残花は輪縄を手にして微笑む -R15版-

ヴィルヘルミナ

第1話 

 その日も僕は、退屈という名の感情を持て余していた。

 窓の外には青い空。赤い月と緑の月が輝いている。小さな太陽は遠い。


 テーブルの上にも床にも酒瓶が転がり、ソファには僕を含めて三人の茶色の髪で緑の目の男たちがだらしなく座っている。締めるべきタイも外し、ロングコートもベストのボタンも全開だ。

 知らぬ者が見れば、この三人が未来の三公爵だとは思わないだろう。


「明日の夜会では、どの令嬢を狙う?」

 強い酒を一気に飲み干して笑うのは、グラスプール公爵家の第一子コンスタットだ。長い髪に整った容貌は聖職者を連想させる。

「最近、青い果実ばかりだったから熟れた果実がいいな」

 甘い酒を舐めるように飲んでいるのは、テンバートン公爵家の第一子オーエン。貴族には似つかわしくない粗野な容貌ではあるが、短く切った髪が不思議な魅力を醸し出している。

「レスティラ侯爵夫人はどうかな。あの豊満な胸は魅力的だよ。まだ試してなかっただろう?」

 僕がそう提案すると、二人が乗ってきた。


 酒を飲みながら、侯爵と共にいるであろう夫人を誘い出す計画を三人で考え議論する。女を騙して犯すという、くだらない目的の為の話だが、退屈が多少でも紛れる瞬間は貴重なものだ。

 僕はオルムステッド公爵家の第一子アーネスト。二人に比べれば、何の特徴もない。少し長い中途半端な髪型は二人に被らないようにする為だ。


 だらだらと話し込み、それなりの計画が幾通りか仕上がった。上手くいけばよし、上手くいかなくとも、大した失敗にはならない。

「明日の計画の成功を願って!」

 僕たちは、何度も無意味な乾杯をし、無意味な酒を飲み干した。


 翌日の夜会では、狙いをつけていた侯爵夫人が欠席していた為に計画が流れた。他の夫人を狙うという話もあったが、気が乗らなかったので、僕はそのまま劇場へと向かった。


 劇場の演目は見飽きた恋愛物だった。人気のある歌姫が、その美声を響かせている。そろそろ演目を変えるべきだと劇場の支配人に告げてはみたが、同じ演目を好む客が多数存在するらしい。ならば歌姫を買い上げて、鳥かごにでも囲ってみようかと考えたが、実行する程の面白い考えだとは思えなかった。


 退屈な物語に見切りを付け、特別席から立ち上がる。つまらないという意思表示の為に、飲んでいたワインのグラスを床へと落として割る。

 話が大いに盛り上がっていた場面で歌姫が声を詰まらせた。立ち上がった僕へと観客の視線が集中して、すぐに逸らされる。歌姫もすぐに声を響かせる。

 何事もなかったかのような舞台の様子と観客に、僕は苛立ちしか感じない。つまらない。僕の意思表示は何の意味も持たなかった。――今の僕自身には、何の力もない。


 ホールへと出た所で、禿げた中年男に声を掛けられた。骨と皮だけのような醜い体を黒い夜会服で包んだ姿は禍々しい魔物のようだ。

「アーネスト様、こんばんは。……金髪の処女が入りましたよ。少々年を喰っておりますが」

 さりげなく近づいてきた男は、貴族向けの高級娼館の主だ。処女と聞いて興味が引かれた。

「何歳だ?」

「二十三歳です」

「……また偽物じゃないのか?」

 その年齢を聞いて、僕は落胆した。僕の一つ下、女としては完全に行き遅れの年齢だ。

「前回は私も騙されましたが、今度こそは正真正銘の本物です。……没落した貴族の娘ですよ。清楚で控えめな性格です」

 主の声が途中から小さくなる。

「最近、爵位を手放した貴族はいないと思うが……まぁいい。その女の最初は僕が買おう」

 清楚と聞いて僕の心は決まった。処女でなくても、試してみる価値はあるだろう。

「ありがとうございます」

 娼館の主は深く頭を下げた。


 十日後、女の準備ができたと連絡が入り、僕は娼館へと向かった。正直に言って期待はしていなかった。前回は十六歳の処女という触れ込みだったけれど、魚の内臓を使って偽ろうとしていたことが判明し、半額が返金された。


 貴族を相手にする娼館は、それなりに豪華な内装を整えている。娼婦の初めての仕事の為に用意されている部屋は、白い家具と白い寝具で統一されていた。

 部屋に通されると白い夜着を着た女が迎えに出た。珍しい金色の美しく長い髪がその背を覆っている。羞恥からか目を伏せているので、その瞳の色は青なのか緑なのか、はっきりとはわからない。


 貴族専用の娼館の習わしで、事に及ぶ前に女がお茶を淹れる。

 青い色の花茶は、興奮を高める効果がある。白い陶器のカップに青い色が映える。先に女が口を付け、飲んだことを確認してから自分に淹れられた花茶を飲む。


 女が茶を飲む仕草は落ち着いている。その優雅さは間違いなく貴族階級の人間だ。妙に短い爪が気になり、僕は女の手を取った。

「爪は伸ばさないのか?」

「……今、伸ばしております」

 女の答えに僕は戸惑った。伸ばしていてこの長さなのか。女の手は、少しざらついた部分もある。

「申し訳ありません。ずっと働いておりましたので」

 完全に俯いてしまった女を哀れに思った。没落したのは随分前のことなのかもしれない。最後にその身を売るしかなかったのだろう。

「謝る必要はない」

 完全に黙ってしまった女の手を僕はそっと撫でた。何故か手を離したくないと思う。きっと、僕にはわからない苦労をしてきた手だ。


 女をベッドに押し倒して顔を見ると、優し気な綺麗な顔をしていた。瞳は青と緑が混じり合った不思議な色彩だ。花園の片隅に咲く、小さく可憐な青い花が頭に浮かぶ。

 ――僕はこの女に興味が沸いた。


  ■


「初めて、なのです」

 私がそう答えると、覆いかぶさろうとしていた男の目が歓喜の色を帯びた。

「そうか。ならば優しくしよう」


 ここは貴族相手の高級娼館。私は娼婦になったばかりの、元・貴族の娘シェリー・アルドリッジ。半月の厳しい教育を受け、今日、初めて男性の相手をしている。


 何の巡り合わせなのかはわからない。茶色の髪に緑の瞳。目の前にいる男は、私が娼婦になる遠因となった事件の犯人。義妹を凌辱した貴族の一人だ。


 義妹は輝く金髪に青い瞳、誰からも愛される美しい少女だった。男爵家の娘という低い身分でなければ、王子の婚約者になれたと囁かれていた。

 十六歳になった直後、王城で行われていた園遊会の最中に、言葉巧みに客室に連れ込まれて凌辱された。


 犯人は三つの公爵家の三人の子息たち。父母は責任を取るようにと公爵に迫ったけれど、金銭での解決を強要された。父母が騒いでしまったせいで、義妹が傷物になったことが知れ渡り、義妹は領地の湖に身を投げ、父母は後悔しながら毒を飲んだ。


 たった一人、突然残された私が嘆き悲しんでいる間に親族が家を乗っ取り、私は住んでいた屋敷を追い出され、娼館へと放り込まれた。


「綺麗な髪だ」

 そう囁いて私の金髪を撫でるのはアーネスト・オルムステッド。公爵家の第一子だ。今年二十四歳になる男は、現在十二歳の第一王女の婚約者候補の一人と噂されている。

「不思議な色の瞳だな」

 私の瞳は青と緑が混じり合っている。今まで、誰も気が付くことはなかった。二十三歳という行き遅れの女に、誰も見向きはしなかった。


 私は父の先妻の娘だった。後妻となった継母から、まるで使用人のように屋敷の中で使われていた。貴族としての基礎的な教育は受け、十二歳で王への挨拶はしたものの、華やかな夜会や園遊会には一度も参加させてもらえなかったから、顔は貴族に一切知られていない。


「……口づけてもいいか?」

 アーネストの言葉に、私は戸惑う。娼婦の教育では、口づけは情が移ってしまうので、行うべきではないと言われている。他の客が取れなくなるからだ。

 私が返答を迷う間に、アーネストの唇が私の唇に重なった。


「はっ。……凄いな。深い口づけは初めてだ」

 深い深い口づけの後、アーネストの緑の瞳が輝いている。今まで、深く口づけしたいと思ったことはなかったと囁く。


 何度も何度も深い口づけが繰り返され、優しく髪を撫でられながら、私は娼婦としての最初の仕事を終えた。


「君のことが気に入った。名前は?」

「フローラ」

 私は咄嗟に偽名を名乗った。何故か本名を知られたくないと思う。

「君を僕が引き受けよう。僕専用の娼婦になってもらうよ」

 アーネストは、私を優しく抱きしめて、優しく囁いた。

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