第17話 フェルマー財団

雄三はザリガニの入ったバケツを明に渡し、来客の訪れを告げた。アンネが魔族であることも隠さなかった。


「あんたが来てから千客万来だ。ありがたいね、ほんと」


「すみません……」


明は弱気の雄三に目を見張った。


「いつまでしょげてる。メリッサにそんな面、見せる気かい」


「戻ってくるのかな、あいつ」


雨音は幾分静まりつつあったが、心もとない風が窓をなぶっている。雄三だったら一分でも外に居たくない天気だ。


「あの子は王子様を待ってたんだと」


明が思い出したように言うのを聞いて、雄三は誰のことを話しているのか気になった。


「何すか、それ」


「メリッサに決まってるだろ。あたしがそうだとでも?」


かわいげの欠片もない明の発言だとは考えていない。とはいえメリッサとも結びつかない。あの子はどちらかというとリアリストだ。


「どっちにしても、俺じゃ王子様になれないですね」


明が笑いながら雄三の肩をどついた。


「美女と野獣って感じだもんね。まあ頑張んな」


話をしている間に騒がしい声が壁の向こうから聞こえてきた。子供たちのお出ましだ。


明は子供たちを歓迎し、礼儀正しいアンネを気に入ったようだった。私情を忘れたようにかいがいしく部屋に案内した。


雄三はザリガニの殻を剥き、塩でゆでた。臭みはほとんどなく、エビに近い触感だ。


後で雄三もご相伴に預かり、腹を満たした。それでもメリッサの分を残しておくことを忘れなかった。


食後、後かたづけを済ませた雄三は一階の自分の部屋に入った。そこは布団部屋であり、アンネたちの分が出払ったためスペースができている。


将棋盤を据え、その前に腰を下ろした。


座ってすぐ、襖の向こうからで咳払いが聞こえた。若い女のもったいぶった感じが妙にくすぐったい。雄三は聞こえない振りができずに声をかけた。


「どうかしましたかー」


襖がわずかに開き、アンネの青白い顔が半分だけのぞいた。


「みんな寝ちゃった」


「そりゃ夜ですから」


部屋に時計がないので正確にわからないが、明と最後に会話したのが十一時四十分だったので、零時に近いのは間違いないだろう。


「私は夜型だからまだまだやれるわ」


「やらなくていいです。寝てください」


反応が悪い雄三とは対照的に、アンネは今にも天に舞い上がろうかという軽妙さで、するりと部屋に踊り込んでくる。


藍色の浴衣一枚の薄着で帯を緩く垂らしている。なんとも芳しい香りが部屋一杯に広がった。


「一人でしこしこ何やってるの」


「別に何も」


雄三の声音は堅い。それどころか、体にもいらぬ力が入っている。密室で二人きりという状況に緊張していた。


アンネは雄三のすぐ後ろに立ち、しげしげと将棋盤を観察している。邪気はなく単なる好奇心からの行動なのだが、雄三は気が気でない。


「メリッサの事、教えてくれませんか」


アンネはメリッサと知り合いのようだ。ならば聞かない手はない。雄三の考えを知りたいアンネの思惑とも一致した。


「ねえ、雄三。雄三は私たちをどういう存在だと捉えている?」


魔族は人間とは別種の生き物という認識かられない逃れられないのが本音だ。数日行動を共にして偏見が薄れてきたとはいえ、今でも決定的な距離は縮まらない。


「私たちは人間よ。紛れもなく」


「え……!?」


アンネの語る真実はこれまでの常識を覆すものだった。


 二


「あなたたちの政府や他の国は、私たちを悪者にしたくて、魔族なんて呼称をつけたけれど、私たちは化け物じゃない。遺伝子レベルではそう違いはないの。ここまではおわかり?」


「う、うん。何とか」


雄三は話についていこうと躍起になっている。難しい話は苦手だ。アンネは気にせず話を続ける。


「私やメリッサはここではない別の世界から来た。そこは今より科学技術が発達していてタイムトンネルの運用が可能になったの」


「ちょ、っと待て」


雄三は将棋盤にしがみついて泣きそうになった。頭が沸騰しそうだ。まだ魔法とか妖術の方がわかりやすかった。


「ごめんなさい。いきなりこの時代の人に話しても難しいわよね」


「うん……」


「わかりやすく言うとね、私たちは未来から来た」


雄三は素早く振り返り、勢い余ってアンネを押し倒した。やわくて、さして大きくもない膨らみがその手のひらの下にあった。


「それ、早く言って!」


「悪かったってば。これでわかったでしょう。私たちはいがみ合う関係ではないことを」


アンネははだけた浴衣の前を直し、起きあがる。雄三の手にはまだ彼女の温もりが残っていた。


子供の頃読んだ児童書に似たような話があったのを思い出した。確かタイムマシンという時間移動ができる架空の装置だ。アンネや、メリッサはタイムマシンを使って未来からきた未来人ということになる。


ひとまずアンネの証言を信用するとして、まだ謎が残る。何故魔族は戦争に介入するのだろうか。


「私たちの世界では日本は戦争に負けてアメリカの植民地になっていたわ。ソ連などの共産圏への防波堤として利用された後、経済競争力をつけた日本は欧米諸国の目の上のたんこぶになった。用済みになった日本を潰すためにアメリカは以前から用意していた爆弾を起動させたの」


「日本はなくなっちまうのか!」


雄三は驚きのあまり大声を出す。アンネはそれを咎めるように、口元に人差し指を置いた。


「話は最後まで聞きなさいな。爆弾といっても物理的な被害をもたらすものじゃない。もちろん本土がなくなることはなかったわ。アメリカが用意していた爆弾とは、日本人に自信を喪失させることだったの」


「どういうことだ」


「日本が戦争に負けるというのはこの世界でも変わらないけれど、アメリカが用意した教育プログラムは戦後になっても続くのよ。日本人は、弱い。あの戦争は間違いだったって刷り込むの。自虐史観って奴ね。もちろん戦争が正しいはずないわ。でも、過度に卑屈になって未来に目を向けられなくなるのはよくないでしょう」


「うう……、アメリカが憎い」


「それな」


アンネはしたり顔で頷く。雄三は将棋盤に抱きついたままだ。


「そういう感情すらわかなくなるのよ。さしずめ牙を抜かれた猛獣。そして日本の末路は少子高齢化、膨らむ社会保障費、移民の増加。もはや国体護持は困難と言える。そんな未来、誰が望んで?」


雄三にはほとんど内容が理解できなかったが、日本を待つ未来は暗いものだということがアンネの語り口から伝わってきた。


そして当然の疑問が沸く。


「どうしてアンネたちは日本に肩入れするんだ?」


「私たちフェルマー財団は、解のない定理を証明するための団体よ。その最も主要なテーマが戦争」


フェルマーとはフランスの数学者の名前で、フェルマーの定理という数学の難問は三百年以上未解決のままだった。雄三はその事を全く知らないし、定理が証明されるのもずっと先の話である。


アンネの所属する財団は、タイムトンネル技術を擁し、時代を遡って、戦争がどのように歴史に影響を与えるかを研究していた。


時に武力による介入を行い、歴史の修正、改変を行っている。


「だから別に日本人に特別思い入れがあるわけじゃないわ。実験に予断は禁物だし。がっかりした?」


自分たちはアンネたちの手のひらで踊らさているに過ぎない。そう思ったら力が抜けてしまった。この事実を日本人はまだ誰も知らないに違いない。政府が隠すのも無理がないのかもしれない。スケールが違いすぎて受け入れられないだろう。


「俺たちを玩具にしてるのは何となくわかった。こんなこといつまで続けるつもりだ」


アンネは悲しそうに目を伏せる。雄三はどきっとした。


「勘違いしないで。戦争をなくしたいという気持ちは本当だし、メリッサも同じ気持ちよ。私の願いは世界から孤児をなくすこと。こう見えて母親なんですから」


アンネが孤児に愛情を持って接しているのを目の当たりにしているので、雄三は強く出られない。


「話を整理するとだな、アンネやメリッサは戦争の研究をするために未来からやってきた。ほっとくと日本の未来は危ない。そういうことでいいか」


「その理解でいいわ。あなた見かけによらず頭がやわらかいのね。政府の役人ですら理解するのに一週間くらいかかるのに」


あまり誉められている気がせず、雄三は顔をしかめる。


アンネは常に上から目線で、政府とも衝突せずにはおれまい。もっと交渉に適した人間はいなかったのだろうか。


「一つ問題がある」


「何?」


「アンネたちが戦争に介入して日本がうまくやれる保証はどのくらいだ」


そもそも健全な国とはどんな状態を指すのか雄三にはわからない。国の一部だけが肥えているのは論外としても、幸せの定義を独善的に決めるのはいかがなものだろうか。


「あなた本当に鋭いのね。メリッサが興味を持ったのもわかる気がする」


「お世辞はいいから。答えてくれ」


「さっき言った通り、財団の方針は戦争の研究であって日本を救うことは二の次」


世界は財団とやらの手のひらで転がされている。恐らく失敗したとしても、別の時間軸に移動できれば何度でもやり直せるのだろう。アンネの余裕がそれを物語っている。


しかし、雄三や明、この世界にいる者達にとってはかけがえのない生であり、国だ。やり直しはきかない。それを弄ばれているとあっては黙っていられなかった。


「メリッサも同じ考えか」


「それは貴方の胸に聞いてみれば? あの子は私よりも貴方たちにご執心みたいだから」


アンネとしては、虫かごを覗いているような感覚なのだろう。たとえ子供達を愛していたとしても、所有物としての愛着があるに過ぎない。冷たい観察者の目線しか持っていない。


一方、雄三を同志と呼んだメリッサは、真実を語らなくとも、共に歩みたいという心根が伝わってきた。不器用でも、明や集まった人々の感情を受け止めたのがその証明である。


「メリッサは戦争被害者よ」


メリッサの過去を聞いて、雄三は将棋盤から手を離した。


「イギリスの内戦の最中、建物の下敷きになってね。本来なら助かる怪我じゃなかったけど、財団の力で一命を取り留めた。そのせいね、あなたたちに感情移入するのは。嘆かわしいことだわ。財団の崇高な理念を忘れて、こんな所で油を売っているなんて」


「メリッサはどうしてこの宿に来たんだろう」


「知らないわ。私はあの子を連れ戻しにきたのよ。全く手のかかる。同情なんてするなってあれほど言ったのに」


「何?」


「メリッサはあなたに同情してるのよ。同志なんて嘘。自分が味わった苦しみを思って、感傷に浸ってるのよ。馬鹿らしい」


普通なら怒る所、雄三はアンネに初めて笑顔を向けた。気弱どころか、剛胆さすら感じられる。  


「私、冗談言ってなかったと思うけど」


「いや、あんたが可哀想な奴だと思ってさ」


アンネは苦悶に近い表情を浮かべた。彫像のように整っていた美しい顔を歪め、低いひびわれたような声を発した。 


「撤回しなさい。私に使っていい言葉ではないわ」


「するかよ。やっぱりあんたにこの国を渡すのは癪だ」


雄三は将棋駒を盤にぶちまけた。激しい音が鳴ったにも関わらず、アンネは雄三から目を離さない。


「俺が何者なのか教えてなかったな」


駒を落とした時とは打って変わり、丁重な手つきで駒を盤に並べた。


「俺と賭けをしないか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る