第7話 大蛙と花の名の少女

「本当にここでいいのかい?

 なにもありゃしないけど」


 大きな声でスコルが空を旋回するナビネに呼びかけるがナビネから返事はない。

 リーワースを出て3日、ナビネが言っていた位置には町どころか廃虚すらなく、広がっているのは一面の深い森だった。


「おっかしいな…つい3年前に遣いを送った時にはこんな森なんてなかったはずなんだけどな」


―キャアアアアア


 空から周りを見ていたナビネが首を傾げながらスコルの肩の上に止まるとほぼ同時に森の中から女性の叫び声にも似た音が響いてくるのが三人の耳に入った。

 スコルとしのぶは、ほぼ迷うことなく声がした方向へと走り出し、目を合わせる。


「あそこだ!」


 スコルの肩に止まっていたナビネはそう言って勢い良く飛び出すと、少し開けた湖畔にいる一人の金髪の少女に今にも飛びかからんとしている人間の大人なら軽く飲み込めそうなくらい大きな蛙の目に向かって体当たりをした。

 大蛙が驚いて動きを止めた間に少女の前に辿り着いたスコルは大剣を構え、信は少女を抱き上げてその場から離れる。

 キョロキョロとあたりを見回し、少しの間考えでもしているように目をパチクリとさせた大蛙が、のそのそと森の奥へと姿を消すのを見てスコルはホッとしたような顔を浮かべると剣を肩に担ぎ木陰に信と共に隠れていた少女に「もう大丈夫みたいだ」と声をかけた。


「ありがとうございます…あなた達は命の恩人です…」


 空をそのまま閉じ込めたような綺麗な空色の瞳に涙を浮かべた少女は、頬をバラ色に染めながら透き通るように美しく白い肌の見える腕で一番近くにいた信を抱き寄せて頬を擦り寄せる。


「はっ…申し訳ありません…。年頃の殿方にはしたない真似を…」


 慌てて信から手を離した彼女は、赤みがかった灰色のローブの上に羽織っている同色のマントについているフードを被り直し美しい金色の髪を隠してしまうと頭を深く下げた。

 信は、彼女の胸元を見ていたようだったが、呆れ顔をしているスコルに肘で突かれると、慌てて助け出した少女を安心させるように笑顔を作って彼女の顔を見つめた。


「いや、謝ることなんてない。

 ところで…ガーディナという町を知らないか?」


「ガーディナなら…私がお遣えしている神殿がある町の名前ですわ。

 命を助けていただいたお礼としては小さすぎると思いますが、私でよければご案内致します」


「助かるよ」


 どことなく狐を思わせる雰囲気の端正な顔立ちのシノブを見て、顔を赤らめながら嬉しそうに話す少女に対してシノブが柔らかく微笑むと、少女は頬に手を当てて更に赤くなった頬に両手を当てて彼の顔から逃げるように背を向ける。


「宿でも用意してくれりゃあ助かるんだけどなぁ」


「宿…でしたら、私の遣える神殿にお泊りになってはいかがです?」


「そりゃあ助かる」


 最初はぶっきらぼうな様子で話しかけたスコルは、宿を無料で確保できたことわかると、少女と肩を組み満面の笑みを浮かべたが、少女はというと少し不安げな表情をしている。

 「どうしたんだ?」と不思議に思ったスコルが首をかしげると、少女はパタパタと脳天気に小さな羽根をはばたかせて飛んでいるナビネのことを遠慮がちに指さした。


「ですが…その…私を助けてくださったので悪いお方ではないのはかわっているのですが…そちらの小さなトカゲさんはそのままですと…」


「トカゲじゃないやい!オイラはれっきとしたドラゴ…むぐぐ」


 トカゲと言われて怒ったナビネの口をスコルが抑え、自分が小さなドラゴンの頭を撫でてどうどうと言って落ち着かせる様子を不安に満ちた様子で見ている少女に、信は微笑みながら落ち着きを取り戻したナビネに声を掛ける。


「大丈夫。ほら、ナビネ」


「しかたねーな。これならいいか?」


「わぁ!すごい!可愛らしい女の子だったのですね。

 これなら大丈夫です。ご案内します」


 あっという間に人間の少女の姿になったナビネを見て、さっきまで不安そうな顔から一転、花が咲いたような明るい笑顔になった金髪の少女はパチパチと小さな拍手をナビネに送る。

 ナビネも満更でもない様子で照れくさそうに頭を掻いていると、信が金髪の少女の手を取って引き止めた。


「ところで…君の名前を聞いてもいいかい?

 俺は信。

 こっちの大剣を担いでるのがスコルで、この小さいのがナビネだ」


「私はシプソフィラ…長いのでソフィーとよんでいただいて構いません」


「シプソフィラ…花の名前か」


 ソフィーと名乗ったその少女は、被っていたフードを一度取り、深々とお辞儀をしてからもう一度赤みがかった灰色のフードを被り直す。

 そんな少女に微笑みながら一歩近付いた信は、彼女の空のように青い瞳をまじまじと見つめながら思い出したようにそう呟いた。


「そうなんです。私が遣える神殿では皆花の名前をつけられるんです。

 それにしてもあんな地味な花、名前を知っている方がいるなんてうれしいです。

 シノブは随分博識なんですね」


「君があまりにも美しいから自然と思い出しただけだよ。

 そうだね…その分厚い布地の下の豊かな胸…本当に素晴らしい。

 君の輪郭…そしてわずかに見える手首…全体的な骨格は細い方に違いない。

 それなのに…だ。君を形作っているその布が描く曲線的な美しいラインとそのボリュームから考えて君のち…痛っ」


「日が暮れる前にガーディナにつかなきゃいけないんだ。

 おしゃべりはそのあと…だ。

 ソフィー、道案内を頼む。町についてから好きなだけこのおっぱい狂いとお話しな」


 ソフィーの手を取ったまま跪き長々と口説き文句を言い始めた信の頭をスコルは軽く叩き、襟首を掴んで引きずる。

 顔を真赤にして戸惑っていたソフィーはその様子を驚いた顔で見ていたが、彼女に声をかけられて慌てて町の方向を指さした。


「は、はい!町はこちらです。

 …おっぱいぐるい?」


 ナビネに手を引かれながら町に向かって歩くソフィーは、さっきスコルが言った言葉を小さく口に出し首を傾げるのだった。

 彼女がスコルの言葉を知るのは、もう少し後のことである。

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