vs『武眼』ツァイス

 ツァイスは、素手による虐殺記録において武神とすら称された男だった。戦場で、彼はたくさん殺した。戦争だった。仕方がない。それでも、罪の意識だけは確かに蓄積していった。

 ある時、悪夢を見た。首を閉められる夢だ。

 まだ若い指揮官の顔をしていた。命乞いが独特だったから覚えている。とにかく、その男が首を絞めてきた。小さい手だ。両手でも首を絞めきれない。だが、その恨みの篭った目は、心臓を穿った。そんな夢が毎日続いたのだ。

 男がいた。女もいた。老人もいた。幼児の時もあった。

 真綿で首を閉められているような感覚。

 罪の意識に首輪を嵌められている。


「そんな貴方にこれ一本!」


 悪夢がぴたりと収まった。カンパニー製の『免罪符ドリンク』。あの道化のような男が持ってきたソレは、よく効いた。すぐに定期購入プランを申し込む。半年も続けると、肌に艶が出て、体型にもメリハリが出た。修行にも身が入り、女性に言い寄られることも増えてきた。

 今日も頭の中で声が聞こえる。ツァイスを悪夢から引き剥がす内なる闘志が雄叫びを上げるのだ。

 過去のことを思っちゃダメだ。

 なんでそこで諦めるんだ。

 出来る出来る何でも出来る。

 崖っぷちありがとう!

 もっと熱くなれよ!!

 お米食べろよっ!!!!


「おぬしもわしのように楽になれ」







 ダメだ、とディスクは思った。

 このサイクロプスは、強い。分析込みの実感を持ってそう言い張れる。彼女もそれなりの修羅場を潜ってきた。強者の貫禄はその身が覚えている。


(右胸のベル。彼も代理の一人だ)


 緋色は傷だらけの身体を引き摺って武神を見上げた。緋色だって、その道においては一流だ。だが、今の彼はどうだ。その目に闘志はなく、ただそこに立ちふさがる岩壁を睨んでいるに過ぎない。

 傷を負った緋色は万全だ。

 しかし、意志のない緋色はただの怪我人だった。


「今の彼に戦闘は無理だ!」


 ディスクは言い放った。彼女にしては珍しい、荒い声だった。彼女は既に、社長候補の五人を把握していた。そして、自分がどの陣営に属しているのかも。


「どこかで見てるんだろう、フーダニット! 緋色は戦えない! デュエルは不成立だ!」


 モニターの中の緋色が腕を上げた。ファイティングポーズ。だが、その構えはディスクがよく知るものではない。


『J陣営の『謎の覆面ヒーローH』と』

「おい、聞いてるのかフーダニット!! やめて! 緋色が死んじゃう!」

『♦陣営の『ツァイス』とのデュエルが成立しました』

「おい、フーダニット! やめて、お願いだから! フーダニット!!」

『カウントダウンを開始します』

「フーダニットぉぉお――――!!!!」



『はは――強そうだな』


『楽にしてやる、同胞よ』







――――バコン。


 凄まじい音がした。風圧が押し寄せて緋色の足が止まる。右手首のベルから何か聞こえた気がするが、緋色は既に気にしなくなっていた。

 無光拍子。瞬きによる猫騙し。

 次に緋色が見たのは、拳だった。岩壁のような拳が緋色の腹部に打ち込まれ、村の中まで緋色が吹き飛ばされた。武眼流。短期決戦、一撃必殺を狙うサイクロプスの格闘術。


「ほう」


 これは素直に感心した。赤髪の男の実力は本物だった。一撃必殺を狙った拳は完全に見切られていた。回避も防御も不可能。だから、受け流した。

 緋色は低い姿勢のまま真っ直ぐ走った。高い位置の単眼では反応が遅れる。バネのように跳ね上がる緋色の拳を、ハンマーのような振り下ろしで叩き潰した。


「――ふっ」

「来るか、おぬし」


 びたん、と大の字で受け身を取った緋色。両手両足を鞭のように振るって跳び跳ねる。頭突き。だが、岩のような肌に逆にダメージを受ける。血を滴らせて緋色が笑った。


「まるで獣だな」


 空中で一回転。ツァイスの拳を弾く。着地、震脚。巨体が傾いた。無光拍子。緋色は半身に構えて風圧を凌ぐ。そのまま前へ。底深い雄叫びが木霊する。


「おぬしに分からせてやろう」


 ツァイスは、半身の体勢のまま前進した。片腕を上げ、緋色と全く同じ構え。同じ構え、同じ技。ならば体格で勝っているツァイスが押し勝つのは必然。

 牙殺。相手の牙を殺す妙技。体格の暴力を分からせるツァイスのとっておき。拳のぶつけ合いに緋色がねじ伏せられた。オペレーターの悲痛な声だけが響き渡る。

 地面に叩きつけられ、バウンドして、浮かび上がる。そんな緋色に、ツァイスは止めの張り手を振り下ろした。



「――――タフさだけなら敗けだな」



 穏やかな声でツァイスは言った。骨に守られない腹部への打撃。内蔵のいくつかは破裂していたもおかしくない。そもそも常人ならば即死している。

 それでも。

 赤黒い血を吐きながら。

 緋色は再び立ち上がった。


『緋色、ダメだ。降参して。命までは取られないはず。こっちは私がなんとかする。だから大丈夫。緋色、緋色……?』

「嫌だ」


 赤髪の男は、立った。その笑みには闘志がみなぎっている。


「おぬし、目が変わったか!」

「楽になんてならない。させない。苦しみもがいて、ああでもないこうでもないって。そうやって前に進むのが人間なんだ」


 人類の最前線。かつてそう呼ばれた女傑に想いを馳せる。


「俺は人間、緋色だ。苦しみ抜いてやる」


 赤黒い血の中で、何かがぴちぴちと蠢いていた。くすんだ茶色の環形動物。まるでミミズのような。


『緋色、オペレート一旦外れる。もう大丈夫?』

「行けるぞ、相棒バディ


 無光拍子。まともに食らって緋色が転がされた。いや、これは違う。


「距離を取ったか」

「往くぜ――『英雄の運命ヒーローギア』!!」


 歯車の英雄が立ち上がった。胴体に張り付かせた歯車が傷を修復していく。

 滑るような足捌き、摺り足。動から静への落差に流石のツァイスも間合いを計り損ねた。打撃を掻い潜った緋色が掌底を放つ。


「掌波っ」

「ぐっ」


 力と技、か。肉体の内側まで衝撃が伝わってくる。全身から力が抜けるような感覚に、ツァイスがついに膝を着いた。

 畳み掛ける。


「ギア・インパクト!!」

「させん!」


 無光拍子。しかし、それは視線を切ってしまう諸刃の刃。歯車の盾に風圧が遮られ、緋色が移動したのは側面下部。

 衝撃。

 ツァイスが血を吐いた。こんな経験は久しい。屈強なサイクロプスが、拳に悶え苦しむなど。ツァイスは口角を跳ね上げ、大地を踏み潰した。


「ぬんっ!」

「地龍っ!」


 相殺。


「ギア・ウェーブ!」


 歯車の洪水。純粋な圧力が襲いかかる。

 ツァイスは左足を下げた。それは右拳を前に出すため。轟音を上げる右拳の連撃が全てを破砕する。


「攻撃の、ベクトルをっ!?」

「奥義、二手一殺」


 繰り出されたのは二つの打撃。その力の真っ直ぐな伝播は、ツァイスの修練の果てに得たもの。ツァイスが手にしたにはさらにその先、ベクトルとベクトルの掛け合わせ。ぶつけた二つの衝撃を爆発させる奥義。

 破壊と破壊が、奥義となす。


「ギア・ネブラ!」

「来いぃ!」


 無光拍子の風圧を拳で叩き割る。その後ろを歯車の円盤追った。数は十、十全。

 ツァイスの打撃。ネブラを盾に進む。振り下ろしの拳を右に避け、三枚重ねのネブラの刃を二手一殺で粉砕される。

 緋色の裏拳が右膝にヒットした。重心が崩れる。


「こんな、ことで――っ」

「押し通る」


 腹部への掌底。両の拳が打ち降ろされた。二手一殺。残ったネブラがまとめて粉砕される。だが、凌いだ。


「ギア・パージ!!」


 崩れた体勢に、下からの衝撃。あの巨体が、浮いた。ツァイスが拳を放つ。最後の一撃、二手一殺。空気は力を伝播させる。

 緋色の手刀が左腕を弾いた。ベクトルがずれる。緋色の右足数センチに大穴が空く。ツァイスは笑った。緋色も笑った。



「龍王、掌波――っ!!」



 右腕での掌底。落下する巨体に負けない力。それは登り詰める意志。その一撃は、ツァイスの右胸にねじ込まれたベルを破壊していた。


「わしの負けだ」

「強ええ――!」


 大の字に倒れた緋色が、二本の足でしっかり立つツァイスを見上げた。勝者の緋色が倒れ、敗者のツァイスが立っている。不思議な感覚だった。

 じり、と音が鳴る。


『右足、地中』

「地龍!」


 その状態で、反射的に震脚を放った。よろよろと地上に這い出てきたのは、ミミズのような生物たち。


「コイツは?」

『アルゴル、て名前らしい。これが緋色の体内に侵入して神経系をイカれさせていた』

「……ほう」


 ツァイスは小さく頷いた。彼の観察眼は、緋色が吐き出したミミズ擬きをしっかりと確認していた。


「何かある、と思ったらそういうことか」


 ディスクもそれは同様。だからソレが何なのか資料を洗い出していたのだ。『円盤ザクセン・ネブラ』を用いた多重分析。

 緋色は苦い顔でミミズを見下ろす。こんなものが体内に入っていたと思うと、ぞっとした。







「苦しみもがき、ああでもないこうでもない、か」


 満足そうにツァイスは笑った。彼はベルを破壊された。この代理戦争からはリタイアだ。


「不思議なもんだ、この歳になって学ぶことがまだあるとはな」


 汲んできていたクリスタルレイクの水を全て浴びた。応急処置程度に肉体を回復させた緋色は、サイクロプスと握手した。


「しかし、おぬしのタフさには驚かされるわい」

「鍛えてるからな。それに、真っ正面から戦っていたら多分アンタが勝っていたよ」

「言うのう。では、去らばじゃ。頑張れよ、緋色」


 そう言って、ツァイスが去っていった。

 残された緋色は、ソウ村に招き入れられた。なんでも、同じようなベルを持ったヒーローに村を救われたらしい。傷の手当てを受けながら、緋色は言った。


「……ごめん、心配かけた」

『いい。こっちこそしくじった』


 でも、とディスクは続ける。


『このままじゃ、待ちのままじゃダメだ。こっちからも打って出よう』

「というと?」

『山だよ。高所を抑える』


 ディスクの声は冷たく。

 それは、まるで怒りを押し殺しているようだった。







『Dレポート』

・社長戦争に巻き込まれたらしい!

・代理戦争のルールが判明した!

・各陣営の代理の資料を解読した!

・所属陣営の社長候補はフーダニットというらしい!

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