ハーレム怪奇譚~ボーイッシュ娘、カラテお嬢様、霊もぜんいん攻略対象~

@mahara

第1話 追い女-1 重なる足音

 夜道を一人で歩いていると、周囲には誰もいないのに“自分以外の足音”が聞こえる。

 そんな経験はないだろうか。


 一説によるとそれは自らの足音の反響音であると言われている。

 夜道の静けさ、環境音の少なさ、そして孤独感が反響した自分の足音を際立たせている――と。


 しかし本当に“いる”としたら?

 自分以外の誰かが背後に“いる”としたら?

 そしてそれが人間ではないとしたら――

 そう考えると私は振り向くことができなくなる。


 もしも背後に“いる”として、それを確認してしまったなら取り返しがつかなくなると思うのだ。


 それは現実逃避に似ている。

 しかし目を背けようと、現実は何も変わらない。

 文字通り逃避なのだから。

 現実は現実なのだから。


 “いる”。


 それは変えられない事実。

 見ないでもアレはそこに“いる”のだ――



「……おそくなっちゃったな」


 街路樹に挟まれたひとけのない舗装道。

 日が落ちてしばらく経つにも関わらず蒸し暑い空気があたりを包んでいる。


 そんな夜道を青年が一人。

 カッ、カッ、コツ、コツと足音を響かせつつ小走りに帰宅の途についていた。


「ったく、こんな時間まで残業バイトだなんてさぁ。あの人も人遣い荒いよなぁ……まぁ安請け合いしちゃう俺が悪いんだけど」


 頼まれたら断りづらい性格を、ていよく利用されているのだろうか――

 青年は溜め息とともにバイト先への愚痴をこぼす。


 ちかちかとチラつく古びた電灯の下、青年は腕時計を見やる。


「時間は……零時過ぎか。さすがにこの時間だと誰もいないな。早く帰らないと」


 疲れはしているがその足は止まらない。

 一秒でも早く家に帰って落ち着きたい――という気持ちはもちろんあった。


 しかしそれはただの言い訳。

 自分を、現実をごまかすための建て前。


 なにより青年の心を支配していたもの――

 それは“恐怖”。


 ひと気のない道は物騒だ。

 男だとか大人だとか関係なく、“ひと気のない夜道”というのは根源的な恐怖を誘う。


 なにがあると言うわけではない。


 ただこの漠然とした恐怖から解放されたい。

 それだけだった。


 ――こつり。


「……?」


 青年の動きが止まる。

 しかしそれはほんの数秒であり、すぐにまた歩き始める。


 ――こつり、こつり。


「……気のせいだ」


 周囲には誰もいない――はず。

 それなのに“誰かの足音”が聞こえる。

 自分以外の誰かの足音が――


 青年は今度は立ち止まらなかった。

 気のせいだと言い聞かせつつその足を進める。


 ――こつ、こつ、こつ、こつ。


「気のせい……か?」


 青年は疑問に思った。


 これは自分の足音だ。

 自分の足音が夜の空気に反響して二重に聞こえているんだ。

 そう自分に言い聞かせても違和感が残る。


 もう一つの足音はあまりにもはっきりと背後から聞こえるのだ。


 ――こつ、こつ、こつ、こつ。


 振り返ることなくその足を前へ前へと進める。

 一刻も早くこの場から離れるために、この恐怖感から逃れるために、ひたすら前だけを見て前進する。


 しかし速度を上げれば上げるほど増してくるその音。


 自分の背後に誰かがいる――

 その疑念は払拭しようとすればするほどますます青年の脳内で膨らんでゆく。


 ぴたり。

 青年は足を止めた。

 そしてもう一つの足音も止まる。


 ――いっそ……振り返るか?


 後ろに誰かいるのかいないのか。

 いないことを確認すればこの不安感は払拭される。


 ――しかし本当に誰か――“なにか”がいたなら?


 もしも本当に自分を追うなにかがいたならどうするか。


「……誰かいるんですか?」


 青年は前を向いたまま背後に声をかける。

 返事はない。

 振り向くしか確認するすべはない。


 ――青年は意を決した。


「……ぐっ!」


 歯を食いしばりつつ、背後には何もいないことを祈りつつ――振り返った。


「……いない」


 そこには――誰もいなかった。


「……ははっ。18にもなって何やってんだ。自分の足音にびびって怖がるなんて恥ずか」


『ねぇ』


 女の声。

 女の声が、した。


『ねぇ』


 ――俺の、背後から、女の声がする。


 背後――さっきまで前を向いていた側。

 そちら側から声がする。


 それも、至近距離。


『やっと』


 さっきまで青年の前方には誰もいなかった。


 振り向いてからも、街路樹の陰から誰かが飛び出してきたような物音もしなかった。


 つまり“いた”のだ、最初から。


 “彼女”は青年の背後で歩いていた。


 青年の背中に、ぴったりと貼り付いて――


 そこには、いた。

 “彼女”が、いた。


 膝下まで伸びた長い黒髪。

 くすみ荒れきった布切れをまとう異様に白い肌の女性。


『やっと 気づいてくれたね』


 彼女はノイズがかった声とともに、瞳のない目でニタリと笑みをこぼした。


 それはとてもとてもうれしそうに。

 しかしその表情が醸し出すものは、さきほどまでの夏の空気を一気に凍てつかせた。


 ――青年はその場に崩れ落ちる。

 尻餅をつき、あとずさる。


 怯えつつ、青年は思い出していた。

 ここらに伝わる“都市伝説”を――



 かつてここで殺人事件が起こった。


 自分の足音の反響音。


 後ろから尾けてくる誰かの足音――自分の足音の反響音を“自分を追ってくる通り魔”だと勘違いした少女が錯乱し、あろうことか偶然居合わせた通りすがりの男性を殺害したという事件。


 彼女は罪に問われるさなか、ほどなくして自殺。

 そして死後、自らが追われると勘違いした夜道にて怨み出る霊となったと噂されるようになる。


 それが“追い女(め)”――

 “彼女”であると。


 青年は“彼女”を目の前にして確信していた。

 “彼女”がソレであると。


『おれい しなくちゃ』


 “彼女”は青年ににじり寄る。

 じわり、じわりと迫り寄る。


「あ……あ……」


 目の前の“彼女”から、即座に離れなければ――

 青年の脳内に警告音が鳴り響く。


 だから青年は――




「……なんてな」


 青年は不敵な笑みをこぼした。

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