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 原田秀樹様

 『鍛冶屋と白騎士』作画の田代恭子です。お手紙ありがとうございました。

 ご指摘の通り、主人公と父親との和解は唐突過ぎたと思います。登場人物の心情を無視した強引な展開でした。テンポを優先し、勢いで押し切ってしまおうとしたのですが、読者が感情移入できないことには、テンポも勢いも何もない、ということを忘れておりました。

 もう描いてしまったものを取り消すことはできません。今後の展開で、あの二人のことをもっと大事にしてあげたいと思っております。今後も読み続けていただけましたら幸いです。


 田代恭子様

 先日、お手紙で、主人公と父親との和解が唐突過ぎるのではないかと申し上げ、それへのお返事をいただいた者です。

 ファンレター(に分類していいものかわかりませんが)に対して作家の方からお返事がいただけるとは思っておりませんでした。驚いたと共に、嬉しく思っております。

 ただ、二点、疑問が残ります。

 ①今までにも私は何通か、先日と同様に、『鍛冶屋と白騎士』の物語上の欠陥を指摘するお手紙をお送りさせていただきましたが、それらについてお返事をいただけなかったのは何故でしょうか。同意しかねるということでしょうか。あるいはそもそもお読みいただけていないのでしょうか。差し支えなければご回答ください。

 ②私は、絵についてではなく、物語について、意見を申し上げました。何故、原作者の日野雄一さんでなく、作画のあなたがお返事をくださったのでしょうか。お二人の作品であるとは言え、やはり妙に感じます。


 原田秀樹様

 お手紙ありがとうございました。

 今まで頂戴したお手紙について言及せず、一番最近のものにだけお返事してしまったことをお詫び申し上げます。大変失礼致しました。今までのお手紙も全てきちんと読ませていただき、重く受け止めております。

 読者の皆様からいただいたお手紙にお返事を書くということは、基本的には致しません。それが、何故あなたにだけ、突然お返事を書こうと思ったのか……一言では、上手く説明できません。

 もう一つの疑問点、何故日野でなく私なのかということについても、説明が非常に困難です。ただ、私は今、日野の了解を得ずに原田様とやりとりをしている、ということだけ申し上げておきます。


 田代恭子様

 まず、いつにもまして、上からの物言いになることを、ご容赦ください。

 日野様原作・田代様作画の作品について、違和感を覚えるようになったのは、デビュー作『マステマ』二〇一〇年九月号掲載分からでした。第一話に強く感銘を受け、毎月楽しみにしていただけに、突然訪れた違和感は非常に残念なものでした。

 誰でも連載を長く続けていれば調子の出ない時期はあるものと思い、復調を待っておりました。しかし、遂にその時は来ないまま、連載終了となってしまいました。

 ネットの漫画評などでは「面白いエピソードを序盤で使い果たした」という意見が大勢を占めていましたが、私はそれまでの約一年間ですっかり日野様に心酔しておりましたので、「これだけ書ける人がすぐ手詰まりになるはずはない」と思い、担当者が変わって話をつまらなくさせているのではないかと、変な想像を働かせたりもしました。

 二作目の『熱風のザイフリート』も、私としては復活とは言えない作品でした。けれど、ところどころに、初期の『マステマ』を彷彿とさせる、巧妙な部分もあり、日野様の作品はずっと追い続けてみようと心に決めました。

 そして三作目の『鍛冶屋と白騎士』は、『熱風』よりもさらに独創性・鋭敏さに欠けるのですが、苦渋の中で新たな境地を開こうとしているようにも思えました。それで私は、お節介なお手紙をお送りするようになりました。

 以下は私の想像です。勝手な、しかしほぼ確信に近い想像です。

 今、物語をお書きになっているのは、日野様ではなく、田代様なのではないでしょうか? そう考えれば、今までの作品で覚えた違和感も、日野様ではなく田代様がお返事をくださったことも、全て合点がいくのです。

 あなたは少し、ずるい人ですね。あんな書き方をされれば、よほど勘の鈍い人間でない限り、何かに気付いてほしがっているということはわかりますよ。


 原田秀樹様

 お手紙ありがとうございました。まず、ご想像の通りです、と申し上げておきます。『マステマ』二〇一〇年九月号掲載分から、日野は原作を書いておりません。最終話までの大まかな流れは既に打ち合わせ済みでしたので、私が無理をして毎回の話を書いたのですが、やはり日野本人には遠く及ばない出来でした。

 その後始まった『熱風のザイフリート』も私が原作です。ただ、この頃、日野が気まぐれに加筆修正をすることもあり、田代様が「初期の『マステマ』を彷彿とさせる」とお感じになったのはそういう時だったのでしょう。

 そして『鍛冶屋と白騎士』も、私が全て書いております。「新たな境地」と見えたのは、日野が手を出すことが少なくなり(罵倒はするのですが代案を出すことはほとんどしません)、私が独自の路線を開拓しつつあるということだと思います。以前は、あくまでも日野が復活するまでの代理という意識だったのですが、近頃は、一人でやってやるという気持ちに変わってきております。

 では、何故、コンビを解消しないのか? その疑問に対する答えは、どうぞご自由にご想像なさってください。恐らく、原田様が挙げられるいくつかの選択肢の中に、正解が含まれているはずです。さほど風変わりな理由ではありません。陳腐なものです。私はどこにでもいる、弱い人間です。


 田代恭子様

 承知しました。では、お二人がコンビであり続ける理由についても、勝手に想像させていただきます。そして、原作者としての田代様を、これからも応援しております。

 私から、マスコミに告発したり、ネットに書き込んだり、ということはしないつもりです。お手紙のご様子から、そういうことを期待されているのではないと解釈しましたが、もしそうしてほしいのであれば、率直にそうおっしゃってください。漫画家の名誉に関わることですから、ご助力は惜しみません。


 原田秀樹様

 心のこもったお手紙、いつも本当にありがとうございます。原田様が真実を知っていてくださるだけでも、私は報われる思いです。

 今から非常に突飛なお願いを申し上げます。どうやら私は原田様にすっかり甘えているようです。お許しください。

 私が何らかの原因でこの世を去った後、一週間以内に「真実」が世間に公表されなかった場合、この手紙の封筒に書かれている住所へ行って、日野の様子を見てください。日野が私の死を悲しみ、心を入れ替えて、原作者として一から歩き出そうとしていたら、「真実」はそのまま闇の中で結構です。しかし、日野が相変わらず(と申し上げてもご存知ないでしょうが)自堕落な生活を送り続けていたら、一言、あなたが「真実」を知っていることを告げてください。それだけで彼には十分な効き目があるはずです。よろしくお願い致します。


 見ず知らずの他人の様子を見ようとするにあたり、訪問販売員という自分の職業は好都合だった。品物は健康食品。基本的には高齢者を狙うものなのだが、呼び鈴を押す理由さえあれば何でもいい。

 自社の製品が、どの程度健康に良いのかとか、値段が適正かどうかは、あまり考えないようにしている。

 仕事に喜びは見いだせない。生活の手段に過ぎない。生活の為に生活時間のほとんどを使い果たす空しい人生。だからこそ、漫画を愛した。漫画は自分を非日常の世界に連れていってくれる。

 呼び鈴を押して、しばらく待つ。もう一度押してみる。応答はない。日野雄一は留守のようだ。

 廊下に面した窓のサッシに、酒の空き缶や空き瓶がずらりと並んでいる。それだけのことで居住者がまともでないとは断言できないが、嫌な予感――というより「やはり」という思いを起こさせるには十分だった。

 ともあれ、本人には会わなければならないが、留守ならば出直すしかない。

 帰ろうとした時、部屋の中から足音が聞こえた。そして、ドアが開いた。

「……何スか」

 現れた男は、髭が伸び、上下ジャージ姿で、いかにも寝起きという表情だった。現在午前十一時。

 煙草の匂い。衣服にしみついているだけではない。今、吸っていたのだ。呼び鈴が鳴った時、吸っている途中で、返事もせず、吸い終わってから現れたのだ。

 まだ、わからない。作家は勤め人ではない。生活が乱れていようと、社交性がなかろうと、書いているならば、許され得る。

「突然申し訳ありません。本日は健康食品のサンプルをお試しいただけないかと思いまして……」

 いつもの台詞を喋りながら、男の表情や、室内の様子を見た。

 日野の顔には、覇気がない。寝起きだからというより、四六時中緩んだまま生きているという雰囲気。

 少なくとも『マステマ』の初期は彼が書いていた。あれを書いた人物なら、顔のどこかに険しさのようなものが刻まれていてもいいはず。かつてはそれがあったのかも知れないが、今は埋もれている。

 壁際に雑誌が平積みになっている。背表紙に、「パチンコ」の文字。

 ギャンブルをしようが何だろうが、作家として――いや、もうやめよう。これだけ材料が揃ったのだ。彼はもう、書いていない。

「失礼ですが、現在お仕事は?」

「……まぁ、物書きみたいなことをね」

「嘘でしょう?」

「あ?」

 日野の顔がみるみる怒りで満たされる。

 ああ、案の定だ。何か気に入らないことがあると即座に沸点に達する人間。自分が常に優位に立っていないと気が済まないタイプ。田代恭子を縛り付けていたものは、恐らく、暴力なのだろう。

「日野雄一さん、私は知っていますから」

「何をだよ」

「全部です」

「ああ、そうか。あんた、恭子の男か。やっぱりあいつも外に男の一人や二人作ってやがったんだな」

「いえ、田代さんと直にお会いしたことはありません」

「わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ。会ったこともねぇ奴が何を知ってるって?」

「私はかつてあなたのファンでした。『マステマ』は本当に衝撃的な作品でした」

「そりゃどうも」

「今はファンをやめました。あなたにはもう何も期待していません」

 胸倉を掴まれ、煙草臭い息を吐きかけられる。

「何なのお前? いきなり来てそういうこと言うの失礼じゃない?」

 この際だ。二、三発殴られても構わない。

「あなたは田代さんの名誉を奪っていました。そんな人に尽くすべき礼などありません」

「じゃあ訊くけど、なんであいつの言うこと信じてんの? 俺の言い分聞く気はないわけ?」

「本当は書いていたとおっしゃるんですか?」

「原作は俺だよ」

「書いていたんですか?」

「原作は俺なんだよ! 『マステマ』は俺が考えた話だ。『熱風』も『鍛冶屋』も、俺が直し入れてやんなきゃ売り物になんなかった。才能があるのは俺なんだ」

 怒声を浴びながら、憐れみを感じていた。才能はあったはず。芽はあった。しかし、育たなかった。そして、もう根が腐れている。

「文字を書いていないなら、あなたは原作者じゃない」

 突き飛ばされた。日野はドアノブに手をかけ、言った。

「マスコミに言いたきゃ勝手にしろ。どうせ誰も信じやしねぇよ。証拠もねぇしな」

 荒々しくドアを閉める音が、あたりに響き渡った。


 これで役目は果たした。

 それにしても、田代恭子は何故死んだのだろう? 「私がこの世を去ったら」――自殺を考えているか、身の危険を感じているかでなければ、あんなことは書かないはず。

 報道によれば、自殺。あの手紙も、近々自ら世を去ることを前提に書いた気配だった。急病や不慮の事故に備えただけのものとは思えない。

 真実を公表しようとして、日野に殺された? あり得なくはない。だが、殺した後に偽装したなら、何らかの証拠が残るはず。普通に考えれば、やはり自殺か――だとしても日野に殺されたようなものだが。

 しかし、田代恭子の進む道は、本当に自殺しかなかったのか? それは、いわゆる敗北では? 本人が手紙に書いていた通り、彼女は「弱い人間」なのだろうか?

 腑に落ちない。これがもし、作られた物語なら、作者に文句を言いたい。

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