第7話 死臭
*
「俺が選んだほういいんじゃねえのかー?」
「いいからそこで見ていてください!」
「おー、こわ。」
腕を頭の後ろで組み、吊り上がった目で夕暮れを眺めるロウの呆れたような声に、リリーシャは期せずして不真面目な子どもを叱るような母親の様相で言い返した。
彼女の、一度言い出したことは曲げない性格なのは昔からで、妙にこだわりを持つことがあった。今回もそれだろう。
街の外で稽古をつけてほしいとロウに頼み、思いの外 快諾された僕たちは、門へ向かう道中、既に店じまいを始めていた武器屋に立ち寄った。店員の親父が迷惑そうな視線を送るのを無視し、やたらめったらと物色を始めている。
リリーシャが言うには、
『自分の最初の相棒になる武器は自分で選びたい』
ということらしい。
どうせ時間を使うなら、と僕も便乗し、先ほどから自分にぴったりな剣を腰に提げるべく店内をうろちょろする。
そんな僕たちを前にガタイの厳ついアフロヘアの店長は、
「俺、今日は娘に早く帰るって言っちまったんだがよお…」
と、もっさり蓄えた顎鬚をいじりながらソワソワしっぱなしだ。
広い店内と背の高い棚のせいで、どこへ行ったか分からないリリーシャに向かって、僕は大声で声をかける。
「随分品数が多い店だよな…。リリー!そっちは見つかりそうか?」
「うーん。全部手に持ってみないと、なんとも言えません。」
全部って。自分が居る商品棚の列だけでも槍は百本ほどあるんじゃなかろうか。
おそらく本人は、賢明な軍師が鶴の一声を告げるような神妙な面持ちをして言っているのだろうが、おいそれとその雰囲気に流されて長居するなど、たまったものではない。
そう思うのは僕以上にロウで、それ以上に店長であろう。
「おいおい勘弁してくれよ嬢ちゃん。自慢じゃあねえが、うちの商品は町一番の品揃えなんだぜ?全部触られでもした頃にゃ、日が暮れちまうよ!いや、もう暮れてんだが…」
「そうだぞー、リリーの姉さん。第一、槍触んの初めてだろうが。良し悪しなんざわかんねーだろ!」
聞こえているのか聞こえていないのか、リリーシャはどんどん店の奥へ槍を求めて進んでいくようだ。
強弱のバラバラな例の足音が遠のいていくことから分かる。
既に観念しかけている僕も、せっかくリリーシャが選んでいるのなら、と選定に時間をかけてしまうのでロウや店長の味方をしてやれる立場ではない
かれこれ30分は経っただろうか。
結局、軽い癇癪混じりにしびれを切らせたのは店長だった。
「わかった!わかったよ。仕方ねえ、俺が人肌脱いでやる。お前らのためじゃねえ!娘のためだ。早く娘の顔が見てえ。見てえんだよ!」
随分娘を溺愛しているんだな。僕の記憶には無いようなまともな親っぷりに、素直に感心した。昼間に会ったあの冒険者のダウラも、こんなふうに家族がいて子どもを愛でるのだろうか。彼の歳からすれば、それも想像に難くない。
そんなダウラと背格好も重なる店長は、大きな木箱にガラガラと手当たり次第に槍と剣を入れていく。
その様子が気になってか、武器と武器の隙間より、どこかへ行っていたリリーシャも不思議そうに眉頭を寄せて戻ってきた。
レストランや露店、そしてこの武器屋が両脇に控えて道を作る関門まで続く長い街路も、人が集団で立ち止まれるほどに人気(ひとけ)は無くなっている。
そんな店の前にどっかりと、たくさんの剣と槍が差し込まれた箱が置かれた。
展開を読んでか、ヒュウ、と煽るロウの口笛。店主は腕を組んで言い放つ。
「出血大サービスのゲームだ!目を瞑り、ここに差してある武器を、ふたりともそれぞれ二振りずつ取れ。一振り目はおめぇらのもんだ。ただし!お代は二振り目の額をもらうぜ。さあ、どうする!…おっと、そこの槍の兄ちゃんは口出しNGだからな。」
「はっはー、俺がそんな無粋な真似するかよ。見たところ安物も混じってら。こいつは一攫千金ってところだね。羨ましい限りよ。」
なるほど。これは面白い。
うまくいけば良い槍を格安で手に入れることができるということか。
そのゲーム性からかリリーシャは白い歯を見せて右の頬桁に皺を寄せるほどにやる気だし、店長曰く僕にもチャンスをくれるというのだからやる他ない。
「では!私からいきます!」
初めに手を挙げたのはリリーシャだった。僕は頷き、彼女に先を譲る。
彼女は防具の下に着ていたメイド服の黒い裾をまくり上げ、目をつぶって、意気揚々に1本の槍を抜き取った。
「おお。」
ロウが小さく声を上げる。
店長が渋い顔をしているところを見るに、どうやらそれなりの槍らしい。
「2振り目!」
続け様に躊躇なく一振りを抜き去った。
キラリ。
沈みつつあった夕日の光を受け、その輝かしい金箔を鈍く光らせた一振りの剣。
それは、いかにも…高そうな剣だった。
鍔に金箔で施された竜と虎の模様。
柄の末端には赤い宝石が埋め込まれているではないか。
「あー」
「どわーっはははははっは!!!!!」
呆気にとられるリリーシャを指さし、豪快に天へ向かって笑い声を轟かせる店長。
あれは紛れもなく。
店で一番高い、展示用の剣である。
「残念だったなあ!オ、ジョーウ、チャーン。そいつは俺がこんなこともあろうかと、宝石商と鍛冶屋に特注した一品よお。まさか数ある中でそいつを引いてくれるたあ思わなかった。最高の客だぜ!」
「あ。…れ、レイン様…」
「な、なあに…アルマロンさえ狩れば…大丈夫だよ、ハハ、ハハハ、多分。」
「そ、そうだぜ。俺もいるんだ。そうやすやすと食いっぱぐれることは、ねえよ。」
これには百戦錬磨のランサー・ロウもたじたじである。そんな様子が尚更彼女に事の大きさを自覚させ、シャープな顔立ちから覇気が抜けていく。
「さあさあ!どんどんいこうじゃねえか!次はおめえの番だぜ、兄ちゃん!」
元気なのはこの、鳥の巣のような鬱陶しい頭をした店主ただひとり。リリーシャは茫然自失。一振り目で自らが抜き取った槍の柄を、まばたきひとつせずにぼうっと視点を定めている。
せっかくの初めての武器を、こんなにも喜べないことがあろうか。何より思い出を大事にしている彼女に、冒険者としての第一歩をこんな苦々しいもので汚したくない。
せめて僕が大当たりを引いて、この場を少しでも愉快な形で終えなくては。
僕のためじゃない。
リリーシャのために、僕は引くのだ。
その意志を確かに、目を閉じる。
「く…うおおおおお」
ふと。
伸ばした手に、一振りの剣が吸い付くようにその身を寄せてきた気がした。
不思議な感覚。
まるで、僕が手を伸ばすことを待っていたかのような。
そんな出会い方で―
「あー兄ちゃん。お生憎様。その剣、呪われてるんだわ。」
え?
ああ、確かに…手から力が抜けない。
目を開くと、赤黒くいかにも呪われているような、言うならば血溜まりに数年漬かっていたような、そんな禍々しい刀身の剣を僕の手ががっちりホールドしていた。
「ろ、ロウ。どうしよう、これ…」
「あちゃー、レイン。そりゃあ、教会に行かねえとどうにもなんねえぞ…。金は、さっきの装飾剣くらいかかる。」
ロウがこちらの目線に合わせず、そんな情報を空に吐き捨てる。
ああもう。
なんなんだよこれ。
僕は涙目で店長を責め立てるしかなかった。
「おい店長ぅ!なんでこんなものを箱に入れた!っていうか呪われてるって!そんなもの置いてていいのかよ商売的に!それと箱に入れるときどうやった!あんたが呪われろよ!ちくしょう!!」
「ああー、こうやって手袋をすれば呪われないんだ。それから、その言葉はうちの商売の方針にケチつけようってんじゃあねえだろうな。」
え?
客に呪いの剣掴ませるのって方針とかそういう話なの?
店長の細い目が瞳孔を開いているのを見て、僕は後ずさりし、黙る。
ロウがそんな僕の肩に優しく手を添えて言った。
「レイン。気持ちは分かるが、いくらなんでも…呪いの武器を売ることを非難するのは人として!許されることじゃねえ!!」
ボカッ
突然、右の頬に強い衝撃を受けた。
それがロウの拳だと気が付いたのは、既に僕の身体が道端に転がり通行人の哀れな目が注がれ始めた頃。
いや、おい、待て。殴られたぞ。
僕が間違っているのか?
「レイン様。流石に今の言葉は、主人たる者として相応しくありません。どうか撤回を。」
「え、ええ?あ、あの、その…ご、ごめんなさい…(?)」
「すまねえ武器屋の旦那。今の一撃に免じて、どうかこいつを許してやってくれねえか。」
「いいさ。ぼっちゃんには、武器屋の暖簾はまだくぐるに早かったのさ。」
店主は店の方を向き、
すまなかったな、兄ちゃん。その剣のお代はいらねえよ。
と背中越しに言い残し、店の片付けへ戻っていった。
ロウとリリーシャはその後ろ姿に深々と頭を下げ、僕もロウの手に押さえつけられる形で深くお辞儀をした。
「お代はおめえらの冒険者戸籍につけておくからなー」
店の奥からそう聞こえたのを合図に、僕たちは何とも言えない雰囲気をまとって、門の方へ再び歩き出した。
多分、僕は非常識だったんだ。
なんだか知らないが、店で呪いの剣を扱うことはすごく立派なことなのだろう。言うならば、人知れず枯れていく街角の片隅に咲く花に、毎日水をやるような、きっとそんな美しい感情。
いや、理解できないけど。
引きこもっていたツケは大きいなあ、と、じんわり痛む頬に手を添えて、そんな自覚を芽生えさせた。
*
「それで、ロウ。これから一体どこへ行こうというんだ?屋敷にいたなら沸かせた風呂で一息つくような時間だぞ。」
「どこって、そりゃあお前らが稽古をつけてほしいって言うからこうして外に。」
てっきり、街の広場や外れで素振りや打ち込み稽古をするものとばかり思いこんでいた僕らの期待とは裏腹に、連れてこられたのは壁の外。
ウェスピンから壁伝いに北へ。初心の林を横目に道の無い草原を進むと、切り立った山を背景に鬱蒼と茂る森があった。手前数本の木々の先は黒く塗りつぶしたかのような暗夜行路。
肝試しでもしようというのか。
身震いこそしないが、剣の柄を抑える指に力が入っていることに気が付く。リリーシャが僕の背に半身を隠して森の奥へと目を凝らした。
「…やけに静かな森ですね。普通、このような場所には、魔物の息遣いがあるものと聞いておりますが。」
「ここはなあ。特別なんだ。」
ロウが背負った槍に手を添えるわけでもなく、膝ほどまで伸びた雑草を避けて大股に森へ立ち入っていく。僕たちも真新しい武器を手にして後に続いた。
「ここは『帰りの森』という。どんなに踏み入っても決して奥にはたどり着けない森。おまけに、動物や魔物の嫌がるガスが地表を覆ってるんだ。奥に行けば行くほど濃くなり、やがて霧のようにガスを見ることができる。」
「じゃあ、ここには誰もいない…?」
「いや。アンデッド系の魔物がいる。それから俺の知り合いが…」
ロウは口を紡ぐとともに足を止めた。
周囲には背の高い樹木が立ち並ぶ。空を覆う闇は、本来ならば若々しく生き生きとした木の葉の群れなのだろうが、今は夜の森の不気味さを醸すばかりだ。
僕とリリーシャは不思議な顔をする。
「…?知り合いって、100年も前の?」
「噂をすれば、ほれ。」
葉と葉が擦れ合う乾いた音の中に、異物が混じり始めていた。
「れ、レイン様。声が…聞こえます。」
え?声?
聞き返そうにも、耳をそばだてる二人の様子から、僕も意識を暗闇の先へと向けた。
背筋に悪寒が通り過ぎる。こんな誰もいない森で、何を急に恐ろしい冗談を言っているんだ、とリリーシャを肘で突こうとしたが、当の彼女はと言えば既に真新しい槍を構え、臨戦態勢をとっていた。
僕も腰に提げた黒い剣を引き抜く。
呪いのせいで無駄な力が指や手のひらにかかるので、指の何本かの爪が手のひらに食い込んで、痛い。
声は間違いなく、人の声だった。
しかしそれは酷くかすれており、うめき声に近いその言葉を聞き取ることは難しい。
「まさか…アンデッド?アンデッドなのですか?」
「まあな。アンデッドとスケルトンの中間だわな。」
やがて、ゆっくりと、しかし確実に歩を進める土を擦った足音が聞こえ始めた。
「そ、それにしても。」
「…ええ。」
正体を見極めようと魔物の歩みを待っていた僕とリリーシャに緊張が走る。
次第に増える足音。
大きくなるうめき声。
それらは予想よりも、魔物の存在がはるかに多いことを意味する。
「き、来た…来たぞ!」
四方八方から漂う腐臭と足音。やがて露わになる、所々が腐食して蠅を侍らせる醜悪な身体。人間と生ごみの中間、そう評するに相応しい形相だ。
「まあ、待て。」
僕たちを手で制して、ロウはずけずけとアンデッド達との距離を詰めていく。
「お、おい、ロウ。いくらなんでも油断が過ぎやしないか…」
「安心しろ。こいつらは俺の知り合いの眷属なんだ。…俺だ!槍使いの、ロウ・ビストリオだ。100年ぶりだが、俺のことは忘れちゃあいないだろうな、ナナ・フェイン。お前に頼みがあって…ぐふっ」
腐りかけのアンデッドの拳が、ロウの鼻っ柱に叩きつけられたのを見て、僕とリリーシャはほとんど同時にそのアンデッドへ斬りかかった。
「ちょっと!言わんこっちゃない!大丈夫か!ロウ!」
「あだだだだ顔面が腐る、腐…臭!腐臭が臭!おええええ」
「もうこれ斬っていいですよね!敵ですよねこれ!なんでフレンドリーな感じで近寄ったんですかロウさん!」
「ば、バカ野郎!俺の知り合いの眷属だぞ!手を出したらなんか…悪いだろうが!」
「わすれちゃあいないだろうな、じゃないわ!100年も経てば忘れてるだろ!むしろなんで生きてると思ったんだあああ!」
緊張感も無しに、初めての『侮れない戦い』の口火が切られた。一見、多勢に無勢。僕らは3人。向こうはひい、ふう、みい、いや…たくさん。丸腰なアンデッドは如何ほどの力を持つのか?僕は知りもしないけど、ここで剣を振らなくては、武器屋で呪われた意味も大枚を叩いた意味もないというものだろう。
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