Ideal Lives

@ksc

第1話

「自分は何者か?」

 この質問に対し、自らの容姿や肩書きを以て答えるような時代は終わった。人々はリアルの情報を捨てて、本当の自分になれる日が来たのだ。

 バーチャルリアリティ技術、及びそれに付随するアバター交流サービス“IdeA(イデア)”によって──



 部屋の窓から射し込む日の光が私の頬を優しく焼いて、私の意識を覚醒させた。どうやら私は机に突っ伏して寝てしまっていたらしい。昨日は練習試合があったし、その後も遅くまでアーカイブを見ていたせいだ。時計は17時を指している。若干ふらつく頭を抱えながらイヤホンを外し、目の前のモニターを確認する。付けっぱなしにしていたPCはいつも通りIdeAの様子を映している。しかしながら、目的のライブはもう終了してしまっていたようだった。


 IdeA──それは新世代のVRサービスの名称だ。そこでは人々は思い思いのアバターを制作あるいは購入し、交流したり絵や小説を書いたりゲームをしたりする。VRと言えどもPC等の端末からもアクセスできる。前時代にSNS、ブログ、動画共有サイトなどと言われていたものがひとつになった形だ。今やインターネット内の活動において、IdeAで出来ないことはないと謳われている。そして、それらの活動の中でも最も注目度が高いのが、いわゆる“ライブ”といわれるものだ。

 IdeA内ではユーザーによっていつでもVR空間内の録画ができ、また、それを通常の動画として配信することができる。このサービスを用いて生放送を行うことをライブと呼び、ライブを行うパフォーマーをライバーと呼んだ。ライバーには様々なタイプの人がいて、ゲームをしたり、ファンと交流したり、あるいはニュースを報道したりと多岐にわたる。そんな中で私の一押しのライバーは七重恵那ちゃん。彼女はとあるユーザー投稿型のゲームサイト出身で、そのサイトのゲームをほぼ全てプレイしている。また、自身もいくつかゲームを作って投稿している。ファン層も厚く、ゲームも喋りも上手い、有名ライバーの一人だ。最初は妹に勧められてライブを見始めたけど、今では私のほうが妹よりハマってしまった。


 昼ごはんを食べてすぐに彼女のライブを見始めたんだけど、すっかり夕方になってしまった。メールボックスとタイムラインのチェックをしていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「はーい」

「お姉ちゃん?ご飯の準備できたって」


 ドアを少し開いて妹の佑月が顔を出した。私はわかった、と返事をして、机に立て掛けていた杖を手に取った。

 私の左足はもうあまり動かない。幼い頃から将来的に歩けなくなるかも、と言われてきて、去年手術を受けた。痛みはほとんどなくなったけど、代わりにこの杖を必要とする生活を強いられてしまった。悲しかったと言えば悲しかったけど、私はこの運命を受け入れている。今はIdeAでも生きていけるし。好きだったバスケットボールも、形を変えて続けている。



 夕食を食べ終わって、時刻は18時過ぎになった。予定外の昼寝を挟んでしまったせいか、かなり意識がピンピンしている。せっかくの日曜日なのに今日はまだ家から出てすらいないし、少しくらい体を動かしておいたほうがいいだろう。私は携帯のアプリからデマンドバスを予約して、体育館に行く準備を始めた。


「それじゃあお母さん、体育館行ってくる」

「香帆、今から行くの? もう遅いし、お母さん着いていけないし、佑月もお風呂か……明日にしたら?」

「大丈夫だよ、今の時間ならバスで直行直帰だし、1時間くらいだけだし、いつものとこじゃなくて井越の方に行くから」

「そう? 何かあったら早めに連絡してね」

「うん、わかった。そろそろバスが来るから、行ってきます」


 確かに私は足がこんなのだけど、杖を使えば普通に歩けるし、この井越町は治安もいい。みんな過保護すぎだと思う。玄関を出ると既に目当ての車が待機していた。3タイプあるバスの中で一番小さいバスだ。番号を確認して車に乗り込み携帯をかざすと、車は自動的に出発した。車内には私以外誰もいない。お母さんにはああ言ったけど、相乗りにならなくてラッキーだった。これなら10分もかからずに体育館に着くだろう。

 私が生まれるより前はこういった住宅街の公道も普通の車が走っていたらしいけど、今は自治体の許可を得た自動運転車しか進入が許可されていない。自動運転なら事故はほぼないし、信号機も無くてAIが最適ルートを選ぶから渋滞もなく正確な時間で目的地に着く。おまけにその地区の住人は無料で使えるということもあって、良い時代になったなぁとしみじみと思う。シンギュラリティ万歳。


 流れていく外の景色を見ながらAIの進化に思いを馳せていたら、車はあっという間に体育館に到着した。過疎化や少子化が進んでeラーニングが主流となったこの町で、体育の義務教育を遂行するための体育館は数少ない同年代とのリアルでの交流の場だ。一応部活動的なコミュニティや文化祭的なイベントはあるけれど、それらは体育と違って任意参加だ。とはいっても流石にこんな時間に体育館を利用する人はいないだろう。そう思って受付で携帯をかざしてバスケットボールとイスバス用の車椅子の貸出申請をしていると、コートの方からバスケの音が聞こえていることに気がついた。誰もいないだろうという私の予想はハズレだったわけだ。

 車椅子を出すのも後にして、私はどんな人かな、とコートの方を覗いてみた。そこにいたのは、たった一人でバスケのシュート練習をしている、ショートの黒髪で眼鏡をかけた、私と同じくらいの年の女の子だった。

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