吸血姫は少女と踊る

はしむ

第1話 夢の始まり

 今朝もまた、昨日と同じ夢を見た。

 ここ最近同じ夢ばかりを見る。


 最初は、どこからか楽しげな人々の様子を眺めている夢。

 現代よりも古い街並みに住むその人達は私にとって知らない顔。


 その街並みも古めかしい煉瓦造りの洋館が立ち並び、その合間を石畳の街道が伸びている以外は詳しく分からない。

 昔のヨーロッパ辺りと予想できるくらいだ。

 だけど、そこで楽しげに過ごす人達を見ると、私まで嬉しくなる。


 やがて、夢の中の『私』は街の中をゆっくりと闊歩し始めた。

 この風景こそ求めていたものだと、私の心は夢だということも忘れて喜びに満ち溢れていく。


 しかし――夢は終わりに近づくにつれて凄惨なものへと変化していった。


 ある人は火に焼かれ、ある人は剣で斬られる。

 ある人は槍で貫かれ、ある人は叩き殺された。


 最後には誰もいなくなり、残ったのは『私』と街場所のみ。

 何があったのかは私には分からない。

 ただ突如として争いが起こり、この街が巻き込まれたのだと想像するのが限界だった。


 そんな中、夢の中の『私』は眼前の惨状を嘆き悲しむ。


 なぜ、違う、どうして、こんなはずでは、おかしい、間違っている、嫌だ、認めない、認めない、認めない、認めない、認めない、認めない、認めない……。


 絶え間ない怨みと後悔、怒りと悲しみ。

 そんな負の感情に私自身が苛まれながら、視界は暗転。夢から覚める。


 起きた時には、狂おしいほどまでの感情に引きづられたかのように溢れる涙。

 それを止めるためにしばらく毛布にくるまるのが最近の常であった。

 

 子供の頃も同じような夢を見たような覚えもあるけれども、最近のように頻繁に見ることはなかったはず。

 それなら、この夢は何かの予兆かとも思う。その場合、明らかに吉兆ではない気がするので、気のせいであって欲しいが。

 なんにせよ、ここまで立て続けに見るなら理由は何かあるはずだ。


(例え予兆だったとしても、どんな意味があるかなんて私には分かるわけないんだけど……)


 と、そんな風に今朝の事を考えてをしているのには理由がある。

 それは……。


「おらぁ! てめぇら! この女を刺されたくなかったら道を開けろぉ!」


(なんでこんな目にあってるの、私ぃ?!)


 夕方、学校からの帰り道。

 少しばかり学校で居残りしていた事で、いつもより帰るのは遅くなった。

 季節が夏とはいえ、この時間は暗くなり始めて人通りも少ない。


 だからこそ、早く帰るために近道を選んだのが失敗だったらしい。

 運悪くナイフを持った男と出くわし、捕獲され、現在の状況になっている。


 男の肩には何かがみっちり詰まっているバッグ。そして、その男を追ってきた数人の警官。

 興奮した男が赤い何かがついているナイフを振り回している様子から、強盗とかやったのではないかと予想はできる。

 けれど、それを詳しく確かめる勇気は がっちり刃物を突きつけられている今の私には無い。無いったら無い。


 私、東雲しののめすいは、流石に立派な人質になった状態から華麗に脱出する手段など持っていないのだ。

 そんな事が出来るのはハリウッド映画の主人公とかそんなものである。

 願わくば自称一般人の黒髪コックの力量を1割でももらえれば何とかできそうだけれども、そんな事は起こりえない。現実は非情である。

 そういえばと、そのコックが出る映画録画したけどまだ見てなかったなぁ、なんて現実逃避を再開してしまいそうになったのは誰にも責められないはずだ。


 助けを求めて叫びたいこの状況。しかし、それで男を下手に刺激するわけにもいかない。

 でも叫びたい、この気持ち。それだけ今の状況に慣れてないから焦っているのだ。慣れたくなんてないが。


 しかも男のむき出しになった左腕は私の首を軽く締めている。

 これで簡単には逃げられない上、時折向けられる抜き身のナイフは十分私の恐怖を呼び起こさせるもの。

 男と対峙している警官達も現状をどうにもできない様子。


(仕方ないよね……。流石にこの状況をささっと解決なんてできないだろうし)


 役立たずと思うことはない。向こう見ずと時々幼馴染から言われる私だってこんな状況に出くわしたら絶対手をこまねいてると思う。

 だからお互い運が無かったと思う事にした。とりあえずは数十分前に近道しようとした自分と神様を恨むことにしよう。がっでむ!


 警官達は犯人を落ち着かせようと説得している真っ最中。犯人は未だ興奮しているようで効果はさほどないようなのが悲しい所。

 私自身も犯人を刺激しないように内心どうあれ、なるべく大人しくしながらどうにかできるチャンスや希望が来てくれることを祈っていた。

 誰かがどうにかしてくれなさそうなら自分でどうにかするしかないのだし。

 

「い、いや、道を開けるだけじゃ駄目だっ! 車だ、車を用意するんだよぉ! 早く!

 俺がちゃんと逃げられる手段をよぉ!? この女を連れてどこまでも逃げてやるぜっ!」

「あ、あのー、私、じつは車酔いしやすくて……」

「うるせー! てめぇは大人しくしてろぉ! ぶっ刺すぞ、おらぁっ?!」


 さりげなく車に乗るのは嫌だと説得するも失敗。残念だが当然。やはり現実は非情である。


 警官の方はどこかへ連絡をとりながら犯人の要求通り車を用意している様子。

 このままでは私は犯人と地獄へランデブーコース直行ルート確定である。

 遠巻きにちらほら見える野次馬も騒がしくなっているようではあるけれど、颯爽と助けてくれるようなヒーローが現れる様子もない。やはり残念だが当然。現実は以下略。

 正直、心の中でジョークでも言って現実逃避していないとそろそろ本当にやばいのではないかとさえ思えてきた。


 なので、いまだ騒がしい犯人を尻目に何かないかと視線だけ動かしてみる。

 そうやって辺りを見回してみれば視界の端に高速で飛び回る小さな影が見えた。


(……鳥?)


 最初は空を飛んでいるから鳥だろうと思った。

 だが、鳥が飛ぶには時間がちょっと遅いし、何より形が少し違う気がする。

 やがてその疑問も、鳥のような何かが徐々に近づくにつれて氷解していった。


(――あ、コウモリか!)


 数匹の小柄なコウモリが編隊を組むようにして飛んでいる。

 こちらの様子を窺うように徐々に近づく様子を私はただ眺めた。

 少し暗くなってきた時分。コウモリが飛び回る事に不自然な点はないが、なぜか気になる。

 そのコウモリ達は、やがて私でも小顔を確認できる程度まで近づいてきていて。


「……って、ぶつかる! ぶつかる!」

「はっ? 何言って……って、うわ、こら、く、ぐあっ!

 離れろ! な、なんだこれっ?! くそったれがっ!」


 まさに激突コースのコウモリ達に身をすくませて目を閉じた。

 だけれど自分の体には当たった感触はなく、代わりに頭上から響くのは男の苦しむ声と怒号。


 慌てて目を開けて身をよじれば、男の顔にはコウモリ達がへばりついて、噛みつき引っ掻きと攻撃しているのを確認できた。

 その間に男の手からナイフが滑り落ちて、私を捕まえていた腕は緩み、完全にコウモリに気を取られている様子。


 それはそうだろう。コウモリ達によって視界は塞がれ、攻撃で逐一痛みが走る。

 捕まえようと手を伸ばしても、コウモリはすり抜けるように滑空しては また元の場所に戻るを繰り返していた。

 それが複数体に行われてしまえばどうにかしなければと意識を集中せざるをえなくなるというもの。


 そして、今は私が脱出する絶好のチャンス。ここを逃せばチャンスは無くなる。

 そう思った私は、緩んだ腕をすり抜けるように身を低くして脱出を図った。


「あっ、くそっ! 待てや女ぁ?! いてっ、ま、待てっ! ナ、ナイフを……」


 私が逃げた事で慌てた男は、コウモリを片手で振り払いながら腰を屈めてナイフを拾おうとしている。

 それに気付いた私は、拾うのを阻止しようと今までの鬱憤晴らしも込めて思いっきり右足を振り上げた。


「――っ、このっ!」


 ガンッ!


「――っっ?!??!?!?!!?」

 

 私の渾身のキックが犯人に炸裂した。

 しかも、無我夢中に放った先は無防備な男の股間にである。

 想定だとスネを思いっきり蹴って転ばそうくらいだったのだが。


 蹴られた男の顔色は赤から青へと変化していく。

 内股になりながら股間を押さえて崩れ落ちていく様子は、靴越しのつま先に残るグニャリとした感触と共に私の忘れ去りたい記憶ランキングに見事入賞を果たしたのだった。


「か、確保ーーーーー!」


 警官達が一斉に動いたのはその直後。

 真っ先に近づいてきた警官の一人が男と私の間に割って入り、私は無事保護される。

 そして、残りの警官が一斉に男に飛びかかっていった。

 悶絶しているとはいえ、何をしでかすかわからない男。すぐさま拘束後に連行されていく。

 大丈夫か?などと男を心配するような声が警察からかかったのはやはり金的のせいだろうか。……いや、私は悪くない。


 男が捕まった事で野次馬も徐々に散り始め、一度私も事情聴取などの為に警察署まで連れて行かれる事となった。

 一応、行きも帰りもパトカーで送ってくれるというので安全という意味では安心だけれども、帰れるのはもうしばらく後になりそうなのが少々憂鬱である。


「あぁもう、朝も悪夢で帰りも悪夢みたいな事が起こって、最悪……」


 そういえば、結果的に助けてくれたコウモリ達はどうなったのだろうか。

 周りを見ても、あの執拗に男を攻撃したコウモリ達は影も形もない。

 もしかして、あれは夢だったのではないか?なんて考えも出てくる始末。

 だって、日本にいるコウモリが人を襲うだなんて聞いた事がなかったし。

 いっそこのまま寝て起きたら、人質にされた事も夢でしたとかなればいいのに。


 しかし私は確かに人質にされて、コウモリ達のおかげで助かったのは事実。

 しばらくはコウモリを見つけたら拝む事にしようそうしよう。


 そんな夢みたいな出来事が立て続けに起こった今日という日。

 まさか、全ての始まりに過ぎなかったと分かるのはもうしばらく先の話であった。


* * *


「――こちらU-10。監視対象Sは警察に保護された模様。指示を待つ」

「――こちらC-20。警察車両及び警察署内では別のものが監視する。U-10は監視対象Sの自宅付近にて待機せよ」

「U−10、了解。……それとコウモリなんだが……」

「コウモリ?U-10、何か問題が発生したか?」

「――いや、なんでもない。U-10、任務を続行する」

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