名前のつけられない関係性

没法子(めふぁ)

はじめに


『名前のつけられない関係性』は、私が2018年に入ってから気まぐれに書いているブログ「めふぁにっき」の中から、男女関係や恋愛について書いた部分を集めたものです。集めた上で切って貼って付け加えてひとまとまりにしたものです。


 私にとって恋愛、性愛、男女関係とかいったものは興味深いものでして、思春期から他人の事情を聞いて回ってばかりいます。私自身はというと、ずるずると年齢に経験が伴っていない男性を続けています。いわゆる耳年増です。

 ひょっとすると傍目からは私は単なる下世話な話が好きな人なのかもしれないのですが。


 社会の中で人間が生きていく上で、恋愛というのは本当にその人の総体を浮き彫りにします。決して「恋愛をしないものは人にあらず」みたいな話がしたいわけではないんです。世の中にはノンセクやAセクといった性愛や恋愛感情がない人もいますし、社会的な選択として恋愛をしない人もいます。身体的な理由から「ふつうの人とは違う」性愛のカタチをとる人もいます。


 好むと好まぬとに関わらず、私達は恋愛や性愛という他者との関係性の作り方において何らかの決定を日々下しています。驚くことにあらゆる他者との関係性の中でもこれらの関係性は社会の構成要素の根本的な部分にあり、社会が性愛や恋愛を規定し、また逆にいえば、性愛や恋愛のありかたが社会を規定しています。


 性愛や恋愛が単なる発情かといえば、答えは部分的にYES、でもすべてがそうではありません。動物的本能としての人間、生殖を担う存在としての人間、社会的人格としての人間、複雑な人間関係のプレーヤーとしての人間、ひとりの人間の中にあるルーツやバックグラウンドが複雑に絡み合い、そして時に炸裂し、問題を起こします。うまくいくと結婚のような社会に認められた関係性の枠に収まったり、収まったかと思えば、また一悶着起こしたりします。


 私から主に見えているものは、だいたい他の誰かの恋愛に問題が起きた時です。

 こういう時、私は裏側にある人間関係を洗ったり、泣いている人からヒアリングをしたりします。大変悪趣味なことですが。


 そうしていく中で人の生い立ちと今の他人との関わり方がリンクした瞬間がどうしようもなくおもしろいのです。この人が今こういうモノの見方をするのは、過去この人がこういう経験をしたからだ、というような経験と認知のセットが束になって今のその人の認知の総体があり、それに基づいて誰かと関係性を作っています。

「運命」みたいな言葉で表現できるのかもしれませんが、人と話していてそこに必然性を見出す瞬間が訪れるときがあります。


 もちろん、誰かが苦しんでいる理由の根源に気づいてしまった瞬間、強い共感を覚えて苦しくなることもあります。

 人間ってどうしてこうもままならないのかと本当に無力感と胸苦しさを覚えます。


 だから常に警戒して、誰かが感じている苦しい気持ちからは一定の距離を取る必要があるのですが、共感しないとなると今度はどうでもよくなってしまうので何も見えません。いまだにこの辺のチューニングを間違えて「あっしまった俺またメンヘラに共感してしまっためっちゃ苦しい」みたいな状況に陥ることがあります。沼に足を取られる時のように、まだいける、まだいけると思っているその瞬間にふと苦しい共感の沼に足を取られ、ループに陥ります。

 こういうことをあんまり繰り返していると私もメンヘラになってしまうと危惧して、最近は特に気をつけています。


 いろいろ書きましたが、要はこのお話は、未熟な若い男性が、あちこち見聞きして考えたり思ったりしたことをこの機会に書き綴ったものになります。


 人生観なんて絶えず移り変わるものですから、あくまで記録までに。

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