習作3 巨視的トンネル効果の謎【問題編・前】

 鴨川沿いを延々と延びる川端通りの一角に最近リフォームした雑居ビルがあり、一階と二階部分を合わせたその店は小洒落たレストアンドカフェのスタイルになった。駅から少し歩かねばならず、人々はむしろ橋を渡った京極や寺町に吸い寄せられるせいで、遊歩道沿いのこの店に向く客足は少なかった。


 玄関先には大きな通りがあり、四六時中車が行き交っている。この通りは京阪電車の真上を通って、東山地域を縦断する。……要は京都の東側を通っている。ほどほどに賑わって、ほどほどに密集はせずに散歩ができる道だ。


 鴨川のうすべったいせせらぎに水鳥を眺め、通りや橋を行き来する車や人の群れを見下ろしながら飲食できるようにと、二階テーブル席は皆窓際にあるものの、眺めの方は道路と遊歩道と植え込みに遮られてあまりよくはなかった。なにせ川端通りは道幅がある。一階部分となればこれも植え込みのために、歩道以外は行き交う車しか見えなかった。


 車のエンジン音が響く以外は至って静かな店だ。珈琲も美味い。いや、珈琲がべらぼうに美味いから、わざわざ愛車のレブル500を駆って縣恭介は週に三度は来店する。その来店を待ち伏せるように、今日は近所の大学生たちが朝から代わる代わるで見張っていた。ミステリ研の暇人ども、と件の人物が嫌そうに吐き捨てる連中だ。


 ミステリ研の素人探偵たちが数名、この店に屯していつものごとくでトリック議論を展開しているところへ、縣恭介が店の扉の磨りガラス越しに姿を浮かばせた。皆の目が自然と扉へ注がれる中、なぜだかその影は二三度左右に揺れたと思う間にそのまま遠ざかった。顔を見合わせる一同。


 それっ、とばかりにテーブルを囲むうちの幾人かがダッシュで扉へ駆けつけ、気配を察して逃げたらしき人影を追いかけた。このあたりは彼らも慣れたもので、件の人物がミステリ的には掟破りの能力者であることを承知の上での迅速な対処だった。


 こうして、あえなく連行され来店した真性の探偵役を上座に据えて、いつもの通り、彼ら言うところの定例会が始まった。


「さて諸君。本日ついに、扉を開く以前に我々の存在を察知して逃げる、という域にまで達した彼のこの超常能力はやはりテレパシーの一種だと思うのだが。異論は?」


 議長として一同を取りまとめるのは京大ミステリ研究会の坂井だ。ミステリ研といって、推理小説のミステリではない。ミステリー、すなわち字義通りの不思議系や都市伝説の方を扱うミステリ研究会であった。とはいえ、京大のミス研といえば推理の方が本家といってもよく、彼らはレジスタンスである。京都近在の幾つかの大学からなる編成で出来た連合体だ。メンバーの多くが正式には各大学の推理小説の方のミステリ研究会にも所属していたので、面倒なことこの上ない。


 超有名なアメリカの宇宙人写真みたいな格好で、捕獲された能力者は両脇を屈強な二人の男に押さえられ藻掻いていたが、あえなく座席へと据え付けられた。


「別に不思議でも何でもない! 二階の窓に見知った顔が見えたから警戒しただけだ! やたらと客が入ってる時は高確率でお前らだろ!」

「失敬ですね、お昼どきなら繁盛してますよー。」


 件の探偵に向けて、カウンターの内部から不服申し立てが起きた。この店のマスター、古谷のひと声はしかし、すぐに雑談の中でかき消される。彼らは先ほどまでこの場を席巻していたある話題で持ちきりだ。それは彼らがいつもやっている雑談などとは比べるべくもない、本物のミステリー的事件の顛末についてだった。


 一人がダァンと机を叩いて興奮気味の声を張り上げた。


「だからそれは、巨視的トンネル効果の産物なんだ。あるいはシュレーディンガー的不確定性原理の為せる技というべきか。とにかく、よくあるトリックではありえない! 不可能犯罪だ、完璧な形での!」


 一気に捲し立てると、別の部員からすかさず反論の言が挙がった。


「実際に不可能だったら巨視的トンネル効果とも言えないことになる。一見は不可能、しかし、そこに天文学的数値における可能性があるのが、巨視的トンネル効果というべきで、完璧なる不可能という場合には、厳密には完全なゼロ確率を指してしまうじゃないか。」


 喧々諤々。熱気を帯びた店内で、頼りの探偵はメニュー立ての方に集中していて彼らの方は見ていなかった。不本意な来店から気を取り直して、次にはマスターへと顔を向ける。


「マスター、今日の珈琲は?」

「ハワイコナの限定ファーストクリップが来てるよー。」

「じゃ、それ一つ。」


 探偵役の頭上を越えて、事件の推理が飛び交っていた。


「だったら、内部からは開けることが出来ない土蔵からどうやって脱出したというんだ、わずか三歳の幼児にどんなトリックが使える!?」


「もちろん、外部の人間さ! それ以外にはないね! だから関係者の証言の矛盾を当たるのが先決だという話にもなり、タイムテーブルも作られ、検証も為されたんじゃないか! そして、どこにも矛盾はなかったんだ! これはつまり、関係者以外の未確認の存在を示唆しているという、何よりの証拠と言えるさ!」


「今日は卵サンド出来るの?」

「あー、ザンネン。昼にぜんぶ出ちゃった。」

「その未確認が何者であるかの話をしてるんだ!」

「それはもちろんUFOさ!」

「いや、そうと断言は出来ないだろ!?」

「じゃあ、ピザトーストは?」

「それなら出来るー。」


「縣、真面目に聞け!!」

 複数の怒声が店内に響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る