ミステリカフェでたまごサンドを【川端通り本店】

柿木まめ太

習作1 ゴリラ仮面の謎【問題編】

 京都。東山地区はまだ幾分山間いの長閑な空気を残していて、少し離れた七条にある交通の要衝、年間利用者数数十万という規模を誇る京都駅の喧騒も及ばない。御所界隈や東山、嵯峨野に嵐山と、有名な観光地ばかりだのに、まったく都会風にならない不思議な展開を見せている都市、それが京都だ。盆地ゆえか、緑が多く家々も詰まっていない。つまり、ごみごみしていない。


 東山でも特に山へ近付いたある一角の、さらに奥まったドン突きには古びた神社があり、横手に築何十年といったモルタルの安いアパートが建っている。一見すれば鄙びた田舎町の片隅にしか見えない風情だが、地味な作業に没頭したい者にはまたとない静かな環境と言えた。

 一室が空いたという話に飛びついて、密かな作家願望を抱く彼が越して来るには充分すぎる物件。勤務地には少し遠いのが難点といえば難点か。

 荷物を解いたのがつい先週だ。まだ近隣住民とも親しくなれてはいなかった。東京者は特に警戒されるのか、今のところは隣の神社の若い神職くらいが話を聞いてくれる相手だった。


 評判の、美味いパンの店で昼食用のサンドイッチとフランスパンを買った帰り、件の神職青年が何やら怪しげな動作を取っているのを目にした。

 儀式か何かがあったのか、正装である烏帽子に青い狩衣を纏っている。

 雅な出で立ちで鞠でも蹴っていたなら絵にもなるのだろうが、実際には野球のアンダースローの体勢で何やら上空に狙いを付けている。手にしているのはたぶんそこいらで拾った小石だろう、そう思っていたがよくよく注意して目を凝らせば、かなり大きな石飛礫だった。こぶし大ほどもあれば立派な凶器だ。


 見事なモーションで風を切った石ころは、大銀杏の枝の合間をすり抜けて山の向こうへ飛び去った。舌打ちが聞こえそうな苦い表情の後で、神職青年は再び、小さくはない石を掴んで同じようにまた放った。

 がしゃ、だか、ごしゃ、だかの凶悪な音が境内に響き、枝の合間に一瞬見えたカメラのレンズは無残に砕けてはらはらと大地に降り注いだ。青年は満足げに頷き、踵を返して社務殿に戻っていった。幸か不幸か、こちらには気付かなかったようだ。期せずして犯行現場を目撃してしまったがどうしたものかと彼は思案した。


 暗澹たる心持ちで後の惨状を見守っていると、後方から自転車のベルが軽快に鳴り響き、彼に注意を促した。慌てて道の端へ寄ると即座に、ピンクのママチャリが横を通過した。ゴリラのマスクがごわごわと風を受け、微妙なリズムで顔面に凹凸の変化を刻みながら、駆け抜けていった。小顔の人間が大きめの物を被っているのだろう。

 瞬きを繰り返して後ろ姿を見送ったが、確かにゴリラだった、見間違いではない。パーティグッズなどでよく見かける被り物のゴリラマスクだろうと思うのだが、視覚情報以外のすべてはクエッションマークに押し流されてしまった。


 曲りなりにも作家である。いや、作家を目指して日々打ち込んでいるのである、またとないシチュエーションに二つも遭遇できたのだから本来は喜ぶべきなのだろうが、感受性の方はまだこの異界に慣れなかった。

 凶暴さを内に秘めた神主あたりは、聞かされていた通りと言うくらいのもので早々に慣れはしたものの、本日初めてお目にかかったゴリラマスクのピンキーママチャリは、どう対処したものだろうか。


 あの後ろ姿から察するに、女性、それもまだ若い世代だと思える。昨今流行りのフレアなワイドパンツを履いていたし、身体のシルエットは細かった。決定的な物証は、自転車に付いていたシェアリングを示すシールで、虹色の台紙に蓬莱荘というドハデな文字が印字されていた。彼の住むアパートの向かいにあるシェアハウスの名前だ。ゴリラの正体に想いを馳せる。

 この界隈で見かける、条件に一致する住民は三人だ。他の地区から来ている可能性はこの際、除外することにした。常人があんな姿で長距離を走ってきたとは考えにくいし、何より奇人変人が多いのはこの辺りだけだと思いたい、勘弁してくれ。彼はどこまでも常識人としての判断で、さきほどの異様な人物の特定にかかった。


 ママチャリは蓬莱荘の共用物。そこに現在住んでいるのはフィリピーナの母娘と女子大生ペアとカナダからの美人留学生という六人だ。フィリピンから来た三人は母親が近所の喫茶店のママで、二人の娘はまだ小さいから今回は除外。対象となるのは残りの四人、その中でああいう奇天烈な真似に及びそうな人物はカナダから来たレジーナだけだろう。


 しかし、蓬莱荘の自転車を使いそうな人物は近隣にも居て、もともとあそこは出入りがフリーに近い。昔からの庭付き平屋建ての住宅を改装した共用物件で、どこぞの不動産会社の管理だが、彼が住むアパートの住民でも気軽に出入りしている者が居るという実態がある。女性たちの城なので、むろん、相手は限られた。それがもう一人の被疑者、ふな子だ。年齢、背格好も一致する。

 偶然にも同じ作家志望ということで、彼としては早くお近付きになりたいと思っているのだが、向こうが警戒して野獣を見るが如き目を向けてくるので如何ともし難い相手だった。部屋のネームプレートにもペンネームしか記さない、明らか周囲にも過剰な警戒心が満載のフリーター。直接で話したことはまだないが、充分に奇妙な人物であった。夜も明けないうちからお百度参りをしていた姿を見たが、ほとんど牛の刻参りと変わらなかった。


 残る一人はシェアハウスの隣に住んでいる。近隣では一番新しいアパートで、むしろ小洒落たペンションといったほうがしっくりとくる物件だ。ここの住民も女性が多く、とかくこの近辺は女性率が高い。自転車で十分ほども飛ばせば女子大があるせいだろう。白亜の可愛らしい洋館に住んでいるのは八人で、そのうちの一人がやはりというかで変人だ。等身大の裸のマネキンを背負って自転車に乗っている姿をついこの間に見かけたばかりだった。無表情の瞳が眼鏡の奥で、ひたすら道の彼方の一点を見つめ続けていた。美大生だとかで、京都造形芸術大学に通っていると聞く。名前は絵美梨。もちろん、話をしたことなどなく、彼女のルームメイトからの情報だ。


 さて。


 容疑者は三人。シェアハウスのレジーナか、作家志望のふな子か、美大生の絵美梨か。あるいはノーマークの、その他という可能性も棄てるべきでない。

 まずは動機を推測するべく、彼は空を仰いだ。晴天。秋晴れというやつで、まだ残暑厳しい気候だが一時ほどのことはなく、午前中の今はむしろ涼しい風が吹き抜けていくほどだ。

 それでも紫外線はこの時期が一番強まるそうで、油断がならないらしい。同僚からの話によれば、だが。自身はほとんど無頓着なくせに、その手の情報収集にも余念のなかった同僚をしばし思い出せば、自然にため息も零れた。


 女性なら多くはこの紫外線というものへの対策には余念が無いはずだ。普通は七面倒なクリームだのパテだのの化粧品でブロックするものらしいが、あのマスクは恐らくその手間を省く為だろう。黒のワイドパンツに、多少は涼しいとはいえ完全な長袖の上着を着る理由が他に思い当たらない。だったら、ゴリラ面もその一環と考えるのが妥当だろう。顔を隠す理由をいうなら逆に目立ちすぎるし、共用の自転車を使ったことが理屈に合わない。


 日焼けを異常に気にしているのは美大生の絵美梨だが、彼女は普段から格好は気にしない。ペンキだらけのスウェット姿でも平気で京都駅を闊歩する女だ。ご近所へお出かけ程度のことで、わざわざ小奇麗な格好はしないだろう。

 逆にレジーナは真夏以外では日焼けに無頓着だ。近所ならすっぴんで出歩いてしまうし、そばかすは化粧で綺麗に隠れるが時間がかかって嫌だとボヤいている。ちょっとした買い物程度では日差しなど気にしないはずだ。

 残るふな子だが、引き篭もりに近い生態で、日中は外に出ている姿自体を見かけることが少ない。確か現在のバイトは縫製加工業で、平日の今日は仕事だろう。

 工房はここからほんの五分の距離だから、あるいはとも考えられたが。時計を確認すると、11時ちょうどだった。昼の休憩にはまだ早いはずだ。


 先日までの被疑者三名の行動をトレース。確か、絵美梨がバイク事故を起こしたとかで近所のモーターショップに修理に出したとかいう話を聞いた。それも今月に入って三度連続だそうで、ブツブツ文句を言っていたという。

 それにレジーナ、彼女はカレシに振られたとかでヤケ酒を煽って怪我をしたはずだ。だがそれが縁になり、次の相手は医大の助教授とか何とかの話が聞こえている。

 ふな子は公募用の原稿に取り掛かっているはずだ、締め切りは今月末だった。諦めたのでもなければ、とてもゴリラマスクで遊んでいる暇があるとは思えないが。


 考え込んでいた彼は顔を上げ、真新しい寄進の玉垣を越えた向こうを見た。さっき社務所へ戻った神職青年がまた表へ出ていた。男にしておくのが勿体無い美貌の神官は、雅な神社とよくマッチしている。いつ見ても何かしている彼だが、しかし今日はなにやら時間を持て余しているような雰囲気だった。それがまた、なにやら奇妙なものに見えてくるから面白いものだ。

 青い狩衣は儀式の為だけのものらしく、彼は一度手に取ろうとした竹箒を迷った挙句にまた手放した。周囲をしきりに見回しているのはたぶん落ち葉が気になっているのだろう。ふと、こちらと目が合った。


「やぁ、」

 先手必勝、片手を挙げて今来たばかりと挨拶を投げる。青年の方でもぺこりと頭を下げて、手持ち無沙汰のままそれでも未練げに境内を見回した。

「今日は何かの行事でもあるの?」

「ええ、いえ、お祓いを頼まれているんです、それだけです。」

 そのひと言を聞いて、謎が解けた。



 ゴリラマスクは、彼女だ。

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