vs梶原ジン

 一日目、夕方。

 『円なる湖』クリスタルレイク。


『緋色、緋色、応答して、緋色――っ』


 悲痛な声が木霊する。最早指一つ動かす余力のないアルも、目を丸くして絶句している。

 唐突な爆発。それに生身の緋色が吹き飛ばされていた。焼けた身体が、血の湖に沈む。白目を剥きながら、大口を空けた彼は。


『緋色、緋色! マズい、バイタル低下! ほとんど死にかけだ! 緋色、起きて緋色!!』


 ヒステリックな声がベルから響く。何かを言おうとしたアルが、口をパクパクさせた。


『緋色、緋色――――っ!!』







 梶原ジンは快楽主義者だった。

 破壊に芸術を見いだし、追求する。何かが壊れる瞬間こそが、世界で最も美しい瞬間であり、自分が生み出すべき芸術なのだ。


「ひゃっひゃっひゃ! 盛大に決まったねぇ! これぞ芸術!!」


 彼はその爆発を間近で見ていた。間抜け二人が昭和の友情ごっこをやっているのを見て、笑いを堪えるのに必死だった。

 戦いが終わって誰もが油断しきった時。まさにその瞬間こそ仕掛けたトラップの価値が最大限に吊り上がる。


「いやあ、愉快愉快」


 芸術は見届けた。カメラのファインダー越しなんて不粋なものではない。きちんとこの二つの目に焼き付ける。それこそが芸術家の在り方なのだ。


「あとは、ベルを破壊だっけ?」


 煙を上げる青年を、愉悦に歪んだ顔で見下ろす。あっちで倒れている負け犬が何か叫んでいる。動けない彼には後で時限爆弾を腹の上に乗せてやろう。


「オイオイ、勝負あったな。油断大敵って言うやつだぜ?」


 梶原は口元を歪める。そして、その表情のまま固まった。

 緋色の、力強い視線が彼を射抜いていた。







 その男の頑強さは、彼女が人類で一番に知っている。その一点だけは、人類の最前線だった。

 だからディスクは言い切れる。


『かかった』


 銀色のジュラルミンケースがゆらりと揺れた。糸のように細められた目に、ぼさぼさの頭。驚愕に染まったその顔に、拳が叩き込まれた。


「なん、だと……っ」

「は――っ、舐めんなっ」


 口から血を吐きながら凄む緋色。男はふらふらと下がり、そしてその姿が景色に溶けていく。


『緋色っ逃がしちゃだめ!!』

「なろぉ……っ!」


 踏み込む右足から血肉が零れる。引きずるダメージは、甚大だ。力が抜けていく。怒号と共に踏み出すもう一歩は、地面を踏めずに空転する。


『……緋色』

「悪い、しくった」


 地面に転がる緋色が荒い息を吐いた。ここは、踏ん張るべき場面だった。敵の姿はもう見えない。

 一撃で仕留められなかった。

 追撃を決められなかった。

 これは決定的だ。敵は変色蛙カメレオンのように風景に溶け込める爆弾魔。最初の爆発も、巧妙に仕掛けられた罠だった。


「弱ったとこを騙し討ちたぁ……気に食わねえ」


 倒れたままのアルが言った。最早、指一本動かすことすら至難のはずだ。緋色がぶち込んだのは、そういう決め技だった。


「おい、緋色……手ぇ貸すぜ、俺に何ができる?」


 オペレーターから非情な言葉が投げつけられた。息絶え絶えの緋色は返事すら厳しい。

 だが、その代わりに。


英雄の運命ヒーローギア


 歯車が巡る。回る因果が男を支えた。ウォーパーツの力におんぶにだっこは危険な兆候。骨身に染みている。

 しかし、ここで倒れる訳にはいかない。


(俺はもちろん、アルも殺される。それだけじゃない。きっと、もっとたくさん殺される。)


 そういう匂いがする。

 緋色は右前方に手刀を滑らした。手応えあり。ナイフのような、刃物を弾く感触。右手からぱっくりと鮮血が吹き出す。


(迷彩、か。だったら――)


 鮮血が歪つな空間を浮き彫りにした。ギア、ショット。小さな歯車が、確かな衝突を示し、緋色が前へ。


『回避、火薬の煙』


 左足で右足を蹴って地に伏せた。背面に歯車が盾と浮かぶ。恐らく、手榴弾。爆発と破片の雨を防ぎきる緋色。


「見失った!」

『前へ!』


 這う。

 渦巻く歯車が鋭く煌めく。収束。形作るのは一振りの日本刀。転がり様構える姿勢は、居合い斬りの構え。


「大道寺流剣術」


 

 不可抗力ながらも遂行した妖魔アルムエルド。その真ん前に黒い靴が見えた。

 物体の色を変色させる異能力。それでも生体には効果が及ばないらしい。


「次元跳躍抜刀、模擬――――唯閃」


 白銀が煌めいた。

 足を上げずに、重心をブレさせずに移動する技術。摺り足。常人の反応速度を遥かに超えた接近。居合い抜きが爆弾魔の身体を両断した。


「人間……だったのか」


 能力が解けて、姿を現す。一度姿を見ていたとは言え、彼には異形の怪物のように思われたのだ。

 だが、人の身とて、いくらでも怪物に堕ちる。それを知らない緋色ではないが。


『緋色、落ち着いて。傷に障る』


 ディスクの声が緋色を縛る。人が人を殺めるには、理由がいる。相応の事情がある。

 殺人は、特別だ。

 緋色が『英雄の運命ヒーローギア』を解除する。亡骸を持ち上げ、大木の下に静かに埋めていく。どれだけ自ら血が噴き出そうと、その手は止めなかった。ディスクも無言でやらせるままだ。


「……そいつだって自業自得だ。それに、覚悟はあっただろうさ」


 見かねたアルが口を開いた。彼は人間ではなかったが、それでも感じるところがある光景だった。


「昔さ、とんでもなく強い人がいて……なのに、その人は一人殺しただけで簡単に壊れちまった」


 同じ人間を殺す。それは特異なこと。そのために、そのためだけの訓練を積んでいた人がいることも、彼は知っている。


「そんだけ」


 何でもないように緋色は笑った。ディスクも、アルムエルドも、口を閉じた。

 倒れた妖魔の下、毒々しい魔法陣が展開する。アルの姿が静かに薄れていった。


「お前……消えるのか?」

「……あん? 案外遅かったな。俺は負けちまったからよ」


 薄れる輪郭で、笑みを浮かべる。通信先からオペレーターのすすり声が聞こえた。緋色も、何となく暗い顔だ。


「逝くなよ……勝負、楽しかったぜ」

「行くよ……俺を待っている奴がいるんだ」


 オペレーターが涙声だ。妖魔は微妙なニュアンスの差にようやく気付いた。


――――いや待て別に死んでない


 その声は、虚空に溶けて消えた。しかし、緋色には見えていた。あの夕焼けの空で、妖魔が傲岸不遜な笑みを浮かべているのを。



「あばよ――――強敵アル



 オペレーターは、笑いを噛み殺していた。






『Dレポート』

・敗北すると魔法陣で元の世界に連れ帰ってもらえるぞ!

・すごい負傷した! マッチングがまるで何も考えていないみたいだ!

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る