第一章 裁判員等選任手続き

2話 裁判員選任室

 裁判所への最寄り駅は3つあり、自宅から直通路線にある駅で下車。午前9時15分までに来るよう指定されていたため、余裕を持って家を出たものの、ちょうどラッシュの時間帯に掛かってしまいました。


 久しぶりの満員電車に、かつて毎朝これで通勤していたことを思い出しながら歩いていると、ぽつりぽつりと雨粒が当たり始め、今日あたり梅雨入りかもという天気予報を信じ、傘を持参して正解でした。


 通称『官庁街』と呼ばれるこのエリアには、県庁や市役所、各省庁の支所、国立病院、NHK放送局などが集中していて、その中でも裁判所のレンガ色の建物がひときわ存在感を放っています。





 私のもとに『裁判員等選任手続き期日のお知らせ』いわゆる『呼出状』が届いたのは、今日を遡ること6週間ほど前のこと。


 配達証明郵便を受け取り、サインする私を待つ配達員さんとの、何とも言えない沈黙が気まずく感じられ、急いで居間に戻り開封すると、案の定、私が裁判員候補者に選ばれたことを知らせる内容でした。


 該当する事件に関して『平成○○年(わ)第*****号等』と記載があるだけで、具体的な内容には一切触れられておらず、選任手続きの日時や場所、選任された場合の公判手続きの日程が列記。さらに、



『この「お知らせ」は裁判員の参加する刑事裁判に関する法律27条2項に規定する「呼出状」に該当する書面です。正当な理由がなく、この「お知らせ」に記載の日時にお越しにならない時は、同法112条により過料に処せられることがあります』



 という記載。わざわざ配達証明郵便で送られて来た理由は、受け取っていないという言い訳をさせないためなのでしょう。こうなると、もう逃げられないというプレッシャーさえ感じます。


 今回、同封されていたのは、質問票と旅費等の振込先の届出、選任手続き当日の流れや、裁判所へのアクセス、裁判所庁舎案内図などで、質問票には、前回同様、辞退を希望する場合に記入する欄が設けられ、前回よりより詳細に回答する仕様になっていました。


 例えば、誰かを介護しているため辞退したい場合、自分との関係や、要介護者の年齢、心身の状況、病状、他の方に代わってもらえない事情(代わってもらった場合の影響)など、出来るだけ具体的に記載しなければならず。


 さらに要介護認定者であることを証明する書面や、介護保険証、障害者手帳などのコピー、通院の場合には付き添いが必要であることが分かるような診断書や、医療内容の領収証等のコピーなどを添付するといった徹底ぶりです。


 意外だったのは、妻や娘の出産の立ち合いや、入退院の付き添いが必要な場合、男女問わず辞退が認められるということ。最近は出産や育児に参加する男性も増えていることや、少子化対策の一環ということでも、そうした部分への配慮がなされているという印象でした。


 必要事項を記入するうちに、ふと、今年自分が町内会の班長をしていることを思い出した私。自治会等の役員に関しての記載は見当たらなかったのですが、念のため、不明な点がある場合の連絡先に問い合わせてみることに。


 応対してくれたのは、荒川あらかわさんとおっしゃる女性職員の方で、自治会役員等をしている場合でも、裁判員になることに問題はないとのことでしたが、



「もし、お仕事上で支障があってもいけませんから、念のために、会長さんや他の役員の方に、日程等で問題がないか、ご相談されてみては如何でしょう?」


「詳しい日程をお話しても、大丈夫なんですね?」


「はい、大丈夫です。その上で、どうしても抜けてしまうと業務に支障が出るということであれば、それはちゃんとした辞退理由になりますので」


「分かりました。早速、確認してみます。ありがとうございました」



 そこで、町内会長の白樺しらかばさんに電話して、だいたいの事情を話すと、もの凄く驚いた様子で、すぐさま町内会の役員を招集して下さったのです。


 一時間後、訪れた白樺さん宅には、副会長の梶田かじたさん、書記の来栖くるすさんと漆原うるしばらさん、同じ班の副班長の萩澤はぎさわさん、隣の班の班長の相葉あいばさん、そして民生委員の百合原ゆりはらさんが集まり、私のほうが恐縮してしまいました。



「皆さん、ご存知かと思いますが、このことはここだけの秘密ということでお願いします」



 白樺さんの言葉に、全員がこっくり頷き、万が一私が選任された際、町内会規約の『任期中、突発的な事情が発生した場合』に法り、任期中は隣の班の班長相葉さんと、来年度の班長で現副班長の萩澤さんがフォローし、民生委員の百合原さんも協力するということで全員了承。



「頑張ってね、松武さん!」


「みんなで応援してますよ!」


「あの~、まだそうと決まったわけでは…」


「あはは、そうでしたね」


「何かもう、こっちのほうが興奮するっていうか、裁判員なんて、今まで周囲で誰もやった人がいなかったんで」


「私も!」「私もです!」


「すみません、いろいろご迷惑をお掛けして」


「いえいえ、こちらとしても、こうした前例が出来て良かったです。早速、町内会規約のほうにも付け加えておきましょう」



 どちらかというと、辞退する理由になればという下心満々だった私。


 何故なら、裁判員裁判の対象は重大犯罪ですから、殺人事件の担当になる可能性もあり、万が一、死刑判決を下すことにでもなれば、一生引きずるに違いなく、実際にPTSDになった裁判員が、裁判所を提訴したというニュースも見ていたからです。


 そんな私の思惑とは裏腹に、なぜか皆さんのほうがやる気満々といった様子で、全面的に協力するオーラが半端なく、気が付けば、とてもじゃないけれど『やりたくない』とは言い出せない雰囲気で送り出されたのでした。





 裁判所に到着するころには、雨も本降りになり、エントランスを入るとすぐ、本日の選任手続きの案内が掲示されていて、第2裁判員選任室へ向かうため、同様に呼び出されたらしき人たちと一緒にエレベーターに乗り込みました。


 小学校の社会見学以来、何十年ぶりかで訪れた裁判所に、ちょっと緊張していたのですが、応対していたのは若い職員さんたちで、受付を済ませると、裁判員候補者待機室に通されました。


 てっきり、テレビでよく見る法廷のような場所を想像していたため、まるで民間企業のセミナーでも開かれるような部屋の雰囲気に、ちょっと拍子抜けしてしまうくらいです。


 受け付けた順に割り振られた番号の席に着くと、机には、ペットボトルとアンケート用紙が置かれており、着席した人から順に、職員さんが一人一人本人確認をしながら、



「こちら、ご確認をお願い致します」


「はい、ありがとうございます」



 そう言って、手渡されたプリントを受け取りました。


 一部は、以前に郵送した交通費を振り込む口座の確認書類、もう一部は、今回の事件の概要が書かれたもので、タイトル部分には『連続強制性交等致傷事件』の文字が並んでいました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る