第6章 事情聴取その5 母と子

「社長の母親は、妊娠したことを知った直後、愛人関係を清算したいと会長に告げました」


 とま出生の秘密を語り始めた木出崎きでさきの顔は、独特の凄みは幾分か抑えられ、寂しさに似た憂いが取って代わるように滲み出てきていた。


「子供を身籠もったことは知られなかったのですか?」

「はい」


 丸柴まるしば刑事の言葉に短く返答すると、木出崎は続け、


「幸い、妊娠の兆候が体に表れる前でしたから。ぐずぐずしているうちに妊娠が知られてしまったら、問答無用で関係は断たれ、身ひとつで世間に放り出されることになってしまうか、最悪、子供を堕ろされてしまう結果にもなりかねません。なので、妊娠を会長に気付かれる前に、こちらから愛人契約の精算を願い出て円満に別れようという彼女の判断でした。会長は愛人の主張もある程度尊重する方でした。というよりも、目を付けた女性に次から次にそういった関係を持ちかけて、常時何人も愛人を抱えていたため、女性のほうから関係清算の話を持ちかけられるのは、むしろ歓迎していた節があります。もっとも、会長がまだ別れるのに未練がある愛人の場合、それは難儀な話でしたが、幸いに、と言っていいのか、社長の母親は会長との関係が長くマンネリ化していたようで、会長のほうでもそれほど未練が残らなかったのでしょう。提案はすんなりと受け入れられました」

「妊娠を知られることのないまま、会長と別れることに成功したということですね」


 木出崎は頷くと、


「そうです。思惑どおり、母親は円満に関係を精算でき、幾分かのお金も持たされました。ですが、女手ひとつで子供ひとりを養うには十分な額ではありませんでした。当然ですね、会長は子供のことなど知らないのですから。

 ヤクザの世界から足を洗った母親は隣県に引っ越して子供を産み、母ひとり子ひとりの生活を始めました。引っ越しをしたのは、会長や組の人間に子供と一緒にいるところを目撃されるのを避けるためです。子供の年齢から、会長との愛人関係がある時期に、その子を身籠もっていたということが発覚してしまう可能性は大いにありましたから。

 彼女も十分気をつけているつもりではいたのでしょう。ですが、数年後、その最悪の事態が起きてしまいました。子供と一緒に歩いているところを、何かの用事で隣県に来ていた組の構成員に目撃されてしまったのです。その情報はすぐに会長の耳に入りました。会長は烈火の如く怒り、彼女を連れ戻すべく追手が差し向けられました。その情報をいち早くキャッチした私は、先回りして彼女と子供を逃がす算段を立て、それに成功したのです。逃がした先が、ここ新潟でした。虎哮会ここうかいの影響が全く及ばない土地だったからです」

「どうして、その親子の手助けをされたのですか?」

「彼女の担当になって接するうちに情が移った、などというのは、今どきドラマにもならない陳腐な理由かもしれませんが、そうとしか言いようがありません。私は、彼女が苦労してきたのを間近で見ていましたので」

「そうですか……。それで、木出崎さん自身は、その後どうされたのですか?」

「何食わぬ顔で組に戻りました。私が親子に手を回したことが露見することは一切ありませんでした。組はあらゆる手を尽くして母子の行方を探りましたが、そうしているうちに、これも、幸いと言っていいのか、組に警察の大規模な手入れが入り、それどころではなくなったのです。虎哮会壊滅のきっかけとなった手入れです。追手が絶え、身を隠す必要がなくなった彼女は心機一転、この新潟の地で女手ひとつで子供を育てることを決意しました。決して楽な生活ではなかったはずですが、彼女はよき母親だったのだと思います。今の社長を見れば、それが分かります」


 その部分を話すときだけは、木出崎の顔からは憂いも凄みも消え、暖かな笑みが僅かに浮かんでいたように思えた。


「組の壊滅後、木出崎さんは?」

「私も手入れの際に逮捕され、数年間塀の中で過ごしたあと、娑婆しゃばに戻ってヤクザから足を洗いました」

「そうですか。苫さんのお母様とは? 連絡を取り合ったりなどしていたのですか?」

「いえ。足を洗ったとはいえ、元ヤクザ者で前科者の自分が関わりを持つと、あの親子の迷惑になると考えましたから。ですが、それから数年後、一度私は新潟を訪れました。遠くから元気にしている親子をひと目見てみたいという欲求に抗えなくなったのです。手を尽くして親子の住居を探り当てたのですが……そこで……母親がすでに亡くなっていることを知りました」


 木出崎は言葉を詰まらせる。


「病気だったそうです。それを知った私は新潟へ移り住む決意をしたのです」

「苫さんの力になるために、ですね」

「はい。私はお母様の昔の友人だと言って社長に近づいたのですが、当時高校生だった社長は、すでに母親から彼女の素性、自分の出生のことまで全てを知らされていました。私のことも聞いていたのでしょう。『元虎哮会の木出崎さんですね』と、すぐに正体はばれてしまいました。それから私と社長は、年の離れた友人として付き合うようになったのです」

「それで、どういった経緯でトマホークチキンを立ち上げることになったのですか?」

「高校卒業後に就職した勤め先が倒産したことがきっかけでした。社長は――当然、当時はまだ社長という肩書きではありませんでしたが――事業を興したいと私に相談を持ちかけてくれました。どんなことをやりたいのか、訊いた私に社長が打ち明けた事業が、この〈トマホークチキン〉でした」

「何か理由があったのですか?」

「はい。子供の頃、社長は有名チェーン店のフライドチキンが大好物だったそうです。母親もそれを知ってはいたのですが、なにぶん女手ひとつの母子家庭。割高な外食をそう何度も繰り返すのは家計に負担となることは明らかでした。そこで、母親はくだんのフライドチキンを研究して、家庭であの味を再現しようと試みたそうです。そして試行錯誤の結果生み出された、そのフライドチキンを、社長は喜んで食べました。チェーン店のものよりもずっとおいしい。そう言ってチキンを頬張る社長を、母親は嬉しそうな笑顔で見ていたそうです」

「その味が、トマホークチキン」

「そうです。母親は、そのフライドチキンのレシピをノートに書き残していました。その味を再現したものが、我が社のフライドチキンなのです」

「その開店前のアピールとして、ここに参加されたそうですね」

「ええ。このイベントのことを知った私が出店を申請したのです」

「何か理由が?」

「はい」と木出崎は、暗い夜空を見上げて、「レインボータワーです」

「レインボータワー……」

「先月に撤去が終わったレインボータワーに、社長は幼い頃に母親と何度か乗ったことがあったそうです。遊園地などの贅沢は出来なかった苫家にとって、この万代に来てレインボータワーから新潟の絶景を見下ろすことは、社長の数少ない楽しみのひとつで、強く記憶に残っているそうです。なので、我が社の船出を飾る場として、これ以上の舞台はないと思いまして」


 木出崎が見上げていたのは、何もない夜空ではなく、今はもう姿を消した虹色の塔だったのか。同じ虚空を見上げていた丸柴刑事は視線を戻すと、例によって理真に水を向けた。では、と理真は、


「失礼ですが、木出崎さんご自身に、ご家族は?」

「いえ。きょうだいもなく、両親は私が若い頃に亡くなりましたから」

「家庭を持たれたことは?」

「ありません。女房を養って子供を育てるだなんて、私のようなヤクザ上がりの前科者には無理でしょう」

「それは全然関係ないと思いますが」

「いえ。関係あります。現役時代に私は、組のものが家庭を不幸にしてきた様を何度となく見てきました」

「私は、木出崎さんはいいお父さんになるように思います」

「馬鹿なことを言ってはいけません。私のような男が父親など……子供が不幸になるだけです」


 木出崎の突き放すような口調が予想外だったのか、理真は無言のまま聴取を打ち切った。変な雰囲気になってしまった。やけに体が冷えるのは決して寒さのせいだけではない。こんなときに限って、どうして刑事も探偵も何も口を開かないんだよ。やむを得まい、ここはワトソンが、レインボータワーから飛び降りたつもりで……、


「〈トマホークチキン〉って、〈ジネディーヌ・ジダン〉に似てますよね」


 刑事と探偵の視線が私を貫く。さらに、マルセイユルーレットを得意とし「最後の司令塔」とも評された元フランス代表に似た名前だと言われたファストフード店の専務も私を見て……、


「店は十二月十五日オープンです。当日は全メニューを半額でご提供いたします。ぜひご来店ください」


 突然、それまでとは打って変わった営業口調に急変し、ぺこりと頭を下げたので、私は思わず吹き出してしまった。すると、顔を上げた木出崎が背広の内ポケットに手を入れた。まさか……。


「す、すみません……」


 動揺する私に木出崎が懐から抜いた手を向ける。そこに握られていたのは……。


「当店のワンドリンクサービス券です」


 丁寧に両手で持って差し出された三枚のチケットを、私は震える手で受け取った。



 時間は過ぎ、日付の上では翌日になってしまった。木出崎の話が予想以上に長びいたためだ。時間も時間であることから、木出崎の聴取もここで切り上げた。背広の背中が去っていくと、丸柴刑事は、


「何というか、とんでもない話になっちゃったわね。元ヤクザの愛人の息子が、母親が残した味をもとに立ち上げた店。それを支えるのは、母親と懇意にしていた元ヤクザ。その社内で殺人事件まで起きて」

「警部の勘が当たったってことだね。まあ、今日はもう遅いし、最後に現場を見てから私たちも帰ろうか。日付が変わって一段と冷え込みが増してきた気がする」


 理真は体を震わせ、丸柴刑事も、そうね、と言いながら名残惜しそうにストーブの火を消し、仮設取調室はその役目を終えた。



 私たちは死体が発見されたバックヤードに来た。地面の一角には人の形に白いテープが貼られている。

 私は周囲を見回す。屋台の裏などは基本、客からは筒抜けで見えるようになっているものだが、その一帯だけは高さ二メートル程度のパーティションが並べられ、客側からの視線を遮る死角のような空間が形作られていた。地面には、イベントの資機材の余りと思われる鉄パイプなどの雑多な物品や、看板が風で倒れないよう重しにしておくのに使うのか、積まれたレンガなどが並んでいる。こういったものを置くスペースとするため、客の目に触れないような空間として作られたのかもしれない。


「人を殺すには絶好の場所だね」


 理真の感想に私も同意して頷いた。


「理真、何か分かった?」


 丸柴刑事に訊かれると、探偵は、


「犯行が計画的なものだということが分かった」

「どうして?」

「だって、丸姉まるねえ、これが衝動的な犯行だったら、凶器になるものが周りにいくらでもあるじゃない。わざわざ扼殺なんていう力任せな手段を選ぶのは、おかしい」


 理真は周囲に目を走らせた。確かに、転がっている鉄パイプやレンガなどは、一撃のもと人を殺傷するには申し分ない「獲物」だ。


「これは計画殺人で、しかも、犯人は扼殺という手段にこだわったということ? どうして?」

「分からない。でも、きっと何か意味が……」


 その答えは出ないまま、私たちは現場をあとにした。



「丸姉、コンビニでコーヒーと肉まんおごって」

「仕方ないわね」


 理真が丸柴刑事の手を引き、私たち三人は現場近くのコンビニに向かった。何かを忘れている気がするが、まあいいだろう。今の私たちにとって、温かいコーヒーとほかほかの肉まんにありつくこと以上に重要な要件など、あるわけがないのだから。

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