第9話 闇色の毛皮を持つ獣

「…完全に大ピンチって感じだねぇ」


「悪い…俺がヘマしたばかりに」


「クソ…オイラの回復魔法じゃすぐには治らない…」


「ごめんなさい…ごめんなさい…私のせいで…」


 あれからしばらく歩いた後、内部に生えているであろう巨大な樹木によって天井に穴が空いており、さらに柱や天井、壁などには蔦が絡みついている変わり果てた石造りの神殿に訪れた四人は、神殿の最深部である女神降臨の間と呼ばれている広く、今は外から見えた巨大な樹木が根っこを広げているのが見える部屋で、灰色の毛並みの狼数匹に囲まれていた。

 背後から襲ってきた狼からソフィーを庇うために咄嗟に彼女を抱きしめたしのぶの肩から胸にかけては深々とした爪痕が刻まれ傷跡の周囲を真っ赤に染めている。

 すぐに異変に気がついたスコルが曲がった片刃の大剣を振り回し、狼の追撃は免れたものの、既に入り口をあとから来た別の狼たちに封じられ、徐々に囲まれた四人は逃げるわけにも行かず、狼の群れは彼らを取り囲んだ円を徐々に狭めて距離を詰め始めた。

 倒れた信を抱えているソフィーと、彼に回復魔法を施しているナビネを見てスコルは舌打ちをする。

 少しずつだが信の傷跡は塞がってきているように見える。しかし、このままでは傷が塞ぎ切る前に狼たちが鋭い爪と牙を四人をズタズタに引き裂いてしまうことになるだろう…とそこまで考えたスコルは下唇を噛み締めながら、息を荒げて痛みに耐えている信の顔を見つめた。


「なぁ信、こんなときになんだが…あたしを信じてくれるか?」


「…なんだよ。当たり前だろ」


「…ありがとな」


 痛みに顔を歪めつつも口角をあげて自分を見た信を見てスコルは頷くと、深呼吸をして大剣を床に突き立てる。

 自分の行動を見てソフィーとナビネは不安そうな顔を浮かべたことに気付いた彼女は「大丈夫だ。安心しな」というとウインクをしてみせた。

 自分たちを傷つけ得る唯一の武器が手放されたことで、四人に飛びかかろうと体勢を低くした一匹の狼は、スコルに睨まれて一瞬身体を竦ませて立ち止まり、他の狼達は、足と足の間をすり抜けていくどこからともなく現れてスコルの方に向かって流れている真っ黒な靄のようなものに戸惑ったように鼻を鳴らすものや、体勢を低くしたまま威嚇をするように唸るものが現れる。

 何が起きてるのかわからないままソフィーが目を閉じているスコルへと目を向けると、集まってきた黒い靄が、彼女の身体が見えなくなるほど濃くまとわりついているので彼女は小さな悲鳴を上げた。

 みるみるうちに大きくなって自分たちの頭の上に覆いかぶさるようになった黒い靄から彼女のつけていた服や胸当てが落ちてきたことに嫌な予感を隠せない三人だったが何が出来るわけでもなく、ただ徐々に晴れていき、少しずつ靄の中にいたなにかを見つめ続けることしか出来ずにいる。

 靄から現れた艶のある灰色がかった黒い毛皮の巨大な狼は、星一つない夜空のように真っ黒な鬣を揺らしながら空気を震わせるような大きな、それでいて力強い声で遠吠えをあげると唸り声をあげて周りの狼たちを脅しているかのようにグルリと見回した。

 狼達よりも二回りも三回りも大きい雄牛くらいもありそうな巨大な黒い狼が、自分の腹の下にいる三人を守るように少し姿勢を低くして、長めの体毛のおかげで三人の姿を見えにくくすると、大きな黒い狼は高くあげだ尾を蛇行させながら牙を剝いて目の前の、他の狼よりも一回り身体が大きい隻眼の狼を睨みつける。


「我が眷属たち…狡猾で獰猛な森の狩人よ。

 我の姿を知らないわけではあるまい」


 低いけれど、どこかスコルの面影を残した声で巨大な黒狼は唸るように喋ると、回りの狼達は耳を寝かせて尾を垂れ下げながらも懸命に去勢を張るように黒狼に向かって牙を剥き出しながら唸り声をあげる。


「今は友人と用事の最中だ。

 大人しく席を外してくれるのなら、我もお前たちにこのドラゴンの鱗をも砕く牙を向けなくて済むのだが…」


 キュウンと鼻を鳴らした狼がいたかと思うと、出口に近一番近い狼が部屋を一目散に逃げ出していき、それが引き金となったのか、次々と他の狼たちも女神降臨の間から走って逃げていった。

 最後に残った隻眼の狼が、巨大な狼の鼻元に自分の鼻元を近付けるような仕草をしてから尾を一振りしてゆっくりと歩いて部屋から去っていくのを見て、黒い狼は腹の下にいた三人の上からどいて腹ばいに寝そべり、先程より幾分か顔色の良くなった信と、真っ青な顔をして抱きしめあっているソフィーとナビネのことを変わるばんこに見つめる。


「すすすす…スコルさんを…かえしてくださいいい」


「怖くて混乱してるのはわかるけどさ…。しっかりしな嬢ちゃん。

 ちょっと見た目は変わったが、あたしだよ」


 意を決したかのように立ち上がったソフィーの手から発射された小さな小さな小石が自分の毛皮にポスンと辺り音も立てずに床に落ちるのを見たスコルが、笑いを含んだ声でそう言いながら鼻先でソフィーの腹を軽く押すと、尻もちをついた彼女は目を丸くして近くにいた同じく言葉を失って目を丸くしているナビネを抱きしめた。


「着衣もいいけど…毛皮の下にある巨乳ってのも案外ありかもしれないな…」


「助けられて最初の一言がそれかよ…ったく」


 自分の鼻先を撫でた信の頬に大きな頭を擦りつけて嬉しそうに言った彼女は、姿形こそ違うもののスコルそのもので、やっと安心したソフィーとナビネは抱き合ったまま「わーん」と声を上げて泣き出した。


「悪いな…。せっかくもらった服、壊しちまった」


「また作ればいいさ。

 それより…」


 頭を擦りつけてくるスコルの黒くてつやつやした鬣に触れながら、信は微笑んだが、異音が聞こえてくる神殿の奥へと目を向ける。


「ああ。まだめんどくさいやつが残ってるみたいだな」


 立ち上がり、三人を守るように体勢を低くした狼の姿のスコルも、同じ方向へと視線を向けて牙を剝いてグルルルと唸り声を上げると、目の前の床が隆起し、そこから植物の蔦が絡まりあったものが飛び出してきたかと思うと、巨大な蕾を作り始めた。

 すぐに開いた蕾は巨大な桃紅色で大輪の花になり、そこから生え出てきた薄っすらと緑がかった肌の上半身だけの女性は大きな瞳と頭の大きな桃紅色の花をゆっくりと開くと、自分を見つめている信たちを見て口元にだけ笑みを浮かべると小さく薄い唇を開いて可愛らしい幼女のような声でこういった。


「せっかく用心棒をしていた狼ちゃんたちが帰ったかと思ったら、面白いお客さんが来たのね。

 頑張って作った森もよくわからない邪魔者のせいで本領発揮できないし…目的次第ではさすがのマグノリアちゃんも怒っちゃうぞ」


 マグノリアと名乗った少女の足元から物凄い早さで伸びてきた大人の腕ほどもある蔦が自分に向かってくると、スコルは彼女に尾を向けて蔦を叩き伏せた。


「ふっふーん!やるじゃない」


 予想外だったというような焦りの表情を一瞬だけ浮かべながらも、両手を腰に当てたマグノリアは、草のように鮮やかな緑の髪をかきあげて姿を眩ませたスコルたちを探すためなのか、腰に咲いている花から草のような細さの蔦をたくさん伸ばし、更に花の中から出てきた蜂に「いきなさい」と指示を出した。

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