返品~Bleiben!

 LPB本部ビル地下――午後8時。

 静寂が室内を支配。昼間の武装銀行強盗の再来時の喧騒とはうって変わって、かすかに聞こえるのは、機械のブーンという作動音と、ピッ、ピッ、ピッ、というパルスの規則正しい音。それらの音を発する機械類の真ん中にはベッド。

 信濃の、青白い端正な顔に酸素マスクがかぶせられている。その瞼はもう1週間も閉じたまま。

 彼を見つめる4つの目――テレーザとリーツ。

 リーツが、信濃からテレーザに視線を移し、問う。


「この状態は、いつまで……?」

「なんとも……。生きていたのが奇跡と言っていいレベルのダメージでしたから……首から下がほぼ機械となっていたのが幸いして、なんとか奇跡的に命をつなぐことができたと言った方が正しいかしら。それが、本人にとっての幸せなのかどうかは別として」

「実は……ご家族のもとに、彼を帰したほうがいいのでは、という話もあって……」

 その代わりに、新たな特甲児童を受け入れるという話があることは、伏せておく。おそらくは、彼女を刺激、というよりも激怒させるであろう政治的駆け引き――というよりも取引。

「医師としての見地から、どう……すべき……と?」

 明らかに顔色が悪くなったテレーザの機嫌を伺うように問うリーツに、テレーザは、ため息をひとつつき眉根を寄せて、はっきり/キッパリ/明瞭に言った。


「反対です。彼の家族は……お父様は早くに事故で亡くなって、お母様とお祖父様と暮らしていたんですが……」

 いいよどんで、信濃とリーツの顔を交互に見やる。リーツ、目で先を促す。

「もともと、お祖父様は、お母様が外国人であるお父様と結婚することに反対していたらしいんです。それで、旦那様を亡くしたお母様が信濃を連れて実家へ戻った後も、信濃にずいぶんとつらく当たったようで……」

「虐待、ですか?」

「お祖父様はイギリスでは裕福な名士らしく、誰もそういうことを疑わなかったようです。階級社会の弊害ですね。ただ、実家へ戻って1年後にお母様は、なぜか、オーストリアに帰ってきたんです。それを、お祖父様が追いかけてきて……また、一緒に住むようになって」

「追いかけて……なぜ?」

 首を横に振るテレーザ。

「わかりません……理由は。ただ、それから半年後に、信濃は屋敷の屋上から転落し、脊椎を損傷して<子供工場キンダーヴェルク>に入ることになりました。そして――入院時の彼の体の状態が」

 テレーザが、ファイルケースから写真を取り出し、見せる。

 リーツ、息を呑む。

「これは……」

 写真に写った信濃の体――手のひら、背中、尻などにあまたの蚯蚓みみず腫れの赤い線が映っている。

「お祖父様は、教育においてはイギリスの悪しき伝統を守る人物だったようね」

 イギリスの悪しき伝統――ごく一部の、富裕層専用私立学校パブリック・スクールにて行われていたという刑罰。鞭あるいは杖による体罰。


「おそらくお祖父様も、私立学校パブリック・スクールに通われていた方なのでしょう。そこで受けた教育を、そのまま信濃に与えた、ということだと思います。あくまで、想像ですが。だから、教育に関しては、最上レベルのものを与えていたようです。英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、数学、歴史、自然科学、哲学、乗馬、いずれも最高の家庭教師をつけて、自宅で最高の教育をあの子に与えていたの。

 おかげで、子供工場<キンダーヴェルク>では、トップクラスの優秀な成績。ああ、あとフェンシング」

「フェンシング?」

「子供工場<キンダーヴェルク>で、上級生から目をつけられて……この子の顔と、体つき……お分かりでしょう?」

 白皙の端正な顔立ち、骨細で手足の長い繊細な体躯、ある特定の趣味の持ち主にとっては格好の獲物――。

「あ……」

 彼を襲ったであろう悲劇を想像して胸が痛む思いのリーツ、テレーザにみなまで言わなくてもいい、と言おうとしたところで。

「教師達の目の届かないところに連れて行かれたのだけど、ちょうど誰かが置き忘れた杖があったらしくて。フェンシングの技能スキルで相手をボコボコにして半殺しにしたらしいわ」

「え?」

「それがもとで、接続官コーラスの候補生だったのが、戦闘要員に変更。本人の意思とは無関係にね」

「なるほど……」

 予想を裏切る結末にちょっとびっくり。そして「あの顔と頭脳と狙撃の技能スキルに、近接格闘能力まで高いのか。すごいなー」と素直に尊敬と賞賛、そして軽い嫉妬の念。


接続官コーラスの方がまだ良かったわ。いつかこうなる気がしてた」

「どういうことです?」

「この子は……信濃は、生を否定しているようなところがあるから。一度、こう言ったのよ――『センセー、僕のはいつ機械になるの?』」

 爆弾発言に目が点になるリーツ。「人間辞めちゃうの?」思わず、酸素マスクをつけ目を閉じたままの信濃の顔を凝視。


接続官コーラスになる、っていう意味だと思ったんだけど、それともちょっと違ったみたで。なんというか、性的なものへの拒否感から生身の身体とか成長に対しての拒否感があるようなの。ある種のピーターパン症候群シンドローム、大人になることへの拒否感ね」

「はぁ……」

 ピーターパンと言われて、「緑の服着た小人だよね? どんな話だったっけ?」と子供の頃に読んだはずの童話を思い出しながら、「完全無欠に見える人間にも欠点はあるんだなー」とちょっとホッとしてしまう。

「14歳……ですよね。僕なんか、早く大人になりたいって思っていましたけど」

「個人差が大きいところね。どちらの考え方も、この年代ではそんなに特異なことではないけれど、この子の場合は、そこに身体の機械化とか、いろんな要因が加わって問題が複雑化していると」

「それは、上級生に襲われたことが原因でそうなったと……?」

「それもあるかもしれないけど、その相手はフェンシングでボコボコにしたし……それ以外にも何か原因があるんじゃないかと思う」

「はぁ」


「……性から生は生まれる。性を否定すれば生を否定することになり、それは自分自身への否定につながる。自分自身を肯定できない子は、脆いわ」

「……屋敷でのって事故、なんですよね?」

「表向きは、そうなってるけど……」

 リーツとテレーザ、お互いに「やっぱりそう思う?」「そうだよね?」「そうとしか考えられないよね?」と目顔で確認。

「それが、目覚めない原因になっていると?」

「それもあるかもしれないわ……というわけで、帰国には……」


 バタン!

 乱暴にドアを開ける音。雪風、秋月、そして朝霧の姿。

「あー。いたの?」

 ぞんざいな雪風の挨拶。

「お見舞い?」

 笑顔で応えるテレーザ、さりげなく先ほどリーツに見せた写真を伏せ、目に触れないように、サッともとのファイルに収納。しかし雪風の目は、しっかりそれを追っている。

「あのー、一応お見舞いにと思って持ってきたんですが……そのような状態ではないようですね」

 声の主=朝霧・ビアンカ・フリゼケ。プラティーン・ブロンドのストレートロングヘアに水色のリボン/深く青いラピスラズリ瞳。透明感と可憐さを人の形にして服を着せたかのような容姿に可憐な声、その手には、かわいらしいバスケット。まるで童話から抜け出てきた妖精のような趣。

「アプフェル・シュトルゥーデルを焼いたので」

「ここでは、ちょっと……上のカフェコーナーに行きましょうか」


 1階の食堂は、規定の食事時間以外はカフェ兼休憩所として開放されている。今は夕食の時間が終わり、数人の職員がお茶を飲みながら雑誌を読んだり、カード遊びに興じているのみ。静かな団欒の時――平和そのもの。

 その一角に、自動販売機で買ったコーヒーや紅茶を手に腰を下ろす雪風、秋月、朝霧、リーツ、テレーザの5人。

 秋月=さりげなく、朝霧の隣の席を陣取る――至って平和。

 かわいらしいバスケットの中から黄金色の焼き菓子を期待する笑顔――これでもかというくらいに平和。

 その平和を突如としてぶち破る物体=バスケットの中身。

 一同、目が点/驚愕/衝撃/絶句/笑顔が凍りつく。


 100パーセント炭と化した、長方形の物体――に、さらに何やらブッ刺さっている。その刺さっている物体も完璧に炭化完了。

「身体に良いと言われている日本のミドリムシ・パウダーとカレーパウダーを生地に混ぜて、りんごだけじゃさびしいのでアイスクリームといわしの油漬けサーディンとハインツのソースを包んで、仕上げにカリカリベーコンを刺した、朝霧のオリジナル・レシピです!」

 沈黙――凍りついた笑顔をさらに永久凍土なみのカッチカチ状態に変貌させる、朝霧の仰天レシピの披露。


「こ、これって……」

 雪風が、衝撃から我に返りながら口を開いた瞬間、

「やー、すんごく美味しそうだねっ!」

 秋月の無理やり搾り出したようなホメ言葉。場の空気を変える。

 朝霧、にっこり笑顔を秋月に向ける。秋月、その視線を受け止めきれず、赤面。顔、耳、首、順々に色が赤く変色していく。

 大人二人、「あー、そーなんだ。わかりやすいなー」と顔を見合わせる。


「じゃー、僕の分も君にあげるよー」

 雪風、「にまっ」という微笑みとともに悪魔のひと言。

「あ、たくさんありますから、どうぞ

 満面の笑みとともに、朝霧、バスケットを差し出すが。

「あー、俺虫歯が痛むしぃー、秋月がっていうなら、俺はよ?」

「あ……ありがとー、雪風君」

 秋月、雪風の仕打ちに「覚えておけよー」と思いつつ、作り笑顔で応戦。ひとつ、手に取って恐るおそる口に入れ、咀嚼。

――ごふっ!

 口から飛び出す炭の欠片かけらと炭パウダー。

「やー、大丈夫かい? 秋月君?」

 雪風=ニヤニヤ。

ひょっほ、ほほはふはっ、はへちょっとのどがつまっただけ

 口中の水分を全部もっていかれた秋月、必死の形相。


 大人二人の心配顔と、雪風のへらへらとした笑い顔と、朝霧の純粋な笑顔に囲まれ、秋月の孤軍奮闘はその後30分間続いた――。

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