1-36 裏ギャングを潰しちゃいました 3

 「そろそろ死んだかな?」


 いい加減俺を踏むのに飽きたのか、それとも死んだと勘違いしたのか、醤油顔は俺の頭から足を退けて、ララファのもとへ向かっていく。

 ガンガン踏まれたけれど、体調はすこぶる快調だ。むしろ、屈辱的な行為のおかげで仕事が捗るのではないだろうか? 世の中ってそういうものでしょ?


 「ちょっと、待て……」


 俺は立ち上がって、服の汚れを掃う。


 「あんれ? まだ生きてたの?」


 殺すつもりだったのか。

 酷いと思う。


 「まあいいや。ほら、ひれ伏せひれ伏せ……」


 面倒くさそうに手をひらひらとさせ、俺に異能の力をかけてくる。

 けれど、何も感じることは無い。感覚がマヒしてしまっているようで、もしかしたら内臓はぐちゃぐちゃで、骨はバラバラになって、脳味噌には蛆が湧いているのかもしれない。あ、それはもとからか。アハハ。


 「な、なんだ? どうして沈まない。この、ひれ伏せ! ひれ伏せってんだ!」


 あーあ、そんなにしたら床がボコボコになっちゃうじゃないか。教会って神聖な場所だから、こんなみすぼらしい格好にしちゃ神様が怒りそうだ。別にそういうの信じてないけどね。


 「なんで立ってられるんだ!? くそう!」


 「そりゃ、今の俺は、社畜だからな。無敵のチートと言えばわかりやすいだろう?」


 「は? 社畜? 何言ってるんだよ。そんなチートあってたまるか」


 俺も自分で言っててわけわからん。

 だけど、痛みも重みも、何も感じないのだから無敵と言ってもいいじゃないか。少しぐらい俺にも最強を試食させてほしい。勇者の快感を味合わせてくれ。


 「俺がいかに無敵か証明してやるよ」


 俺は、腰に携えた新品の剣を鞘から引き抜く。

 冒険者になったというのに、まだ一回も使ったことが無い可愛そうなこの子のデビュー戦。そのお相手は、なんと俺です。主人の体を切りつけるのがこの子の初仕事なんです。


 試しに、腕を切ってみると、綺麗な赤い線が腕に刻まれ、傷口からドクドクと血が止めどなくあふれ出してくる。


 ほうら、全然痛くない。


 自分の血を見ても心は何も感じてくれない。ただ、仕事を終わらせなければいけないという、必死な願いだけが、俺の生命力。

これが社畜のなせる業なのだろうか? つうかこんなに血を出したら労災になっちゃうかもしれない。それはいけない。俺のせいでnot労災記録に傷がついてしまう。あれ? これって無敵じゃなくない?


 とにかく、今の俺はすごい。プロのスポーツ選手が極限状態の集中に入ると、痛みや疲れの感覚がなくなり、一歩先の行動が直感的にわかる。という話を聞いたことがあるが、まさにそんな感じ。ゾーンに俺は入っている。


 「あはは、すごい。こんなに血が出てるのに痛くない。全然痛くない」


 俺の姿を見て、男の表情が恐怖で顔が歪んでいく。

 完全にキチ○イです。ごめんなさい。


 「そこから動くなよ」


 俺は一歩ずつ男に近づく。


 「く、来るな! ひれ伏せよ……っ!」


 剣が急激に重くなり、思わず落としてしまう。


 「ああ、剣ちゃん。ごめん」


 それにしても変だ。今の俺の頭はクレバーな状態な筈なのに、何故だか心が熱くて、燃え滾る何かが、あの男を殴れと野蛮なことを命じてくるのだ。

 心が命じているのだから、本当にしたいことなのだろう。


 だから、男の頬を殴ってみる。


 「いだい……っ!」


 「今のはララファの分ね。あー、まだ足りないか」


 さっきまであんなに元気だったのに、目を引ん剥いて黙ってしまう。

 おかしいな。俺の愛が伝わらなかったのか?


 変に思って、もう一発殴る。


 すると、


 「ご、ごめんなさい! もうしませんから許してくださいっ!」


 今度は謝りだす。


 そんなに怖がらないで欲しい。べつに怒っている訳じゃない。だって、今の俺はなにも感じていない、無機質な物体だよ? 上司の指示に従っているマリオネットみたいなものさ。指示待ち人間だ。そんなのを怖がるだなんて変な話じゃないか。


 「べつに謝らなくていいよ。元気だしなよ」


 彼に元気になってもらうために、もう一発殴る。


 「あぐっ! ひいっ……や、めて……」


 今度はどうかな? 元気が出ただろうか? 元気になってくれると、世間的に良いのかもしれないし、俺も元気になってほしいと思っている。

 けれど駄目だった。どうしたことか、彼はブルブルと震え出して、股間を湿らせて水たまりを作ってしまう。とても汚いと思う。


 「でもさ、悪いことをしたら、罰を受けなきゃいけないと思うんだ。そうじゃなきゃ世の中平等じゃないでしょ? 俺を踏みつけたことはどうだっていいけど、他は駄目だよ。君はいろんな家族を不幸にしてきたんでしょ? その分の罰を受けなきゃだよ」


 だからもう一発殴った。


 「ひっぐ……あう……やめ、て」


 「今の俺の仕事は、君に罰を与えることさ。エゴイスティックで良くないと思うけど、誰かがやらなきゃいけないと思う」


 だから、殴る。


 「……あ……うう」


 殴る。


 「……」


 殴る。


 「…………」


 何度か殴るけれど、まだ足りないようだ。

 殴るたびに手が赤く染まって、心は黒く濁っていく。濁れば濁るほど、胸の奥が鈍感になって酷い有様になる。


 あれ? やっぱり怒ってるのかな。


 おどけて、道化を演じて、みっともない感情を押し込もうとしてたのに、爆発してしまったのだろう。感情で行動するだなんて、恥ずかしいと思う。


 「……シンヤ……もう、十分だ……」


 彼には申し訳ないことをしたのだろう。きっと、これが世間に知れてしまったら、俺はブーイングを食らってしまうかもしれない。そう、犯罪者として見られてしまうかもだ。不幸陳列罪とかなんとか言われて、一生、つめたい牢獄のなかで暮らすのだ。


 それはいやです。


 とにかく、彼には起きて欲しい。そして、俺の無実を証明して欲しい。


 だから、どうか起きてください。


 今日も元気に起きてください。俺が殴りますからお願いします。


 ボコボコボコとリズミカルに殴る。


 わあ、酷い顔。


 これじゃあ元気もなくなっちゃうね。


 よし、こうなったら隠蔽してやろう。コンプライアンス違反になるかもだけど、バレなきゃ問題ナッシング。ぶっ殺してやる。


 そう思って、拳を振り上げるのだけれど、


 「……もう、その辺にしておけ」


 可愛らしい女の子が、俺の腕を掴んで止めてしまった。

 彼女はすごく、辛そうな顔をしている。

 俺はそれを見て、胸の真ん中あたりに痛みがあるのを感じた。


 これはどうしたことかと考えたけれど、結局、痛みの正体はわからない。

 ブツリと意識が途切れた。

 もう、深夜残業はこりごりだ。





 目が覚める。

 部屋は真っ暗で、最初自分がどこにいるのか把握できなかったが、ここはララファの豪邸で、自分の部屋で寝ているのだと、ベッドの感触が教えてくれる。


 あれから、どれくらいの時が流れたのだろうか?

 喉が渇いていて、ひりひりする。

 体が全く動かない。指の一本も動かすことが出来ない。


 なにより、


 「いでででででででででででででで――――!」


 体全体が異常な痛みに侵略されている。

 しばらく痛みに打ちひがれていると、


 「あ、起きましたかー?」


 「やっぱり、パパおきた!」


 「おー、元気で何よりだ」


 「流石はボクのご主人様です」


 俺の大声を聞きつけた来たのか、ぞろぞろと部屋の中に人がやってくる。


 「だれか! 治療術師を呼んでください! 痛みで死にそうです……っ!」


 「馬鹿言え、三日かけて治療したんだぞ。もう、十分な筈だぞ」


 「三日!? 俺そんなに寝てたの!?」


 「いえいえ、一週間ほど寝てましたよ」


 それ一歩間違えれば死んでますやん。過労死寸前だったのね。


 「パパおはよ!」


 シャンが勢いよく俺の上に飛び乗ってくる。


 「おんぎゃあああああああああ!」


 死ぬ! 今度こそ死ぬ!


 「こらこら、パパは汚いから近づいちゃダメでしょ」


 「注意するとこそこじゃ無くない!? もっと俺の心配してよ!」


 「はは、それが面白いことに、レインのやつ治療中の間、ずっとお前の傍から離れなかったんだぞ? シャンにまで励まされる始末で情けないのなんの……」


 「それはララファさんも同じじゃないですか。ずっと自分のせいだとか悔恨していたくせに。見ていて痛々しかったです」


 お互いよく観察している。仲がいいのか悪いのか、二人は相変わらずの口喧嘩を目の前で披露してくれる。


 「二人とも、ありがとうね」


 「あー、もう。無茶だけはやめてください。迷惑ですから」


 何故かレインに怒られてしまった。

 しかしこの二人が心配してくれていたとは、ちょっと意外で恥ずかしい。


 「ご主人様……本当に良かったです」


 フェリちゃんは涙を流してくれる。彼も変わらない。


 「フェリちゃんもごめんね。心配かけて」


 「いえ、普段出来ないようなお世話が出来ましたので……うふふ」


 「あ、ありがとう。着替えとかぐらいだよね……?」


 フェリちゃんに聞いてみるのだが、彼は微笑むだけで、答えを返してはくれなかった。


 「他の冒険者の方もお見舞いに来てくれたんですよ。そこの机にお見舞いの品が置いてありますから」


 レインが言う通り、机の上にはたくさんのお酒が置いてあった。こういう場合は果物やお花を持ってくるべきだと思うのですが、冒険者の連中は俺を何だと思っているのだろう?


 やっぱり、この町の人達には頭が上がらない。


 「そういえば、みんな大丈夫だったの?」


 ララファに抗争の件を聞いてみる。


 「Phalanx18の連中は全員御用で一件落着だ。ビクセン達も無事だ」


 「そうか、それはよかった……」


 あの時、自分がしたことがいまだに信じられないでいる。


 俺は喧嘩どころか、今までの人生で、人をまともに殴ったことすらなかった。

これでも感情のコントロールは得意だ。どんなに嫌なことでも、制御できる自信があった。なのに、自分を抑えきれなくなって、必要以上に人を殴ってしまったことが、悔しい。


 思い出してみると、子供みたいで恥ずかしくなる。

 手段どうであれ、守りたいものは守れたのだから、それでいい。むつかしいことはあまり考えたくない。


 「パパ? どうかしたの?」


 「いやあ、みんな優しいなと思ってさ。もっとボロクソに言われるかと思ってた」


 「いくらなんでも、病人に鞭をうつような真似はせんよ」


 「あは、元気になったら覚えていてくださいね」


 「病人じゃなくなった瞬間に鞭うつのね……」


 俺は複雑な気分で静養することとなった。


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