第12話 わたしの甘え

 目の前に出された、琥珀色の液体をじっと見つめる。

 珍しくカクテルじゃなく、スコッチウイスキーのロックだった。シャントはカクテルが美味しいからあまりお酒をそのまま飲むことはなくなっていたので久しぶりだ。

 軽くひと口舐めて、じっと目の前の男を見た。


「いずみさん、やっぱり言ってなかったんだね」

「……言いづらいだろ」


 となりで玲生くんが少し非難するような声色を使って言ったのに対し、いずみくんは珍しくいたずらを咎められたこどものようなばつの悪そうな声を出した。


「でもそれで七緒ちゃんがこうやって悲しむのはどうかなって思うけど」

「そのうち言うつもりではいた。それに……」

「それに?」

「……」


 いずみくんが言い淀む。少しだけ言葉を探すように目をうろつかせ、口を開いた。


「言って引き留められても困るし、引き留められないのも嫌だろ。だからさ」


 なんで、って聞くとは思う。でもその理由を聞いて納得できるものであるなら、わたしはきっといずみくんをしつこく引き留めたりしない。残念だ、くらいは言うと思うが。

 本日貸切、の看板を表のドアに貼ったため、シャントは久しぶりに静かだ。客はわたしと玲生くんだけで、壁一面の酒瓶が、薄暗い暖色系の光を浴びててらりと中の液体が光っている。


「……なんで、お店閉じるの?」


 一番気になっていた疑問を舌に乗せると、いずみくんがじっとわたしを見つめて、諦めたように呟いた。


「……隠しても仕方ないよな。俺、日本を出るんだ」

「は?」

「アメリカに行く。技術の勉強をしに」


 閑古鳥を飼い馴らしていた人が何言ってくれちゃっているのだ。という文句が飛び出しそうになったが、さすがにそんな無神経なことは言わない。


「それは日本ではできないの?」

「できないこともないんだろうけど、なるべくいろんな文化の中でつくられる酒を学びたくて。ヨーロッパとかも行く予定だし、帰ってくるとき余裕があったら東南アジアも行こうかなと思ってる」

「それもう世界一周旅行じゃん……」


 は? 待てよ、このさびれたバーのバーテンダーにそんなお金あるの? 嘘でしょ?


「計画自体はもう二年くらい前から立ててたんですよ」

「うそ」


 こともなげに言ういずみくんに開いた口が塞がらない。ちらっととなりの玲生くんを見ると、特に驚いた様子も見せない。知っていたのか。

 なんだか、わたしだけが蚊帳の外で仲間外れにされたような気がして、さみしい。

 お酒をまたひと口飲んで、唇をへの字に曲げる。


「じゃあ、もともとこの店が閉まることは、決まってたの?」

「目処がつけばいつでも」


 その目処が、来月末になったわけである。


「それって、わたしに告白して付き合いたいとか言いながら、海外に行く気でいたってこと?」

「……付き合えるとは、はなから思ってないからね」

「…………」


 なんだそれ。なんだそれなんだそれ。


「わたしがいずみくんのこと好きって言ったらどうするつもりだったの」

「考えなかったわけじゃないけど……そのときは、まあ俺は遠距離なんてごめんなので、待っててくれとも何も言わないかな。で? 七緒さんはおれのこと好きなの?」


 言葉に詰まる。好きとは、言えない。好きだけど、それが玲生くんに感じるものとどう違うのか分からない。

 いつ帰ってくるとも分からないのを待てるほど、いずみくんを好きだとは絶対に言えない。

 わたしの答えを、いずみくんは分かっていた。


「まあ、そういうわけだから、せいぜい来月末の閉店まで、お金落としていってくださいね」

「……いつ日本に戻ってくるの?」

「決めてないけど……まあ、一年くらいは武者修行するつもり」

「そう、なんだ……」


 いずみくんは何も分かっていない。

 彼にとってこのバーが大切な場所であるように、わたしにとっても、この場所は大切なのに。

 まあ結局、わたしにとってシャントが大切な理由は、ふたりがいるから、なんだけど。


「戻ってきたら、シャントを再開するの?」

「何も決めてない。バーテンダーは続けると思うけど、どこで再出発するかは、まだ何も。俺がいないうちに伯父さんがここをどうしてるかも、分からないし」

「そっか……」


 何も言えなくなってしまう。だって、嫌だ行かないでくれと駄々を捏ねたところでいずみくんは行くし、それに、どの立場から引き留めているのかも分からないし。

 結局わたしはこの関係に甘えていた。

 いずみくんにはいずみくんの、玲生くんには玲生くんの人生を好きに生きる権利がある。それを、わたしのわがままで振り回していいわけがない。


「七緒ちゃん、大丈夫?」

「何が? 大丈夫って何?」

「あ、いや……」


 玲生くんが気づかわしげに聞いてくるのを、あえて明るい声で何も分からないようにごまかした。


「分かった! 今日はいずみくんの壮行会にしよう! 高いお酒飲んであげるね!」

「羽振りいいですね」

「来月ボーナス入るからね」

「ああ」


 いずみくんがシェイカーを握り、中に液体を入れる。


「高い酒は強いから、あんまり飲ませたくないんですけどね」

「いいじゃん、ケチ」

「はいはい、言ってろ」


 差し出された透明な液体を見て、首を傾げる。


「これはなに?」

「ギムレット」


 いずみくんにもどうやら同じものを出したようだ。

 ふーん、と水面を眺めていると、玲生くんが頬杖をついてあきれたように言った。

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