第19話 流されて

 私は必死になって悲鳴を押し殺した。カゴの縁を握りしめる。

「ギル、しゃがめ! しゃがむんだ!」

 恐怖で動けない私をレオンが無理やりしゃがませた。私はガチガチ震えながらレオンの腕にすがる。

 気球は流されて行く。とうとう、山を越えた。越えた所で、やっと気球はゆっくりと安定して飛び始めた。レオンとミレーユ様が立ち上がった。私も恐る恐る立ち上がる。振り返ると、遠く彼方に海が見えた。

「殿下、おかしいですわ。気球が風に逆らって飛んでいます。何か、魔法の力が働いているとしか思えません」

「確かに! ファニめ! 俺達をどこに連れて行くつもりだ!」

 気球はどんどん、飛んで行く。私はカゴから下を覗いてみた。険しい山々の尾根が足下に広がる。真夏なのに、風が冷たい。怖いのか、寒いのか、私は震えが止らない。

「ギル、これを着てろ」

 レオンがマントで私を包んでくれた。暖かい。

「ミレーヌ殿、地形を覚えられるか?」

「はい、狩りで山奥に踏む込んだ時に備え、常に目印を探すようにしています。万が一の山越えに備えるのですね」

「さすがだ」

 レオンとミレーヌ様は仲が良い。見ていて羨ましくなるほどだ。何と言ったらいいのだろう。戦友という感じなのだ。もし、戦闘になったら、お二人はファニを倒した時と同じように息のあった戦い振りを見せるのだろう。私は二人から目をそらした。

 足下に森が広がり始めた。真ん中に一本の川が見える。その川の先は大きな湖になっていた。

 私はなんとなくイヤな予感がした。気球はどんどん湖へと近づいて行く。

 バシャ!

 湖の方から水音が聞こえて来る。

 そして……。

 ウソ!

 竜!

 おびただしい数の竜だ!

 私はロジーナ姫の言葉を思い出していた。


(黄金竜ファニは若かった頃、戯れに人に変身、人の世界に遊びに行った)


 人の世界にって、もしかして、竜の世界からっていう意味?

 もしかして、もしかして、私達が向っているのは……!

 竜の群れの、その真ん中に気球は突っ込もうとしている。レオンが真っ青な顔をして、もう一度縄を引っ張って進路を変えようとするが動かない。

 ミレーヌ様と私もレオンと一緒に縄を引っ張った。だけど動かない!

 気球はどんどん竜の群れに近づいて行く。

 近づくにつれ、湖の側の崖にたくさんの穴があいているのが見えて来た。その穴から何十匹もの竜が出たり入ったりしている。竜達は湖に飛び込んでいる。先程から聞こえて来た水音はこれだったのだ。竜が水に飛び込む音。竜の上げる水飛沫しぶきが陽光に煌めく。ファニと同じように、竜は魚を食べていた。そして、あたりに響く竜達の鳴き声。ここは恐らく竜達の住処。気球は竜の住処、真ん中を目指して流れて行く。

「ファニめ、我々をあの中に連れて行くつもりだな」

 レオンの言った通り、気球は竜の巣の真ん前の空き地に不時着した。私達は不時着の衝撃でしばらく動けなかった。竜の気球が、カゴの上に覆いかぶさってきた。私達はカゴの中でじっと息をひそめる。竜達に見つかったら、きっと殺される。レオンと皇女様が剣を握りしめて息をつめる。私はレオンの空いた手が私の腰を抱きかかえるのがわかった。

 バサバサと竜の羽音がした。

 竜達が気球に気がついたようだ。

「どうか、そこから出て来て下さい。大丈夫です。危害はくわえません。おもてなししたいのです」

 私達はぎょっとして互いの顔を見つめ合った。

「今、頭の中に声が……」

 レオンが頷く。カゴの隙間から覗くと黒い小型の竜がいた。じっとこちらを見ている。

「殿下、どうします?」

 ミレーヌ様が低い声で囁いた。

「……仕方がない、出て行くしかあるまい。ミレーヌ殿、ギルとここに隠れていてくれ」

 言うとレオンは気球をおしのけて立ち上がった。カゴから出て、黒い竜に歩み寄る。

「初めてお目にかかる。私はブルムランド国王子、レオニード・フォン・ブルメンタール」

「僕はガリタヤ、どうぞ宜しく」

「ガリタヤ、あなたは誓って危害をくわえぬと申されるか?」

「はい、殿下。どうか、安心なさって下さい」

「……わかった、では紹介しよう。二人共、出て来てくれ」

 私は皇女様と共に、カゴから出てレオンの傍らに立った。

「こちらは、サルワナ帝国皇女、ミレーヌ=ゾフィー殿。

 こちらは、ギルベルタ・アップフェルト嬢。私の友人にして、歌姫だ。

 ガリタヤ、突然、あなた方の住まいに侵入し申し訳なかった。決して驚かすつもりは無かった。どうか、このまま、ここを通してほしい」

「殿下、我々の王が、あなた方に会いたいと申しております。願い事があれば王におっしゃって下さい。さ、こちらに」

 私たちはガリタヤに導かれて、大きな洞窟へ案内された。洞窟に入った途端、前を歩く黒竜の姿は溶け、騎士見習いの少年の姿になった。

 洞窟に入ると、そこは広間になっていた。

 左手に玉座があり、黒い髪を腰までのばした美青年が座っている。細面の白い顔、きりりとした眉。碧い瞳。体にぴったりとした濃い蒼の衣の上に銀色のローブを羽織っている。ガリタヤは私達を彼の前に連れて行き、一礼した。

「我が君、遠方からの客人をお連れ致しました」

 我が君と呼ばれた青年は、立ち上がると言った。

「よく参られた。ここは、竜の国タリ。私は竜王バチスタ」

 レオンが竜王様に名を名乗り、私たちを紹介する。

「陛下、あなた方の国に侵入し申し訳なかった。決して故意に侵入したのではない。気球に乗っていたのだが、気球が制御不能になってしまい、仕方なくこちらに不時着したのだ。頼む。速やかにここを通してほしい。我々は早急に国に帰らなければならない」

「そなたらの願いはよくわかった。しばらく待たれよ」

 竜王様は片手でさっと合図をした。あたりにドラが響き渡る。洞窟の外でたくさんの竜の翼が羽ばたく音がした。次々に竜が洞窟に入って来る。竜は洞窟に入った途端、人の形になった。竜人達は、皆、華やかな衣装を身につけている。大広間に続々とやって来る竜人達。最後に気球となったファニの皮が運び込まれた。すでに空気が抜かれ、頭以外はぺちゃんこになっている。皮はたたまれ、広間の中央の床に置かれた。皮の上に頭が乗せられる。

 竜王様は床に膝をつくと、ファニの頭のルビーにそっと触れた。レオンが剣で外そうとして外れなかったルビー。竜王様が触れるとなんなく外れた。

 すると、しゅうしゅうと音がした。

 頭から影が揺らめき立つ。影は老婆の姿になった。片目が潰れている。しゃがれた声で影が言う。

「お兄さま、お願いです。この者達を殺して下さい。私はこの者達によって討ち滅ぼされました。私は一人の女を操ってこの者達を気球に乗せ連れて来たのです。どうか、お願いです、お兄さま、この者達を殺して……」

 あの影は恐らく、ファニ。ファニが操ったのはセイラさんだ。気球を作るように勧めたのはセイラさんだった。

 私は身を固くした。レオンと皇女様が剣の柄に手をかける。

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