第9話 骨塚

  *

森の中を進むにつれ、登れそうなほどだった木々の背は高くなり、幹は白く淡泊なものに、更に霧がほんのりと立ち込めてきた。僕―レイン・フォルディオとリリーシャ、それにロウは、ネクロマンサーを名乗るナナ・フェインとその彼女が操る屍たちに連れられて、暗い森を歩き続ける。

昔話に花でも咲かせているのだろうか、先頭を歩くロウとナナの快活な笑い声が沈んだ森の木々に小さく響いている。一方で、未だ残る警戒心と周囲の幽暗な様子に、僕とリリーシャは終始無言。特に目の前を不気味なローブ姿のアンデッドに歩かれると、とても武器を納める気にはなれないというものだ。

やがて足元に絡みついていた白く冷たい霧が去り、ついに目的地らしきところまで辿り着いた。


「…。」


僕たちは唖然とした。

背の高い木が円を描いて囲む空き地の中央に、ログハウス…らしき家がある。その周囲には何らかの骨が有象無象にひしめいており、そのログハウスの壁も血痕かただの染みかは分からないが、いたるところに黒ずみがある。おどろおどろしい。肝試しにもならないほどにあからさまな『事故物件』。そんな光景を背にナナは振り返り、頬を赤らめてこう言った。


「なんじゃ。何か言いたそうじゃのう…」


森の中へと散っていくアンデッドに手を振りながら、ネクロマンサーは紫色のフードの陰よりちらちらと、真ん丸お目目の無邪気な目線をこちらへ送り続けている。


「なんか言わんのか…?この家を見て…」

(いや…言葉が出ないな。)


ついつい僕は目を伏せ、その無垢な視線から逃げ出した。眉間に幾ばくかの皺を寄せることで深刻そうな表情を作って、声をかけ辛い雰囲気を作ろうと試みる。


「気持ちというのは、時に声に出すことも大事じゃ…」


人生を悟ったような台詞だが、声色はまさに幼女のそれであるためか、何やら絵本の文言を真似て遊ぶ子どもの声にしか聞こえない。僕は必死に、足元の土の上で今の状況の分析を行った。

(何だ?僕たちの言葉を待っているのか?…そうか。分かったぞ。)

この惨状は、あの制御の効かないアンデッドにやられた痕なのではないか。彼女はおそらく、ひとりぼっちで打ちのめされ、ただ抱えるしかなかったこの痛みを誰かと分かち合いたくて僕たちを呼んだのだろう。ようやく、弱音や愚痴を吐ける相手がこの森に迷い込んだという心境なのだ。それが、哀しみよりも勝り、泣き言を言いたい表情があのような喜々としたものとなっている…ちぐはぐな状況。

僕の言葉は決まった。


「…ああ。これは…心中お察」

「素敵なおうちですね!」

(何!?)


リリーシャが口にした台詞は、誉め言葉。その裏返しは容赦ない嫌味。確かに尖った目つきに見えなくもない彼女には冷たい印象を抱くこともあるかもしれないが、それは外見の話であり、心優しい彼女がそのような悪態を突くところなど見たこともない。


(お前はこんな幼気な被害者に嫌味を言うような悪趣味な女だったのか!?例え悪意のないものだとしても、そんな見え透いたお世辞は誰も本気にしないぞ!?)

「そうじゃろう、そうじゃろう!家もそうじゃがな、庭なんて数百年間ずーっと厳選してきた骨たちで組んだ庭なんじゃ!」


「えっ何を言っ」


思わず口にしかけた疑念が、リリーシャの踵が僕の足の甲を踏み抜くことで喉の先にて留められる。痛い―だが、その心と体へ刺さる埒外の攻撃が、今の驚きと中和し全く声が出ないはおろか、冷静さを完全に取り戻した。加えて、僕の視界の端でリリーシャの口角がピクリピクリと確かに動いているのが見える。

(知っているとも。いつもの冷ややかな表情の中で唯一動いているあれは、話を無理に合わせている時の彼女の癖だ。)

不幸中の幸いである。リリーシャはただ話を合わせただけなのだ。決して嫌味を言ったわけではなかった。彼女の心はグロテスクをインテリアに良しとするものなどではない、清いままであった。


「あの壁のシミなんか、うちが毎日1年かけて薄~く墨汁を塗ってできた趣の深いシミなんじゃ…!」


あれが墨汁なのと、やはりお前が塗ったという事実には苦言を呈したい。よく見れば確かに、彼女の低い背丈がギリギリ届くくらいの位置ばかりにシミがある。


「お主、なかなか見る目があるのう!そうじゃ、うちのベッドを使うが良いぞ!ふかふかじゃ。骨のベッドじゃないぞ!なんと布団なんじゃぞ!」

「わあ!本当ですか!ありがとうございます!」

(骨のベッドってなんだよ。)


事態が収まりつつある状況に、僕と彼女は安堵した。しかし、それは彼を除いて。彼はそもそも、空気を読もうともしていなかったのだ。彼の一言が、ナナの幼い心を打ち砕く。


「おいおい。てめーら趣味悪すぎやしねえか?あーあ、どうせこんなこったろうと思ったぜ。ネクロマンサーの住処なんざ、どうせおどろおどろしいもんに決まってると見りゃあ、言わんこっちゃない。想像以上だぜ!なあ、レイン。」

「えっ!?あ」


ロウはそう言ってナナの家を指さして笑う。おい。なんてことを言うんだ―とはいえ、僕も急に話を振られたものだから、正直に頷いてしまうところを寸でのところで止めるので精一杯。

リリーシャも、ロウのあまりに不調和な発言に思考を止められ、固まってしまっている。フォローなど入る余地もなかった。


ナナは突然の貶し言葉に驚き、目を丸くして硬直する。そんな様子も束の間、彼女は次第に目尻を赤くし、おそらく今心中に渦巻いているであろう言葉の多くからひとつひとつを、ぽろぽろとこぼし始めた。


「…なんじゃ。なんじゃ。何を言い出すかと思えば…思えば!!うちがな、どんな気持ちでな、お主らを迎えようとな、さっき歩いてるときなんかな…うう…ううう…」


あ。嗚咽を漏らし始めた。


「びえーーーーーん」

「あ、あら、あらあら、ナナさん、泣かないでください!おうち、立派ですから!ほら、ここの骨なんて!ほら!」


ナナはよくもこれほど貯め込んでいたとばかりの、大粒の涙を流してわんわんと泣き始めてしまった。それを必死にあやすリリーシャ。しかし彼女の涙は止むどころか更に勢いを増していくばかり。しゃがんだリリーシャに抱きついて、その肩の上で泣き続ける。静かな森にこだまする彼女の泣き声が、再びあのアンデットの群れを呼ぶのではないかと僕はつい周囲を見渡してしまう。


「ぎょっ。」


全く気配が無かったために驚いたが、先ほどここに至るまでに連れ添われていた2体仮面のアンデッドが、僕の後ろでじっと泣きわめくナナの様子を眺めている。

ロウはバツの悪そうな顔で、すまん、とか、つい、だとか中途半端な謝罪を彼女の背中に向けて発しているが、彼女の耳には自ら泣く声が遮って全く届いていないだろう。


やがて、リリーシャの尽力もあってかようやく会話ができるほどまで泣き止んだネクロマンサーの彼女はこう言った。


「もう知らんもん。お主らは骨塚で寝ればいいんじゃ。うちとリリちゃんはおうちで寝るもん。ふん。」

「え?いや、待って。色々聞きたいことが…それにさっきのアンデッドの話だって」

「うちはもう眠いんじゃ…話は明日でええじゃろ?お主らはあっちで寝るんじゃ。」


あっちじゃ。

頬を膨らませてそっぽを向きながら、彼女は僕たちの背後を杖先で指し示す。

後ろに目を向けると、何か小さな山のようなものが…


「…ってこれ骨山じゃねえか!」


積み重なった何かの骨の山。僕らの背丈の二倍ほどには積まれているが、これにどう寝ろというのか。

知らんもん。そう呟きながらネクロマンサーの彼女はリリーシャを引っ張って気味の悪いログハウスの中へと入っていく。リリーシャは、ごめんなさい、と僕に頭を下げつつも、先ほどの戦いの疲労に負けたか特段抵抗もなくそれについて行った。


「お、よく見たら横穴があるじゃねえか。」


なんとも切り替えの早い男か。既にロウは骨塚と呼ばれていた小山の側面を観察している。

動物のものか魔物ものかは分からない骨が、一見すればただ山積みされているようにしか見えないが、中が空洞だというのなら竪穴にも見えなくはない…かもしれない。


「入れるな。ここで寝ろってことかよ。」


よいしょっと。ロウは躊躇なく横穴をくぐって中へ入っていく。

僕もロウを追いかけるように近寄ってみる。骨の上を歩く度に、足元のどこかで太い木の枝がひしゃげるような音がするのが不快だし、壊しやしないか足にかける体重も気にせざるを得ない。

骨山に入る前にちらと外を見渡すと、先ほどの仮面のアンデッドの2体が骨山を背に突っ立っている。朝まで見守ってくれる…ということなのだろうか。


「ロウ、中の様子はどうだー?」


穴の中へ入っていったロウに外側から声をかける。


「おうよ!狭いが、ベッドはあったぜ!」


なんと。やはりこの横穴は部屋への入り口ということだったか。さらにベッドもあるときた。

あのネクロマンサー、ロウに無礼を働かれてどのようなしっぺ返しを企てたのかと心配していたが、あんなことを言ってもどうやらちゃんと僕たちのことを考えていてくれたようだ。


明日、ちゃんと礼を言わなきゃ。その前に仲直りもしないとな。

そう心に決めて、僕は骨がいくらか突き出ている箇所に気を付けながら横穴に入る。


くぐった先には小空間があった。天井は屈まないといけないほどに低く、広さとしては四畳くらいだろうか。たまの尖った骨の先端には、注意して体勢を変えなくてはならない。

一晩寝て過ごすくらいは気にならないだろう。先に入っていたロウは、横に長い平らな何かの頭蓋骨に腰をかけていた。


「趣味は悪いがこれなら明日までゆっくり休めそうだな。」

「ロウ、聞かれたらどうするんだよ。また泣かれるぞ。」


ずっと屈んでいるのはどうにも辛い。僕もロウが座っている骨と同じものが近くにあったので、そこへ腰を下ろした。


「明日はとりあえず、アルマロンハントか…拠点も作らねえとな…」


ロウは肩に背負っていた荷物と槍を下ろしながら、明日の予定を確認する。

森を歩いている時間が特に長かっただけに、既に丑三つ時を迎えるころだろう。

明日も明日で忙しい。見通しを確認したい一方で、今日はもうアンデッドとの戦闘の疲れを癒したいところだ。


「そういや、レイン。魔法に興味は?」


ロウが思い出したように僕へ問う。その質問に、つい先日まで屋敷の自室に籠もって隷属魔法の研究をしていたことを思い出す。


「もちろんあるよ。リリーから聞いているかもしれないが、隷属魔法の研究をしていたんだ。これがなかなかうまくいかなくて。ただ、研究の目的がリリーを奴隷契約から救うことだったからなあ。リリーが奴隷じゃなくなった今、研究の意味がね…」


奴隷じゃなくなった、が、昼間の彼女の冒険者登録に不自然な点があったことを思い出す。奴隷契約が当事者どちらかの死によって破棄されるのは基本だが、後遺症や例外が無いわけでもないと聞く。それの解明となれば、また研究を再開することもあるかもしれない。


「いや、魔法自体への興味だ。つまり魔法原理の解明をやってみてはどうか、って話よ。お前さん自身の向き不向きはよく分からんが、俺がそれを知りたくてな。だが自分で研究するのはめんどくせぇから誰かにやってもらいたい。」

「はは…ロウらしいな。ま、考えておくよ。」


魔法原理は未だ解明されていない。魔力がどういったものか、という点についても、単に『血に混じっている何か』としか理解されていない。古代文明ではその研究が盛んに行われ、ついに原理を解明できたか否かというところで滅びたらしい。


「もしその気が湧いたなら、教えてくれ。そんじゃ、今日は寝るかね。」

「ああ。うん。そうだね…」


積もる話は明日の朝、彼女らを交えてするとして、今日はもう寝よう。ロウも眠気には敵わないらしく、腰かけていた頭蓋骨いっぱいいっぱいに横になった。

おいおい、そんな骨の上で寝るなよ、僕は立ち上がろうとして天井の骨に頭をぶつける。


「いて!…あれ?そういえばベッドは?」

「…ああ?お前が今、座ってたやつに決まってるだろ。」


え。


「え?じゃあ…ロウは、そのまま骨の上で寝るの?」


ぐう。

言葉の代わりに、彼の寝息が聞こえてきた。まさかとは思ったが。

確かにこの空間には、この横にだだっ広い何かの頭蓋骨しかなかったが。


(これがベッドだと?なんてことはない、こんなのはただの…)

「骨じゃねえか!!」


僕は足元にある手ごろな骨を蹴り飛ばそうとしたが、ナナの幼げな笑顔を思い出し、安らかな心地となってしまった。静かに骨へ横たわり、ロウの寝息に連れ添った。

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