8

 先ほどの重苦しい空気とは打って変わって、周りは明るい声やざわめきで、大いに賑わっている。高いビルも多く、アパレル、カラオケ、飲食など、多く立ち並ぶ多彩な店も、軒並みに賑わっている。そんな開発の進んだ郊外の中で、悠は人混みの中を、糸を通すように縫って歩いている。

 邂逅町は、距離はあるが徒歩でも池袋の郊外に辿り着く。なんとも便利な地域だ。悠は髪を弄りながら思った。

 あった。悠が足を運んだのは、二階から十階までが全てネットカフェであるビルだ。

ネットであることを調べてみようと思ったが、残念なことに手元にPCは無く、仕方なく真っ先に足を運んだのだった。

とりあえず一時間で。カウンターの店員にそう言うと、二階の廊下の一番手前にある部屋に通された。ちょうど空いていたらしい。

部屋には液晶テレビとPC。黒いクッションに、全面に黒いウレタンマットが敷かれている。白い壁に対照して、物はほとんど黒でまとめられている。

悠は靴を脱いで、マットの上ににどすんと座ると、PCを起動して検索エンジンを立ち上げる。

「建築家……咲……間……栄治っと」

 包帯の巻かれた手で軽くエンターキーを押す。数秒掛かって出た画面には、約三万四千件がヒットしていた事を表していた。

「意外に有名だったみたいだな」

 そう独り言を言いながら、ひとまず目についた項目をクリックする。

(咲間栄治。三十歳の時、高階情報処理会社のビル建設に躍起。その後技術が認められ、数々の大手会社のビル建設を手掛けるようになる。……この程度しかないな)

 その他にも、インタビューを受けている記事などもあったが、栄治の人柄が顕著に表れたものはほとんどなかった。わかったことは、家族を大事にしていること。ただそれだけだった。

 栄治はインタビューで、建築家を辞めようとした時期があったことを語っていた。

『家族に迷惑を掛けたくなかった』。その思いだけで、だ。自身の才能の有無など、それらのことを度外視で。彼のほとんどの気持ちは、自分の家族に向けていた。

 それなら霊体となった今は、残された息子の傍にいるのが普通なんじゃないか? そんな疑問が湧いたが、事実、曜の周りにそれらしい人は見かけなかった。彼の言葉はその程度のものだったのか。あるいは何か別の原因があるのか。

 悠は一旦思考を止め、そして今度は咲間遥と打ち直し検索する。

ブログやツイッター、フェイスブックで同姓同名の人物が幾つかヒットするも、曜の母親らしき人物の情報はなかった。

「手詰まり……」

 そう呟き。壁に寄り掛かる。ふぅと溜息を漏らすと、そのまま横へ背中をずるずるとスライドし、横になる。ぼすっとレザークッションに頭を落とす。

目が疲れた。だが、じっとしている暇もない、か。

二分ほどでのそりと立ち上がって、悠はネットカフェを後にする。

 いくらネットとはいえ、入力されてなかったり公開されてない情報はわからない。

 警察の事件記録でも見れれば簡単なのだが、そう簡単に見れるものではない。

 打つ手がない訳ではないのだが、その方法は止めておきたい。いろいろと問題があるし、面倒だ。

 やはりこの仕事は楽ではない。悠は心の中で独り言ちる。まあ楽な仕事も、そうそう見つからないものだが。

 とりあえず事務所という名の廃ビルへと戻り、持ち込んだスクラップブックに綴じている新聞の記事を調べ漁ることにしよう。そう考えた後、『もう一つの手』を打つことにもした。

 悠は、包帯の巻いた手を時折擦りながら廃ビルへと歩を進める。

 すう……。

 大きな道路脇の人気の多い歩道を歩いていると、ある男とすれ違った。と同時に、腕に僅かな寒気が走り、悠は思わず振り返ってしまった。横髪を軽くカールさせ、銀縁眼鏡を掛けた、白いタキシード姿の男性。

 その目立つ格好にもかかわらず、周りの人々はそれを気にすることはない。

 悠は遠ざかっていくその男の背中を、ただ眺めていた。

「何してるんです?」

 またも寒気がして、びくっと身体が飛び上がる。誰かいたのか? 恐る恐る後ろを振り返ると、先程出掛けにあった事故の時に助けた、全身真っ赤の悪趣味な服を着た化粧の濃い中年女性がいた。細い眼で悠を見ている。

 あまりにも突然の出来事に言葉を失う。

「どうしたんです? そんなお化けを見たような顔をして」

「あっいや……すいません。何の御用でしょう?」

「探してたんですよ。あなたのことを」

「? 何でですか」

「時間がなくって、すぐに行ってしまったので、きちんとしたお礼も出来ていませんでしたから」

 そう言って女は笑った。気にしなくてもいいのにと、悠は頬を掻いた。

「それでですね……お礼にお茶でもいかがかと」

 断る理由は、無いか。悠は頷いて、答えた。

「じゃあ……お言葉に甘えて」

 数十分後。

「水でいいって、変わってますね」

「水が好きなんです。確かに、自分でも変わってるって思います」

二人は今、池袋のとある喫茶店の中にいる。

 彼の声は女の耳にしか届かなかった。暗めの照明と、大きな窓の日の光に照らされた喫茶店の話し声、笑い声が邪魔をしているからだ。

 ウェイトレスは悠の水と、老婆のアイスコーヒーをテーブルに運んできた時、どうにも不審な目で見られたように、悠は感じた。

 彼はそれもそのはずだろうなと思った。女と悠はあまりにも不釣り合いだからだ。

 四十代(くらいだろうと悠は思っている)の悪趣味女と十代の高校生。これほど不釣り合いなものはないだろう。

「名前がまだでしたね。僕は泉悠です」

高階たかしな静代しずよ。高階情報処理会社、取締役社長です」

 悠は呆気に取られた。

「ご存じない?結構有名な会社なのだけれど」

「名前だけは。実際には何をされている会社なのかはわかりかねます」

「そうねえ。情報の管理を一手に担っていると言えば、わかりやすいかしら。SNSサイトとかに登録する個人情報って重要じゃない? それぞれのサイトの運営企業が管理するものなんだけれど、念のためのバックアップとして情報管理を任されるの。ユーザーが多いと何が起こるかわからないから」

 彼女の口調が、だんだん打ち解けたものになってきた。一度命を助けられ、警戒心が薄れているのだろう。

「なるほど。その他にやっていることってあるんですか?」

「そういった個人情報の提供ね。あ、もちろん警察とかの重要な関係者にしか開示しないけど。まあ情報管理システムの運用ってかなり骨の折れる仕事だから、システムの保全と監視だけで充分収入になるのだけれど」

すると高階は、思いついたように言う。

「そういえば、あなたは何であんな廃墟にいたの?」

「え?」

「確か私があなたに助けられる前に、あの廃墟から出てきてたわよね」

 悠はしまったと顔をしかめる。人通りが少ないとはいえ、もう少し慎重に行動するべきだったか。

「あー……内緒にしてくれますか?」

「? 別にいいけど」

「実はですね……家出してたんですよ」

「家出!?」

 小声で高階は驚く。多分これなら、騙せる。そう踏んで言葉を継ぐ。

「いえね、親と喧嘩してしまって、近場のあの廃ビルに駆け込んだんですよ。で、あそこで一日明かして、一度帰ってみようかと思っていたところで、あの事故があったんですよ」

「そうだったの……」

 高階は頬に手を当て、顔を横の窓に逸らす。どうやら完全に信じているようだ。まあ、真実を話したところで、信じてくれるとも思えない。結局は、家出か何かと判断しただろう。

悠はそろそろ頃合いかと、本題を切り出してみる。

「あの、咲間栄治さんのことは?」

「あら、咲間さんのことを知ってるの?」

「ニュースがやっていて、たまたま見たんです。高階情報処理会社のことも、そこで」

「そう。私も昨日ニュースで見たわ。お気の毒に」

 高階はそう言って、溜息を吐き、俯いた。

「彼には本当に感謝してるのよ。私の会社の業績が芳しくなって、新しくビルを建てる事になった時、急な依頼にも対応してもらって、無事に建てて下さったの」

「それは社長が……」

「名前で構わないわ」

 どうやら打ち解けてきたらしい。これなら情報も引き出しやすいだろう。そう悠は思った。

「では、高階さんが直々に依頼を?」

「ええ。社員に意見を聞いて最終的に決定したの。ただその当時はあまり有名ではなかったから、あまり咲間さんのプロフィールとかは知らないんだけど」

 からんとグラスの中で氷が傾いた。悠は記憶の中に深く刻みつける。どくどくと身体中の血がいつもより早く流れていく。

 まさかこんな所で手掛かりを得られるとは。運は向き始めてきたようで、自然と頬が緩む。

「ところで、何でそんなことを訊くの?」

 高階は不思議そうに言う。悠は彼女の質問に答えずに言った。

「あの、いきなり不躾で申し訳ありませんが……あなたの力を御借りしたいのです」

 高階は顔を上げ、これまた不思議そうに訊き返す。

「どういう意味?」

「あなたの情報処理会社の力を使って、咲間栄治さんと咲間遥さんのことを調べて頂きたいんです。できれば、正式な依頼で」

「それはまた……どういう訳で?」

「諸事情で詳しくは……。唯一言えるのは、残された遺族の息子さんの依頼でしてね。ちょっと調べる必要がありまして」

「…………」

 高階は顎に手を添えて考え込む。やはり無茶な願いだったか? そう思っていると、

「……まあ命の恩人のあなたならね。今回は特別。サービスしてあげる」

 意外な返事が舞い込んだ。それに気前も良い。素直に悠はお礼を言った。

「いいわよ別に。じゃあちょっと調べるわね。連絡先は?」

 悠は彼女の手帳を借りて、そこに携帯番号を書き、渡す。

「じゃあ、楽しみにね」

 そう言って化粧の濃い顔で微笑み、伝票を持ちながら去っていった。

「何とかなりそうだな」

 そう言って、氷の溶けた水を飲み干す。

 廃ビル前へと戻った悠は、周りに誰もいないことを確認し、中に入る。

 カツン、カツンと小気味よく靴音をさせながら階段を上がる。

 五階建てのビルの三階に、その事務所はある。それより上の階も確認したが、ボロボロな内装が多く、床が抜けて穴ができている場所や、窓ガラスの無い状態の部屋もあった。そこで比較的綺麗な三階を、曜は隠れ家として、悠は事務所として使っている。

 三階の一番奥の部屋に着き、一度ソファに寝そべろうかと考えたが、少し気になることがあった悠は、勝手に本棚に置かせてもらったスクラップブックを開く。

 気になる記事を穴のあくほど調べる。目に入ったその記事には、高階情報処理会社の社長のインタビューが書かれていた。大きな出来事を一通りまとめた中に、たまたま切り抜いて入れていたようだ。

 この話を記事で見る限りでは、なかなか評判が良さそうだ。

 もっとも、内部ではどうなのかは知らないが。

 悠は知らず知らずに内情を推測し始める。

 本当に良い事ばかりなのか。何か裏がないのか。そんな事ばかり考えてしまう。

「……っと……調べてもらってるのに失礼だな」

 そう呟くとスクラップブックを机に放ってソファに寝そべる。

 しばらくその状態で何かを考えた後、また立ち上がって机の椅子へと向かう。

 机の中から数枚の紙を取り出し、ボールペンで何かを書き始めた。

 書き終わると椅子から立ち上がり、丁度机の方向から真後ろにある開いたままの窓を背に、後ろに向かって紙を投げた。

 風は吹いていない。しかし、すべての紙は、ホチキスなどでまとめられたかのように、重なったまま勢いよく、外のどこかへ消えてしまった。

 悠はそれに見向きもせずに、椅子に座り、誰かに向って言う。

「頼むよ。久遠くおん

ゆっくりと沈む夕日が、静かになった廃ビルを紅く染めた。

 あの時曜が見た、どす黒い紅とは違い、色鮮やかな紅だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る