第21話

 *        


木下大尉が首を吊った、と聞かされたのは僕が病院で目覚めたその日の午後だった。僕が晴臣さんに連れられてタクシーで病院を出た丁度五分ほど後、合宿場から救急車で運ばれたのだという。部屋の和机には家族向けに一通。直属部下宛に一通ずつ計十一通の遺書が整然と並べられてあったそうだ。木下大尉は、心配停止の状態で運びこまれ、そのままその日のうちに死亡が確認されたのだ。僕はいまだ動きにくい手指をそれでも焦る気持ちの中で必死に動かし封筒を破った。つんと紙の香りが漂った。封筒の中には薄い便箋が一枚、三つ折りに几帳面に折られ収まっていた。広げてみると、それはだいたい横書きの便箋一枚、3分の1程度のところで文章が終わっていた。黒のボールペンで書かれた、流暢な字だった。


  設楽 侑人君

君には、謝罪つくしても赦されぬことをした。僕にはあの夜の後悔がとても忘れられない。信念貫徹成らざる不徳の身にて、自ら死ぬことで償いに代えさせてほしい。しかし、万が一君がその事を気に病む事があったならば、その必要性は何一つとしてない。迷惑かけるがよろしく頼む。

2054年11月2日 0時44分  木下勇次

                                                


これから死のうとしている人間がまさに元凶の一端に対して書く手紙にしては、存外簡素で、あまりに潔い文面だった。僕はその手紙をゆっくり何度も黙読した後、また震える手で封筒にたたんで入れた。それをベッドの横にある小机の引き出しにおさめようと思ったが、それがなんだか憚られて、窓際まで車椅子で移動し、窓から手を出し手元にあるライターを使って燃やした。


灰色の細い煙が立って、黒い墨が瞬時に落ちた。

最後まで放せなくて手先も焼けた。


僕はそのまま、晴れ渡ったすがすがしい青空の、すがすがしい澄み切った空気の中で、少しの間蹲って泣いた。



ああとうとう、人一人殺してしまった。

僕の怠惰な恋情が、木下大尉という頑強な人間の男の鼓動を永遠に止めたのだ。

こんな痴情の、ばかばかしいかけひきで、何故人間における信念などを持ち出す必要があるというんだろう。

そうでないならまさか、木下大尉もこのくだらない駆け引きの、端の一遍を握っていたのかもしれない。

僕は少し風に当たりながら首を横に振って俯いた。



晴臣さん、あんたが怯えていたのはこれだったのかな。

必死に痛みで打ち消そうとしていたものは。僕は駄目だった。これで完全に捕まってしまった。

罪悪感という名の闇は、とてつもなく深く暗い。そして意外と居心地のいいものだ。

ひんやりとした空気。静かな体が、鼓動を響かせている。


もっとその音を聞かなければ。もっと、もっと。この痛みを忘れぬうちに。

だけど何故だろう。晴臣さん会いたいよ、会って話したい。空耳みたいなあんたの告白が耳に焼き付いて離れない。

あれは僕の夢だったのかな。人をひとり殺しておいて好きだ惚れただ。

そんなの馬鹿げている。どうせもう遅いことはわかっている。


晴臣さん好きだよ。殺してやりたいほど好きだ。好きだよ。なあ。何度言ったってどうせ聞こえないだろ、ざまあみろ。僕をだまして、もてあそんで、苦しめたバツだ。

せいぜいくやしい思いをしろ。好きだ。好きだ。ああ、狂っている。

心の中で、散々わめき散らして、こんなに思っても、あんたどうせもう僕を抱かないよ。怖くて抱けやしない。わかってる。


凶暴な感情でしかおしこめることができない想い。もしかしたら、そんなものが晴臣さんにもあったのか?僕はまた空を見上げた。はるか天空、鳶が宙を舞っている。


僕は、窓枠に手をかけた。

ぐいと身を乗り出して、そこから思い切り飛び出した。

まさか死ぬとは思わない。


それでも何かが弾けて止まらなかったから、僕は誰に迫られるわけでもなくそうした。


胸がぱちぱちとなっていた。地上9階をまっさかさまにダイブとは、僕は変態を通り越したイカレた狂人だろうか。


いや、違う。僕を突き動かすのはただ単純明快な本能だけだ。

重力を増す僕の体が、どんどん加速してゆく。誰も僕を止められやしない。

僕を纏うものは空気だけ。足は地にへばりついていないし、もちろん体はベッドなどに重く寄り添ってはいないのだ。


僕は今まで生きてきた十八年間で一番エレクトした状態のまま、嫌気のする何かにぶち当たった。





会いに行くんだ。

僕は晴臣さんに会いに。




そして驚くあんたの前で、生きてると証明できる何かがあるなら、


それに勝るものなんかないだろう。


痛みだって憎しみだって、恐怖だっていいよ。

愛しい感情なんか僕らにあったことなんか無いじゃないか。


そしてそんなものは、必要を迫られた事など僕らの間では無かった。


だけどそれでも、僕はきっと捨て去ることが出来ない。

優しい愛撫を、堪えきれぬ苛立ちを、人を死に追いやるほどの破壊の恋情を、痛みのわけを。あんたが僕にくれたんだ。

もう誰にも止められない。




天空を飛んでる鳶は、くるりと身を翻しどこかへ消えた。





おわり


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