第7話探し物は何ですか

「……さて」

 唇をナプキンで上品に拭くと、レンの唇は悪い感じのする笑みを浮かべた。「事件に関しては、どの程度解ったかな?」

「どうでも良いんだけど、アンタさ、その食い方何なの?」

「ん、何の話だい?」


 私は、無言でレンの皿を指差した。


 そこには付け合わせのマッシュポテトとボイルしたニンジンが、ピスタチオを砕いて作ったオリジナルソースに浸ったまま、手付かずで残っている。

 ……

 いい大人が野菜を残すというのは、見映えも聞こえも悪いが、まあ気持ちは解る。人それぞれ好みってあるでしょうし。私もいんげんだったら残すし。

 けれどこいつの皿は、あるべき物が無い。

 私たちが食べたのは――羊肉マトン

 羊のだ。


 レンは、上品な笑みを浮かべたままでそっと首をかしげた。


「何かおかしいかな?」

「目の前で初対面の相手がスペアリブを骨ごとバリバリ噛り出したら何事って思うでしょっ!!」


 しかも、何事もなかったかのように丁寧に両手と口を拭くな。

 童話に出てくる狼のようだ――穏やかな声色と理知的な口振りで、親切を装って赤ずきんに近付いて、頭の先から丸噛り。


 ああいや。

 そこは、『狐』と言うべきだったか。


「マナーに煩くするつもりはないけど」

 まるで母親ママのようだと思いながら、私は軽くこめかみを揉む。「せめて、二三回目のデートとかでやってくれない、そういうの?」

「自分を偽って得られる愛に、何の意味があるんだい?」

「そうは言うけど、一切化粧してこなかったら怒るでしょアンタたちは」

「んー、どうなんだろうね。それが良いっていう人も、何人かは居そうだけどね」


 そういうとき、女は大抵それなりの化粧はしている。

 ケバいだけが化粧じゃない。


 それにそもそも、相手が喜ぶから化粧してるわけじゃあない。成りたい自分になるために、見られたい姿を描き出すために。

 最も身近な魔術。化粧とは詰まり、そういうものだ。


 まあ、化粧問題について仮面を被っているヤツと議論を重ねても、不毛以外の何でもないだろうけれど。


「……とりあえず、アンタたちが絡んできた理由は解ったわ」

 私の指摘がさして響いていなそうなレンにため息を吐きつつ、頭と気分を切り替える。「イカれ男の奇妙な自殺。それがさほどユニークな死に様じゃないってことが原因ね」

「ま、概ねその通りかな。発生の条件が解らない限り、極端な話をすれば、全人類に影響を与える可能性もあるからね」


 水のグラスを軽く揺らしながら、レンはニヤリと微笑んだ。

 例えば誰かが水を飲む――朝起きたとき、昼食を食べながら、夜寝る前に。

 彼または彼女は水を飲み、飲み、飲み続けて――


 そんな悲劇が世界中で起きる未来なんて、可能性だけでお断りだ。


「そんなわけで、僕たち、世界を裏から牛耳る秘密組織としては人類滅亡の危険は見過ごせない。トップの命令に従ってこの僕が、馬車馬のごとく働くことを余儀なくされた、というわけだ」

「ていうか、良く気付いたわね、こんな事件……書類上は、単なる自殺でしょう?」

 流石の情報収集力か、或いは。「……?」

「勿論SDS会の潤沢な資金は、困窮に喘ぐ者の舌を滑らかにするくらいの効果はある。積極的にか消極的にかはともかく、僕たちに情報を回す人間は世界中何処にでもいるよ。だが――今回は、さ」

「……スマホ?」


 既存のどのキャリアとも一致しない、手のひらに収まる程度の大きさの薄い携帯端末。


「限定の通信装置とか、秘密組織らしいだろ? これは世界何処ででも使えて、どんな周波数にも対応できる――まあ、単純に圏外が存在しないと思ってもらえば良い」

「銃弾を防げたりはしないの?」

「やってみたいと思ったことはないね。さて、重要なのはこの端末の性能じゃなくて、内面の方だ」

「人間と一緒ね」

 私はぐいっとエールを呷る。「

 レンは、無視した。「世の中では、数えきれないほどの事件が毎日毎日起きている。その中には奇妙な、現実的でない、空想の産物としか思えないような事件も混ざっているわけだが……そうした事件に共通することは何か、解るかな?」

「ゴシップ紙で取り上げられそうってこと?」

「うーーーん…………確かにそういう、『誰かに言いたくなる』という特性について話そうと思ったわけだけどね。

 今時は、もっとお手軽なツールがあるんだよ原始人。ネットでちょっとした写真とタグ付きで呟けば、あっという間に有名人だ」

「ノアが何か言っていたわね。匿名の情報提供サイトとかなんとか」

「【驢馬の穴】。ここはそういう、大真面目に取り上げるには馬鹿馬鹿しいけど誰かに伝えたい話とか、秘密にするべきだと本能で感じるような話とか、そういうのをぶちまけるための場所として

「運営している? ?」

「穴を掘るんだ、深く深く。覗き込んでも底が見えないくらいに。そうすれば、誰もが秘密を叫びにやって来る――底で誰が聞いているか、知りもしないでね」


 ご愁傷さまだよねと、レンの薄い唇が酷薄な笑みを刻む。

 古い椅子に優雅に座して、足を組ながら、天から降る情報にそっと耳を傾ける姿を、私は思わず想像してしまう。

 悪魔じみたその姿が、やけに似合う。


「こういう書き込みの中で信憑性が高いものや著しく奇妙なもの、類似した書き込みがやたらと多いものなど、調査の必要があるものをふるいに掛けているわけだ。

 ……そしてそれとは別に、僕たち特級調査員は、それぞれを設定している」

「拘り?」

「君の携帯にもあるだろう? 『おかえりなさい! あなたにお勧めの事件はこちらです』っていうことさ。

 それぞれ調査員は、自分の事件の種類を決めていてね。それに合うような書き込みがあった場合、自動的に通知される」

「それで出てきたのが、この事件ってわけ?」


 通報を、各地の警察官に割り当てるようなものだろうか。

 しかしいったい、どんな単語で検索をかけた履歴があれば、こうした事件がお勧めされるのだろうか。


 私の視線に込められた疑問を感じたのか。レンは微笑みながら言った。「聞きたいかな?」


「本来は、あまり大っぴらに言って回ることじゃあないんだけどね。美人さんの興味を引いたのなら本望だろう。僕の検索ワードは――【】だ」









「…………」


 ツキ・ハーパー巡査の微妙な表情に、僕はわずかな満足感を覚えた。

 他人のこうした、眉を潜める仕草は見ていて面白い。僕に対して好感を抱いていない人物が、社会的打算から仕方がなく好感を抱いている振りをしながらも、結局本心が漏れ出してしまっているような、そんな顔。


 誰もが仮面を被れば良いだろうにと、僕はいつも思う。

 驚きも恐怖も嫌悪も全て覆い隠して、皆が同じ笑顔で過ごす世界なんて、何とも味気無くなるだろうに。


 ツキは肩を竦めた。「案外ファンシーな趣味だな、と思っただけよ。けど、だとしたら残念ね? わざわざ来て、見付けたのは水飲み過ぎたおっさんとはね」

「それだけとは、限らないよ」


 素早い切り返しに感心しながら、僕はニヤリと笑う。

 警察のところから失敬した被害者の個人情報から、僕は既にある、とても重要な情報を掴んでいる。

 捜査能力を証明したがっている彼女には悪いが――と思ったが、どうにもツキの表情が妙だ。


 彼女は――


「その感じだと、仮面の下じゃあさぞかし驚いているみたいだけど」


 ツキは、それが嬉しくて堪らないという気持ちを隠そうともしない。

 仮面など、被ってたまるかとでも言うようなむき出しの笑顔は、とても眩しくて。とても――人間らしい。


「こっちだって馬鹿じゃないのよ、特級調査員殿? 目と足、考える頭くらい持ってる。

「どうやって……」

「アンタが手懸かりを残していったからね。ああいや、こう言うべきかしら? アンタが手懸かりを、私はきちんと見付けたってわけ。

 ――共通点は、?」

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