川原玲奈

 祐司とアギーがアウローラを目指して歩いていた頃、耕輔がひっくり返って人事不省で眠り込んでいた頃、玲奈は朝の検温で目が覚めた。

 べつに病気ではない、経過観察のためだけの入院でも『検温とか普通にするんだ』、とか考えている。看護師が去ったあと起き上がり、歯ブラシを持って洗面スペースに移動する。


 夕方の騒ぎほどではなかったが、昨夜も耕輔の周りで放電が起きたと小耳に挟んだ。大部屋に一人の隔離状態だったし、測定器や可燃物も置いていなかったので被害はなかったらしい。

「まったく、矢野くんは迷惑ものだよ」

 耕輔がここにいたら、自分のせいばかりじゃないといって反論しただろうけど、ここに本人はいない。玲奈が感じていることも確かで、実際昨晩は看護師たちは大変だったのだ。


 朝の身支度を済ませて(といってもパジャマのまま)春華の病室に様子を見にいった。

 春華は、今は個室に移動している。前日とかわらず身動きもせず、横たわったままでいる。そうっとそばによってみるとかすかな寝息が聞こえる。玲奈は春華に見とれていた。

「春華姉さま」

 決して口にはしないが、玲奈は心の中で呼びかけるときには『姉さま』をつけて呼んでいた。(実際は玲奈の方が数ヶ月年上なのだが)それが思わず口をついて出てしまった。ハッとして周りを見回す。誰もいないことを確認して安堵のため息を漏らし、あとは心のなかで話しかける。


「早く戻ってきて、玲奈さびしいよ」

 玲奈は春華に崇拝と憧れだけではない好意を抱いていたが、それはささやかなもので本人も意識していなかった。そのまま、春華と出会ったときの事を思い出していた。

 玲奈が過去への旅を始めるか否かのときにドアが開いて看護師が入ってきた。玲奈は慌てて誤魔化しの笑顔を浮かべて挨拶をする。そして、春華に視線を投げかけ、名残惜しそうに病室を後にした。


 朝ごはんまで時間がある。手持ちぶさたなので祐司の様子を見に行く事にした。

 祐司は二人部屋に一人で居る。やはり、横たわったままなのだがなんだか物々しい。手足をベッドにベルトで固定している。さらに胴体は何本ものベルトでベッドに固定している。念押しのようにベッドも太いロープでその辺のものに留めている。


 昨日のベッド諸共浮き上がりかけた祐司を見ている玲奈はうなずき『仕方ないよね』とつぶやいた。祐司自身は昨日見たまま、玲奈の目には光の帯が変わらず壁を通して春華の病室の方に伸びているのが視える。新ためて自分を視ると変わらず細い帯も繋がったまま。心に鈍い痛みを覚えながら、昨日原田医師に言われた事を思い出していた。


 原田医師は玲奈の視えたものを詳しく聞き取った後こう伝えた。

「川原さんの見たものは、藤蔵さんの内的世界を一部共有しているとしてもあまりにも広大詳細すぎる気がします。人間の想像力は計り知れないものがあるので見た事がない風景というのもその通りとは限りません。

 と言うものの、断定はできないですが、私には、これはカンなのですが、単に内的世界を共有しているのではない気がしています。

 あなたが時々視ると言う世界が、三人を目覚めさせる手がかりとなるのではないかと、私は期待しています。

 何か視えたら私に気兼ねなく教えてください」


 いまは自分自身の視野しか視えない。小首を傾げ「何故だろう」と呟きながら祐司の病室を出て自分の病室に戻ろうとしていた。

 廊下を歩きながら、原田医師に言われたことを心の中で反芻はんすうしている。

『川原さんも魔法演算領域が今までになく活性化しています。

 もしかしたら、今までできなかったことや、初めて経験するような体験をするかもしれません。そのことに注意してください。

 何かあったら私に相談してください』


 脳裏には、昨夜の耕輔の放電が浮かんでいた。授業で耕輔の魔法の実演を見たことはあるが、あんなものすごい放電は出せていなかった。原田医師の説明でも魔法演算領域が活性化していると聞いている。

 自分もすごい魔法が使えたら嬉しい。

 玲奈も魔法使いの卵だ、強力な魔法に憧れがあった。

「玲奈も魔法力強くなってるかな?」


 そのことを考えたまでは良かった。しかし、その場で自分の魔法感覚を解放したのは軽率だった。

 場所が悪かったのか、それもあるだろうが十分な訓練もせず自分の感覚を全開にしたのが悪かったのだろう。


 心を澄ます。

 自分の中にある魔法のチャンネル―玲奈はそう呼んでいた―を活性化する魔法式を意識の表層で意識し、M領域を経由して無意識へ送り込む。情報が流れ込んで来始める。

 それを保持し集中する。繋がった。

 その感覚の直後、玲奈は後悔する事になった。


 世界を意味を持って認識し、理解する存在――人間に限らないが、特に人間――の活動は、常に極微弱なシンメトリオンを周囲に発散している。この場合は、仮想粒子としてのシンメトリオンだが。仮想シンメトリオンのさざ波はその存在につながっている。


 そして、ここは病院の中、患者たちの病気に対する不安、恐れ、悲嘆などの感情とともに、いま現在の痛み、苦しみの感覚が玲奈の開いた『チャンネル』を通じて流れ込んでくる。純粋に痛みで苦しんでいることもある、今は良くなっても先の不安はつきまとう。回復の可能性が絶たれた絶望感などなど。

 それらが、不用意に開かれた『チャンネル』を通じて流れ込んで来たのだ。感覚に振り回される。病気の原因や状況などの情報もあったが、それらを認識する余裕もない。玲奈は立っていられず、激しい動悸とともに彼女は床に膝をついてしまった。


「うくっ」

 玲奈は悲鳴を上げかけたが、口を片手で押さえ悲鳴を飲み込み、かろうじて『チャンネル』を閉じた。なんとか閉じることができたのは幸運だった。春香とのつながりのおかげもあった。

 あと少しそのままだったら感覚の奔流が『チャンネル』をさらに押し広げ制御不能の暴走を起こすところだった。回復不能のダメージを受け魔法技能を損なう寸前だった。


 激しい動悸が収まるのに数分間を要してやっと立ち上がることができた。それ以上うずくまっていたら騒ぎになっていただろう。


 ゆっくりと近くのディルームまで移動し、そこで十五分くらいボーとしてやっと元気が出て来た。玲奈はもともと明るい子だ、いわばあまり物事にこだわらない性格をしている。それでもさっきの経験は相当にショックだった。


「もういや、試すのはまっぴら・・・」

 玲奈は、事象を変える魔法は不得意だった。

 物事にこだわらないと言っても、そんな魔法を使える友人たちが羨ましくないかというと嘘になる。

「でも、玲奈にできることに目を瞑るのもなんか違う。

(原田)先生に相談するべきよね」

 ショックが残っていたので、いつもはしない独り言をつぶやいていた。


 しばらくデイルームで過ごしてから自分のベッドに戻るために立ち上がった。

「玲奈は大丈夫、がんばる」

 と沈みがちな気持ちを自分で自分に声かけ応援して、幾分平静を取り戻していた。


 部屋に戻る途中である病室の前に『立ち入り禁止』と書いてあるのに気がついた。

「面会謝絶じゃなくて立ち入り禁止?」

 患者名を見ると耕輔の病室だった。


 玲奈は、耕輔にわだかまりを持っている。

 魔法実習の最初の授業で知り合ったときには、春華の魔法を奪った原因だとは知らなかった。知ったときには走り回らんばかりに興奮して、怒りを春華に訴えたものだ。肝心の春華にたしなめられてシュンとして落ち込んで、今度は春華に慰められた。

 あの時の事を思い出すと顔が真っ赤になって身じろぎしてしまう。


 春華は事故の事は割り切って未来に向けて努力しているのに、自分がこだわるのは筋が違うと思い直した。気にしないように友人として付き合ってみると、お調子者で憎めないヤツだった。

 けど許せない気持ちを消し去るほどではない。わだかまりを捨てるには、まだ時間が必要だった。


「そこに、このありさまでしょ全く許せないわ、プンプン」

 と口の中でつぶやいてドアを少し開けて中の様子を覗いてみる。


 わだかまりはあっても友人として、気になる事は気になる。こっそり覗いてみると六人部屋の真ん中にひとつだけ置かれたベッドに耕輔が寝かされていた。周りには何も置いてなく殺風景極まりなかった。しかも耕輔はベッドにプラスチックの板を置きその上に寝かされている。

 あまりの事に玲奈は思わずそばまで寄ってみると、検査着を幾枚も重ね着しており寒くはなさそうだった。放電が起きても発火しないようにとの処置なのかと気がついて納得はしたが、ちょっとかわいそうな気もする。


 顔を見ると原田医師の話の通り、確かに傷だらけで簡単な処置しかされていない。きっと看護師も耕輔の移動と検査着を着せるので手一杯で、それ以上の事は出来なかったんだろうな、と両方に同情した。


 そばに置いてあったプラ製の柄の長いブラシで耕輔を突いてみる。

「まったく、きみは迷惑もはなはだしいよ。

 おかげで春華ちゃん気を失ったままだし」

 口に出す時には春華と呼び捨てか、春華ちゃんとちゃん付けで呼ぶ。ちょっと強めに小突く。


「責任取れよ」

 はっとして。

「いや、違う責任だから。

 男の子が女の子に取る責任じゃぁなくて、人としての責任ね。うん」

 ちょっとほほがほんのりピンク色になっている。


「きみの春華ちゃんへの気持ち、バレバレなんだから。

 でも、ダメなんだから……」

 『玲奈のもの』と口にしかけた言葉を飲み込んだ。そして、

「春華は玲奈が守るの!」

 さらにツンツンとつついてみる。


 そうしていると看護師が三人入ってきた。

「あなた、ダメじゃないの立ち入り禁止の札が読めないの⁈

 それになにしているの」

 一番偉そうな看護師に『を』にアクセントをつけた声で頭ごなしにおこられた。

「すいませーん」

 謝りながら逃げるように自分の病室に戻る玲奈だった。


 玲奈は、食後の歯磨きを済ませベッドに横になり、さっき見た事を思い出している。突然流れ込んで来た患者たち感覚や意識。それから春華の寝顔、ベッドに縛り付けられた祐司、そして傷だらけの耕輔、そして昨日の幻覚。

 その時だった。地面に倒れこんだ耕輔とそれを木の上から見ている視野が突然割り込んできた。意識を澄ましてみても『チャンネル』は閉じている。これは、別のルート、例の魔法アイテムとの繋がりから流れ込んで来ていた。


「鳥の視野だ!」

 なんだか嬉しくなって空へ舞い上がる。自由に空を飛べる、上に下に自在に飛べる事がこんなに楽しいなんて、玲奈は夢中になって飛び回った。フクロウの翼は空気を掴み、逸らし、音もなく飛翔する。顔の周りの細かい羽が空気の流れを感じ取る。朝の爽やかな空気が気持ちいい。


 昨日はもう暗くなっていたが今は朝、すっかり明るくなっており、いろんなものがはっきりと見える。遠くも近くもはっきり見える鳥の目。人とは違うその視野と色覚は新鮮だった。

 より広く、より細かく、より鮮やかに人間の目では見えない波長も知覚できる。彼女の脳は人にない感覚を、人間のそれに変換する。それは、言葉には表せない新鮮な感覚だった。


 遠くの白く輝く都市、村落が幾つも緑の草原や麦畑の中に散らばり、朝日を浴びているのが見える。遥か遠くに暗い雲を抱えた高い山脈がある。あまりに遠いのではっきりと形がわからないが、高い塔が山脈の手前に見える。高度を上げて行くと、遠くの山脈よりは低いものの、山々が草原の向こうに見えてくる。それらが想像とは思えないほどはっきりと視えている。


 玲奈の目には、さらにこの世界の魔力の流れが視える事に気がついた。あの遠くのかすむ塔からこの世界に広がる流れ。空の彼方から薄く降り注ぐような魔力、地面から湧き出し淀むように濃い、むしろ妖気と形容したくなる魔力の溜まり場、それらが映像と重なるように知覚された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る