幕間・後編 思い出は宝箱の中に

 パトカーはスタートした地点から10mほど走らせてから、ようやく停車したのであった。散らばった品物を菅野家ぷらすおっさん総出でかき集めてから、後部座席に亜季あき春海はるみをそれぞれ乗せて出発した。

 しばらくして、菅野家すがのけが住まうマンションにたどり着いた。

 パトカーの後部座席は内側から開けられない作りになっているため、運転席から降りたおっさんがわざわざ外から開けて春海と亜季を揃って出してあげることになった。

 乗せてくれたお礼にと、春海はマンションの一室へおっさんを招き入れもてなした。

 椅子を駆使してSASUKE張りのアクロバティックで、亜季が食器棚の上から埃を被っていた『家族のたからばこ』と太マジックにて殴り書きされた煎餅などをつめるようなスチール缶を取り出すや否やおっさんに紹介しだした。

 雄馬ゆうまが埃を振り払い、蓋を開け次々とその中身をおっさんに明らかにしていく。

 宝物は全部で五種あった。

 まず、父親・徹次てつじの宝物である『仁義なき戦い』や『ゴッド・ファーザー』といった古今東西の極道映画をかき集めたコレクションや北野武監督作品のDVDアーカイブス。 

 続いて母親の宝物である、高いブランド物で香水を振ったピンクのレースハンカチーフ。

 スチール缶を傾けるとジャラジャラと石か何かが中でぶつかる様な音がして、持ち上げてみるとそれはおはじきで亜季の何よりの宝物だった。

 ちなみに、雄馬の宝物は箱の隅にてゴミ同然に転がっていた茶色く煤けたセミの抜け殻2、3個だった。

 そして、家族全員の共通の宝物としてこのマンションに越したばかりの頃に家族総出でエントランス前にて取った写真が一枚箱に同封されていた。

 椅子にと腰を据えたおっさんは、それら『菅野家の宝物』を暖かい目で眺めていた。

 冷蔵庫から麦茶の入ったピッチャーを春海が持ってくると、おっさんは箱に宝物を詰めなおして春海からのもてなしを一身に受ける。

 用意されたコップへ、同じく春海に麦茶を淹れてもらう。

 おっさんはそれを空きっ腹に思いきり流し込んだ。

 一気に飲み干して、喉がうるおってから、おっさんは誤解を解くついでに今日までにあった雄馬との間にあった物語を洗いざらい全て春海の目の前で明らかにした。

 そして、真相を明らかにされほっと胸を撫で下ろす春海の姿がそこにはあった。

「まあ、そういうことだったんですか。私ったら、つい早合点してウチの雄馬になにかよんどころない事情があったものだとばかり」

「いやあ、自分の子供がパトカーに乗っているのを見れば誰もが平静ではいられませんよ。かく言う本官も、つい良かれと思いやってしまい結果的に雄馬君のお母さんである貴女あなたに誤解を与え揺さぶることとなってしまって、誠に申し訳ございませんでした」

 平にご容赦と言った感じで、おっさんが深々と謝って見せる。

 部屋に入ってから帽子を取っていたので、自ら堂々と禿げ上がった頭頂部を見せつける構えになった。

 それを見て恐縮した様子で春海が、呼びかける。

「いえいえ! そんな、けして責めてるんじゃありません。聞いてみたら、ウチの雄馬と随分仲良くしていただいたみたいで、むしろ感謝申し上げたいくらいです。なんでも、今日雄馬のいる野球チームの練習でコーチしたそうですね。全然知りませんでしたわ――――子供たちに野球を教えることも警察官の仕事の一つなんて!」

 感嘆に満ちた声を上げる彼女に、おっさんは、精悍な顔つきで得意げに胸まで張って答えた。

「未来溢れる子供たちを通しての地域住民との交流も、一端の公務であります。……断じて、サボタージュなどではないゆえ、そこんとこ悪しからず」

 まあ!

 春海はそう言って、コロコロ笑い始めた。

 高笑いもその辺で済まし、ふと、おっさんのコップが空になっていることに気付く。

「あら、やだ。お巡りさん、もう一杯麦茶はいかが?」

 薦められ、おっさんは申し訳なさそうに後頭部を掻きながら右手にはちゃっかり空のコップを握りおかわりをねだった。

「いやはや、かたじけないですな。どうも、

 思いがけずおっさんが口にした最後の五文字。

 これが、菅野家の団らんに波紋を広げることとなった。

「えっ……な、なにか不備でもありましたか?」

「気の毒って、いったい何が気の毒だってのさ。おっさん」

「きのどくぅ?」

 予期せぬ台詞に一抹の不満を抱き、持っていたピッチャー内の麦茶ごとぐらつく春海。

 大層リラックスした様子で、頬杖をつきながら疑問をぶつける雄馬。

 そして、ただおっさんの言った一言を訳も無くただリピートさせた亜季。

 三者三様で迎えられた態度を前に、おっさんは咄嗟に早口で解説させられることとなった。

「ああ、いやいや! 『きのどくな』ってのは、何かを哀れんだ時に使うみたいなあの『気の毒』ってのとは全然違うんです。今のはアレ、方言。つまり富山弁の一種で、『ありがとう』っていう感謝を平たく言うときに使う言葉なんです。」

 すると、そんな解説に対しまたしても、先程の順番通りに三者三葉な反応が寄せられた。

「へえ、方言ですか」

「にしても、紛らわしいよ。それ」

「きのどく! きのどく!」

 そういえば、と突如として何かを思い出した様子の春海が次のように語り出した。

「こっちに越してた頃。マンションの同じ回想に住む人たちに引っ越しの粗品を配り回ってたら、何軒かの人々から『これはこれは』って言葉を掛けられました。……あの時は、『わざわざそちらから出向いて貰って、申し訳ない』という解釈で受け取ってたんですが、なるほどそういう事だったんですか」

「まあでも、意訳としては適切だと思いますよ」

 お上手、とおっさんからのフォローに対して一言付け加えながらさらに言葉を繋げた。

「でも、富山弁って、結構、面白いかも。ねえお巡りさん。さっきの『きのどくな』みたいな。そう言う、聞きようによってはまた違ったように聞こえる方言って何かご存知でしょうか?」

 ありますよ、とおっさんが食い気味に述べた。

「例えば、富山弁でって言葉で『差し支えない、かまわない』っていう意味合いがあるんです。さっきの『きのどく』って言葉にも結構対応が聞いたりしてよく使われるんです。お母さん、試しに本官に『きのどくな』と掛けてみてください」

「あ。は、はい。じゃ、えっと……『さっきは教えてくれて、』?」

「『なーん。ちゃ』……と、このように!」

 おっさんが得意気に解説を入れる。

 それに対し、富山弁初心者な菅野家はすっかりと良いお客さんみたいになってやり込められる始末だった。

 おおおおおおおおお! 

 そんな事とはつゆ知らず、すっかり大興奮のあまり大きく声をあげる。

 そして、こともあろうに、一家揃っておっさんに向けて拍手喝采すら贈ったのである。

「まあ、県外からの人たちが聞いたら吃驚する事請け合いでしょうがね。なんせ『使えん』ですから」

「ほ、他には何か。何か、ないんですか」

「他には……あ、あともう一つ。聞いてて紛らわしくなるのが」

「あるんですか」

「何、おっさん。聞かせてよ」

「聞きたーい」

 菅野家からの予想外のおねだりぶりに、少し身をつまされる気分になるおっさん。

 すかさず、春海に呼びかけた。

「いいんですけど……お母さん、念のために亜季ちゃんの両耳塞いでもらえませんか」

「えっ、構いませんけど。どうして」

「いえ、これはですね。あくまで、念のための処置ですんで。ハイ。もし二人が聞いてて、申し分なかったら、おふたりの口から後で亜季ちゃんに聞かせてやってください」

「は、はあ」

 おっさんに言われた通り、隣に居座る我が娘の両耳をそっと塞いだ。

 おみみがあったかーい、と亜季が呑気に言って見せる。

 何度か咳払いしてみせてから、おっさんは徐に口を開いた。

「富山弁で正座をするというのを……」そして、言った。「って言うんですよ」

 一瞬、火が消えたような重い沈黙が訪れた。

「………………。」

 呆気に取られた様子の春海はまたしても、あんぐりと開いた口が塞がらなくなった。

「ふ、ふふふっ………………」

 そんな沈黙を打ち破るかのように、雄馬がカタカタと笑いを込み上げさせた。衝撃的な富山弁の響きが現役小学生である彼の心を掴んで離さない。

 笑いが止まらぬあまり、とうとうテーブルに顔を突っ伏してしまう。

 一方、未だ春海によって耳を塞がれたままな亜季はひとりどこ吹く風で、自らを取り巻く状況に不条理を訴え始めた。

「きこえないよー」

「ほ、本当ですか……?」

 正気に返り、おっさんへとおそるおそる春海が真偽のほどを聞きだした。

「本当です。だって正座の事を鎮座って言うでしょう? それに、胡坐をかくという言葉もあります。むりやり漢字で当てはめれば『お鎮々ちんちんをかく』ってなりますよね」

「よ、よりによっておちんちんって……」

 気でも触れたように笑い続ける雄馬は、先ほどからテーブルに突っ伏したままひとり笑い喘いでいた。

 死ぬほど笑うあまり、彼の背中は浜にて打ち上げられた魚よろしく幾度となく痙攣をきたしている。

 そんな息子の変調は目も暮れず、春海は自らの知識欲の赴くままにひとり『おちんちん』の謎にと向き合う。

 『おちんちん』についておっさんに聞き込む姿はさながら、担任に向けて授業内容を確認する女学生のようだ。

「てことは……富山では、その………………おちんちん=正座という方式だから本来の男性器としての意味をさすおちんちんという言葉は昔はなかったんですか」

「いえ、そんなことはないです。ちんちんは、ちんちんで昔っから言われ続けてました。まあ正座を意味するおちんちんとはたまたま被ったものでしょう。おちんちんだけに」

 近年まれに見る最底辺級の下ネタに、菅野家のリビング兼ダイニングの一室は恐ろしい程の冷え込みを見せた。

 ドンズべった空気を肌で実感し、すかさず挽回を図ろうとしておっさんがひとり咳払いをしだした。

「ちなみにですが、本官が小さい頃。何かへまやって、親父から罰として正座させられた時『ちんとしとれ!』と、言われました。おちんちんをかけとは直接言われたことは一度もありません。……でも、ハタ坊のところでははっきりと「おちんちんかいとれ」と言ってたそうなので、世代や地域により多少の差異はあるやもしれません」

「へ、へえ………………」

 そんな講釈に対し、春海は完全に生返事で迎える。

 先ほどの下ネタジョーク投下の折、どうやら途端に富山弁に対する興味が沈静化したようだった。

「まあでも、なら……」

 しかし、小さくおっさんが言ったその一言が、春海の中で燻っていた熱意をもう一度甦らせた。

 春海は今一度、おっさんに食い下がる。

「えっ? お巡りさん今なんとおっしゃいましたか?」

「いやいや、本官は何も言ってませんよ」

 一瞬バツが悪そうに眉を顰めたのを、春海の目は逃さなかった。

 それを材料に、尚の事おっさんを追求しにかかる。

「ウソ。さっき『まあでも、逆は』って、おっしゃってましたよね? 当然その言葉には『ある』って続きますよね。おちんちんの逆ってどういう事ですか?」

「あ、アハハハハ」

「笑ってごまかそうとしないで下さい。まさか、警察官が市民に対して嘘をつくなんてことしませんよね?」

 ピシャリと叩き落されて、おっさんはまるで地面に這いつくばる生まれたての雛のように弱り果てていた。

「いや……だから……」

「お巡りさん? 正直に白状なさってください」

「もしかしてお母さん、昔警察に勤めてましたか?」

「いえ、まったく。そんなことより、私の質問に答えてください。『はい』か、『いいえ』で答えてください」

 本職の警察官も顔負けな晴海の誘導尋問ぶりに、おっさんは完全にお手上げであった。

「………………は、はい」

「なんで、一旦誤魔化そうとしたんですか」

「いや、誤魔化すっていうか……その、つい口が滑ったと言いますか。それに、こんな明るいうちにわざわざこんな団らんの場で言う事ではないと思ったまでです」

 まるで悪い子を正しく叱りつけるように、おっさんを説き伏せた。

 けして感情を優先させず、至って淡々と機械的に理詰めで責め立てる。

 おかげでおっさんも極めて居心地悪そうにすっかり、肩をすぼめる始末であった。

「まあ、いいですよ。それより、逆ってなんですか? それを私は聴きたかったんですけど」

 観念したように、おっさんが口を開いた。

「まあだから、さっき、男性器の呼称は富山でも同じなんだと話しましたよね。つまり、その逆ならあるということを本官が言いかけて止めたんです」

「それって、女性の……」

 真意に気付いた所で、言葉を言い淀ませる。

「……は、はい。誠に恐縮ではございますが」

 申し訳なさそうに俯かせて、おっさんは声をくぐもらせる。

 そんな居たたまれない空気に包まれた大人ふたりを眺めつつ、何の気なしに言葉を雄馬が茶々をいれてきた。

「女の人って、ちんちん無いよね?」

「うるさい!」

 しかし、母親である晴海が即座にこれを一喝。

 彼の口を封じ込めることに成功する。

 そして、再燃してしまった自らの知識欲に疑問を抱きながらも、おっさんに対ししつこく問い詰めた。

「本当、ですか? 本当に、逆のアレを差す方言が実在するんですか?」

「ありますけど、本官はその言葉を口にしたことはありません。何せそれを知ったのは、自分が二十歳になるかならないかのところでしたし、ここらへんじゃ馴染みがないのです。どちらかと言えば、この言葉は魚津の方に住まう人間たちが使っている印象が強いです」

「な、なるほど」

「で、どうします」

 え? と、思わず間の抜けきった言葉を口にした春海。

 そしておっさんは、まず隣でつまらなそうに欠伸をしながらふたりの決着を心待ちにする雄馬。

 次に、春海の手によって今の所両耳を固く塞がれ呑気に鼻歌をし始めている亜季をそれぞれ見遣った。

 交互に子供たちの様子に気を配りながら改めて、彼らの母親にパンドラの箱を開けるかと尋ねた。

「……教えましょうか?」

「結構です!」

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