第27話 不確定な未来

雄三の心は揺れている。


アンネによれば、財団が介入しなかった場合、日本はアメリカに占領されるという。


これからどうなるのだろう。財団は日本を離れようとしている。アンネが本当の事を言っているとは限らないが、その通りになる可能性は十分ある。


メリッサは白紙の未来が待っていると言ったが、日本は武装解除した状態でアメリカにもソ連にも無力だ。 


財団の艦を奪い、外国を追い出す。軍人の計画は一見筋が通っているように思えた。


「おかえりなさい、遅かったデスね」


海明亭の門の前でメリッサが立っている。夕暮れ時で、母屋から炊事の煙が伸びていた。


「ただいま。荷物、悪かったな。知り合いに偶然あってさ、話込んじまった。どれ、今晩の食卓はどんな感じかな」


陽気な声を出そうとしたが、尻すぼみになる。メリッサは立ち尽くしたままだ。


「雄三、逃げたかと思いまシタ」


「え?」


メリッサが雄三の胸に飛び込んできた。何とか受け止めたが気が動転する。


「ごめんなさい、巻き込んでしまって。迷惑デスよね、やっぱり」


「そんな事ないよ」


「雄三はいつもそんな事ないって言って誤魔化してマス。本当の所はどうなんデスか?」


メリッサは気丈に振る舞って来たが、見知らぬ土地で一人、不安で押しつぶされそうになっているに違いない。


「なあ、メリッサは俺と会わなかったらどうするつもりだった」


メリッサは何度か息を整えてから、答える。


「死のうと考えていまシタ。他人の死を知りながら、どうにもできないもどかしさに耐えられなかったデス」


メリッサが髪で目を隠しているのは、他人の死を視ないようにするためだ。もはやそのやさしい気遣いは必要ない。


雄三はメリッサの前髪をかき分け髪留めをつけてあげた。帰りに闇市で買ったものだ。


「これは……?」


「海に入った時、拾った。メリッサに似合うと思って。これなら俺を見失わないよな」


メリッサの動悸が激しくなる。雄三が気にかける前に、メリッサは屋内に逃げこんでしまった。雄三には暗くて見えなかったが、顔の赤みを悟らせないためだった。


「これからメリッサが視る未来は明るくなきゃ駄目だ。そのために俺が出来ることは」


残された時間は後わずかだ。今夜で決着をつける。 


 

雄三は明に頼んで夕食の時間を早めてもらった。同時に消灯の時間も早くなった。


「こんなに早く眠れないよ」


「まあまあ、どうせやることないじゃないですか。後は俺がやっときますから休んで下さい」


不満そうな明を無理矢理休ませる。メリッサもそれに倣い、早めに風呂を済ませた。


メリッサは雄三の贈り物が気に入ったようで肌身離さずつけている。額を露わにし、他人の視線を気にしていない様子である。


「メリッサ」


露天風呂から戻ってきたメリッサを呼び止めた。


「俺に夢を見させてくれてありがとな」


「?」


メリッサは怪訝な顔で部屋に入った。


雄三は戸締まりをし、一端自分の部屋に戻る。


将棋盤の前に正座し、じっとしていた。窓を閉じ蒸し風呂のような状況なのに汗は出てこない。


数時間が経過し、窓に何かがぶつかる音がした。風にしては重たい。小石を投げつけているらしい。


雄三は梱包したままの荷物を持って外へ出た。


月に重くるしい雲が立ち込め、先の見通しが全く掴めない。初めてこの辺りに来た時と同程度の暗さだ。


「女は?」


軍人の男の顔だけが急かすように訊ねてくる。雄三は荷物を男の足下に向かって放り投げた。正確な距離間はわからないが、男は苦もなく荷物を拾い上げていた。


「……、これが貴様の答えか」


残念そうではあったが、どこか納得したように男は一人ごちる。


男の懐中電灯の光が、雄三の目を射る。目を開けていられない。


その隙に男は拾った小包から十四年年式拳銃を取り出し、雄三に向けていた。銃身が細い陸軍の正式装備である。


メリッサの死兆の目は狂ってなどいなかった。この日、雄三が命を落とす事を予見していたのだ。既に死んでいると言っていたのは嘘か、方便か。いずれにしろ雄三は彼女を恨まなかった。


ここで雄三が死ねば、メリッサは財団に戻るしかなくなる。相変わらず籠の鳥かもしれないが、日本軍の人質になり命を落とすよりましだ。


万が一、日本が財団の軍事力を奪えば徒に戦火を拡大する恐れがある。方針も目的も定かではない現状では危険過ぎる。未来の人間ですら戦争を支配できていないのだ。幼子に銃を持たせるようなものである。


(アンネ、メリッサを頼む)


財団の作ろうとする未来が正しいか、雄三ごときでは計れない。というより、そのような先見の明は雄三にはなくメリッサを救うために足掻いた結果だった。


銃が火を噴き、轟音が響く。それと前後して、滑り込むように影が立ちはだかった。


「え……?」


雄三の頬に鮮血がかかる。自分の血ではない。目の前には、つい先ほど渡した髪留めが映っている。


「雄三……」


メリッサが、雄三をかばい銃弾を受けたのだ。それから銃声が三度鳴る。その度にメリッサの体が痙攣した。雄三は棒立ちで、為す術がない。


「ハハハ! 大日本帝国ばんざーい!」


正気を失ったような男の哄笑と、走り去る音が聞こえても雄三は何もできず、メリッサの腰に触れるのがやっとだった。


「雄三、怪我はありませんカ」


メリッサは唇から滴る血にもかかわらず、雄三の安全を確かめた。


「何でだよ。そんなに財団に戻るのが嫌なのか。わからない未来より、少しでもましな方を選んだ方がいいじゃないか……」


こんな時でも、メリッサをなじる自分が恥ずかしい。自分勝手に動いてメリッサを危険に晒したといのに。


雄三を許すようにメリッサは頬を撫でる。


「不確定の未来を雄三に託した事を申し訳ないと思ってマス。雄三が死ぬのは駄目デス。馬鹿デス。でも、私の事をこんなにも想ってくれる人と出会えて嬉しかったデスよ」


メリッサの体から力が抜け、倒れそうになる。雄三が支えると、苦しげに咳を繰り返した。


「メリッサ! しっかりしろ。死んじゃ駄目だ」


咳が収まると、メリッサは顔を綻ばせた。見せかけではなく、健康的なほほ笑みだった。


「私の体は爆発でほとんど失われていマス。人工筋肉でほとんど補っているので普通の人より頑丈デス」


メリッサは一人で立ち上がり、飛び上がって見せた。逆に雄三の腰が抜けてしまった。


「はは……、すげえ」


雄三はメリッサに肩を借りながらこれまでの経緯を話した。メリッサは怒るでもなく冷静に話を聞き終えた。


「雄三、もう賭け将棋は禁止デス」


「はい……」


メリッサに注意されたのはそれだけだ。責め苦の足りない雄三は不安に駆られる。


「それだけ?」


「だってあの提督が一兵卒に遅れを取るとは思えまセンし。それにあの人……」


本当に兵士でしょうカ?


メリッサは不可解な疑問を口にして、部屋に引っ込んでしまった。雄三はその日一睡もせずに廊下で正座していた。


「うわっ! びっくりした!」


朝一番で雄三を発見した明は悲鳴を上げた。メリッサも後からやってきて、雄三を抱え起こした。


雄三とメリッサは宿の周りを散策した。雄三はばつがわるそうにずっと下を向いている。


「雄三のせいで、私も因果を破った罪人になってしまいまシタ。死にゆく人間を助けてしまいまシタから」


メリッサの服を盗み見ると、服に血はついていない。深夜の凶行は悪夢だったのではないかと思いたくなる。 


「聞いてマスか!」


「は、はい」


時間を置いたからなのかメリッサは素直に怒りをぶつけてくる。雄三は小さくなるばかりだ。


「責任、ちゃんと取るんデスよ」


「うん」


「もう私には雄三しかいないんデスから」


雄三はがばっとメリッサの両肩を掴んだ。メリッサは目を丸くして身をよじっている。


「ちょ……、痛い」


「すまねえ。でも責任はちゃんと取るから。将棋もきっぱり止める。仕事見つけてお前を守る」


メリッサは消沈したように目を伏せた。


「伴侶として私を娶るのはお勧めできまセン。見ての通りの体デスし、絶対後悔すると思いマス」


雄三は目一杯メリッサを抱きしめる。


「未来は、不確定なんだろ? 俺とじゃ嫌か」


メリッサは目に涙を貯め、首を振る。雄三に身を委ねながら喜びを分かちあった。


「私は因果率を冒涜しようとしてるのかもしれまセン。神様、お許し下サイ」


ひとしきり愛を交わしあった後、元来た道を引き返す。


「さっきの話の続きなんデスけど、雄三は将棋やめてはいけないと思いマス」


「でも……」


中途半端な未練なら断ち切ってしまいたい。心機一転が望ましいと考えていた雄三は困惑した。


「雄三から将棋を取り上げたら何も残りまセンよ。提督もそうおっしゃっていまシタ」


「そりゃあそうだけどさ。俺はもう」


名人はおろか、プロへの道も絶たれている。その事実は確定してしまっていると思いこんでいた。 


「忘れたんデスか? 未来は不確定。きっとまだ方法はあるはずデス」


メリッサに勇気づけられ、雄三は東京に戻ることを決めた。師匠に頭を下げて、許しを請うためだ。可能性は限りなく低いが、やってみる価値はある。


「嵐のように去っていくねえ、君たちは」


明に帰京を告げると、呆れられた。当然だ。急に働きたいとやって来て、何もせずに帰っていく。


「人手不足なら心配いらないよ。うちで働いてた子らも戻ってくれるって葉書が来た。今度は客として遊びに来な。サービスするよ」


明は抜け目なく宿を売り込むと、笑顔を消し雄三に向き合う。


「雄三。あたしの旦那の事はもう忘れとくれ。いいね?」


「知ってたんですか……」


明は手元の箱から何通かの手紙を出した。消印は中国だ。


「戦地から手紙が届いててね。将棋の強い雄三っていうのが、一緒にいるって。まさかあんたがその雄三だとは思わなかったけど」


明は苦笑して手紙を広げた。


「運命のいたずらって言うのかな。雄三、あんたプロになりなね。応援してるよ」


明は帰りの電車賃と当面の生活費まで渡してくれた。破格の待遇に驚きを隠せない。雄三は明に嫌われていると思っていたから担がれているんじゃないかとさえ思った。


「それからメリッサ」


「はい」


「あんたにも色々事情があるのに、辛く当たってごめんね。雄三が脇道にそれないようにちゃんと見てるんだよ」


明とメリッサは抱き合って別れを惜しんだ。雄三は胸に沸き上がる思いを押さえきれずに鼻をすすった。 


二人は広い海原に漕ぎだそうとしている。不安はさほど感じない。期待が大きく上回っている。


雄三たちは不確定な未来への切符を手にした。長い旅路が始まろうとしていた。

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