第6回 おっさんの野球指導教室~その1~

 こうして、おっさんと定陵ゴールデンフェネクス一同とのファーストコンタクトは、双方ともに良くも悪くも強烈な印象を与え合う結果に終った。

 昔馴染みである大人同士の思わぬ再会という状況に、グランドはいつになくノスタルジックな雰囲気に包まれた。

 だが、おっさんはあくまで野球の一指導者として訪れたのだ。

 けして、懐古話に花を咲かせるためにやって来たのではない。

 おっさんの方から、長話を切り上げ改めて真っ向から、と向き直り始める。

 まずは、普段のチーム内での練習内容についてはたけから聞き出すことにした。

「ハタ坊はいつもどんなメニューをこいつらにさせてるんだ?」

「まず、全身のストレッチで身体を解させてます。それが済んだら、一周につき300mのグランドをダッシュ×かける10本。次に腕立てと腹筋を交互に20回、これを3セットずつやらせます。ここまでが準備運動です」

「なるほど。じゃあ、その後でバッティングやらノックやらといった本格的に練習に入るわけか。時間は、どのくらいだ?」

「各クラスで行われるHRが終わった時点で16時ちょい。今は夏場なので日の入りの18時半前後までやります」

 なるほど、と。

 今一度納得のいった様子で発する。

 おっさんは顎に手を置き、考えを巡らせ始める。

 何かをゆっくりと飲み込むかのように何度も頭をうんうん、と頷かせた。

 ふと、かつて高校球児だった頃の思い出が呼びさまされ、昔の出来事に微笑みを綻ばせた。

「ふ、ふふっ」

 それを見て畑が、その笑いが意図するものを探ろうとした。

「なんです?」

「いやなに、練習と聞いてちょっと30年くらい昔のことを思い出したんだ」

 今から30年も昔。ふたりは、かつて同じ高校の野球部でバッテリーを組んでいた。

 あれから、月日は流れおっさんと畑は久々に面と向かい合った。

 彼らは、互いの姿を見比べ合い、そしてそれまでに経過した時間がけして短いものでないことを理解し合った。

 すっかりと懐かしさで胸を躍らせた様子の畑が、おっさんの話に便乗する。

「このグランドの砂ぼこりを一身に浴びれば、そりゃ嫌でも思い出しますよ。あの、地獄の練習風景を。なんせ俺らは、昭和最後のスポ根野球世代なんすから」

 そして、畑が発した言葉を切っ掛けに、ふたりを無言で見守っていたチームメイツが皆揃って論じ始める。

「昭和って、いつの時代だ?」「さあ。俺、自分の生まれた年以外に興味ないから」「あれだろ、明治の次が昭和だろ?」

 周りがおっさんらの話そっちのけで話し合いを始める中、雄馬ゆうまの瞳はじっと語らう二人の姿を捉えて離さなかった。

 実質観客は雄馬ひとりになったが、畑とおっさんは構わず思い出を口にしあう。

「当時と言えば、ひたすらタイヤ引かされたりうさぎ跳びでグランドを何十キロもさせられてたな。ところでお前、現代っ子どもにうさぎ跳びとかさせたりすんの?」

「イヤイヤ! そんなことさせたら下手すりゃ、俺の首が飛びますよ。うさぎ跳びなんて、ただ膝悪くするだけで何のメリットもクソもないんですから。それに、俺は自分がされて嫌なことを他人、ましてや親御さんから託された大事な子供たちに強制させませんから」

 強く否定しながら、畑は道義的見解を己が口から述べていく。

 それを聞いて、おっさんはかつて自分たちが強いられた根性論と先ほどの畑の発言を頭の中で照らし合わせた。

 不思議と、ニヒルな笑みが込み上がってくる。

「……教師、いや監督の鑑だよお前は。俺もあんな監督おやじなんかじゃなく、お前みたいな考え方の監督の下で野球やってたかったよ。チクショウ」

しかしそれにしても今日は暑いな、と言葉を続けながら空を仰ぐ。今日は立山連峰の山脈がくっきりと見え、おまけに雲一つないという富山県内でも近年まれにみるほど実に晴れ晴れとしたいい天気であった。

「このくらい炎天下の中を監督おやじが終わりって言わない限り、延々と走らされたこともザラだったな。その間、水は絶対に飲めなかった」

「息止めて走れっていわれてね」

「そうそう! もう、あの監督おやじの言われるがままにただやってただけからな。空をパッと指されて、監督おやじが赤と言ったら赤。白と言ったら白で、もう逆らう気力すら根こそぎ奪うほどしごきまわすから。流石、従軍経験者は人の扱いも常人のそれとは違うときたもんだって当時は思ったよ」

 スパルタ野球教育の語らいはますます勢いを増していく。

 対して、ここまで適当に聞き流していたチームメイツは、余りにも現実離れした話に驚きを隠せないでいた。

 そして、それが信じられなさ過ぎたあまり単なる法螺話として置き換える始末である。

「な、なあ。あのふたりさっきから、何の話してるんだ? まさか、実話じゃないよな」「バーカ、嘘に決まってんだろ。おっさんってのはな、話を盛り上げさせるために3割増しで話すことがお約束なんだって」「で、でも不思議と説得力は感じられるぞ」「つーか、さっきまでの話って本当に野球の話なの? ただ、理不尽なまでに走ることを強要させられてたようにしか聞こえないんだけど」「なんだか、もう、考えるのも馬鹿馬鹿しくなってきた」

 彼らのどよめきは畑とおっさんらの耳には届かず、ふたりの昔話はさらに盛り上がりを見せた。

「伊達に元・海軍の特攻隊の軍事教練で腕を鳴らしていたわけではありませんから。極めつけは地区大会決勝の時の……」

 それな! と。畑の言葉に強く同意を示して見せるおっさん。

「あれは忘れもしない、俺が3年生お前が2年生で共にスタメンでダイヤに上がった時だよ。あれも試合の直前になって、ウチの主将が練習のしすぎで疲労骨折で入院しちまってよ。しかもそいつが、大事なおさえを任されていたもんだから、どうするかどうするかともうてんやわんや! それで、その時主将の次に早く投げられた俺に、そのお鉢がまんまと回って来たもんだから急遽俺がその代わりを務めざるを得なくなったんだ。あの時は本当に辛かった」

 呆れたようなため息をつきながら、畑が言葉を挟んでくる。

「でも結局、決勝は俺らが勝ったじゃないですか。終わりよければすべてよし、ですよ」

「まあ、確かにな。おかげで野球部創設以来初の地区制覇は成し遂げられたけど、その後が大変ったらない。大会が終了してすぐ監督おやじに球場のエントランスまで俺ら呼びつけられて、感極まってる俺らを前にしてボロクソ言いまくったんだよな」

「労いの言葉一つなく、しかも部員たちの親御さんまで居たのにお構いなしで、完全にお祝いムード一色だった俺らに水差してましたもんね。しかも、流れとか一切無視して自分の戦争体験を訥々と語り出して延々2、3時間!」

「説教が終わる頃にはもう、お通夜みたいだったもんな。誰も死んでないんだけど、その代わり漏れなくその場にいた全員の目が死んでいたという有り様でよ」

 あっはっはっはっは……。

 おっさんが会話のオチに渾身のジョークを持ってくると、次の瞬間畑ともども腹を抱えながら笑い合う。

ものの数分の話し合いでしかなかった。

 だが30年という、長きに亘りふたりの間に存在し続けた空白期間を埋めるには十分なひと時であった。

するとそこへ、

「監督!」

 早めの変声期を迎えた主将の織田おりたが、野太い音声を響かせて歯止めに掛かって来た。

「そろそろ、練習へと参りたいのですが」

 ハッと、させられる畑。少々苛立っている織田を見て、自分たちがどれだけ話に没頭していたのか思い知らされた。改めて、チームメイツに対し向き直る。

「それも、そうだな。よし、じゃあまずは各自でストレッチを行ってくれ。後の指示は織田、いつも通りお前に任せる」

 はい、と応じてから織田は周囲に呼びかける様に大声を張り上げた。

「全員、ストレッチ始めッ」

 跳躍を始めるチーム一同。1、2、1、2、という掛け声に合わせ身体を何度も弾ませる。

 おっさんはその光景を眺めていた。

 同じく仁王立ちでその様子を静観している畑に話しかける。

「この後さっきお前が言った感じで練習が始まるのか?」

「そうです。基本、毎回こういう感じです」

 畑からの返答におっさんは顎に手をやりながら、低く唸る。

 気になったので、畑が伺いを立てた。

「先輩? なにか思うところでも、あるんですか」

「ハタ坊、あいつらの顔を見てみろ。眉は凛々しく、目は真っすぐ見据えて、口元は真一文字で堅く結ばれてやがる」

 これをどう捉えている?

 畑はそう尋ねられて、咄嗟におっさんの言葉を反復した。

「どう捉えている、って。それは……」

 暫く考え込んで、畑なりの解を口にする。

「真面目に練習に取り組んでくれている、と捉えています」

 至って、好意的な回答が寄せられた。真面目、という言葉がおっさんの中でとても印象的に残った。そうか、と口にしてさらに言葉を繋ぐ。

「真面目か。まあ、真面目なのは良いことなんだがな。なあ、ハタ坊。あいつらは……」

「先輩」

「あいつらは、

 チームメイツが練習する様を見て、唐突に哲学的な疑問を口にした。雲をつかむようなおっさんの話ぶりに、困惑する畑。

「なんでって……そりゃ、それこそ人によりけりな話じゃないんですか。いくら先輩から問いかけられてもこればっかりは、俺の一存じゃ断言しかねます」

 戸惑いながらも畑は、やんわり言い切ってみせた。

 彼にはその答えに、自信を秘めていた。

 人は、共感しあう生き物だ。

 喜怒哀楽の感情を時に共に分かち合う事こそが、人の本質そのものである。

 しかし、考え方までは厳密に共有しかねる。

 約30年前に起きたある事件をきっかけに、おっさんは自らの口で野球を拒絶し否定し遠ざけるようになってしまった。

 だが、何の導きかあるいは野球の神様の悪戯なのか、おっさんは再び後輩の前に何の前触れもなく現れたのだ。

 しかも、指導者として小学校にやって来たと聞いたときは、思わず耳を疑った。 本当に一生野球に携わらないと思っていたのに、てっきり野球そのものを恨んでいたとばかり決めつけていたのに、なのにおっさんは戻って来た。

 過去の頑なな決意を軟化させたのは、本当に寄る年波からくるものだったのか。 それとも、単なる気まぐれによるものなのか。

 それすらもよくわからない。

 だからこそ、畑は彼らの野球に対するモチベーションについて問われた時、人それぞれだと答えた。

 自分自身でさえ先輩であるおっさんの真意を推し量ることもできないのに、彼らチームの気持ちを汲み切るなんて浅ましいという他でもない過去からの教訓がそうさせていた。

 少しの間、少年たちが号令を口ずさみながらストレッチしてる様子を、おっさんは黙って眺めていた。

 彼らの熱の籠った息遣いに急かされたみたいに、おっさんは別の角度から切り込んだ疑問を再び畑にぶつけた。

「ハタ坊、

「それは――――」

 答えかけて、思いとどまる。

 もっとも単純、かつ身に近い所にその答えがあると気付いたからだ。

 

 

 それをすれば、自ずと答えに行き着く。

 

 改めて、おっさんと向き直り、その当たり前を口にしていく。

 おっさんはニヤリと笑った。だよな、と畑を前に言わしめた。


☆☆☆☆☆☆


「ハ――――イ! 全員身体動かしたまんまでいいからこっち注目」

 両手を口元に持ってきて、おっさんが大声をチームメイツに向けて浴びせかける。

 そして、彼らからの視線が一斉におっさんの元へと傾けられた。

 眼光が突き刺さるのを実感してから、今一度声を張り上げる。

「お前たち、普段の練習に飽き飽きしていないか。決められた分のメニューを決められた分の時間内でただやり続けるのに、マンネリを感じていないか。真面目に練習に取り組むのも結構だが、楽しまなきゃ意味がないぞ。さあ、普段通りの練習を忘れて今日は俺といっしょに野球を精一杯楽しもうぜ、お前ら」

 おっさんを真正面に捉えた少年たちの目が、おっさんの言葉を皮切りに一斉に光を帯び始める。

『楽しまなきゃ意味がない』、『練習を忘れろ』、『野球を精一杯楽しもう』。

 三度の飯よりも野球をこよなく愛する彼らにとっては、どの言葉も非常に魅力的に聞こえたのだった。

 全てのフレーズが、チーム全員の心にジャストミートする。

 日々の練習で渇きかけた野球への思いに、今は恵みの雨がもたらされその潤いを取り戻そうとしていた。

 だが、せっかくの差し伸べられた手に、織田が立ちはだかり待ったをかけてくる。

「待ってください監督。これはいったいどういうことなんですか」

 いきり立った様子で、織田はまず畑に介入をと呼びかけた。

 一瞬にして、他の定陵の面子は下に俯きだして沈黙しだす。

 雄馬もまた、そのひとりであった。

 目つきを鋭くさせて、急かすように織田が吠える。

「さあ、監督。納得のいく説明をお願いします」

「織田。俺にその説明とやらを求めるのは、お門違いなんじゃないか。それに、言い出しっぺは先輩であるこの人だぞ」

 この期に及んでなぜこっちに振るんだ、と切り返そうとした所でさらに織田がとぼけないで下さいと食い下がった。

「それならそうと、監督だって『今年こそは、宿敵に勝つために練習に余念を残すな』と言ったばかりじゃないですか。なのに、練習を忘れろなんて宣うこの人に何も言いださないなんて」

「要するに、受け入れられないということか」

 畑の呼びかけにはい、と強く申し出た織田はさらに言葉を続ける。

「そもそも俺らに残された強化試合までの時間は、あと3週間もないんですよ。今が一番大事な時なんじゃないんですか。それとも、今からでも万全を期すために少しの時間でさえも練習につぎ込むべきだという自分の考えは間違っているんでしょうか」

「もちろん考え方としては、正しいだろう。どうやら自分の考えに自信がないようだが、仮にも主将なら他の奴らにも聞いてみるといい。それで、お前が満足するならな」

 そう諭しつつも、さりげなくチームメイツにと矛先を逸らそうと織田に促す。

 提案を甘んじて受け入れ、織田が声高に彼らへ質問を投げかけた。

「じゃあ、皆。今日もいつも通りに練習を行うべきかそうでないか。賛同したい奴は、手を挙げてくれ」

 織田は言い終わったと同時に右手を高らかに挙げた。

 まずは周囲の6年生が彼に合わせて手を挙げだすと、後から続く形で以下下級生達が相次いで手を挙げた。

 ちなみに、この場におっさんを引き込んだ張本人である雄馬であるが、手も上げずただ周囲の反応を忙しなく窺ってばかりであった。

 気が付けば張本人の雄馬以外ほぼ全員が手を挙げている状況である。

 ざっと周りを確認した織田は、自分の考えは間違っていないと改めて確信を得た。

 高をくくり良い気になっていたが、

「ボク、練習したくないや」

 たった一人のメンバーが発した一言で、織田の心の平穏はもろくも崩れ去った。

 間延びした感じの声のした方へ、織田が率先して視線を向けると周囲の視線も自然に一転へと集中した。

 そこには、定陵ゴールデンフェネクスのレギュラーを務めている唯一の4年生が控えていた。つっけんどんな表情を浮かべる彼は、日本人離れした彫りの深い顔立ちをしていた。   

 肌の色も、野球の練習によりもたらされた日焼けした浅黒さではなく、持って生まれた褐色の濃厚な黒さが際立っていた。

 彼の名は、アレク。

 ポルトガル人の父と日本人の母の間に生まれた、いわゆるハーフである。

「たまには違う事をやりたい。正直、普段通りの練習って退屈でしかたないんだよね」

「滅多なことを言うもんじゃない。練習が退屈なのは、当たり前だろ。それに、お前だって俺たちと同じメニューをこなし続けてきたからこそレギュラー入りも叶ったんじゃないか」

 歯に衣着せぬ口ぶりのアレクを、織田が一主将として諫めてかかる。

 正当性を主張すれば、きっと本人もそのことを顧みるだろうと思ったが目論見通もくろみどおりには結局いかなかった。

「僕の野球が上手いのは、ここでの練習のおかげじゃないよ」

 一切譲歩せず、織田を相手取りキッパリ言い切って見せる。

 少し顔を強張らせて、アレクに再び質問を投げかけた。

「じゃあ、お前は野球がうまいのは何のおかげだと思っているんだ? 是非とも教えてくれよそこんとこ」

 そう言いながら、じわじわとアレクの元へ歩み寄っていく。

 冷静沈着なのは顔だけで、かすかに声を震わせており、彼が怒り心頭だったのは誰が見ても明らかなことだった。

 構わずアレクは至って自分のペースに合わせて、アレクなりの答えをその厚ぼったい唇から示していく。

「そんなの決まってるじゃん。僕を生んでくれた、父親パ―イ母親マーイだよ」

「お前なあ」

 苛立ちを隠せず、眉を顰めて低く唸りながらアレクにますます織田は詰め寄った。

「ちょっと、待てって。落ち着けって、織田。アレク、お前もお前で余計なこと言うな」

 すかさず、織田の同級生で普段から仲のいいチームの副部長・高橋たかはしが間に割って入る。

 後輩をきつく睨む織田を宥め、同時に後輩への牽制も欠かさない。

 しかし、とうのアレクはというと、どこ吹く風のまま言い訳をする。

「でも、聞いてきたのはそっちだから」

「ならもう、その口閉じとけよ。あとせめて、敬語は使えってあれほど言っているはずだろうが」

 心底呆れかえったような声で、高橋が突き放すように言う。

 今は、何が何でも織田の怒りを爆発させまいと精一杯押し留めている最中である。

「何のために」

 と、尚も聞き返してくるアレクに高橋が、

「念のために、だ」

 力強く言い返す。

 すると、今まで傍観していた部長代行を務める阿部あべがそっと肩に触れ、のんびりした口調で高橋に意見した。

「もう、いいんじゃない。今日一日くらいは、練習じゃなくてあのおっさんのやり方で野球やってみようよ。せめて、ガス抜きくらいにはなると思うからさ」

「アべっちもそんなこと言うのかよ。おい、坂本さかもと。お前はどう思うんだよ」

 助け船を呼ぼうとチームの4番を務める、同じく同級生の坂本に話を振った。  えー、とすっかり暑さに参ってしまったあまり極めて気だるく坂本が応じた。

「暑いしだるいし、この際なんだっていいよ。あと俺、アレクのほうにつくわ。面白そうだから」

「坂本もかよ」

 思わず舌を巻いていると、その他の6年生ふたりまでもがそんな坂本の意見に便乗してきた。

「あ、あのう。実は、個人的にものすごく興味あるから僕もそっちにつくことにするね」

「俺も」

寺内てらうちに、脇谷わきやまでもか。すまん織田、力になれなくて」

 言葉に不甲斐なさを纏わりつかせて、静かに謝る。

 そんな高橋に、織田はやさしくフォローを呼びかけた。

「高橋、お前はよくやってくれたよ。後は任せてくれ」

 そう発した直後。

 徐に、織田が前進し始めた。

 一歩一歩に確実に体重を乗せる彼の足取りは、とても重たかった。

 やがて、監督である高橋とおっさんらのいる間合いに入る。

 一旦監督にアイコンタクトを送ってから、おっさんと改めて間近に向き直った。

「今日一日、何卒宜しくお願い致します」

 じゃあよろしく、とおっさんも軽く応じた。

「そこで、ひとつ提案したいことがあるのですが。よろしいですか」

「提案? いいよ言ってごらん」

「監督と、その、貴方は昔高校の野球部でバッテリーだったと伺いました。それならば、監督が捕手キャッチャー貴方が投手ピッチャーの位置にそれぞれついて、今から僕たちにそれを見せて頂けませんか。ちょうどマウンドもありますし」

 織田の提案は、おっさんの実力をこの目で見定めたいと言わんばかりのものだった。

 畑もそれを察して、少々失礼がすぎると一喝しようと思った。

 しかし、すぐには叱ろうとせず一旦おっさんに振ってみて様子を見る。

「て、言ってますが」

「ま、論より証拠ってやつだな」

 警察帽を逆側に被ると、おっさんはその提案を快く受け入れてくれた感じで畑に催促し始める。

「おい、グローブと軟球くれ」


☆☆☆☆☆☆


 しばらくしてピッチャーマウンドにおっさん、ホームベースの外側に畑がそれぞれ向かいあう形になった。

レギュラー及び控えの選手を含めたチームメイツは、皆一同に白線の外側に控えている。

 そんな中、雄馬は両手に中古のスピードガンを携えて彼らよりも白線に一歩近い所で立たされていた。

 おっさんから直々に球威の計測を仰せつかったからである。

 雄馬は期待の余り、スピードガンを持つ両手を小刻みに震わせる。

 雄馬だけでなく、チームのほぼ全員がおっさんに関心を寄せていた。

 おっさんはおっさんでも元・高校球児で監督の畑の先輩と聞けば、彼らはいやでもその興味が湧き上がってくるのであった。

「さあ、お手並み拝見させていただきましょう」

 織田が腕を組んで、眼前にてこれから繰り広げられるお披露目にと臨む。

 一方、マウンド上にておっさんは右手を眉のあたりに手をかざすと、その先を眺め始める。

 向かい側のホームベースの所には、ミットとプロテクターの装いでしゃがみ込む畑の姿が確認できた。

 生まれて初めて少年野球団のマウンドに立ち、おっさんはその第一印象を口にしていく。

「やっぱり、キャッチャーまでの距離が如何いかんせん少し短いなあ。ま、どうでもいいけど」

 続けて、計測器を持った雄馬のほうに視線を合わせる。

 目が合った後、合図として声を掛けた。

「雄馬。しっかり計測の方よろしくたのむぞ」

「う、うん。任せてよ」

「こっちは準備万端ですので、いつでもOKですよ先輩」

 畑が声を張り上げる。ゆっくり頷いて、おっさんも了承した。

 右投げの姿勢におっさんが移行すると、グローブからボールを取り出し始める。 左足を高く上げたと同時に捕手に向けて左肩甲骨を見せびらかすくらい上半身を強く捻りだした。

 右肩をクンと落とし少し溜めてから、持ち上げた左足を強く前に踏み込むと同時に勢いよくボールを、投げ放った。

 スパァン!

 校庭中の空気を震撼させる程のけたたましい炸裂音が発せられ、ボールはきれいに畑の構えていたミットの中へと収まっていた。

 少しの間、皆が一斉に押し黙った。

 すると、チームの誰かがその沈黙を破らんと取り留めも無く呟いた。

「すっげぇ」

 たちまちチームメイツは、困惑と驚愕でどよめいた。

 球が速すぎてビビったという者もいれば、流石元・高校球児と素直に敬意を表する者もいたりと、反応は三者三葉であった。

「な、なあ菅野。ちょっと、球威教えてくれよ」

「俺も俺も。あれは確実に100㎞/hちょい、いやそれ以上は出てると見た」

「さあ、勿体着けずに教えてくれよ。早く早く」

 計測したまま立ち尽くしていた雄馬に、チームメイツが寄って集ってその記録をと催促してくる。

 突然のことでビックリした雄馬だが、戸惑いながらも皆を言葉で宥めにかかる。

「ま、待って。待って、ください。言います、言いますから皆一旦落ち着いて」

 雄馬の言葉で忽ち静まり返る一同。

 全員が固唾を飲んでその発表を見守りだす。

 何とも言えない緊張感に包まれ、雄馬は軽く咳払いをして気を紛らわすとそのまま発表に移った。

「ただ今の、おっさんが投げたボールの速度………………127㎞/hキロ

 球速を告げた途端、辺りはわあっと歓声が沸き立った。

 誰も見たことがない球速が計測器に表示されており、皆して驚きを隠せなかった。

 歓声に包まれた白線より外側に控えたギャラリーを目の当たりにして、おっさんはほくそ笑んだ。

 居てもたっても居られなくなり、雄馬に先ほど来の投球の速さを訊ねた。

「なあ雄馬。俺の球、どんなだった? まあまあ速かったんじゃないのか」

「うん! 今計測してみたら、127㎞/hって出て皆大騒ぎだよ」

「え、127? マジで127㎞/hが出てたの?」

 自分でも信じられないみたいに、おっさんが聞き返した。

 そう、と雄馬が言い切るとおっさんは何やら不服そうに声を上げた。

「うわ、マジかよ。まあ、いやでもなあ。127㎞/hかあ、130㎞/hにも満たないなんてなあ。やれやれこれが寄る年波ってやつかねえ」

 ぶつぶつ文句を噴出させていると、向こうから畑がキャッチャーマスクを外してこちらへと駆け寄ってくる。

 ミットで挟んだままのボールを見せつけながら、お疲れ様ですとすぐさまおっさんにねぎらいの言葉を掛けてきた。

「先輩、今の球の速さを教えて下さいよ。多分120㎞/hは、カタいんじゃないですか」

「ああ、さっき確認してみたら、127㎞/hだってさ。へっ、明らかに全盛期に比べりゃ20㎞/hもマイナスだなんてよ」

「まともに投げたのなんて30年ぶりくらいなんでしょ? ストレッチもしないでこれなら、むしろ上等すぎますよ。もっと言えば先輩の同年代なら100㎞/hが精一杯なんて人、ごろごろいますよ」

 歓声と不満が立ち込めるグランド。

 その片隅にて、雄馬から譲り受けた127㎞/hと計測表示したスピードガンを持ったまま立ち尽くす織田の姿。

 後ろからそっと、高橋が歩み寄り彼の意志を確認しに来た。

「満足したか? これなら、お前も文句はないだろうけどさ」

「………………。」

 様々な声が重なり合う中で、織田は何も言わず虚空を睨み付けたままただ黙って頷いた。

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