第2話声優は、大変でした。

 俺の妹が、俺に隠れて声優をやっていた。

 隠れてやっていた事に驚きはあるが、それ以上に、俺が好きになったアニメのヒロインの声優が、妹だった事の方が驚きだ。


「どうしたの?」

「な、何でもない……」


 俺はあの名もないヒロインの子を、本気で可愛いと思った。本気で可愛いと思ったヒロインが、妹の良子だと知ってしまうと、意識してしまい、顔を背けてしまった。

 俺と一緒に食べるのは恥ずかしいのか、少し席を離して昼食を食べ終えた後、店を出て、良子に連れられて、町のど真ん中を歩いていた。

 こうやって兄妹で歩くのは、小学校以来。店内で一緒に食べるのは嫌らしいが、町中で並んで歩くのは、何とも思わないようだ。


「それで、どこに向かうんだ?」

「今から、オーディションを受ける」


 良子は、良子らしくない言葉を言った。


「兄さん。私たち声優って、普段は何をしていると思う?」

「アニメのキャラに声を吹き込むんだろ?」

「甘いっ!」


 良子に、俺の横腹をど突かれた後、怒られた。

 実際の所、声優と言っても、普段は何をしているのかピンとこない。

 アイドルだったら歌ったり、ダンスをしたり。芸人だったら漫才をしたり、番組に出演したりと。

 そう言った具体的な内容が思い浮かぶが、声優だとあまり表に出てこない為か、具体的な内容が出てこなかった。


「今の声優は、歌って踊れるアイドルみたいなもの。アイドルのように、歌ったり、踊ったりするのに加えて、更にアニメのキャラに声を吹き込む。それが現在の声優の姿」


 アニメにはあまり詳しくないので、良子の話に耳を疑ってしまう。

 もしかすると、アニメの声優だけでは、生活が出来ないから、こうやっていろんな分野に手を出しているのかもしれない。

 声優はロボットで戦ったり、少年たちが冒険の旅に出たり、少女が変身して戦うキャラに声を吹き込むのみ。もう俺が知っているアニメから、随分変わってしまったようだ。


「アイドルのような物なら、良子はアイドルになればよかったんじゃないのか?」

「それは嫌」


 アイドルと仕事が、ほぼかぶっていると言うのなら、良子はアイドルを目指しても良かったのかもしれない。売れっ子アイドルになれば、いずれ声優の仕事も入って来るだろう。そうしたら、声優に拘らなくても良いと思うんだが。


「どうして、そこまで声優に拘る?」

「物語を通して、色んな人に夢を与えられるから」


 その良子の返事は、芯があって、力強い物だった。


「私が声優を目指すきっかけは、お金儲けとか、ただ単に有名になりたいとか、そんな事じゃない。私にしか出せないこの声で、たくさんの作品に命を芽吹かせて、日本だけじゃない、世界中、国境を越えた多くの人に、多くの物語を見てもらって、楽しんでもらいたいから」


 この強い想いがあったから、良子はこうやって養成所に通う事が出来て、親に納得できたのだろう。


「成長したな」

「でしょ?」


 良子の奴。いつの間に、こんなしっかりとした考えを持つようになったのだろうか。あんなに小さくて、俺の後ろについてきているだけの妹だったのにな……。兄さん、少し寂しいぞ。


「良子――いや、白井こけさん」

「どうしたの? 兄さんの改まった態度は、何だか不気味なんだけど――」

「俺、あなたのファンになっても良いですか?」


 白井こけと言う声優が、声が可愛いと言う以外、どんな人か分からなかった。だが、こうやって声優の熱意を聞いてしまったら、俺もますます応援したくなってきた。もしかすると、夢を叶えようとしている実の妹の姿に、純粋に応援したくなっただけかもしれない。


「も、勿論! えへへ……。あっ、兄さんは、私のファンクラブの第1号。その証拠に、サイン色紙をあげる」

「ありがとうございます」


 いつの間にこんな物を用意していたのだろうか。今にも溶けそうなぐらいニヤニヤとした、すごく嬉しそうな顔をして、色紙に『兄さんへ』と書いてから、俺にサイン色紙を渡した。

 この様子だと、自分のファンと言われた事は無いようだ。

 昔から良子は、親や先生に褒められると、すごく嬉しそうにして喜んでいた。こうやって喜んでもらいたいから、声優を目指そうと思った一つの要因かもしれない。


「オーディション、頑張れよ」

「勿論」


 良子の言葉は力強いが、顔は満面の笑みだった。




 それからしばらく、良子はニヤニヤと嬉しそうにしながら歩いていると。


「兄さん。あのビルが、オーディションの会場」


 良子が指を差したところには、小さなオフィスビルだった。こんなところでオーディションが出来る物だろうか?


「……先生がいる」


 良子が見つめるビルの入り口には、長い髪をシュシュで縛って、ポニーテールにしている、ビルの壁に寄りかかって、タバコで一服している女性が、良子の通う、養成所の先生のようだ。


浅井あざいさん。白井こけです」

「おっ、やっと来た。……って、お隣は?」

「私のファン、第1号です」


 良子がありのままに言うと、浅井さんはくわえていたタバコを取った。


「ファンと言う事は、ひよっこの白井こけが好きだって事だよな?」

「そうですね。容姿も可愛いですし、声も可愛いですし、しっかりとした考えを持っているので、ファンになりました」


 俺がそう言うと、良子は再び溶けそうなぐらいの笑顔になっていた。


「どうも。妹がお世話になっています。この夏梅良子の兄、夏梅玄です」

「……本当か? ……顔も全く似ていない。……嘘ついていないよな?」


 兄妹なのに、そんなに顔が違うだろうか? いきなり兄と名乗っても、信じてもらえない物だろうか。

 浅井さんは、俺と良子の顔を何度も見直した後、再びタバコを吸い、ふーっと煙を吐くと、良子に話しかけていた。


「白井。受付は始まっている。今回も絶対に、この役は誰にも譲らないと言う気持ちで、受けて来い」

「はい」


 そして良子は、俺たちに一礼をした後、オーディションが行われるビルの中に入って行った。


「私は、GT養成所で指導をしている、浅井真澄あざいますみ。少年は、タバコを吸う女性は嫌いか?」

「別に。吸っていても構いません」


 タバコの匂いは気にならないので、そのまま浅井さんの話を聞くことにした。


「今回、白井こけは落ちるだろう」

「何でそんな事が言えるんですか?」


 いきなり、縁起でもない事を言い出す浅井さん。この人は、教え子を素直に応援することが出来ないのだろうか。


「声優のオーディション。どんな事をやっているか、知っているか?」

「知らないです」

「一般的に書類審査、面接で決める」


 ここは、就職活動の社会人や、学生と変わらないようだ。声優も大変だな。


「書類で目に留まった子が、面接を受けられる。監督の前で、面接を受け、役に合っているかを見る。そして合っていたら見事、その役を演じられると言う訳だ」

「良子が、面接でテンパって、何も出来ずに終わるって言いたいんですか?」

「いや。そうじゃない」


 その理由で落ちないのなら、どうして浅井さんは良子が落ちると予想しているのだろうか。


「今回、白井が受けるオーディションは、ライトノベルが原作のアニメ。主人公のクラス委員長がいて、その委員長の妹の役を受けに行った」


 何とも微妙な役だ。それもモブキャラと言えるだろう。


「その役に、アニメの世界では妹キャラを多く演じ、テレビにはアイドルとして活躍している、あの有名な、鏡海里依かがみりいが受ける。少年は、そうなったら、無名の声優を起用するか、超有名な声優を起用するか。どちらを起用する?」


 俺も結果が分かった。だが、俺は白井こけのファン第1号であり、良子の妹だ。そう簡単に、結論を言いたくなかった。


「アニメだって、儲けるためにやるんだ。声優目的で観る人だっている。例え、どんなに素晴らしい演技をして、面接で熱く監督たちに語っても、制作スタッフは実力があり、有名で、儲かる方を選ぶ。この世の中、そんな物なんだよ」


 浅井さんも本当は悔しいのか、少し強めにタバコの煙を吐いた後、浅井さんはビルの中に入って行った。



 浅井さんがビルの中に入ってしまったので、やる事が無くなった俺は、家に帰る事にした。


「……本当に、世の中って理不尽だ」


 繁華街のビルの壁にある、大きなスクリーンに映っていた、歌っている鏡海里依を見て、そう呟いた。


 こんなに有名な声優が、どうしてモブキャラの役を受けようと思ったのか。メインキャラには、名のある声優が務め、名の無いモブキャラの役ぐらいは、新人の声優に任せてもいいのではないのだろうか。

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