出立-05

 旅人が商人だけでは無いように、宿屋も様々ある。


 コルグス家は商人向けだったが、貴族向けの豪華なもの、軍人向けのもの、そして、持たざる者のための、宿屋とは名ばかりのものもある。


 街中の高額な税金を理由に、交易路沿いにポツリと建つその類の宿屋は、持たざる者のための安宿。

 最低限の寝床と飯しか提供されない宿だが、利用客は意外と多い。

 スラメルのような傭兵や、素性の知れない者たちが集う訳だが、利用料は必然的に安くなり、儲けも期待できない。


 そんな中でララベルは、マウルと言う名字を持つことを許された、数少ない安宿の主だ。


 飲んだくれでロクでなしの父親から譲られた――と言うよりもそれしか遺されたなかった――ララベルは、その宿屋を継いだ時、腐っていた。

 父以上にガサツで、粗暴でロクでなしな客を相手に生きていかなければならない。

 だが、まともな教育を受けていないララベルに、街で生きていく術はない。

 いや、皆無というわけではないが、

 街に出なくとも――それは同じ。

 であれば、この宿が遺されたことは、幸運と思うべきかも知れない。

 そして、父のように好きなように、この宿を変えればいい。

 彼女はこの宿を変えることに決めた。


「身を隠す必要があるとは言え、この格好は――」

 短い、ももの真ん中辺りまでしか丈のないスカートを下に伸ばしながら、碧い目のリュミが呟く。

「ま、あたしと旅をするなら、そうじゃないと駄目っす」

 スラベルとリュミの二人は、モルガネの入り口を抜け交易路に出ている。

「如何にも豪商の娘って感じのさっきまでの服装もそうっすが、普通の格好も駄目。若い女傭兵と子供が旅をするなら、傭兵の見習いに見えなきゃ怪しまれるだけっす」

 たしかにリュミの格好は、スラベルのものと似ている。

 レオタードのようなボディスーツに、二の腕までしかない袖丈の簡易な上着。

 ミニスカートは膝丈どころか腿までしか無く、足元はニーソックスにショートブーツ。

 嫌でも身体の線ボディラインが出てしまい、そしてなによりも、露出度が高い。

「傭兵って戦うわけですよね? それでこれだけ露出度が高いと、身の守り防御に不安が出るのでは?」

「もっともな意見っすが、戦闘なんて稀っすよ。それでもあたしらみたいな女傭兵は、やっぱり頼りなく見られるっす。だから、女の武器で勝負するしかないんすよ。スケベな商人が連れて歩きたくなるような格好でね」

 前を閉められない上着を引っ張りながら、スラベルがカラリと笑う。

「つまり、この格好は女傭兵の武器なんすよ」

「とは言え……こんな格好とは……おじさまがって何度もつぶやいてますし」

「絶対領域? なんすかそれ?」

「ニーソックスとスカートの間の事、だそうです。珍しくおじさまが興奮してます」

「おぉ?! 絶妙な表現っすねぇ!! 確かにここは女の武器!! 絶対的な領域ですなぁw」

 変な所で気の合う2人だなぁと言うため息が、リュミから漏れる。

「それに、着けるならこっちじゃないですか?」

「ひゃぁう?!」

 スラベルが間抜けな悲鳴をあげる。

「リュミちゃん……なんであたしの左胸を、揉んでるんですか?」

「宿の常連のお医者様に、心臓は左だと聞いています。だからこっち側では?」

「それはあたしのファッションのこだわりで、左肩にショルダーアーマーが来て、胸当てまで左だと偏りすぎて――って、なんで揉み続けてるんっすか?!」

「スラベルさんの大っきくて、揉み応えがあるから」

「真顔で揉み続けないでくださいっす!!」

「それなら振りほどけばいいじゃないですか?」

「いや! その! もみ方が上手というか――ひやぁっ!!」

 無人の交易路に、再度スラベルの間抜けな悲鳴が広まった。


「道のりとしては、このまま西の港を目指すわけっすが、港は2つ有るっす」

 琥珀色のリュミに、スラベルはそう説明する。

 その瞳は、周囲への警戒をより強めた証拠。

 スラベルも同じ様に、真剣な面持ちをしている。

「1つはルガンド、帝国との貿易を一手に担う大型港。もう1つは漁港のペルファネ、こっちからも小さな定期便が出てるっす。出国に目を光らせている役人が多いから、ルガンドよりはペルファネのほうがオススメっすが、どうします?」

 時折辺りに視線を回すリュミは、様子を変えずにそれに応える。

「ペルファネに役人は?」

 碧い時フロイラインと違い、今のリュミには気軽に声をかけ難い。

 同じ身体でも、発する気配は全く異なる。

 これはそのうち――――あらぬ危険を巻き込みそうだな。

 そう懸念しながら、スラベルは回答を出す。

「少ないっすね。定期便の乗り場だけっす」

「ルガンドに軍艦は?」

「軍艦はイリアネス軍港だけっすね。帝国との決まりでそうなってるっす」

「なるほど――ではルガンドですね。人の集まりが少なく、それでいて定期便に目が光っているとなると、ペルファネは危険です。軍艦が居ないのであれば、ルガンドの治安は悪くなくとも最良ではないでしょう。ですから――」

「ですから?」

「密航船に期待が持てます」

 悪い顔だなぁと、スラベルは思う。

 同時にちょっと甘いな……とも。

 ともあれ、依頼主の希望は聞き入れなければならない。

 2人はルガンドを目指すことにした。


 やっぱり雑談が振りづらいなぁ……と、スラベルは隣の少女を気にかける。

 紺碧の姫とは違って、大人でも気軽に話しかけられる空気感ではない。

 この、微妙なトゲが気になるおじさまの雰囲気は、やはりいずれ厄介ごとの種になりかねない。

 人は、気を許せる相手とは、事を構えようとしない。

 もちろん、調子に乗って絡んでくる馬鹿は沢山居るが、その相手は自分が慣れている。

 が、警戒心はより大きな面倒事の火種となる。

 琥珀のかたは頭が良いけど、人当たりにまで気が回る方ではない。

 そのせいか、人の心というものに、疎い感じがする。

 そしてそれは、警戒心や忌避感からくる疎外感によって、面倒事の火種となる。

 その程度ならばまだなんとかなるかも知れない。

 しかし、馬鹿ではない者本当の強者に違和感を抱かせることで、より対処の難しい事態を迎えるのではないか?

 スラベルは自身の経験から、そう勘が働いてしまう。


 それでも、いや、それだからこそクリアにしておきたい。

 彼女が何者であるか?

 だからこそ、あの事を聞かずには居られない。

「聴き忘れていたっす、昨日の晩の

 そう尋ねた相手は、少し後ろで両膝に手を着いて、苦しそうに頭を下げている。

 考え事をしていたから、気付かなかった?

 それともそう読まれていた?

 何れにせよ、そこで止める訳にはいかない。

「駄目っすよ、誤魔化そうとしても」

「誤魔化すつもりはないのですが……」

 そういいながら顔を上げたリュミの様子がおかしい。

「すごい熱!!」

 心配になって額に手を当てると、厚手の布製の手袋バトルグローブ越しでもわかるほどの高熱。

「大丈夫っすか?」

「ちょっと……苦しいですね」

「ちょっとどころじゃないっす!! もう少し歩けるっすか?」

 そう言いながら肩を回したリュミの身体が、苦しそうに喘いでいた。


「ララさん!! すいません!!」

 更に歩いた交易路の脇、貧相だが作りのしっかりした安宿の扉を、スラベルは乱暴に開く。

「なんだ、ベルかい。ドルとグランが郷里に帰ってるから、宿は休みだ――って!!」

 彼女をベルと呼んだ痩身の中年女性は、その肩でグッタリしているリュミに駆け寄る。

「すごい高熱じゃないか?! アンタの弟子かい?」

「ま、そんなとこっす。悪いんすけど1部屋良いっすか?」

使いな!」


 威勢の良い返事を聞いたスラベルは、リュミと共に階段を登る。

 その様子を不安げに見ていたララベルは、すぐに表情を変える。


「あの娘もそれなりに、たくましくなったねぇ」

 それは、娘を見守る母親のようだった。

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