ウィスタリアの起源

「この世界は実在しています」

 春華=ユリアは当たり前のことから語り出したがその内容は驚くべきものだった。


 この世界は、現実に実在しているがそれは春華達の世界と共通の過去を持つというのだ。よく使われる用語で言えば並行世界パラレルワールドだというのだ。もちろん、並行世界という言葉では伝わらないので『重なって存在する見えない世界で普通は行き来できない』と説明していた。


 ここまでは、皆疑問もあるがとりあえず大人しく聞いていた。だが本当に驚くべき事は、実際に分岐したのは一週間前、そう春華と耕輔の事故の時点だというのだ。

 それを聞いてファーファを始めこの世界の住人は思わず大声で反論した。それはそうだ、みな物心ついた頃からの記憶がある。アギーに至ってはこの百年の記憶がある。

 春華=ユリアは真剣なそして物事を包み込むような穏やかな笑顔で皆の反論を受け止めていた。


 ひととおり皆の話を聞いた後に、この世界の成り立ちから説明を始めた。

 この世界は、迫害を受けていた魔法使い達の想いを根源とする。


 魔法使いは、原始的社会ではシャーマンとして自然と人間を繋ぐものとしてその地位を確立していた。人間社会が巨大化し中央集権化して行くにあたって、魔法使い、いや魔法が邪魔になって来た。これは逆に思えるが、支配のために魔法が使えるのではないかと思えるが、実際には、原理のわかっていなかった魔法は安定した行使ができない不安定な力だった。


 そして権力者がもっとも恐れたのが、その力によって自分の権力をいや命までも奪われる事だった。そして社会のシステムが完成して行く過程で魔法使いは迫害を受けるようになっていった。


 魔法使いは地下に逃れ、閉じたギルドや厳格な秘密結社の中で生きるか、その能力を隠して生きるしかなかったのである。迫害の中で、多くの魔法使いが自由に魔法の使える世界を夢想した。魔法使いが迫害される世界から精神だけでも逃れるため、神話や伝説の世界に生きる自分を夢想したのである。


 数千年前にある魔法使いが想念を記録する為に核に特殊な金剛石を使った一つの魔法道具を作った。核の金剛石がその堅牢な結晶構造の中に魔法使いの夢想から巻き起こるシンメトリオンのさざなみをホログラフィック的に刻み込んで行った。有限個の原子による無限個の量子状態変数の記録、量子力学で言う所のホログラフィックセオリーがシンメトリオンの媒介の下実現していたのだった。そして、シンメトリオンに感性のある魔法使いはその中の世界を体験することができたのだった。


 その魔法道具は、数千年に渡り幾十人もの手を経て代々の魔法使い達の夢想を刻み込み独特の世界を作り上げていった。古代の神話や伝説が、魔法使いが神秘の力を振るい尊敬と崇拝すうはいささげられた世界。勇気と誇りのもと誓約が守られる世界。

 むろん中には現実世界への恨みを晴らしよこしまな想念を凝らす者もいた。決して牧歌的平和な世界ではない。しかし、魔法使いは魔法使いらしく、勇者は勇者らしく生きることができる世界だった。


 そして、耕輔が春華に押し付けたのがその魔法道具だったのである。その通り、その魔法道具の中の世界が「この世界『ウィスタリア』」である。


 そこまで聞いたところで耕輔は驚きに口をまさにあんぐりと開けた。この世界に漠然ばくぜんと感じていた不自然さ、色々なものをごちゃ混ぜにしたような不統一感に納得し、それがあの魔法道具の中の世界だったということに驚嘆していた。

 それとともに、ではどうして魔法道具の中の世界が、いまいる世界が、実在するようになったのか、疑問が心を満たし春華=ユリアの言葉を一言も聞き漏らさないように強い眼差しで見つめていた。


 それは皆同じだったようで動機は違うものの春華=ユリアを見つめる眼差しは一様に厳しいものだった。

「そして、一週間前ある事件が起こります。

 そちらの矢野くんが、私にその魔法道具を触れさせたのです」

 耕輔はあっという顔をしたが春華=ユリアはそれを無視して続ける。

「私は、友人達は知っていますが、子供の頃の事故でほとんど魔法を使えなくなっていました」


 声の微妙な調子で春華の意思で話していることがわかる。そして、話の内容にファーファの視線が興味深げな色を浮かべる。

 春華は理由も動機も分かった上で続ける。

「そうですね、原因は違いますがファルデリアさん、あなたと同じです。

 私の家は、領主のような大変なことはありませんが、それなりに歴史と社会的地位があります。

 その家の者にとっての価値を失ったと悩んで苦しんでいたものです。

 お金をかけて、色々な魔法使いや、術、薬などを試しましたが結局元のように魔法を使えるようになりませんでした。

 でも、本当はこの魔法が目覚め、他の魔法を阻害していたのでした。

 それが矢野くんのおかげで形をなし発動しました」


 様々な表情を浮かべる皆の注目の中、春華=ユリアは話を続ける。

「この世界は、魔法道具に込められていた幾世代もの、数多あまたの魔法使いたちの理想と願望と欲望の求めに応じ、私の魔法で現実化したものです。

 いえ、この言い方は傲慢ごうまんですね。

 魔法使いたちの夢想が私の魔法を活性化し、魔法を行使させたのです」


 だれも、言葉を発することもなく、春華=ユリアの話を聞いていた。

「この魔法は因果を調整します。

 ある時点の世界を、その世界となるための因果を過去に向かい調整するのです。本来なら、因果律は演繹えんえき的に発展します。

 私の魔法は帰納きのう的因果の発展を強制します。

 過去に向かいシンメトリオンが時空構造を含め力のかかり具合、量子を含めたものの状態・位置を調整していき世界を改変していきます」


 手のひらをパッと開いて、世界の分岐を表現した。

「そしてとうとう、この世界は私(春香)たちの世界からある時点で分岐を果たしました。

 その分岐の時点から量子世界は通常の時間発展を始め、完全に独立した物理的世界となったのです。

 魔法使い達の夢想を物理的に実現するとしたらなるべき世界なのです。

 分岐は、それがいつなのか私にはわかりませんが、数千年? 数万年前? もっと前かもしれません、私の知覚外なので。

 そして、その分岐の原因となったのが、私(春香)の世界での一週間前なのです。

 信じられないかもしれません。でも確かです」


 声を一旦切り、雰囲気の違う声=ユリアが話す。

「そうです、この世界は実在し自分の未来を持っています。

 この時点に向け歴史が発展してきたと言っても、この世界にとっては現実の過去です。

 これから、この世界を形作った魔法使いたちの夢想にも束縛されることのない自分自身の未来を持っています」


 遠くを見つめる眼差しで部屋の一点を見つめるが、どう見てもそこを見ているのではない。

「今まで私の魔法で結界とウィスタリアの魔法バランスを保ってきていました。

 しかし、結界の外から侵入者の一団が入り込みました」

 耕輔達が遭遇そうぐうした兵士たちのことらしい。

「今回は、調停者ウォーロックが出向いて対応いたしましたが、外部と縁が繋がってしまいました。

 きっと今までのようにこのウィスタアリアだけの話ではなく、本当の意味でこの世界は大きな変化の時代を迎えるという予感がしています」


 春香のだとわかる声の雰囲気に戻る。

「しかし、この一週間はハードでした。

 巻き込まれ、巻き込んだ結果ですけど、矢野くんと神河くんがいてくれて、その魔法演算領域も利用することで何とかなりました。

 玲奈には私たちの世界との連絡役を押し付けた格好でしたが、とても助けられました。

 私は、魔法演算領域の能力のほぼ全てを使うことになったので自分で覚醒することもできず、心配をかけることになったのは、本当に申し訳ありませんでした」

「えーそうなの⁈」

「ええ、みんなの体を造形するのは結構大変でしたが、その体でこの世界に留まるだけなら、あれほどの魔法演算は必要ありませんでした。

 私はユリアさんの体とこの世界に満ちる魔力をお借りして、この世界が確定するよう魔法を行使し続けるだけで手いっぱいだったんです」 


 王子様の目覚めのキス、この伝説は潜在意識に刷り込まれている。そしてそれは魔法として実際に働いたのだった。王子様と認めたくなかったのか、恥ずかしかったのか、春香は目覚めの魔法のことには触れないようにしていた。


「でもね、私の意識の一部がファルデリアさんや、アグレイアさんにあって。

 いえ、意識の一部にお邪魔していたのが正しいのかも。

 だから、私も楽しい旅を経験させていただきましたよ」

 ちょっと頬を赤らめて耕輔と祐司に微笑む。


 耕輔の顔が赤くなり、祐司も柄になく顔を赤くしていた。

「もしかしたら、セリフ全部聞かれました?」

 という問いに最上の笑みを浮かべた。

「ええ、それはもう。

 神河くんの男気溢あふれる言葉も、水浴びのちょっとしたアクシデントも知ってますよ」

 口元を右手でおおい目を細め微笑む。

 祐司と耕輔はいたたまれず互いに顔を背けてしまった。

「アグレイアさんを助けるための矢野くんの啖呵たんかは感動ものでした」

 そう言っていたずらっぽく微笑む笑顔は、耕輔をより深く恥辱ちじょくの海へ沈め今にも倒れそうにする。

「ファルデリアさんの境遇きょうぐうは私にとってとても共感できるものでした、フロスちゃんは私の幼いころ魔法の使えていたころにそっくりです。

 そして、アグレイアさんのそのとらわれない心と好奇心のままに行動する心は私の憧れでした」


「だからだったのかも知れないです。お三方と私の心が繋がってしまったのは」

 春華=ユリアは視線を落とし、この一週間に(三人の意識の一部での経験も含め)体験したことを思い出し、『お姉様の言った通りでしたね』と小さな声で呟いていた。

 その声が聞こえたわけではないだろう、うつむいているように見えた春華=ユリアを誤解したのか、裕司が真剣な顔で質問を口にした。

「また、この世界に来れるのか?」

 裕司は、心の中で反芻はんすうしていた疑問を口に出さないではいられなかった。


 春華=ユリアが困ったような顔をする。

「それは、わからない。

 あの魔法アイテムを介してこの世界にいまは繋がっているけど、この世界を実現することとなった魔法使い達の夢想は魔法の行使の過程なかで昇華されてしまったの。

 戻れば、因果的には独立したこの世界とまた繋がる事ができるか……」

 裕司は目を伏せているが、内心の動揺がはたからもうかがえる。しかし、現実を受け止め立ち直りが早いのが裕司の長所。


「分かった。不可能と決まっているわけじゃないんだな」

 そう言い、視線を正面に戻す。その双眸そうぼうには強い決心の光が宿っていた。


「そろそろ、私たちは自分たちの世界に帰る時間です」

 春華=ユリアがそろそろ頃合いと見たのか周りを見回し、耕輔たちをうながした。

 祐司と耕輔が春華=ユリアのそばに進む、玲奈は祐司の剣の柄に留まる。そして、残りの人々の方を向いた時、思い詰めた表情のファーファが祐司に駆け寄り背伸びし頬にキスをする。パッと離れてよほど恥ずかしかったのか後ろを向いてうつむいてしまった。その途端一同から感歎かんたんの吐息が漏れ、祐司は硬直してしまった。


 少し遅れてアギーが耕輔の頭に留まり思いっきり髪の毛を引っ張る。

「楽しかったよ。ありがとう」

 声は涙声ではないものの詰まり声を無理に平気そうに喋っている、そんな声だった。

 耕輔も痛みをこらえ、いつもなら文句の一つも言うところをアギーの気持ちをおもんばかり、何も言わず黙っている。『ありがとう』その一言以上口に出すことはできなかった。


 そこにフロスが駆け寄り耕輔に抱きつく。いや、しがみ付くといったほうがよかった。

「お兄さん、さっきはありがとう。

 ドラゴンやっつけた魔法かっこよかったよ」

 耕輔はフロスの肩に手を回そうとして途中で固まる。友人達にどう見られるかと咄嗟とっさに気がつき、横目でみんなのジト目を確認して硬直してしまったのだった。

 特にリリーは刺さりそうな目つきで睨んでいた。

 強張こわばる腕を無理やり下ろして返事をする。

「どういたしまして」

 声が少し上ずってしまったのはいたしかなかったのか。


 それから、仕切り直しの別れの挨拶あいさつを皆で普通にかわし、春華=ユリアは右手を頭上に掲げる。

「私は忘れることはないでしょう」

「僕も忘れない」「私も忘れない」「俺は忘れない。必ず戻ってくる」

 春華に続いて祐司と耕輔と玲奈が同時に叫ぶ。もちろん再びこの世界に戻ってこれる保証はない、しかし裕司の声には誓約としての強い決意がこもっていた。


「それでは、皆さま御機嫌よう」

 その声とともに四人の体を光が取り巻く、目も眩む光となり三人の体を構成していた魔力と元素が解放され世界に還元される。元素は本来のあるべき場所へ、この世界の大循環の輪の中へ戻って行く。


 その光が消えた後にはユリアだけが残っていた。

「皆さん帰ってしまいましたね」

 ユリアの声は、澄んだアルトの声、落ち着いた上品な仕草で残った四人を見回しながら、念を押した。

「さっきの話はひみつね」

 そういって微笑むその目は強い決意に満ちていた。


 ふと、柔らかい笑顔になるが、少し意地悪い色がある。思いついたようにたずねる。

「ファルデリアさん、唇でなくてよかったの?」

「ユリアさまのいじわる!」


 ファーファは耳まで真っ赤にして座り込んでしまった。ぶつぶつ呟いている。

「ユウジとは友人だし、ユウジは私のことなんとも思っていない。はず……」

 ユリアは口に手を当ててコロコロした声で小さく笑い声を上げた。

「まあ、そういうことにしておきましょう」


「ところで、ユリアさまに質問があるのですが、よろしいですか……」

 ファーファは、立ち上がりながら自信を持てずにいる不安げな表情から決然けつぜんとした表情になりたずねた。

「なんですか?」

「ボ…、私は、ご存知のように魔法は使えないです。

 こんな私でも役にたてるのでしょうか?」


 ファーファは、相手がユリアのためかいつもの「ボク」から言い換え、自分の不安についてたずねた。自信ありげににこりと笑うユリアの返事はファーファとって意外なものだった。

「大丈夫です。

 必要な時には、使えるようになります」


 ユリアは、その美麗びれいな釣り上がり気味の瞳に決意のこもった強い光を宿しドアに向かいながら、敢然かんぜんと意志をべた。

「さて、私たちは私たちの未来を作りましょう」

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