見たくない。


「誰かの泣き顔を見るのは、沢山なんだよ……」


 本心から漏れた言葉。その言葉の意味を、飛羽自身理解していない。


 不意に、地面に転がった大剣へと意識が移る。


 必死だったとは言え、かなり乱暴に扱ってしまった。


「雑に扱ってごめんね。君を安置できる場所も、ちゃんと探すから……」


 上体を折り、大剣の柄を握る。一呼吸置いた後持ち上げ、左肩に担いだ。ズッシリと重過ぎるこの剣も、今では道を共に行く仲間に等しい。


 叫びたくなるほどの痛みが右足を襲ったが、堪える。


「……ふぅ――っ」


 笑ってしまいそうな程、身体は火傷や打撲でボロボロ。


 でも、それがどうした。


 まだ動く。まだ動ける。まだ死んでないし、死ぬつもりもない。


 生と死は常に隣り合わせ。そんな当たり前のことを痛みを以て、身を以て理解した。


 生半可な覚悟では、あの天使に会う事すらできないだろう。


 悔しいけど、やっぱり自分にはヒーローの様に強く、戦える力は無い。


 でも、それでも――


 心なら、変える事が出来る。


「生憎、僕は諦めが悪いんだ……!」


 少しでも理想に近づく――その為にはまず、自分を騙す。


 一歩、腫れている足を使って前へ踏み出し。


 一歩、軋む腕で剣を担ぎながら前を見る。


 死の恐怖による震えや寒気は、いつの間にか消えていた。


『――……』


 視線の様なものを感じ首を向けると、羽根が胸ポケットからひょっこりと上部を覗かせている。

 

 その様子はまるで、飛羽の覚悟を一文字すら聞き逃すまいとしているかのよう。


 そして飛羽も、この覚悟を誰かに聞いて欲しいと思っていた。


 決して自分の都合で改変しない為、二度と弱い自分に負けないように追い込み、逃げ道を絶ち、その上で見守ってほしい。


 誰かから聞いたか、いつか読んだ物語の台詞だったか、心に根を張っている言葉を思い出す。


“辛い時程、ピンチの時程、大丈夫って馬鹿みたいに笑え”

 

 その言葉に倣い、飛羽は身体を震わせながらも、歯を曝けるように笑う。


「僕、行き当たりばったりで優柔不断だけどさ、口に出した言葉の責任は取るよ」


 以前とは違う。もう、弱さに挫ける自分はいない。


 どうせ夢だからと、中途半端な言葉を晒す自分はいない。


「――だから、聞いててほしい」


 確固たる覚悟を胸に、もう一度。強くなくていい。せめて最後まで、格好良く。


 体に刻み、心に刻み、魂に刻む為に――




「絶対にこの手で、あの子を救ってやる――!」




 大きく叫んだ、その瞬間



「っ!?――かはっ……」


 飛羽の胸を打った強い脈動。止まっていた血液が押し出されるように、全身へ熱が回っていく。


 それと同時に、剣を握る手が高熱を放ち、接触部分を通して何かが剣へ流れ込んでいる。体の内側から大切な物を奪われている感覚。でも、不快じゃない。


 上がっていく剣の温度。それは既に体温を越え、余りの熱さに剣を落としかけた……その時。


 カッ!と、飛羽の視界を紅が焼いた。


「まぶっ――!?」


 突然の光に思わず目を瞑り、顔を背ける。


 何度も瞼をパチクリさせながら、真っ赤に染まった視界の回復を急かす。


 火球が降ってくるかもしれない。“救う”と覚悟をした手前、一瞬でやられては格好がつかない。


 そんなことを思いながら、十秒ほどで回復した視界を上に向ける。


「――……へ?」


 自分を見下ろす紅い眼と視線が合った。


 威厳ある二本の角、蛇のように長い身体、大木のように太く逞しい腕、鉄をも容易に切り裂いてしまいそうな爪、一対の大翼。しかしその身体は実体を持たず、薄い紫色の半透明。


 それは、飛羽が登った石像の形と酷似していた。


 死の恐怖とは別種の震えに襲われながら、飛羽は(石像改め)龍と目を合わせ続ける。


 その間にも爆発は起きていた。起きていたがその全てを、目の前の龍が何らかの力で寄せ付けない。


 未だお見合い状態の現状から抜け出すべく、飛羽は勇気を振り絞った。


「初めまし……て?」


 やや引き攣る口元を隠しきれていないまま、中途半端な作り笑いで。


 すると龍は、【フン…】と鼻を鳴らし、飛羽に向けて身体を傾けてくる。


「え、ちょっ……⁉」


 視界を埋め尽くしても足りない巨体に気圧され、頭が真っ白になる。だが――


 大きな頭が、飛羽の手が届く位置でピタリと止まった。龍は目を閉じ、何かを待っているように見える。


「触れ、って事……?」


 飛羽は導かれるようにゆっくりと、腕を持ち上げる。


 目を瞑っている大人しい龍に対して


(……なんか、ちょっとだけ可愛いかも)


 なんて感想を抱きながら、その鼻頭に優しく触れてみた。


 触れた個所から発生した紅い光が、眩く星々を彩る。


 胸ポケット内の羽根が、蒼白く輝く。


『彼の身に力を――【Arzobu 同化】』


 柔らかく慈愛に満ちた声が、飛羽の中で響いた。


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