第7話「問題」

インドネシア共和国バンテン州タンゲラン スカルノ・ハッタ国際空港



 夜中の十一時過ぎ。日本大使館職員の一人が、靴音も高く空港ロビーの一角の先遣指揮隊FCEのところに駆け込んできた。連絡、調整、部下への命令下達とめまぐるしく働き続けていた中央即応連隊本部の太田一尉は、ちょうど一息入れて戦闘食糧のチキンライスにかぶりついていたところだった。


「バンドンに居る日本人を助けに行ってください。もうすでに武装勢力が市内に入ってきているそうなんです。脱出した日本人グループは、なんとか空港までたどり着いたそうです」


 そう早口でまくしたてる日本大使館員は、最後まで大使館に留まるよう命令された末端職員だった。彼は我が身の危険を感じ取っているのだろう。襟元までぐっしょりと濡れるほどに汗を掻いているのは、この暑い気温のせいばかりではないようだ。


「バンドン?」


 その言葉に太田一尉は地図を見る。ジャカルタの西に約一五〇キロの位置にバンドンはあった。騒ぎを聞きつけた他の幹部や偵察分遣隊の剣崎がその場に顔を出す。


「バンドンですか。しかし我々には救出した人員を輸送する手段がないんです。車両か何かを手配していただけますか?」


 太田はパック飯を置いてから尋ねた。


「インドネシア空軍が輸送機を出してくれることになっています。間もなくVIP用エプロンに到着するはずです」


 それを聞いた太田は剣崎を振り返った。剣崎は頷くとトランシーバーで待機している偵察分遣隊をすぐさま呼んだ。太田もまた指揮官達に状況を伝え、招集をかけた。

 彼らが集まる間に剣崎と太田は大使館職員に向き直り、知っている限りの情報を聞き出そうと身を乗り出した。

 状況は不明な点が多すぎた。インドネシア国軍も状況を把握しておらず、敵を迎え撃つのが精一杯なようだ。とにかくバンドン空港に行き、すでに集まっている日本人たちをインドネシア空軍の輸送機に乗せるのが、目的地派遣群に託された任務だ。

 すぐさま山崎二佐と第1中隊長の今野一尉は部隊をバンドン空港に派遣することを決断した。目的地派遣群の中央即応連隊第1中隊が準備を整えている間に太田一尉はエプロン地区に待機するインドネシア空軍の輸送機の乗員とコンタクトを取った。エプロン地区にいたのはターボプロップ・エンジン双発の小ぶりなCN-235という小型輸送機だった。

 CN-235のエンジンを回したままで、すぐにでも飛び立てるようにしていたが、インドネシア空軍のロードマスターは、運べる兵士の数が四十五名ぎりぎりだという。バンドンで助けを待つ日本人は四十八名。荷物を捨てさせれば乗り込めるだろう。問題は行きだ。これでは二個小隊弱程度の人員しか乗れない。

 太田はすぐさま準備を進める第1中隊の元へ駆け付けた。状況を聞いた山崎と今野に迷っている時間は無かった。


「山崎二佐、二個小隊を出します」


 今野は第1小隊と第2小隊を向かわせることを決めた。そして残る二個小隊からも機関銃手を二名ずつ引き抜いて第1小隊と第2小隊に加えて火力を増強させた。

 第1小隊・第2小隊はバンドン派遣誘導隊の仮称を与えられ、指揮官は中隊本部の佐々木一尉が命ぜられた。

 佐々木一尉はギリギリまで格納庫内で状況を頭に叩き込まれていた。今野はその佐々木の耳に顔を寄せて言った。


「現地の状況はほとんどわからない。現地邦人たちはこの輸送機で運べるが、君たちを乗せて帰る飛行機は手配できていない」


 今野はこの状況の意味するところが、佐々木に染み入るのを待つように間を空けて続けた。


「こんな体たらくですまないが、日本人を助け出してくれ。私は君たちがここに帰ってこれるよう、飛行機か車輛を手に入れるよう努力する」


──なんてこった。

 佐々木の偽らざる心境だった。しかしやらなければならない。バンドンの日本人たちは、下手をすると皆殺しになるかも知れないのだ。

 待機中の空港ロビーで見たCNNは、未確認情報ながら、夜間にジャカルタ郊外の街で、フランスとオーストラリアの合併企業の現地事務所が襲撃され、社員全員が殺害されたと伝えていた。そしてほかの沿岸部の街では、イギリスの石油会社が襲われて、ここでも社員が殺されたという。ジャマ・イスラミアは巨大な組織だ。指導者たちの思惑は末端まで届かないのだろう。この武装組織が成功した後は、経済復興のために外国企業を積極的に誘致しなくてはならないというのに、これでは世界から孤立してしまう。

 しかし指導者たちの憂慮をよそに、各地で外国人を狙った虐殺が始まっているようだ。バンドンに残された日本人たちも、単なる暴徒と化したイスラム原理主義者たちに虐殺されてしまうことだろう。

 佐々木は集合したバンドン派遣誘導隊に選抜された隊員達に、手短に状況を伝えようと歩み寄った。第1小隊長の岸野三尉は近づく佐々木を見て憂鬱な気分になった。佐々木の顔から表情が無くなっている。一見、冷戦沈着なように見えるが、その実、そうではなかった。佐々木を良く知る岸野は、彼から表情が無くなった時は、抱えきれないほど大きな問題を背負わされた時だということを知っていた。


「行動命令を達する。バンドンの状況は不明。バンドン空港に四十八名の邦人が取り残されている。第1・第2小隊混成、バンドン派遣誘導隊はこれよりバンドン空港へ前進。バンドン空港に取り残された邦人を救出する。現地への移動手段はインドネシア軍の輸送機を使用するが、定員の制限上、まず邦人を輸送機に乗せてスカルノ・ハッタへ移送。我々は現地にて往復する機を待つ。現地の細部状況は不明だが、政府のコントロール下に無いことは確かだ。状況は緊迫化の一途をたどっている。危険な任務だが、我々が行かねば取り残された四十八名の日本人の命はない。各員、心してかかれ」


 佐々木の声を聞き、精強な中央即応連隊の隊員達の表情が引き締まる。バンドン派遣隊は準備を終えると、エプロン地区へと向かった。

 第1小隊を先頭に隊列を組んでCN-235の後部ランプに向かう途中、岸野は佐々木にエンジン音にかき消されないよう大声で尋ねた。


「連絡手段はどうしますか?携帯無線機じゃここまで届きませんよ!」


 佐々木はアーマーに取り付けたポーチの一つから携帯電話を三つ取り出して見せた。


「逃げた大使館員たちが置いて行ってくれたスマホだ。BGANビーギャン(衛星電話)も持っていく」


 臨機応変。あるもので間に合わせるのが、創隊以来ずっと貧弱な装備で創意工夫を重ねてきた陸自の伝統だ。


(ま、なんとかなるだろ。やるしかねえ)


 岸野はそう覚悟を決めて、輸送機のランプを駆け上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る