3.拾われし者

 ボクは最早涙すら枯れかけていた……

 飛ぶ事ができない悔しさと、母親を失った悲しみ……



 ボクにとって今日を生きてゆく事すら出来るか分からない状況だというのに、なぜかこれ以上涙が出てくる事は無かった。それどころか、山の方から吹いてくるそよ風の心地よさが、頬を伝っていた涙を乾かせてくれた。



 二つの負の感情が合わさった時、泣く事もできなくなるなんて思ってもいなかった。

 どうしてだろう? 悲しみだらけで、何に対して泣けばいいか分からないから? あるいは、負の感情が二つ重なると打ち消され、二つの感情は無かった事になるの?

 だけどこのような難しい事を考えても、ボクには何も分からなかった。



 ボクは今居る場所を見回してみた。目の前にはボクの『家』がある大きな木。その向こうには綺麗な水が流れている川。水の流れる音がここまで聞こえてきた。

 遠くを見ると朝日に照らされ光輝く山。優しく吹いてくれるそよ風。ゆりかごのような手触りの土が敷き詰められた地面……



 そう、ボクは生まれて初めて外の世界に降り立ったんだ!!



 今のボクには空を飛べる翼も生えていない。食糧を持ってきてくれる母親も居ない。こんな絶望的な状況なのに関わらず、どういうわけか不思議な気分だ。

 恐らくあれだけ憧れていた外の世界を、この目で見ることができたからなのかな?



 自分の親を失った悲しみは大きいけれど、自分自身の外の世界に出たいという望みを叶える事ができた。ひょっとして今の自分でも十分幸せなのかもしれない。

 悲しみと引き換えに、ボク自身が望むものが手に入った気がする。そう思うとどういう訳か気持ちが落ち着いてきた。



 ボクはしばらく、明るくなった空を眺めていた。

 さっきまでは泣いていたけど、立ち止まって考えてみると、親を失うのも家を失うのも、仕方が無いと思えるようになった。



 お母さんが言っていた言葉――『外の世界の生き物は、住処の獲物を狙っている』

 お母さんがいつもそうやって狩りをしている時の様に、ボク達もそうやって狙われたんじゃないのかな……

 ひょっとしたらあの木に居たボクの仲間たちも、お母さんみたいに殺されちゃったのかな? 仲間達が居たらの話だけど……



 色々と考えを張り巡らせたけれど、キリが無いと思った。ボクはとりあえず、エサとなるものが無いか地面を探し回った。



 歩いていると堅くなった地面があった。

 あちらこちらに大きなひび割れが走っており、ゆりかごの様だった地面とは違い、ひんやりと冷たい。堅い地面は道となり、右にも左にも遥か遠くに続いている。

 こんな場所に食べ物があるわけがないと思い、やわらかい地面に戻ろうとしたその時だった。道の先をよく見てみると、何やら大きな影が二つ、こちらに向かってくるのが見えた。

 ボクは身震いをした。あいつらも外の世界の生き物だろうか? いずれにせよこのままでは食べられてしまう!



 どうしようか……すぐにここから逃げよう、そう思ったその時、ボクは足元にあるひび割れが見えていなかった。危ない! そう思った時はすでに遅し。ボクの右足がすっぽりとハマってしまった。

 絶体絶命の大ピンチ! ボクはどうにかして右足をそのひび割れから出そうと試みる。

 しかし神様のいたずらか何かは知らないが、あるいは勢いよく落ちたのか、どうあがいても抜け出す事ができなかった。



 その間に二つの影はどんどん近づいてくる。

 もう好きにしろ。ボクはお母さんみたいに死ぬんだ。煮るなり焼くなりして食べるがいい。ボクに失うものはもう何もない。広い外の世界を見る事ができたんだ。望みは叶った。外の世界で死ねるなら本望だ……



 二つの影はボクの目の前で止まった。目の前の生き物はさっき見た黒い生き物よりもずっとずっと大きかった。

 しかし何かをしてくる気配は無く、こちらをただただ見つめている。



 ボクは足だけで立っている生き物に向かって鳴いた。すると相手の片方が手を伸ばしてきた。

 何をするつもりだと思っていたら、地面のひび割れに挟まったボクの足を出してくれた。そしてその手でもう片方の腰かけた相手の手のひらに、ボクを乗せてくれた。


「わーい、お母さんありがとう」


 腰かけた相手が、もう片方の相手にそう言っているのが分かった。お母さん? お母さんって言った? ひょっとしてこの立っている相手が、座っている子のお母さんなの?


「あなたって、本当に動物好きね」


 お母さんと呼ばれた相手は、座っている子を優しく撫でた。どうやら今ボクを殺すなんて事は無さそうだ。


「こんにちは。あなた、鳥さんの赤ちゃん?」


 これは驚いた。目の前の子供はボクを手に持ったまま話しかけてきている。もしかして、ボクと話す事ができるの?

 ボクは、「自分が鳥なのかなんて分からない」と言ってみた。子供は首を傾げている。やっぱりボクの言葉なんて分からないか……

 ボクがガッカリしたのが分かったのか、子供はお母さんに向かって言った。


「お母さん、この子悲しい顔してるよ?」


「そうね。何か悲しい事があったのかしら?」


 お母さんは、子供の問いかけに答えた。

 ボクはこの親子にわずかながら、温もりを感じる事ができた。

 大きな相手はお母さんと呼ばれているけれど、ボクがこの親子の家に行ったら子供にしてもらえるのかな。そう思っているボクに、子供が再び話しかけてきた。


「あたし、風間ヒナっていうの。具合が悪くて今学校にいけない。歩けなくて外で遊ぶこともできないから、今まで友達とか全然できなかった……」


 ヒナ……ヒナちゃん? なんだかかわいい名前だ。子供は少しさみしい顔をしたけど、笑顔に戻って言った。


「でもね、あなたがあたしの生まれて初めての友達。どうかよろしくね、鳥さん」


 ボクは心の底から嬉しくなる気がした。今まで空を飛ぶ事もできず、外の世界を見る事すらできなかったボクは、ずっと母親と居たいと思っていた。

 しかしボクの母親が居なくなり、誰も相手にしてくれなくなったと思ったけれど、こうやって友達になってくれる人が現れた。そのことでボクは純粋に喜ぶ事ができた。

 ヒナちゃんの優しさに答える気持ちで、ボクはまた鳴いた。それに対しヒナちゃんは、にっこりと笑ってくれた。


「だめよヒナちゃん。あなたは動物の世話はまだ出来ないでしょう?」


 そう言ったのは、ヒナちゃんのお母さんだった。


「それに、この子のお母さんが近くに居るはずだわ。勝手に連れ去るなんて事したら、お母さんが悲しむわよ」


 ボクの心がえぐり取られる気持ちになった。ヒナちゃんやお母さんの言葉は理解できても、ボクの言葉はヒナちゃん達には通じない。

 ボクが必死で訴えかけても、ヒナちゃんからは鳴いているようにしか聞こえない。当然、ボクのお母さんが死んだ事なんて伝わるはずがない。



 お母さんがダメと言えば、ボクはもうこの子の家に行くことはできなくなってしまう。ボクにはお母さんが居ないことを、ヒナちゃん達に鳴いてアピールした。

 しかしヒナちゃんのお母さんは、ボクの気持ちは分かってくれそうに無い。

 やっぱり、ボクは外の世界で暮らすなんて事は無理だったのかな……

 ボクはヒナちゃんの家に行きたいと思った自分を責めた……



 図々しいことを言って悪かったとボクはまた鳴いた。

 別の生き物の家に行こうなんて考えた、自分自身の愚かさを思い知りながら、ヒナちゃんの手の中から逃げ出そうとしたが……


「嫌よ! このまま放っておいたらきっとこの子、死んじゃうわ」


 ヒナちゃんがお母さんの言っていることを、必死で否定していた。


「わがまま言わないで! 外の野生動物を飼ったら、ヒナちゃんの体に障るでしょ?」


「そんなこと無いもん。あたし、しっかりとお手入れ出来るもん」


 ヒナちゃんが、ボクの為に必死で訴えかけている。

 もういいよヒナちゃん……ボクのために、争わないでおくれよ……ボクはヒナちゃんとは言葉の通じない、全く別の生き物なんだから……


「いいじゃん! 動物を飼うぐらい! あたし分かるんだよ、この子にお母さんが居ないってこと」


 うつむいていたボクが、ハッとなった。ボクの言葉が分からないのに、どうして……


「この子さっきからずっと悲しそうな顔をしてたの、お母さんにも分かったしょ?」


 ヒナちゃんがお母さんに聞いた。


「え、ええ……」


「この子、誰かが拾ってくれるのをずっと待っていたと思うの。そうじゃ無かったら、こんな人が通る場所をうろついたりなんてしてないわ」


「確かに……」


 本当に驚いた。言葉は理解はできないけれど、ボクの表情と雰囲気だけで気持ちが分かってしまうなんて……



 それに加え、この子は自分とは全く別の生き物であるにも関わらず、ボクと友達になってくれた。他の生物から見れば、ボクなんて翼もなく力もない、弱々しい生き物でしかないのに、連れて行ってくれるなんて……

 この子は他のどの生き物よりも相手の気持ちを理解し、そして思いやる気持ちが強いのだとボクは確信した。


 ヒナちゃんの言葉にお母さんはようやく納得したのか、静かに頷いた。


「分かったわ、ヒナちゃん。あなたは困っている人を見ると放っておけない優しい子。動物にも同じことが言えるのね。お母さんが間違っていたわ」


 ヒナちゃんのお母さんはそう言って笑った。


「いいわ、お家で飼いましょう」


「わーい。ママ大好き!!」


 ボクの母親に対しても、ヒナちゃんと同じ事を言っていたのを思い出した。

 ボクは、さっき外の世界を見る事ができたからもう未練なんて無いと思った事を後悔した。

 そして母親を失った事に対して、仕方が無いと思った事。母親に会えるなら今すぐに謝りたいと思った。

 確かに生き物が食べられてしまう事は、珍しくないかもしれない。けれど、母親を失う事は当然の事と思ったボクはどうかしていたと思う。



 そしてこんなボクを拾って友達になってくれる生き物だって居る。

 ボクの母親の言っていた、『外の世界は怖い事はたくさんあるけれど、楽しいこともたくさんある』という言葉を思い出した。


「うふふ。よろしくね鳥さん」


 ヒナちゃんはボクの頭を優しく撫でてくれた。


「おかあさーん、あたし何だか眠くなっちゃった……」


 ヒナちゃんが、ふぁと大きなあくびをした。


「そうね。ヒナちゃん今朝、早起きだったもんね」


 今度はお母さんがヒナちゃんの頭を撫でる。


「そろそろ家に帰りましょ」


「うん」


 ボクを手のひらにのせたヒナちゃんを、お母さんが押してくれた。



 初めて見る外の世界は一体どんな物があるのだろうと、わくわくする気持ちをボクは抑える事ができなかった。その気持ちを抱えながら、ボク達はヒナちゃんの家に向かった。


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