18話 第三回公判(3日目)

 裁判員三日目。もうすっかり守衛さんとも顔なじみになり、評議室までの迷路のようなルートもサクサク進めるように。



「おはようございま~す!」


「おはよう!」「おざ~すっ!」



 他の裁判員の皆さんともすっかり打ち解けて、始業前の自由時間にはお喋りに花が咲きます。


 ふと見ると、円卓の上のお菓子の山の横に、風呂敷に包まれた荷物が置かれているのに気付き、



「これ、何ですか?」


「それがね~、朝来たときからすでに置いてあったのよ」


「何か、裁判と関係があるものなんでしょうかね?」


「おはようございます。皆さん、お早いですね~」



 そんな話をしていると、始業時間よりずいぶん早く、評議室に入って来られた新島裁判長さん。いつも一緒にいらっしゃる熊野さんと稲美さんの姿はありません。



「おはようございます」


「今朝はお早いんですね。他のお二人は?」


「裁判官室で打ち合わせ中です。それより、皆さんにお見せしたいものがありましてね」



 そう言って、目の前にあった風呂敷包みを開くと、中から出て来たのは、以前自己紹介をされた際に、趣味で集めているとおっしゃっていた御朱印帳でした。それもかなりの冊数です。



「これ全部、裁判長さんが集められたんですか?」


「はい。でも、これらはほんの一部なんですよ」


「凄い!」「これで一部!?」


「皆さんに見て頂こうと、とっておきの物を持参しました。良かったら、手に取ってご覧ください」



 話には聞いたことがありましたが、こうして実物を見るのは初めてで、そっと開くと、蛇腹になった帳面には、一つのページごとに、寺社名と御祭神または御本尊の名前、参拝した日付が墨書きされたものに、御朱印が押されています。


 また、一概に御朱印と言っても、とてもシンプルなものから、一面にびっしりと書き込まれているもの、もの凄く達筆なものや、現代的な文字のものまで、寺社によって書き方にも個性があるのも発見でした。



「うちの病院の若い子たちの間でも、御朱印がブームなんですよ」



 そう言ったのは、補充裁判員2番(育休中ママ)さん。



「え? 病院?」


「補充2番さん、医療関係のお仕事ですか?」


「あ、はい。実は私、看護師やってます」



 確かに言われてみれば、そういう雰囲気がありました。いつも笑顔で人当たりも柔らかく、その反面、すごく芯がしっかりしている感じで、もし自分が入院したら、是非彼女のお世話になりたいと思うほど。



「いわゆる『御朱印女子』と言われる方々ですね。やはり若いお嬢さん方だと、御朱印帳もカラフルなんでしょうね」


「御朱印帳もなんですけど、最近では『御朱印アプリ』を併用したり、『イラスト御朱印』なんていうのもあるらしいんですよね」


「何ですか、それは!?」



 補充2番さんのお話に喰い付く新島裁判長さんに、裁判員1番(女子大生)さんが、即座にスマホで検索。


 御朱印アプリでは、頂いた御朱印をカメラで撮影して記録や管理をしたり、過去に自分が訪れた寺社や、御朱印を頂くことが出来る寺社を地図上に一覧表示出来る機能があり、寺社の中には、サイトから直接スマホでQRコードを読み取れるものや、AR動画が見られるものなど、ここにもIT化の波は押し寄せているようです。


 また、従来の墨文字に代わり、『イラスト御朱印』なるものもブームになっているのだとか。ポップな色遣いのイラストから、見開き数ページを使ったダイナミックなものまで、開祖がご覧になったら、びっくりして腰を抜かすかも知れません。


 そんな話で盛り上がっているところへやって来た、熊野さんと稲美さん。新島裁判長さんを見つけるや、



「ああ、もう、やっぱりここだった!」


「僕たちに修習生押し付けて、また御朱印帳の自慢してたんですね!」


「ご苦労さま~。それより、知ってた? 最近では『御朱印アプリ』なんてものがあってね~」



 あっけらかんとしている新島裁判長さんに、文句轟轟のおふたり。お仕事柄、絶対的な上下関係があるでしょうに、こうしてフラットに物が言えるのは、裁判長さんご自身のお人柄なのかな、と思いました。





 裁判員に選任された際、新島裁判長さんをネットで検索して、分かったことがいくつかありました。


 一つは、すでに裁判で死刑が確定し、受刑者が冤罪を訴えていた殺人事件の再審請求に対し、再審開始と死刑の執行停止の決定をした裁判官であること。


 この事件は、取り調べ中に本人が自白したものの、裁判では一貫して無罪を主張。数少ない物的証拠に関しても、当時は鑑定技術が未熟で、そのうえ捏造された疑いもありました。


 その後、新たな証拠が見つかったとして、弁護団により再三の再審請求があったにもかかわらず、何度でも棄却され差し戻しされては、長い間請求が認められないままでいたのです。


 再審を認めてしまえば、当時の警察や法曹界の非を認めることになり、自分たちのプライドを守るために断固としてそれをさせないのだろうといった憶測が、まことしやかにささやかれていました。


 少なくとも受刑者が生きている間には、再審の開始はないと言われていたのですが、そこに風穴を開けたのが、新島裁判長さんだったのです。


 あるいは、死刑制度に対し否定的なお考えがあるのかと思いきや、別の殺人事件で、被害者が一人に対し、三人の共犯者のケースでは、自首をした一人を除き、主犯格と実行役の二人に死刑判決を下しています。


 日本では死刑判決が宣告される場合、最高裁が示した死刑適用基準の判例(永山基準)に従うのですが、その中でも殺害された被害者の人数は非常に重要で、概ね二人以上が死刑判決のボーダーラインとなるため、この事件では、犯罪の性質や犯行動機、事件の残虐性から、裁判の行方に世間の注目が集まったのです。


 評議室での穏やかな表情からは想像がつかないほど、法廷の中で見せる厳しい一面は、他者の運命や、ひいては生命までをも左右する裁判官という職業に携わる者としての厳格な信念から来ているのだと思いました。



「それでは、そろそろ始めましょうか」


「はい」



 そう言うと、今日の公判の資料を、熊野さんと稲美さんで手分けして配布。



「今日から、司法修習生が法廷研修に来ていまして、私たち刑事6部の裁判員裁判を見学することになっています。修習生たちは、傍聴席か検察官の後ろの席に座って傍聴しますが、裁判に介入することはありませんから、皆さんも気にしないでくださいね」



 先ほど、熊野さんたちが文句を言っていた件のようで、こっくりと頷く私たち。



「え~、それでは、本日第三回公判は、証人尋問を予定していますので、その説明から始めたいと思います」



 手元の資料には、Aさん(女子高生)が解放(放置)された際に、彼女を保護したコンビニの店長さんが午前中、その際に対応した警察官が午後から、それぞれ証言台に立つ旨が記載されていました。



「そしてもう一つ、こちらの資料は、納刀被告の前歴に関する内容を記載したものです」


「ちょ…っ!」「何、これ?」



 目にした資料に羅列されていた内容に、思わず唖然とする私たち。


 どこか気弱そうで、とても罪を犯すようには見えず、無罪を主張しているその男には、窃盗、強姦、傷害致傷など、不起訴処分になったものも含めると、20以上もの前歴があったのでした。


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