第18話 蜘蛛の森での頼み事

「あいつらが消える前に頭を一口でも齧っておくべきだったわ…」


「まぁまぁ。とりあえず蜘蛛の巣をさっさと回収しよう」


 グルルル…と唸り声が聴こえてきそうな勢いでぼそっと呟くハティを宥めるようにしのぶが背中を叩くと、彼女は頭を左右に振って小さな溜息をついた。


「もしかして…シノブは巨大蜘蛛ウンゴリアントがなにか知らなかったりする?」


「…え?蜘蛛だろ?そんな危険なのか?」


巨大蜘蛛あいつらがどんなやつなのかは…そこのドラゴンちゃんや、お姉さまに聞いたほうがいいかもしれないわねぇ」


 ハティにそう言われて信がスコルの方を見ると、彼女は肩に担いだ大剣を地面に突き立てて困ったような表情を浮かべた。

 どうやら思っている以上に大変そうな仕事なのかもしれない…そう思った信を気遣ってるのか、ナビネは彼の肩の上に乗って頬に頭を擦り付ける。


「まぁイザとなったらオイラとスコルがシノブのことは守ってやるよ」


「あたしはともかくあんたは…うーん」


「オイラが魔力を貸したからソフィーだって大地の女神を召喚できたんだぞ?神格の高い女神の再臨だぞ?」


 困った顔を浮かべたまま笑うスコルに怒ったのか、ナビネは前足を二つとも持ち上げながら小さな炎を噴き出した。

 信は頬を襲う小さな熱にのけぞるが、ナビネは気付かないようで、パタパタと興奮したように背中の羽根を羽ばたかせている。


「はいはい。頼みにしてるよおチビちゃん」


「オイラだって立派なドラゴンなんだからな!」


 根負けしたようにそういったスコルに頭を撫でられたナビネは、信の肩の上で得意げに鼻を鳴らした。

 そのまま三人と一匹は木々が生い茂る森の中へと進んでいく。

 半日ほど歩いたが、まだ森の中は普通の森と変わらない様子で小鳥たちや野生の動物たちが時々姿を見せる。

 中型の魔物が姿を見せない分、以前旅をしたガーディナの森よりも安全なのではないかと思うほどだ。


「もう日も暮れてきた。今日はここらで野営をして明日進もう」


 少し開けた場所に辿り着いたスコルは、背負っていた荷物を地面において野営の準備をし始める。


「今日は魔物に全然遭わなかったな」


「それはぁ…ねぇ?お姉さま?」


 スコルの手伝いをしながらそうつぶやいた信を意味ありげに見たハティは再びスコルのことを見つめた。

 スコルも観念したような顔をして溜息をつくと、焚き火のための薪を地面に置いて、信の近くに腰を下ろす。


巨大蜘蛛ウンゴリアントを使役してる上位の存在がこの森から魔物を遠ざけているんだ」


「上位の存在って?」


 信はスコルとハティの間に自分も座ると、膝の上に飛んできたナビネの頭を撫でながら首を傾げる。


黒蜘蛛アラクネ一族だ。上半身がヒトで下半身が黒い蜘蛛の女の一族で、巨大蜘蛛ウンゴリアントはそいつらの手足であり子供たちであり家畜でもある」


「…つまり、蜘蛛の巣を集めるためにはそのアラクネ一族と戦わないといけない?」


「戦って勝つのは…無理だろうな。この森はアラクネの住処だ。あたしたちが二人共真の姿になって暴れても糸に絡み取られて活きのいい餌になるだけだ」


「見つからずに巣から糸だけ掠め取れたら万々歳よねぇ。見つかったら…うーん…どうなるのかしら?お姉さまはアラクネの知り合いとかいないの?」


「いるわけないだろ」


「やっぱりぃ?」


 ケタケタと笑ったハティは、そのまま頬杖をついて揺れる火を見つめた。その瞳からは何を考えているのか全く読み取れない。

 剣の手入れをしているスコルとハティを交互に見た信も、何も思いつかないのか、黙ってただパチパチと音を立てている炎を見つめている。

 

「なんとかするしかないさ。とにかく今はゆっくり休んで明日に備えるぞ」


 信は、スコルの言葉にうなずくと、ナビネを抱いてそのまま横になる。

 少し肌寒いが寝袋を使う必要はなさそうだ…と疲れからかボーっとする頭で考えながら眠りについた。


※※※


「あら…おはよう勇者様。朝はまだ先よ?」

 

 信が目を開くと、少し小高い岩の上で木々の間から差し込む紅い月の光に照らされて伸びをしていたハティと目があった。

 元の姿に戻って自分を囲うようにして寝ているスコルの前足をどけて、信はほほ笑みを浮かべるハティを見上げる。


「眠らないの?」


「君とも話してみたくて」


 その言葉を聞いたハティはキョトンとした顔を浮かべたあと、再び笑みを浮かべると岩から飛び降りた。

 そして、赤い月を背にしてゆっくりと信の隣に来ると綺麗な真っ白で長い髪をかき上げてから彼の腕に自分の腕を絡める。


「あら?浮気かしら?でもいいわ。わたしも聞きたいもの。お姉さまのこと、お姉さまが気に入ってる貴方のことも」


 そのまま手頃な切り株の近くに来た二人は腰を下ろして向かい合った。

 最初こそ口が重かったが、信はこの世界に舞い降りたときのことや、スコルとの出会い、そして大地の女神を再臨させたときのことまでをハティに話した。


 そこまで話して、信が急に真剣な顔で押し黙ったので、ハティは何があったのかと首を傾げて俯く彼の顔を覗き込む。

 

「すごい自分勝手なんだけど、君に頼み事をしていいか?」


 信は何かを決意したような真剣な表情で、心配そうな顔をしているハティのことを見つめてそういった。

 その顔があまりにも真剣だったので、ハティも思わず頷いてしまうと、信の切れ長の目がふっと細くなる。


「よかった」


「あら…どうしましょう…。最初はお姉さまの心を奪ったニンゲンなんて殺してやろうと思ってたのに…貴方には本当に調子を狂わされるわ…」


 左手を両手で握っている自分を見ながら、もう片方の手で頬を抑えて目を泳がせるハティを見て信は首を傾げた。


「いえ…なんでもないの。大丈夫。今はもう貴方を殺そうなんて思ってないから。それで…頼み事って何かしら?」


 自由になった両手で頬をペチペチと叩いて、気を取り直したハティは、姿勢を正して信を見る。

 不思議そうな顔をしていた信は、ハティに釣られて姿勢を正すと彼女の耳元に顔を近づけてハティ以外には決して聴こえないような小さな声で頼み事を口にした。

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