8話 第6評議室
これから10日間、私たちの拠点となる第6評議室。裁判員裁判で使用される評議室は、裁判所庁舎の12階にあるため、窓から市街を眺望でき、解放感がありました。
室内には、評議用の大きな丸いテーブルの他に、四人掛けのソファーとテーブルがあり、荷物を入れるロッカーも完備。本棚には、雑誌から六法全書まで様々な書籍が並べられ、新聞も全国紙に経済紙にスポーツ紙まであります。
また、小さめの冷蔵庫にはお茶やお水やソフトドリンク、暖かい飲み物を淹れるための電気ポット、さらに丸テーブルの中央にはたくさんのお菓子まで用意されていて、それらすべて飲食自由で、随時補充されるとのこと。
慣れない環境で長時間拘束される私たちに対し、少しでも快適に過ごせるようにという、細かな配慮がなされていました。
「昼食は、庁舎内に併設されている食堂や売店もありますが、被告人の関係者などと遭遇する可能性もありますので、なるべくご利用は控えて頂くよう、ご協力お願いします。
お弁当や、途中で購入された物を持参して頂くか、1食400円で日替わりの仕出し弁当を利用することも出来ます。こちらは、当日の朝9時までに予約が必要ですので、お忘れなく」
その他の注意事項として、トイレや喫煙室などは12階の裁判員専用フロアーのものを使用することや、法廷に移動中の私語禁止、評議室内の撮影や書類などの持ち出し禁止、裁判員同士で裁判所の外での裁判に関する会話や議論の禁止などが挙げられました。
実際に、現役の裁判員に対し、被告人関係者からの執拗な接触や脅しといった事案があったことなどから、これらは裁判員という特殊な立場上、情報漏洩を防ぎ、トラブルから自分の身を守るためでもあるのです。
「ここまでで、何か質問はありますか?」
「はい」
手を挙げたのは、裁判員1番の女子大生さんでした。
「あの、法廷に出るときは、どんな服装で来ればいいですか? リクルートスーツとかでも大丈夫ですかね?」
「服装は、法廷を侮辱するようなものや、極端に派手な色やデザインだったり、ノースリーブに短パンのような露出度の高いものでなければ、普段着で結構ですよ。
男性でスーツの方も、ネクタイはあってもなくてもOKですし、和装でも問題ありません。全国の裁判員さんの中には、終わってすぐにお仕事に行かれるため、仕事着のまま法廷に立たれる方もいらっしゃるようですよ」
『法廷を侮辱する服装』がどんなものなのか気になりつつ、とりあえず平服でも大丈夫ということで、安心する一同。
他に質問はないということで、新島裁判長さんが続けました。
「先ほども言いました通り、この第6評議室が、私たちの本拠地となり、法廷へ出るとき以外は、大半の時間をここで過ごすことになります。そこで、お互いに気持ちよく過ごすために、いくつか約束事を決めたいと思います。
はじめに申し上げておきますが、この評議室内に於いて、我々裁判官も含め、全員が対等であることを心においてください」
この部屋に入って不思議に感じたのは、私たちが座る丸テーブルの席順でした。裁判員1、2、3、裁判長、裁判員4、5、右陪審、裁判員6、補充裁判員1、2、左陪審の順に、裁判官と裁判員が等間隔にシャッフルされているのです。
裁判官はその道のプロ、方や私たち裁判員は全くの素人ですから、学校の授業や研修といった講義形式のような配置をイメージしていたのですが、新島裁判長さんの説明は意外なものでした。
「裁判員裁判には、ある程度のガイドラインが定められてはいますが、それぞれの裁判での方針は、裁判長に一任されています。
先ほど宣誓をして頂いた際、補充裁判員の立場に関して説明しましたが、法廷で直接証人や被告人に質問することと、最終的な評決に加わることが出来ない以外は、他の裁判員同様、バンバン自分の意見を出して頂きます」
思わぬ言葉に、茫然としている補充裁判員のお二人。それに対し、最高齢の裁判員3番さんが拍手をし、つられるように私たち全員で拍手し、裁判長さんに賛同したのです。
「裁判長の意見だからといって、自分の意見を曲げたり、引っ込めたりする必要など全くありませんし、むしろ反対意見大歓迎です。
但し、他者の意見を否定するのはNGです。一つの見解として尊重した上で、違う見解を述べるというスタンスでお願いしたいのと、たまにですが、他の人が話している途中で、自分の意見を被せて来る人がいますが、あれは禁止とします。
重要なのは、目の前の事件を冷静にジャッジすることであって、正論を振りかざしたり、論破することに意味はありません」
確かに。それですべて解決出来るなら、文字通り、警察も裁判所も要らないことになります。
「何か、ご質問はありますか?」
「ありません」
裁判長さんの問いに、皆さん口々にそう答え、次にテーブルに置かれている備品についての説明に移りました。
それぞれの席には、筆記用具とファイルが一冊ずつ置かれ、ファイルには公判の日程とレポート用紙がはさんであります。さらに、『裁判員(補充裁判員)○番』と書かれた首から下げるタイプのネームプレートと、『裁判員カード』と『ホットラインカード』が各一枚ずつ。
ちなみに、裁判長さんたちも同じタイプのネームプレートをしていますが、私たちと違い、『新島裁判長』『熊野裁判官』というふうに、役職と本名が記載されています。
「法廷に入るときには、必ず名札をつけて、ファイルを持参してください」
公判の前に、検察側、弁護側、双方から、弁論や質問内容が書かれた書類を渡されるため、ファイルはそれらをまとめたり、メモを取ったりするのに使います。
持ち出せるのは法廷に行くときのみで、裁判終了後は、すべてシュレッダーで処分する決まりになっており、関係者であれ、第三者であれ、他者に中身を見られることがないよう、徹底した管理がされているということでした。
「次に、『裁判員カード』と『ホットラインカード』ですが、この二つは裁判所の外でも常に持ち歩いてください」
裁判員カードには、部署名と裁判員番号が記載されていて、裁判所に登庁した際にこのカードを係員の方に提示し、関係者専用の入り口からこの第6評議室に向かいます。このカードは最終日に回収されるとのこと。
一方、ホットラインカードには専用の直通ダイヤルの番号が記載され、交通機関の遅延や体調不良等で登庁出来ないなど、何かあった場合の連絡先であり、裁判所からの連絡もこの番号から来るそうです。
また、公判の重責や、衝撃的な証拠写真等を目にするなどのストレスから、体調を崩すケースもあることから、そうした場合の相談窓口にもなっていて、しかるべき医療機関に掛かることが出来、それ以外にも、裁判に絡んだトラブルに巻き込まれたりした際などこちらに連絡すると、任期中のみならず、後々までフォローして頂けるとのことでした。
大体の説明が終わったとき、ドアをノックして、事務官の荒川さんが声を掛けました。
「法廷見学が終了しました」
「ありがとう」
そう言って、荒川さんから鍵を受け取ると、
「それでは、今から法廷を見に行きます。お荷物はそのままでどうぞ」
と促され、全員で法廷に向かったのです。
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