第7話

 羚達の視界に、遠く、鳥居が現れる。崩れかけで、巨大な車輪を担いだ少女が、長い金髪を流して、佇んでいる。ドシンドシンと音は続き、爆風がいくらかこちらに届いていた。暫く経って、その赤い鳥居に近づくと共に、敵数は減り、羚達も地に足を付けて、走っていた。


「もう少しだ。頑張れ」


 後ろから、愛と羚を、守るように淳史が駆ける。いつの間にか、更に後ろで、昴が残党を食い殺している、咀嚼音が聞こえていた。バリバリと骨が砕かれ、肉が切れていく。それを振り返って見ないように、羚達は走り続けた。息が上がり、もう体力の限界が近い愛が、心配で心配で、羚は何度も立ち止まりそうになる。それでも、淳史に促されるままに、鳥居の本の数メートル前まで辿り着いた。


「オッケー! ゴー……」


 複数人、見知らぬ軍服に身を包んだ若い男女と、少年少女を鳥居の先に見て、淳史がそう言いかける。しかし、その瞬間に、淳史は背を押されて、羚と愛を腕に、鳥居の中に転がり込んだ。


「早く奥に行け!」


 凛と張りつめた、箏の糸の切れるような、昴の声である。鳥居の中、崩れた体勢を立て直そうと、三人が後ろを振り返った時だった。

 目線の先の黒い影に、立ち向かうようにして走り出た昴。目にも止まらぬその速さが、一つの轟音で遮られる。

 それは銃声。それは爆音。それは煙。それは熱。そしてこれは、巨大な鉄の塊。


「撤退命令! 撤退命令! 藩士てったーい!!」


 神社の拝殿、その屋根の上、銀髪の男がそう放った。男は巨大な大砲のようなものを担いで、声を張っている。煙が晴れると、昴が肉の塊を粉砕した鉄の玉の前で、へたりと座り込んでいるのがわかった。


「行くよ」


 そんな昴を、鳥居の上の少女が、氷でもかけるようにそう言い放って、抱え込んだ。拝殿の奥へと急ぐ彼女を追って、羚達もそこに入っていく。後ろを振り返ると、一人、ある青年が立っていた。白い学生制服。三振りの刀。妙な貫禄を見せる長身の体躯。彼の先にいる、何処か見たことのある黒い男の影は、その青年の存在感で、かき消されているように見えた。


「『不死身の行進』『七車しちぐるま学徒隊がくとたい』! 参る!」


 独特の低音で、青年は叫んだ。拝殿の上空から、先程の大筒の男が一人、青年の隣にトンと落ちた。そのまま何発もの鉄の塊を、向かい来る兵士達に打ち込んでいく。


「神野さん! 坂田さん!」


 ハッと、少女に抱かれていた昴がもがいて、神野と坂田と呼ばれた青年二人の方へと向かう。


御形ごぎょう!」


 瞬間に走り出した昴を、少女がそう呼んだ。その顔は驚きと不安を抱えているように見えた。羚はその横を、愛と繋いだ手を引っ張って、走り去る。淳史も彼女の隣をすり抜けるが、すぐに後ろを振り向いた。


「何やってんだみどり! 今は出雲さん達と合流だ!」


 淳史はみどりという、その少女の手を引く。すぐにみどりはその手を叩いて落とし、歯を食いしばって走り出した。

 その走路の中、数人が逆走を試みている。彼らは先の神野達と同じく、白い学生服に身を包んでいた。白に青の線。時折、黒の布地のものを身に着ける者もいる。その中でも、目を見張ったのは、彼等の中によく見られる、獣の耳を持った者達である。更にはその中に、何か角のようなものを持つ者達もいる。所謂コスプレの類ではないことは、毛髪の隙間や彼らの身体構造からすぐに理解が出来た。


「おい待て! さっき四番隊長が紛れてスキップしてたぞ!」

「ついでに紛れてる四番隊員は探して保護しろ!」

「仕事を増やすな四番隊! 自陣に戻れ!!」


 複数から、そんな声が聞こえた。四番隊長、というのが誰かは知らないが、この惨事の中で、スキップをするほど何処か間の抜けた人物ではあるらしい。また、四番隊というものは、戦闘をするわけでもないらしい。


 ふと、羚の目を、覆い隠す手が、迫った。手を繋いでいた愛も立ち止まり、同時にその手に視界を奪われる。


「羚!」


 羚を呼ぶ、淳史の声が聞こえた頃、周りの惨状からなる音は、静かになっていた。明るい。光は煌々と阻むものなく、羚と愛の目を傷めつける。薄っすらと目が慣れてくると、そこが木製の部屋で、先程まで走っていた、神社の廊下と続いていることが分かった。よく聞けば外でまだ爆音と人々の叫びは聞こえている。


「ふうん、このお坊ちゃんが『月読つきよみの王』か」


 気が付けば、目の前に一つ、少年の影がある。愛とは手を離してはいない。その安心感で、羚は目の前の不可思議な少年にも、臆することは無かった。少年はあの獣耳の中に紛れていた、獣に似た姿の一人であった。白い制服とは別に白衣を着込み、一目見て、自らが研究者ないしは医療に携わる者であると誇示する。狼というよりも、犬、と言った方が正しいであろう彼は、舐めまわすように羚を観察する。

 その彼の奥、神社の内装には似合わない、ヨーロッパ風味の玉座のようなものに座った、一人の女性がいた。彼女もまた、白い制服に身を包み、銀の美しい髪を床まで垂らして、背もたれに凭れかかる。手には装飾の美しいティーカップを持ち、所作の一つ一つが、甘美である。縁の少し厚い眼鏡を隔てて、一口の紅茶を飲んで、羚と目を合わせる。


「ホロケウ、観察はそこまで。お座りなさい」


 鈴を転がした様な、律するような彼女の声が響き渡る。彼女は詩でも謳うように、羚を見つめて、愛にまた目を向け、そして、くすりと、始めて笑った。


「初めまして、稲荷山羚君。柳沢愛さん。私は七車学徒隊しちぐるまがくとたい一番隊長、篤宮あつみやゆきと申します」


 深々と、彼女は羚達に頭を下げる。その態度に、自分達も続くべきと、羚と愛も同時に頭を下げた。


「突然転送してしまってごめんなさい。紅茶は飲める? 蜂蜜とミルクもあるわ。チョコレイトもどうぞ」


 そう言ってお雪は指を鳴らす。その途端、何処から出てきたのか、二人の前に突然、お雪の傍にあったような、美しい調度品が並び、二人は強制的に、足の長い玉座のようなソファに座らせられた。アフタヌーンティーの並び、未だ立って羚と愛を観察する、ホロケウという少年は、机の上のチョコレートに手を伸ばす。


「ホロケウ、伏せ」

「ギャンッ」


 お雪の言葉を合図に、ホロケウは一鳴きして、地に伏せる。伏せたと言うよりも、彼は地に落とされたと言う方が正しい。ホロケウは地べたに伸び、何か重い物でも上に乗せられたように身を地に伏す。


「その犬は七車学徒隊の四番隊長、狼谷かみや・コンネクンネチュプ・シタスルク。愛称はホロケウ


 ホロケウの赤茶毛が、耳でピクピクと動いた。よく顔を見てみれば、不機嫌そうに剥れている。


「と言ってもまあ、七車学徒隊という言葉すら、君達にはまだわからないでしょう。避難中は暇でしょうし、一緒にお話をしましょう。外のことは消耗品と動く死体に任せればいい」


 氷のような一言を、お雪は啜るティーカップに落とす。やっとのことで立ち上がったホロケウが、地べたに白衣の裾を広げて、胡坐をかいた。


「流石に幕府の藩士と自分の部下達を『消耗品』と『ゾンビ』は無いんじゃないの、お皇女ひい様」


 あら、と、ホロケウの一言に、お雪が論を返す。


「消耗品もゾンビも、幕府の藩士のことよ。私の部下は動く死体ではないし、消耗品と言えるほど勝手に死にやしないわ」


 羚と愛を置いて、張りつめた空気を作り出す二人は、一度、少なくとも三秒睨み合った後、ホロケウが目線を反らすことで、喧嘩を終わらせた。また一口、お雪は紅茶を飲む。目の前に出されている紅茶とミルクを、羚は躊躇わず混ぜ合わせた。その様子を見て、お雪はまた微笑む。


「こんな可愛いカップルとお茶会なんて久しぶりだわ。ここの所、防衛戦続きで、私も出陣してばかりだったから」


 お雪の口調に、ホロケウが苦虫を潰したように嫌悪を見せる。そうして、彼は神社の廊下に出て、戦場の音を部屋に入れた。


「何処に行くの。貴方は戦闘員じゃないんだから大人しくしていなさい」


 お雪の言葉に、ホロケウは返す。


「フィールドワーク。神野の傍にいれば死にはしないさ。アイツは優しいから守ってくれる。最近、食人種の蘇生を見るのにハマったんだ」


 そんな事を言って、ホロケウは戦場へとスキップしていった。ハア、と、お雪は溜息を吐いた。新しく温かい紅茶が、彼女の目の前に出現する。誰も持っていないそれは、自分から浮いて、差し出されたお雪のカップに紅茶を注いだ。

 所作の綻びが、歪んだ何かの亀裂に見えた。自らの問い、『幕府』についてを、彼女から聞き出さねばならないと、羚は強く感じた。

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