第7話 谷風源十郎という男

 床に寝そべったまま舞依を見送る羽目になった昴は、痛みが引くのを待ってから立ち上がると、自室のパソコンを起動して先ほどの自分の体験について調べ始める。スレッドを立ててみたりもしたのだが、『嘘乙!』とまで言われた挙句に荒らされて終わった。

 何の成果も得られないまま夕方に差し掛かり、そろそろ夕飯の支度でもするかと顔を上げた頃、なんとなく付けっ放しにしていたヘッドセットに着信が入った。


 「はい、もしもし?」

 「おお昴か。私だ私。お爺ちゃんだぞーい」


 電話の正体は、昴の祖父である谷風源十郎の声だった。普段の祖父からは想像もできないぐらい上機嫌で、昴は耳を疑った。どうやら酒でも飲んでいるらしく、話し続ける祖父の声に混じって遠くから祖母の叱りつける声が聞こえてくる。


 「……俺が好きなアニメのキャラは?」

 「神・美少女戦記VR-V'sのヒロイン、小っちゃなお胸が魅力のスクルドちゃんだろう?」

 「あっはい。え? 本物?」


 新手の詐欺かもしれないと疑った昴は恐る恐るカマをかけてみたのだが、通話口の向こうにいる上機嫌な老人は昴が最近ドハマりしているアニメのキャラクターをピタリと言い当てた。戦慄のあまり、背筋に悪寒が走る。が、昴にはそれよりも気になる事があった。


 (爺さん、どうしたんだ? こんな上機嫌になっているのなんて見た事ない)


 そう。いつもの祖父は、こんな上機嫌になることなど滅多にない。昴か舞依の誕生日にお祝いの誕生日会を開いてくれることがあるが、それ以外はいつも厳しい表情を浮かべている。幼少期はもう少しマシだったのだが、娘夫婦を失ってからは輪をかけて近寄りがたい存在となってしまった。


 ――木下源十郎について、少し語るとしよう。

 江戸時代から続く名家の長男として産まれた彼は、幼い頃から厳しい教育を施されて育った。その賜物か、東京大学を首席で卒業した彼は厚生労働省に就職。その頭脳を高く評価され、僅か三十一歳という若さで大臣にまで上り詰めた。もっとも、その経歴に至ったのにはまた別の事情が関係しているのだが、ここでは割愛するとしよう。

 源十郎は三十六歳で結婚し、その翌年に二人の娘を授かる。長女を栞奈かんな、次女を美月みつきと名付け、厳しく育て上げた。後に栞奈が結婚し、二人の兄妹を授かる事になるのだが、これが昴と舞依である。

 六十五歳で厚生労働省を退職した源十郎は、生まれ故郷である那須塩原市に居を構え、妻と二人で農業を営むことになる。その十年後に『花巻・北上流星災害』が発生し、源十郎は長女である栞奈を喪った。悲しみに暮れる中、遺された二人の孫を美月と共に厳しく育て上げていく事になる。


 なおも上機嫌で話し続ける祖父の声に耳を傾けながら、昴は眉間に皺を寄せて黙考してしまう。

 昴の警戒心に気付いた源十郎は一つ咳ばらいをすると、いつもの調子に戻って有無を言わせぬ口調で今からそちらに行くとだけ言って通話を終えてしまった。



 その日の夜。

 仕事から帰って来た叔母の美月や、いつの間にかリビングに居座っていた舞依といつものように夕食を食べ始めてた。因みに、今日の夕食は昴が全て作った。

 メニューは、鶏とごぼうの炊き込みご飯にわかめとジャガイモの味噌汁、ぶつ切り豚肉の特製酢豚~パイナップルを添えて~、ほうれん草のお浸しである。


 「昴。お父さんが来るんだって?」

 「ああ、はい。舞依は聞いてるか?」


 美月は予め聞いていたらしく、仕事中に電話が掛かってくるもんだから迷惑しちゃう、と言いながらも嬉しそうにしている。

 都内の不動産会社に勤めている叔母の美月は、遺された二人を養うためにそれまで暮らしていた一人暮らし用のマンションを引き払い、源十郎の誘いを断って東京の郊外に一軒家を購入した。

 一時は姉を喪った事で酷くふさぎ込んでいたのだが、周囲の温かい支えもあり、今では会社を支えるバリバリのキャリアウーマンとなっている。


 「美月ちゃんから聞いた。なんかおじいちゃん、すっごい上機嫌だったって聞いてるけど……」

 「ああ。俺も、最初に声を聴いた時は驚いたよ。あれ、酒でも飲んでたんじゃないかな?」

 「私もそれを疑ったんだけどねえ。あの人、あなた達が産まれた時ぐらいしかお酒飲んでるの見た事ないし。あと、私たちが産まれた時ぐらいか」


 美月から様子を聞いていた舞依が、祖父の様子に首を傾げる。いつも眉間に皺を寄せて難しい事を考えている祖父が上機嫌になる姿など、舞依には想像できなかった。首を傾げながら当時の事を思い出そうとする美月に、昴も首を傾げて考えこむ。

 三人で不思議がっていると、玄関からチャイムの音が聞こえてきた。ご飯を口に入れていた美月に変わって、昴が玄関を開ける。


 「はい。――こんばんは、爺さん。久しぶり」

 「うむ。久しぶりだな、昴。また大きくなったな」

 (……?)


 目を綻ばせる源十郎に、昴は再び違和感を感じた。もっとも、その違和感は、大きな池に絵の具を一滴だけ垂らしたような、些細なものだったが。それよりも、受験に失敗してしまった事への気後れから曖昧な挨拶を交わすぐらいしか出来ないでいた。

 玄関で固まる昴を押しのけて、舞依が久しぶりに現れた祖父をリビングに案内する。


 「いらっしゃい、おじいちゃん! 今日はどうしたの?」

 「いやなに。久方ぶりに、お前たちの顔を見たくなってな。美月、変わりないか?」

 「はいはい、こっちの生活は順調ですよ。そっちこそ、昼間っからお酒でも飲んでたみたいだけど、どうしたのよ?」


 すり寄って来る舞依の頭を撫で、美月のぶっきらぼうな態度に面目ないと返しながら、源十郎はソファに腰かける。源十郎は、風呂敷に包まれた何かを抱えていた。落とさないようにしっかりと持っている辺り、とても大事な品のようだ。

 源十郎は出されたお茶を一口啜ると、向かいに座る昴と舞依をじっと見つめた。その瞳には、これから二人に降りかかるであろう災難や苦悩への配慮が見て取れた。

 一抹の不安を感じた昴は、その可能性を打ち消すかのように頭を振って話を切り出す。


 「それで、爺さん。今日は本当にどうしたんだ? なんか昼間から様子がおかしかったし。ばあちゃんになんかあったのか?」

 「ええっ? そうなの?」

 「いや、そうではない。――今日来たのは、他でもない。お前たち二人の両親に関わることだ」

 「親父とお袋?」


 訝しむ昴の問いに答えず、源十郎は風呂敷を解いた。中には、古ぼけた一冊の本と、小さな箱が入っている。源十郎は箱を開けると、中からねじれ双角錐と呼ばれる形の、小さな鉱物を取り出して見せた。


 「わあ、綺麗! これって、アメジスト?」

 「……」


 年相応の反応を見せる舞依に対し、昴と美月は黙り込む。昴はこれに見覚えがあった。生前、昴の父・昂平が源十郎から貰ったと言って、肌身離さず持ち歩いていたものだった。

 流星災害が起こったあの日、父と共に失われてしまったと思っていたその鉱石が、今源十郎の掌の中に在る。最後に見た記憶の姿まま、濃い紫色をした鉱石は照明の光を反射してこちらを誘惑していた。

 美月もこれを知っているようで、鷹が獲物を狙う時の様な鋭い眼で鉱石を睨みつけている。


 「爺さん。どうして、これが此処にある?」

 「……」

 「この石、確かに親父が持ってた物だ。親父は爺さんから貰ったって言ってた。あの日、親父と一緒に消えて無くなっちまったって思ってたのに」


 それを聞いた舞依がハッとした顔で昴と鉱石を交互に見る。

 大きく開かれたその瞳は、まだ完全には癒えぬ悲しみと、朧気にしか思い出せなくなってしまった両親への罪悪感という二つの感情で揺れていた。


 「この石はな、昴。名を"見返りの石"と言う。持ち主の願いをたった一つだけ叶える代わりに、自身の大切なものを一つだけ奪う」

 「何を……?」

 「訳が分からないだろう。気が狂ったと言われるのも無理はない。だが、私は確かに六十年前のあの日――」

 「ちょ、ちょっと待ってよおじいちゃん! 私、皆が何の話をしているのか分からない!」


 堰を切ったように話し出す源十郎を、混乱気味の舞依が立ちあがって遮る。それもそのはず。舞依は流星災害当時はまだ四歳であり、昂平がこの石を所持しているのかも知らなかった。

 そして、今から源十郎が話そうとしている内容は妻にしか打ち明けた事の無い、彼の人生の中で起きた複雑怪奇な代物で、実の娘である栞奈はおろか美月にさえ、聞かせたことが無い。

 当然、昴も祖父の口から聞くのは初めてだったりするのだが、舞依とは違い無表情を貫いていた。


 固唾を飲んで見守る六つの眼から逃れるように源十郎は大きく息を吐くと、湯呑に残っていたお茶を一気に飲み干す。そして、錆びついて固まっていた記憶の扉をこじ開けながら、自身の体験したトラウマについて話し始めた。


 「――お前たちは、『全国かず失踪事件』を覚えているだろうか?」

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