vsシエラザード(?)

「ヤバい……」


 その肌は、日に当たらないせいで、人間と遜色ないくらいに褐色が薄くなっている。黒い髪の毛も手入れがされておらず伸び放題。おまけに纏うのは、洗濯しておらずヨレヨレな白衣。


「なんだあいつら有り得ないだろっ!!」


 キーボードをガンガン叩く。だが、それだけでは何も解決しない。認めがたい事実だが、そうなのだ。

 引きこもりエルフが頭を抱える。


「この私の幻術を打ち破った……? こんにゃろ……どうやって報復してやるか」


 白衣の下、イモいが楽な下着。さするように手を動かすと、電気信号が身体を悶えさせる。


「ん……ふぅ、どうすっかなー?」


 デュエルを成立させない理由は二つ。

 一つ目は、単純に物理的距離の問題。エリアを隔ててはデュエルは成立しない。精神を破壊して人形にすれば、引きこもりである自分のところまで引き寄せられるはずだった。

 二つ目は、保険。今みたいに、万が一幻術が破られてしまった場合。デュエルが不成立ならば、それはルール上負けではない。だから、大丈夫。


「んぅ……ん、ぅうっ」


 頭が真っ白に打ち上がる。ふわふわした浮遊感が数分。取り敢えずの行動で時間が飛んでいく。それでも、頭はクリアに冴え渡る。

 彼女なりのリフレッシュタイムだった。


「他の代理を傀儡にして早めに潰した方がいいな……幻術のネタをばらされたら困っちゃう」


 アバター。彼女の幻術が操る分身体。敵陣営の中枢にすら忍ばせてある、目下最大の武器。カンパニーの最新鋭のキーボードをカタカタ叩いて計算式を組み上げる。


「んん……やっぱりえくせるって難しいな。あの小娘はこんなの朝飯前なんだろうけど……」


 そう考えると苛々する。キーボードをガンガン叩いて奇声を飛ばした。象が百体踏んでも大丈夫、でお馴染みの最新式キーボードには傷一つつかない。噂によると、カンパニー正規軍の鎧より頑丈らしい。


「むきー! どうしてやろうっ!!」


 足をバタバタさせると、デスクの角に激突した。悶絶して、転がり回り、涙目で見上げた先。

 赤髪の男がいた。



「…………ん? あんただれ?」







「待って待って! HDDはっ! HDDだけはっ! その中身だけは消去させて!!」


 縛られたまま泣き叫ぶエルフ女。驚くべきことに、この情けないのがさっきまで二人を追い詰めていたシエラザードらしい。緋色は何故かデスクの引き出しに入っていたゴム製のロープを引っ張る。縛っても肌を傷つけない優しいやつだ。

 こけた。


「ぎゃふん!」

『余程重要なデータを隠し持ってるみたいだね。黒幕臭ぷんぷんだったもん。絶対なんか知ってるよ、こいつ』


 緋色がパソコンに近付く。シエラザードが泣き叫ぶ。

 額のサークレット、そこのベルがきらりと光った。


「はっ! 殺すなら殺しなさいよ! だからHDDだけは勘弁して! 水に沈めてお願いだからっ!!」

『よほど厳重に口封じされているみたいだね』

「ベルの破壊はいいのか?」

『まだ泳がせよう。どのみち候補同士が同意しないとデュエルは不成立だ』


 ぱあっと黒幕エルフの顔が明るくなる。保険が効いた。このままデュエルとベルを盾に交渉する余地はある。そんな奸計を巡らせるエルフの耳に、電子音。



『J陣営の『謎の覆面ヒーローH』と♥陣営の『シエラザード』とのデュエルが成立しました』

「ビンインてめええええええええ――――!!!!」


『うわぁ……』

「売られたか……」



 縛られたまま、シエラザードは芋虫のように這う。緋色の足にすがり、涙と鼻水で汚れた顔面を見せつける。


「嫌だ嫌だ死にたくない! 勝てるわけないしどのみちビンインに始末される助けてよぉ!」

「……命までは取らない」


 緋色は目を逸らした。


『助けを求められたら断れないんでしょ。ビンイン候補はこちらで手を打っておく。気はのらないけど』

「……うん」

『急に昔に戻るのやめて。照れる』


 助かりそうだ。引きこもりエルフが歓喜の雄叫びを上げる。耳を塞ぎながら顔をしかめる緋色。


『じゃあ、そのデータは取り敢えず解析する。今回の社長戦争はもちろん、主催者のP.W.カンパニーとかいうののデータもありそう』

「HDDはやめてええ!!」

『取り押さえて』

「りょ」


 じたばた暴れる黒幕エルフが屈強な男に取り押さえられる。はだけた白衣から覗くのはラフな下着姿。汗と涙と涎となんか色々べとべとしてて緋色が嫌そうな顔をした。あと、ちょっとにおう。


『…………ほら、年上の女性好きじゃなかった?』

「ちょっと黙って面食い猫バナナ」

『バ ナ ナ は 完 全 食』

「ふぎゃああああ!!!!」


 暴れるシエラザードに、掌底が打ち込まれる。波のように伝わる衝撃。全身が水の中に漂っているような陶酔感。気付けば、シエラザードは指一本動かすのが億劫になっていた。


『お見事』

「そっちの仕事は頼んだ」


 しばらくは動けないだろう。緋色は妙な徒労感に襲われながら、ふかふかの椅子に身を埋めた。人をダメにする感触を楽しむ。

 と、椅子の上に転がるペットボトルに気付く。


「待って…………それは、ダメ」


 顔を真っ赤にして引きこもりが見上げてくる。まだ動けるとは大したものだ。それだけのものがこのペットボトルの中身にあるのか。

 満タンに入ってずしりと重く、色は薄い黄色。蓋を開けると強烈な臭いに緋色は呻いた。


「うわ……なんだこれ、生ぬるい…………」

「やめて嗅がないで見ないで触らないでそれはただのレモンウォーターよ」


 発汗が、すごい。湖が出来そうな勢い。顔を真っ赤に悶えるシエラザード。明らかに動揺している。緋色はペットボトルをデスクの上に置く。


「オーダー、成分分析頼めるか」

『了か、い…………え?』

「どうした?」

『それ、飲んだりしてない……?』

「流石にそこまでバカじゃないって。けど、刺激臭あり。念のため危険性を確認したい」

『すぐに捨てなさい。あの変態エルフに投げつけなさい』


 言われた通り、ペットボトルを投げつけた。あまり痛くないように、加減したつもりだが、啜り泣く声が聞こえた。


「……ぅぅ、来るなら……アポぐらい取ってよぉ…………部屋片付けたのに、久しぶりの男の子なのにぃ」

『うるさい! 変態! 黙れ! 変態! 緋色になんてことしてくれるんだ! なんでちょっと嬉しそうなんだよ! この変態エルフ!』


 女二人が盛り上がる。緋色はパソコン端末に目を落とした。


「……これ、データはどうしてるんだ?」

『ネブラに受信してる。可変情報記憶媒体も兼ねてるから解析自体はこっちで出来るよ。さしあたっては――』


 緋色はロープを引っ張った。相棒バディからの目配せを感じて、シエラザードの顔をこちらに向かせる。もはや阿吽の呼吸だった。



『お前、フーダニットとの直通パイプを持ってるな?』



 シエラザードの目が泳いだ。誤魔化そうと口を開くと、ロープを小さく引かれた。緋色がシエラザードを睨み付ける。誤魔化しはきかない。そう判断した彼女は、小さく首を縦に振った。


「……誤魔化そうとしたな」

『減点、一。とにかく、そのパイプを私が利用したい。なんなら扱いをよくしてあげる』


 主導権を握っているのは、明らかに情報少女だった。拒否できない。だが、エルフの打算は告げている。もうどうにでもなれ、と。


「フーダニットの側近にアバターを一人忍ばせている。信用も十分得ている」


 セールストークだ。自分の価値を高めるために、エルフは声を大にする。


「だからJ陣営の情報は私には筒抜けだった。アルゴルと共謀して貴方たちを嵌められたのはそのため。しかも、あのお嬢ちゃんはすっかり心を許している。アバター越しに動きを操ることも造作ないわ。

 それに、私の幻術は完璧。貴女には不覚を取ったけど、前情報なしにまずバレることはない。安全性も確保してある。分身体がやられることはあり得ない。唯一の懸念は、本体である私がやられちゃうことだけ」


 さりげなく自分の安全を掲げ、シエラザードは顔を上げた。赤髪の男は、恐らく何も考えていない。そもそも頭を使うタイプには見えない。

 判断するのは、やはりオペレーターの情報少女か。


『乗った』


 二つ返事。恐らく彼女の中で既に基準があって、それを満たしているのが瞬時に判断できたからなのかもしれない。

 純粋に、時間を与えては危険だと思ったのかもしれないが。


『早速フーダニット姫と会話したい。取り次いで。価値はそこで判断する』


 緋色の顔に動揺が浮かぶ。何かあったのか。


(けど、関係ない! とにかくあの小娘だけ抱き込めれば……!)


 アバターに魔力を送る。いつもみたいな仮面は必要ない。陣営に見捨てられた今、もうスパイの意味はなかった。チャンネルを深める。


(なにお絵描きしてんだあのメスガキ! こっちはそれどころじゃねえんだよ!!)


 こちらを向かせて、会話の雰囲気を作らなければ。そう焦ったシエラザードが、突如固まった。


『……………………何?』

「……ごっめーん☆ 分身体やられちゃったぁ、てへぺろ」




「『あ゛?』」




「こいつ……この期に及んでまだ抵抗できる気でいるのか!?」

『緋色、まっすぐ


 分かりやすい方法を知っている。それは、痛みと恐怖。原始的で、生物的に、深く深く根差した衝動。

 緋色は拳を握って床を力強く踏んだ。


「ひぃぃいい!? 本当だって! 奴が急に現れて私も訳が分かんなくておたすけええ――――!!!!」


 もう一歩、緋色が踏み込む。威圧感を与える行為だったが、思いの外効いている。得意の幻術を発揮する余裕は既になく、しめやかに失禁するエルフの眼前。力強い踏み下ろしが揺らす。

 裏拳。防刃グローブに包まれた拳が、大槍の投擲を弾いていた。


「誰だ」

「通りすがりの子どもだよー!」

『……代理、じゃないね』


 明るい金髪のツインテール。身長は確かに子どものように低い。



「ソレ、どうするか答えてもらえる?」







 只者ではない。痺れる拳に緋色は思う。あの小柄が放てる膂力ではなかった。ディスクからの合図がなければ防げるか怪しかった。

 攻撃の軌道は――まっすぐ。

 攻撃を行うならば、部屋の入り口からしかない。待ち伏せはディスクが一番に警戒していた。彼女の目を欺けるのならば、緋色にはどうしようもない。だから候補から外す。


「いい一撃だった」

「……よく防いだね」


 答える気はない、という意思表示。敵か味方か判明するまでは情報を渡せない。緋色はベルに視線を送った。金髪少女が視線を追う。


『代理でないなら戦う必要はない。話し合おう』

「んんー? 質問に答えて欲しいかなー?」


 にんまり笑う謎の暗殺者。対して、緋色は構えを解いていた。話し合う、と方針は示されたのだ。拳を突き出して行うものではない。


『シエラザードは……殺すよ』


 ひっ、とエルフが悲鳴を上げた。金髪少女の手に力が入ったのを緋色は見逃さない。


『――――ただし、社会的に』


 入った力が抜けていくのを観察。というか、緋色も脱力していた。またいつもの奇行かと心配する。


「……どういうこと?」

『この変態、重要なHDDにお楽しみフォルダも保存してやがった。なんだよフォルダ名「数学」「社会」「国語」「理科」「迸る情動」って……中学生かっ!?』


 緋色は知っている。この声は、だいぶ怒っている。

 引きこもりエルフは羞恥に泣き叫んでいる。


『しかもソートするとアレなファイルが絶妙に邪魔なんだけど! 保存媒体くらい分けなよ! 変態! 緋色の視界に入るな!』

「……ちなみに、どんな内容かにゃー?」


 社会的にぶっ殺す。

 それは宣言通りの晒し刑だった。



――――エルフ尊厳保護プログラムにより、HDDの中身は秘匿する。



 ただ、体育座りで汚物を蔑む緋色と。魂の抜けた表情で笑う少女と。一つ一つ開示して最終的に泣きわめき始めたディスクの姿は。

 きっと、それなりのことがあったのだと推して察するべきだろう。

 『千変万化の貴腐人』シエラザード。その最後の攻撃は、その場の全員の精神に大ダメージを与えた。







 ベルを破壊した緋色が、部屋の隅っこにうずくまる。泣き止んだディスクは、粛々と作業に勤しんでいる。ようやく魂を取り戻した金髪少女は、五重に重ねたゴム手袋でロープの端を握っていた。


「……じゃあ、こいつの身柄は預かるけど」

「早く行け――――顔も見たくない」


 若干涙声の緋色に、少女の顔がひきつる。嫌な事件だった。夢に出そうな。

 精神が崩壊して笑うしかなくなっているシエラザードを連れて、謎の暗殺者が部屋を後にする。その寸前。


「……これ、真面目な話」

「聞く」


 緋色が顔を上げた。ベルもそちらに向ける。不要な気遣いだったが、ディスクにも聞きやすいように。


「フーダニット姫にも、事情はあったんだ。話を聞いてからでも判断は遅くないと思う」


 少女は、小型の通信機を投げ渡した。


「これ、フーダニット姫との直通テレフォン。一度侵入した時にマーキングしてきた。一度しか使えないけど」

「……助かる」


 この二日間は、苛烈な戦いだった。もうすぐ陽が登る。三日目、最後の一日が始まろうとしていた。苛烈な、で済むとは限らない。


「……まぁ、頑張って」

「……ああ」


 少女が今度こそ去っていく。緋色は、数分ぼんやりしていたが、やがてのろのろと王城から外に出る。

 

『緋色、ちょっと覚悟して聞いて欲しいんだけど――――』


 外はまだ暗い。黄昏時だ。

 夜明け前が、一番暗いのだ。






『Dレポート』

・社長戦争の秘密を知った!

・カンパニーの事情を知った!

・オーロラ現象のデータを得た!

・異世界神の秘密の一端を掴んだ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る