第30話 探偵は出会う。探し求めていた彼女に。

「アリサ。アリサなのか……」

 地に伏したエルメラルドは、物陰から現れた青い髪の女を見上げた。


「アリサ? あなたが。まさか……」

 狂ったように笑っていた目の前の女も、笑みを止め眼を細めて、幽霊でも見たような顔をしている。

 膝丈のスカートに華やかな柄のブラウス。春先にはしゃぐ乙女のような可憐さを残しつつも、あの頃よりもぐっと大人っぽくなった義妹はどこか得体の知れない不穏な笑顔を見せていた。


「ええ、そうよ。奇遇ね。あなたもアリサ・ファイアドレスなんですって? 蒼玉の楯って呼ばれていたの? それはすごい。わたしね。自分と同じくらいの能力がある魔術士と一度戦いたいと思っていたんだー。あなたがアリサなら思う存分、魔術対決ができるよね」

 その高慢な態度、人を小馬鹿にした口調。何年たっても忘れることはない。エルメラルドがずっと探していた義妹のアリサ・ファイアドレスに間違いなかった。

「……うふ、あはあはは。頭おかしくなって消えたって噂の、あのアリサ・ファイアドレスが現れるとはねぇ……。ついてる、私はついてるわ!」

 女は肩を震わせて笑う。


「ついてる? 頭がおかしくなってるのはあなたじゃない? ってか、成りすますんなら、もっと可愛くなきゃダメでしょ。あなたみたいなブスがわたしのフリするなんて冗談にも程があるわ」

 胸を張ったアリサは女を見下す。だが、女も負けてはいない。再び肩を震わせて狂気的に笑った。

「ふふふ、あはは。ウケる。口の悪さも噂通りね。でも、死ぬのはあなた。魔術士協会が血眼になって探していた蒼玉の楯がこんなところに現れるとは好都合。あなたを倒せば、あの神使に加わることだって夢じゃないわ。うふふ」

「魔石の魔力のおかげで気が大きくなってるのね。小物らしくて笑える。面白い。いいわ。その傲慢さに免じてチャンスをあげる。どうぞ。あなたの最大の魔術でかかってきなさい。受けてあげる。あなたが一撃で仕留められる自信があるならね。自分の身の程を知るがいいわ」

 アリサは胸を抱くように腕を組んで不敵な笑みを見せる。

「うふふうふうふ。ウケる。余裕みたいだけど、この『ネンデの指輪』の超魔力を取り込んだ私に勝てるとでも思っているの? いくら天才と呼ばれたあなたでもこの魔力を宿した私の敵ではないわ」

「能書きはいいから、やってみてよ。ほら。早く」

 二人のやりとりを視界に収めながらエルメラルドは静かに自分の体の様子を確認する。めちゃくちゃに撃ちこまれた魔術のせいで全身ひどい怪我を負っているが、内臓や骨には損傷は受けていない。魔力はまだ充分に体に満ちている。なんとか立ち上がり最後の一撃をあの偽アリサに放つだけの魔力もまだ残っている。逆転は可能だ。

 アリサは強気で煽っているが、魔天楼閣から排除された時は基礎魔術も使えないほど精神的にやられていたのだ。どれほど回復しているかわからない。あれから一〇年は経つがどれほど魔術を使えるようになっているかも定かではない。いざという時は自分が戦わねばならないだろう、とエルメラルドは意識を集中していつでも魔術を放てるように心を整えた。


「そこまで言うなら、受けてみな! 私の持ち得る最大の魔術をっ!」

 挑発に乗る形で女が両手を広げて魔術の構成を編み始めた。アリサは防御の体制も取らずにただ女の挙動を余裕たっぷりの顔で見ている。

 女の周囲に凄まじい魔力の波動が集まっていく。魔術式が空間に張り巡らされ魔力が女の周囲をめぐり、ローブをたなびかせる。女はブツブツと詠唱を始めた。時間をかけて詠唱を行い、強力な魔術を放つ気だ。アリサはまだ何も動かない。


「……大地を灼く炎の亡者よ、忌まわしきその因縁を断ち切るため、生贄を与えん!!」

 充分に魔術の構成を編んだ女は叫び声と共に広げた両手をアリサに向けて突き出した。青白い魔術文字が空間に浮かび上がり、その文字が瞬く間に赤く燃え上がると、一気にアリサに向かって放射された。轟音と共に襲いかかる炎の津波は空気を焼き、倉庫内に積まれた荷物を焼き、そしてアリサの体を包み込み、倉庫の壁にぶつかると上下に広がった。爆風と熱風。壁は真っ黒に焦げ、薬品が化学反応を起こしたような嫌な臭いが立ち込める。

「あはははは。どう? 完璧な魔術!! これが私の実力よ」

 燃え盛る魔術の火炎を見つめて得意げに女が叫ぶが、

「なるほどね。こんなもんなのね」

 耳元で囁く声に慌てて飛び退いた。見れば傷ひとつ、火傷ひとつ負っていないアリサがつまらなさそうに腕組みをして立っていた。

「なに!? いつの間に」

「ねー。いつの間にって思うよね。ちょっとは楽しめるかと思ったけど、残念。あなた全然ダメね。もういいわ死んで」

 アリサがにこりと笑った瞬間、女の右肩が爆ぜた。

「かはぁっ!?」吹き飛ばされた女が地面に転がる。痛みよりも驚きの表情でアリサを見上げている。

「あー、ごめんごめん。手元が狂った。一撃で殺してあげようとしたんだけど、その酷い顔を見たら笑けてしまって、あはは。ごめんね」

「え、詠唱なしで魔術を……!?」

 鮮血に染まった肩を抱いて女が青ざめる。

「会話に詠唱を混ぜるくらい神徒なら平然とするわ。あなたみたいに教科書通りの呪文を唱えないと魔術も放てない人が偉そうにしてるなんて、魔術士のレベルは相当落ちたのね。ほら、今話している内にも詠唱が組み込まれてるよ。気づいてないでしょ」


 その言葉を詠唱に、またしても魔術が発動した。前触れもなく女の脇腹が爆ぜる。

 くの字に折れた女がくぐもった声をあげる。

 ゴホゴホと咳こむとべちゃりとどす黒い血が地面に垂れた。

「って感じ。わかった? まったく、このくらいのことも防げないようじゃ、わたしには勝てないなぁ。ま、勉強になったよね。……もう死ぬから、今後の人生にはあんまり生かせられないけど。あははは」

 段違いの力の差を見せつけるアリサに、エルメラルドは戦慄した。

「アリサ! やめろ! もう勝敗はついた」

 かすれる声で叫ぶ。すると、アリサは首を傾けてこちらを向いた。

「トオル兄ぃ。大丈夫だよ! すぐ終わらせるから待っててね」

 ニッコリと笑顔を見せる。そのあまりの無邪気さにゾッとする。アリサのその言葉を詠唱に再び女の体が爆ぜた。声にならない声をあげて女はのたうち回る。

「やめろっ、アリサ。もういい」

「もういい? なんで?」

 女の足が爆ぜる。

「殺す必要はない」

「そんなことないでしょ」

 女の腕が爆ぜる。

「いいんだ! よせ」

「……ちぇ。トオル兄ぃは甘ちゃんなんだから。わかりましたよー。はーい」

 跳ねっ返る青髪を揺らし、やれやれと首を振るアリサ。

「これでおしまい。その変な魔道具は取っとくね」

 その瞬間、女の懐にアリサの細い腕がめり込んだ。ぐしゃりと肉をえぐる音がして、アリサは女の体の中をまさぐる。悲鳴すらあげられぬ女の体から、アリサはその手を引き抜いた。真っ赤に染まる腕の中に怪しく煌めく魔石の指輪。女の魔力を増幅させていた魔道具だ。ピンと弾くと指輪は地面に転がる。手がだらりと落ち、白目をむいて崩れ落ちた女はただ血だまりを作るだけで、もう悲鳴をあげることも、動くこともなかった。

「どんな醜い人間でも血だけは綺麗だからいいよね」

 ケラケラと楽しげに笑うアリサは動かなくなった女を蹴飛ばしてから、軽やかな足取りで近づいてきた。

 一〇年も探していた義妹は人を虫けらのように殺しても、平然と笑顔を見せることのできるような、そんな人間になっていた。


「アリサ。殺すことはなかった」

 怒りとも悲しみとも取れない表情を浮かべてエルメラルドは立ち上がる。全身の痛みなどはどこかに行ってしまった。あんなに探していたアリサが目の前にいるのに、こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。彼女は無邪気に人を殺すような人間になってしまった。

「もう。トオル兄ぃは、いつも優しすぎるよ。殺されそうになってたから、助けてあげたのにー。気を使ってくれてるの? 気にしなくていいからね」

 甘えた声を出されても、不快に耳にまとわりつくだけだった。

「違う。アリサ。そうじゃない」かぶりを振る。が、アリサはエルメラルドの言葉の意味を理解しない。

「もう、変なの。せっかく何年ぶりかに会えたのに辛気臭い顔して。嬉しくないの?」

 アリサは頬に空気を溜めて膨れツラをする。あの頃と同じ表情なのに、まるで別人のようだった。

「会えたのは嬉しいさ。俺はお前を探して魔天楼閣を抜けたんだから」

「でしょ! トオル兄ぃがわたしを探して魔天楼閣を出たんだって知った時は、とっても嬉しかったよ! 心配してくれていたんでしょ。でも、もう大丈夫。元気になったし、やるべきことも見つかったし」

「……やるべきこと?」

「うん。魔術士も魔法使いも、全部殺すんだ。そして、争いのない幸せな世界を作るの」

「何を……言っている?」

「みんなが平等なら諍いも妬みも争いも生まれないじゃない」

「だから、殺すのか?」

「うん!」

「そんなの。間違ってる」

「間違ってないよ。平和のためには必要なことでしょ。マジルキヨトなんかじゃ魔法使いと魔術士が抗争をしていて、一般人タビトが犠牲になってるんだよ。そんなのおかしいじゃない。だから、わたし頑張ってるんだ。今日も汚い魔術士を一人殺したよ。褒めてよ」

「……アリサ、違う。そうじゃない。いらないから殺してしまうなんて、そんなの望んでいない。その魔術士だって、殺す必要はなかった」

 すでに事切れている女を横目にエルメラルドは言う。だがアリサは理解しない。

「なんで。意味わかんない! せっかく助けてあげたのに! わたしがいなければトオル兄ぃは死んでたんだよ! ……やっぱりトオル兄ぃも変わっちゃったのね。みんなそう。みんな変わっちゃう」

「アリサ。誰だって変わる、それはアリサも俺も同じだ。だけど……」

「いい! せっかく会えたのに! トオル兄ぃなんて知らない!」

 アリサはプイッとそっぽを向き、踵を返して立ち去ろうとする。

「アリサ! まて! アリサ!」

 傷ついた体に鞭を打ち、足を踏み出し叫ぶ。

 その時、一人の男が物陰から姿を現した。

 栗色の髪に水色の瞳。青ざめた顔で立っていたのは、アクア・マリンドールだった。


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