AM 2:05

「ヤケ酒じゃー!酒だー!酒をもってこーーーい!」

「ちょ、さすがにもう飲みすぎだって……」

「もう冷蔵庫のお酒ないじゃん、フロントにデリバリー頼んでよ」

「いや、だから飲みすぎ………」

「はあああ? アンタが言う?」


ギロっと睨むと、今度こそ床に座っている彼がものすごく申し訳なさそうにうつむいた。

テーブルの上には部屋にそなえつけられている冷蔵庫から取り出した缶ビールやチューハイの缶が転がってる。あの無駄に値段高く設定されてるやつね。ふつうならめったに手をださない。でも今回はこのお酒代は全部彼持ちっていうことで話がついてる。

それを甘んじて受け入れるほど、彼の失点は高い。


「食事のデリバリーはもう終わってるけど、お酒ならいいよね。あ、生ビールあるじゃん。ちょっと頼んで」

「いやだから……いやなんでもないですスミマセン、頼みます。フロントって9番だよね」


彼はベッドによじ登ってベッド脇にある電話からデリバリーを頼み始めた。

わたしはキャミソールと下着だけの姿でどっかりとソファに陣取って、手の中にまだ残ってるレモンサワーをゴクゴク飲んだ。

恥じらいなんてどこかに消えたような姿だけど、もうどうでもいい。なにもかもどうでもいい。そりゃあ例えばセックスしたあとの二人なら裸でうろついたって平気なくらいになったりするけど、今回の場合そうじゃない。

ついさっきまで、わたしたちはベッドの上にいた。それこそお互い裸になって、密着して、恥ずかしさを残しつつもこれからはじまる至福の時を迎えようとしていた。

していた、が、決定的な問題が生じた。

たたなかったのである。

彼自身のものが、たってくれやがらなかったのである。

男女でセックスすることにおいてとっても大事な大事なものが、お役に立ちやがらなかったのである。

途中まではよかった。わたしは念願かなって好みの顔と声と匂いが定規ではかれるくらい近くにあって、それだけでときめきが止まらなかった。他のひととしたことはあるけど、こんなに感覚が敏感になるというか、どんなささいな動きだけでもヤバいことになるなんて初めてのことだった。もうこれは本番を迎えたらわたし死ぬんじゃないのかって思うほど心臓がバクバクだった。

けど、途中からなんだか変だった。彼はなんか焦っていて、「あれ」とか「おかしいな」とかぽつぽつそんなことを言い出して、その声ももちろんわたしの好みのものだったけれど、さすがにそこにはときめきを見出せなかった。なんかこれは別のヤバい事態になってるんじゃないかと、焦りはじめて、ときめきでクラクラしてた頭をフル回転させて目の前の緊急事態に対処しようとした。

自分でいうのもなんだが、わたしは過去のそうした経験のあるひとたちから評判がいいくらいにはそこそこのお手並みがある。だからなんとかしようと持てる全ての技術とパワーとプライドをかけてその事態を打破しようとした。

だが、結果は惨敗だった。

「ゴメン」という彼の一言で、わたしたちのベッドの上での遊戯は終わった。


「ほんとお酒飲まなきゃやってらんない。なんなの。ほんとなんなの」

「いや……その……ほんとゴメン。酒飲みすぎたかな」

「いや君ぜんぜん酔ってなかったよね?それくらいわかってるよ?こういうこともあるって女を四半世紀以上やってたら知ってるし。でもさあ、それでもさあ、やっぱりお酒でも飲まなきゃやってらんないっての。あ、チャイムなった。ビール受けとってきて」

「あ、ハイ」


彼は素直にすごすごと扉のほうに向かっていく。わたしのヤケ酒のためのビールを。

新しいお酒がきたから残ってたレモンサワーは全部飲み切る。悔しいことにいくら飲んでも酔った気がしない。逆に頭は冴えてる。

わかってる。頭ではわかってる。彼に悪気はないし、わざとできなくしたわけじゃない。結局のところ最初にいってた罪悪感みたいなのかわたしの押しに折れただけで積極的になれなかったのか、それか期待に応えようと思いすぎて焦ったのかもしれない。そういったもの全部なのかもしれない。

だいたいこういう時、「女としての私に魅力がなかったんだわ」みたいに思いがちになる女性が多いことも知ってるし、でもほんとうはそんな理由じゃないっていうのもわかってる。大体はお酒か相手の緊張のせい。わかってはいる。

わかってはいるけど、やっぱりショックなものはショックだ。

だってわたしは本当にこの夜を楽しみにしていた。念願が成就する夜だったはずだった。それが一度はチャンスが破れて、それだけでもショックだったのにとても人には言えないような恥ずかしいくらいのことを本人に暴露して、なんとか手に入れたセカンドチャンス。

それすらもダメになってしまったということに、わたしはこれ以上ないほど落ち込んで、落ち込みが一周回って今の状態になってしまった。

ようはこのヤケ状態である。


「あの、お酒、ここに置くね」

「あーどーもどーも。こんな夜中も働いてるラブホのスタッフさんありがとーわあいキンキンに冷えたジョッキの生ビール!さいこー!」


彼はさっきと同じ場所に座りなおした。クッションは一応渡してるから床に直接は座っていないけど、シャツと下着しかはいてない男が床に座ってるのはなかなかシュールだ。写真とっておこうかな。


「そういえば、君はなんでここに来たの?」

「は?」

「いや、まあ部屋にはいってからやっぱりやめよう、って言ってたけど、ここまできたってことは途中までその気があったってわけでしょ?なんか理由あったの?男日照り?あれ女日照りだっけ?」

「いやー……それはちょっと言うのは……」

「なに、こんなことになってまで言えない理由とかある?というか言え、吐け、じゃなきゃもう一杯ビール頼むぞ」

「おっぱいです」


一瞬、二人の間に沈黙が下りた。

わたしはビールを一口飲んで、彼の言葉を復唱した。


「おっぱい」

「おっぱい。……お前、胸、でかいじゃん」

「あーねー。やっぱりそれかー納得ー」

「えっと、その、怒らないの?」

「なにが?ああ胸目的だったっていうこと?いやそんなのよくあることだし。慣れてるもん」


そう、わたしの乳房ことおっぱいは、おおきい。

しかもいわゆる着痩せするっていうわけじゃなく、ふつうに服を着ててもわかるくらい、おおきい。

自慢でもなんでもなく、それは純然たる事実なのだ。

だいたい初対面のひとはわたしの顔を見てから胸をみる。いやなんなら顔を見るより先に胸を見ることがあるくらいだ。ちなみにそれは男女問わない。まあそのあとずっと胸を見続けるひとは男性に多いのも事実だけども。

女友達からは「おっぱい大きいと足元見えないってマジ?」って聞かれることもあるくらいだ。ちなみにその問いの答えは「マジ」だ。あとうつ伏せで寝るのがけっこうキツイ。

身長が低めなのにおっぱいが大きいところがいろんな方々のツボにはいるのか、いわゆる性的な目をむけられたりすることはよくある。ほんとうによくある。それでイライラすることがよくあるのも事実。

でも、「わたしの顔はおっぱいについてるわけじゃねえんだぞコラァ」という経験をしていてなお、むしろだからこそ、わたしは自分のおっぱいのおおきさの魅力を理解している。

今日だって、わざと胸元を見せるのはあからさますぎるからあえてのハイネックかつ体のラインにそう形のトップスを選んだ。最近だぼっとしている服が流行っているのは知ってるけど、もうそんなのは知らないとばかりにわたしはこのおっぱいというわたしが持つ最大の武器を活かせる服にしたのだ。男をその気にさせるためには流行よりも王道をいくべきなのだ。

おおきいのを小さく見せるブラジャー、というものが売り出されてるのも知っているが、もちろんこちらも無視だ。むしろおっぱいの大きさと柔らかさを損ねない形を率先して選ぶ。あと蝶々とかリボンとかひらひらしたのがついているデザインのものは上から服を着るとそれがごちゃごちゃと浮かび上がるから、そういうものではなくレースだけの可愛いものにした。大きいサイズはデザインが少ない上に高いからこれもツラいけど。でも下着姿になった時にダサいのはいやだからシンプルすぎるのもアウト。

今夜は脱ぐ気満々だったから、服を着てもわたしのおおきさとやわらかさが強調できるようにしつつ、服を脱いでも可愛いブラジャーに包まれたたゆんたゆんのおっぱいが現れるという寸法だった。

実際、数時間前に飲んでいた彼はちらちらとわたしのおっぱいに目をむけていたのは気づいてた。もうこれは「釣れたな」って確信してた。

だから彼がわたしのおっぱいへの誘惑でここまできたのはなんの問題もない。むしろさすがわたしのおっぱいだと言えるだろう。

とはいっても、結局勝負は負けたのだから、わたしのおっぱいは無敵ではなかったのだ。


「おっぱい目的なのはぜんぜんいいんだけどさー……むしろそれでもダメだったのかー……わたしのおっぱいはそんなものかー……」

「あ、いや、でもほんとすごいと思うよ、お前のおっぱい。おおきいだけじゃなくてめっちゃやわらかかったし、肌白いし、横になってもおおきさがわかるくらいだし。いや本当に自信持っていいと思う」

「今世界の誰よりも一番君には言われたくないんですけど」

「イヤほんとそれはスミマセン。申し訳ない。ごめんなさい。や、その、ほんとオレが言うのもなんだけど、おっぱいだけじゃなくて肌もすべすべだし、髪もさらさらで、ほんとうにめっちゃいい体してると思うし」

「は?なに言ってんの?」


今度はノータイムで口にしてしまった。ためらう余裕もないくらいイラっとしちゃったのだ。

コイツはわたしの体が生まれた時からずっとそのまますべすべの肌だと思っているのか。脱毛エステに通って、でも永久脱毛までにはまだまだだから自分で念入りに処理して、さらにお風呂のあとに数千円のボディクリームを全身にぬりたくって今日のためにすべすべにしてきたんだよこっちは。

髪だってそう。美容室でトリートメントして、毎晩洗い流さないトリートメント塗って、これまた数千円するヘアオイルを朝にたっぷり染み込ませて入念にブローしているんだぞ。ワックスつけたら触りごごちが悪くなるからね、触りごごちと艶重視ですよ。マジでなんであんな小さい瓶につまってるオイルがあんな値段するんだよと思うけど今日のために使ってるんだよ。

その上、生理終わったのが会う予定の二日前だったから、念のために中を水で洗浄する道具とかも使ってるんですよ。いやまあ焦ったよね。生理ってホントに終わったかいまいちわかんないじゃん。あー終わったかなーと思ってナプキン外した日にトイレいった時の後悔といったらね。なんなのあれ。騙すなよ。子宮も「あ、まだちょっと残ってるんで気をつけてくださーい」とか教えてくれてもいいじゃないの。だから子宮に裏切られてる可能性もあるし、最中にイヤな思いしたくないから残ってるものをきちんとキレイにしときたくて専用のシャワー的なのを使ったんだよね。最近は便利だよね、ドラッグストアでそういうの売ってるんだもん。初めて買ったよ。

でもその努力は全部この日のため、なんならベッドの上のために費やしてきたものなわけですよ。それを台無しにした本人がその努力も知らずにそんなこと言ってきたら睨むだけじゃなくて張り手の一発もかましたくなるわけですよ。いやさすがにそれはしないけど。でもこの調子だと彼は女には毛が生えてこないとか思ってるタイプじゃないのか。どれだけ女がデートに、そしてその先のために準備してると思ってるんだ。

髪も服もメイクも肌もなにもかも、最高だって思ってもらうために、裏でどれだけ努力してるのかきっと知らない。

まあ知らない男が多いのは仕方ないと思うけど、でもこの状況で言われたら腹が立つしかないじゃないですか。

それだけ準備して尚、失敗してるんだからこっちは。


「やっぱりダメ、追加のビール頼んで」


わたしは勢いよく手元のジョッキを仰いだ。

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