橋姫紫音の回想

竜山藍音

橋姫紫音とオレンジの種

 わたし、若菜わかな樹里じゅりは見習い魔術師であり、探偵助手でもある。ワトソン役として幾らか事件を記録しているが、わたしが高校二年生、彼女が三年生だった年度の末に起こった事件ほど奇妙で危険なものはなかったように思う。或る時から見えない何かの力によって、決められた筋道を辿らされているような感覚に陥るのである。

 わたしが今から記述しようとしているこの事件は、結局のところ一定の解決はしたものの、今なお語られざる謎を残している。わたし達の町で最も危険な人物を相手取ったこの度の冒険は、多分に超自然的なところがあり、理屈で説明することが不可能な点がいくつも存在する。そのため、幾分急展開で突拍子もない記述となることは間違いないが、彼女、橋姫はしひめ紫音しおんの経歴において決して外すことの出来ない或る重要な役割を果たす事件であったために、彼女のワトソンであるわたしとしては、これを語らずにいるというわけにもいかないのである。


「紫音さん、お手紙が届いてますよ」

 私立探偵、橋姫紫音所長が珈琲を飲んでいる所に、助手のわたしが封書を届けた。時刻は午後6時。ついこの間まで普通の高校生であったわたしは、通っている私立野分学園高校の制服を着ている。丁度帰って来たところなのだ。

「手紙? 今時手紙なんて珍しい……」

 受け取るなり封を切る。誰からの手紙なのかくらい確認すれば良いのに、とは思ったが何も言わなかった。何しろ、封筒にちゃんとした署名が入っていなかったのは、持って来たわたしが一番よく分かっている。

「何か変なモノ入っていました?」

 封筒の中を覗き込んだ紫音さんが長く沈黙していたので、つい訊いてしまった。更に長い沈黙の後、所長は答えた。

「……オレンジの種、五つ」

「!?」

 わたしは驚いて、思わず目を見開いた。

 オレンジの種五つ。言わずと知れた『シャーロック・ホームズの冒険』に含まれる短編の一つだ。

 そこでは五つのオレンジの種を送られた人は海外へ逃げるか、さもなくば死んでしまうと決まっている。稀代の名探偵、シャーロック・ホームズが解決出来なかった謎の一つでもある。

「K.K.K. ですか?」

 思わずわたしは尋ねた。

「いや、違うわ。封筒の折り返し部分に署名があるの。『H.S. for J.O.』って」

 と紫音さんはかぶりを振って答えた。

 それはシャーロック・ホームズが犯人と思われる人物に宛てて書いた署名の捩りであった。勿論原典ではS.H. だ。見れば、綺麗な筆記体で綴られている。

「悪戯目的と見るのが妥当、と言いたい所なんだけど」

「悪戯じゃないんですか?」

「それは無理ね。この封筒には宛名すら書いてない。にも関わらずこれが投函されていたという事は、ポストに直接入れたという事よ。だけど、ここの場所を知っている人は殆どいないし、心底必要としていない限りここを見つけるのは不可能なのよ」

「結界ですね。それも割と簡単な」

「そう、だからこそ樹里ちゃんを助手として採用したんだからね。結界を抜けて来るような執念があるなら大丈夫だろうって」

 ここで紫音さんは一度言葉を切り、飲みかけの珈琲を口に運んだ。

「じゃあ悪戯や悪ふざけで私の結界を通り抜けられると思う?」

「無理ですね」

 即答した。術者たる紫音さんは自惚れが強いのでまあ勿論として、第三者であるわたしにとっても即答に足るだけの技術を持っている以上、ただの悪戯という可能性はないと見て良いだろう。

「可能性としてありえるのは、余程私を恨んでる人か、又は魔術師か。そんなところかしら」

「恨まれることなんかあるんですか?」

「そりゃね。魔術師かつ探偵である以上は仕方ないわ。魔術師は平気で人を殺すし、探偵は善人の顔して他人の秘密を暴き立てる。これで恨まれない方がおかしいってものよ」

 あんまり紫音さんが普通に言うものだから、うっかり同意しそうになって、ハッとした。その分、強めの声で反論が出てきた。

「魔術師は平気で人を殺すって、紫音さんはそんなことしないじゃないですか!」

 わたしの思わぬ反駁に紫音さんはやや目を見開いた。が、すぐに元の微笑をたたえ、さらに反対した。

「……少なくとも今までに殺したのは五人だけよ。私だってやらなくて済むなら命までは取りたくたくないもの。でも、この世界で生きていくなら、誰も殺さないのは難しいのよ。だって、殺さないとこっちが殺されるなんて、ざらにあるもの」

「そんなの……まるで戦争じゃないですか」わたしは堪らず俯いた。そんな事が、わたし達の日常で起こっていいはずがないではないか。

「まるでじゃないわ。文字通り戦争なのよ。魔術師同士の戦争は、まだ終わったわけじゃないのよ」

 急に真面目というか、固い声音になったので、思わず顔を上げた。そこに先程までの微笑みはなく、目線だけで人を射殺せそうなほど鋭い、魔術師の眼があった。わたしはあの目をしている時の紫音さんが苦手だ。

「だから私はここを結界で隠して、出掛ける時は必ずコートを着ているのよ。アレが私にとって一番信頼出来る武器だから。なくてもどうにでもなるけど」

 紫音所長は残っていた珈琲を飲み干し、ため息をついた。

「辛気臭い話はおしまい。ところで樹里ちゃん、春休みは明後日からであってるかしら?」

 突然の質問の意味が分からず、わたしは目を瞬いた。紫音さんはそれ以上は何も言わず、長く綺麗な指で空になった珈琲カップを弄んでいる。

「そうですけど……それがどうかしましたか?」

 わたしの返答を聞いて、紫音さんはニヤッと笑った。どう見てもろくなことを言おうという人の表情かおではない。

「明後日、ロンドンへ行くわよ」

「えぇ!? そんないきなり!?」

 驚きのあまり敬語がどこかへ行ってしまった。

「いい反応ね。これを契機に、敬語やめて貰おうかしら」

「それもまたいきなりですね……」

 こちらはさほど驚きではなかったので、行方不明だった敬語はあっという間に帰ってきた。

「む、敬語はやめて頂戴」

 せっかく帰ってきたのに、残念ながら敬語の居場所はなかった。だが、こんなに唐突に敬語をやめろなんて、何かあったのだろうか。そう思って尋ねると、

「いや、だって私達の年齢差なんてないようなものよ。確かに私が雇主だけど、それでも敬語なんかで距離おく必要はないと思うの。私としてはね、上司と部下というより、親友同士くらいの関係でいたいのよ」と答えた。

「友達同士ではないんですね」

「うん、生半可な友情程アテにならないものはないからね。そんな生半可なものは超越して、もっと踏み込んだ関係でいきたいわ。ホームズとワトソンみたいにね。そういう訳で、今から敬語禁止ね」

「はぁ。分かりまし……分かった」

 危ない危ない。うっかり禁止されたことをしたりなんかすると紫音さんはとても怒る。具体的には口をきいてくれない。三日くらい。挨拶しても、大事な用事があっても、全く反応してくれないのである。あれはかなり堪えた。二度と体験したくない。

「よろしい。じゃ、明後日は朝一番でロンドンへ行くから、準備しておいてね」

「え、本当に行くの?」

「何言ってるの? 当たり前じゃない」

 さも当然のように言われて困惑する。いきなり言われても困るんだけど……。

「大丈夫よ。パスポートさえあれば」

「そんな心配してま……してないよ」

 パスポートは持っている。心配しているのは持ち物ではない。ロンドン行きの行く末だ。紫音さんと遠出して、ろくな目にあった覚えがない。犯罪を呼び込む特殊体質か何かなんじゃないだろうか。

「今回は最初から目的が捜査だから、ろくなことにならないことだけは請け合うわ」

「そんなことを保証されても……」

「と、その前に──」

 紫音さんは突然、エレベーターへ向かった。エレベーター内で振り向き、こっちを手招きしている。

 敢えて場所を変える理由があるのだろう。そう思ってわたしは大人しくエレベーターに乗り込んだ。ゆっくりと下へ動き出す。

「全然関係ない話なんだけどさ、樹里ちゃんって推理小説ミステリはよく読む?」

 本当に関係ない話じゃないか。何の意図があってそんなことを聞くんだろうか。

「読む方だと思いま……思う」

「じゃあさ、『本格推理小説ミステリ』って何だと思う?」

 訳が分からない。本格ミステリは本格ミステリだろう。それ以上でも、それ以下でもない。

「えっと、謎解きやトリックが話の主軸に置かれていて、必要な情報が殆ど読者に開示された上で、それでも読者をあっと言わせるような推理小説、みたいな感じ?」

「まぁ、そうだね。なんでさ、アレを『本格』って言うんだろうね」

「?」

 エレベーターが止まる。行き先は地下室だ。例によって紫音さんが足を踏み入れた瞬間に景色が変わる。

「アレを本格と言うならば、例えばシャーロック・ホームズシリーズは本格とは言えないよね。彼はいつもワトソンにはさっぱり分からない情報を、何処からとも無く仕入れて来ては、得意気にそれを披露する。それをもし現代の推理小説でやったら何と言われるか。答えは簡単、『フェアじゃない』だ」

「まあ、フェアではないよね」

 それはそうだろう。読者に分からない情報が後から出てくるようでは、フェアとは言いようがない。でも、言い方を悪くすれば、その「フェアじゃない」という批判は、批判する方のエゴでしかないとも言える。推理小説に何を求めるか、そこによってまた違いが出るところだろう。自分で謎を解きたいと思うなら、情報が出てこないのはフェアじゃない。それは確かだ。勿論、その情報一つで犯人が分かるような情報があってはいけないし、あらゆる情報を開示してしまっては、物語が薄っぺらくなってしまう。書くのも大変難しいだろう。だが、そうでなければどうだろう。読者は完全に傍観者で、探偵が如何に頭脳を使って、また己の知識を以て推理するのか、ということを楽しむという推理小説もある。シャーロック・ホームズシリーズがまさにこれだ。ではこれは本格的な推理小説ではないのか? そんな筈はあるまい。一言に「本格」というのは存外難しいものなのだ。そこにもやはり「本格」と呼ばれるものを書く、もしくは好んで読む人達のエゴが見えなくもない。

 ちょっと長くなってしまった。

 わたしはこれを要約して紫音さんに伝えた。

「よく物事を考えてるのね。推理小説に対する熱い想いが伝わって来たわ。本当に大した話じゃなかったから、気にしないで頂戴。私はその『本格』らしい探偵じゃないな、って思っただけだからさ」

「まあ、本格らしさはないよね。どっちかって言うとホームズに近い」

 紫音さんは破顔した。この人は実際シャーロック・ホームズの大ファンで、驚くべき事に、このビル(?)の各階にシリーズ全巻揃えて置いてあるのだ。しかも、どれも訳者・出版社が違う。地下室に至っては英語の原書である。かなり保存状態が良いが、まさかの初版である。

「さて、話は戻るんだけどね。さっき届けてくれたこの封筒。送り主はロンドンにいる」

 相変わらずわたしにはさっぱりわからない。何故アレを見ただけで送り主の居場所が分かるのだろうか。

「ま、そこは人生経験だね。生きた年数は一年くらいしか変わらないけど、私は今まで色々な所に行って、色々なものを見てきたからね。そういうところの差だよ。こればっかりは、どうにもならないね」

 わたしが尋ねる前に解説してくれた。まあ、紫音さん自身がどうにもならないと思っているのだから、当然といえば当然なのだけども。

「コイツはね、ロンドンの魔術連盟支部から来たものだよ。勿論、人伝にね。それは流石にすぐには分からないから置いといて、ロンドンの差出人の方をあたる」

「差出人に心当たりは?」

「何人かあるわ」

 人脈が広くて羨ましい限りである。わたしなんかはロンドンに知り合いなんか一人もいないから、当然心当たりなんかあるわけが無い。当然過ぎて些か馬鹿らしいくらいだ。

 もっとも、この場合の心当たりとは、嫌がらせもしくは何かしらの報復をしようとする(この場合、少なくとも先方は自分が正義だと思っているだろう)人達なので、羨ましいというのはちょっと違う感じだ。

 自分で思った嫌味に対して自分で反論したところで、紫音さんは今まで弄っていたヴァイオリン(勿論ストラディバリウス)をそっと置き、部屋の奥、もしくは奥の部屋へ向かって歩きだした。

 この空間を部屋の奥と言うべきか、奥の部屋と言うべきかは未だに分からない。壁で隔てられている訳ではない。壁に見えているのは魔術による幻覚である。ならば一つの部屋なのだから、部屋の奥だということになる。しかしどう見ても別の部屋なのだ。そのように見えるから、奥の部屋と言いたくなるのである。ちなみに紫音さんはただ『奥』とだけ呼ぶ。

 追いかけてその『奥』へ入ると、紫音さんは巨大な魔術陣の真ん中で立ち止まり、わたしを待っていた。

「樹里ちゃん、若菜家の専門魔術は?」

「えっと、『降霊』」

 自信なく答えた。

 自分の家に伝わる魔術だが、お父さんが教えてくれなかった事もあって(というかほぼそのせいで)ついこの間まで自分が魔術師の家系に生まれたのだということすら知らなかったわたしは自分の家の専門魔術すら自信を持てない始末だった。

「正解。では降霊術の基本的なシステムは?」

「魔術陣を用いて生贄に霊を憑依させる」

「Good. 高級霊体を降ろす為に必要なものは?」

「歪みのない魔術陣、多量かつ高純度の魔力、高級な被憑依体」

「Great. 何が出るか分からない降霊の際に必ずしなければならないことは?」

「魔術陣の周囲に結界を展開すること」

「Excellent! それじゃあ、やってみようか」

「えぇ!?」

 突然何を言い出すんだこの人は。いきなりやって出来るわけがないじゃないか。

 そうは言っても、やってみなければ出来るようにならないのは当然であって、いつかはやらなくてはならないものだ。それはそれとして──。

「無理無理無理無理! 基本もまだ出来ないのに!」

「無理だと思うから無理なのよ。やってしまえば出来るものさ」

 他人事だと思って……。

「それに、あの総角に頼んで人形人体を二つほど貰って来たから、被憑依体の心配はいらない。魔術陣は私の書いたこれで一切問題ない。召喚にも転用出来るけど、本来の用途は降霊だからね」

 そう言って紫音さんが指を鳴らすと、細長い、それこそ人が一人すっぽり収まりそうな箱が滑って来た。箱は上部が開けられていて、中にはたくさんの花と、一糸まとわぬ姿の少女が収められていた。

「これは……?」

「総角明菜作の最高級人形人体よ。アイツ自身の体よりも精巧に出来てる。神経の一本一本まで完璧にね。ちなみに二体合わせてざっと三億円くらいの価値だってさ」

「さ、三億円……」

 巨額過ぎてもうどのくらい凄いのかわからない。わたしは一生かかってもそんなには稼げないのではなかろうか。わからないけど。

「ま、ただで作らせたんだけどね。だから本当に三億円の価値があるのかは分からないわ」

 それでも、総角さんが三億円と言ったならそうなんだろう。あの人は確かに性格が悪かったが、それでも自分の作品について嘘をつくような人ではなかったと思う。

「少なくとも魔術陣と被憑依体の心配はいらないし、どっちもかなりいいものだから、樹里ちゃんの技術が付いてこなくても、何かしらは降ろせるわよ。試しにやってご覧なさい」

 試しにって言ってもなあ……。まあ、やるしかない。やらなくては後で大変だ。やった後のことは紫音さんに任せるとして、わたしは取り敢えず降霊するだけしよう。

「わかった。とりあえず、やってみる」

 腹はくくった。やってやろうじゃないの!


「へえ、貴女が私達を呼び出したって訳?」

「ええ…そうですけど…」

 成功は、したらしい。何を呼び出したのかわたしにもわからないし、なんか凄く上から目線だし。物理的には下だけど。

「ふぅん……」

 す、凄く見られてる……。紫音さんは呆然として固まってるし……。いや、あれで案外色々思案しているのかもしれない。

「ねえ、? 貴女はどう思う?」

「そんなにジロジロ見たら可哀想だと思うよ、

 ミカエルと呼ばれた方の……何と言ったらいいのだろう。人形ではもはやないし。降霊術だから、霊? でも憑依して生きてるわけだし。ともかく、ミカエルと呼ばれた方の子(小さい女の子にしか見えないのだ。総角さんの作った人形のせいだ)がむくりと起き上がって、最初に起き上がった方、すなわちガヴリエルと呼ばれた方に向けて気だるそうに言った。

「あー、まあいいわ。貴女が私達の主様って訳ね。なら、奥で固まってるあの女の人、そろそろ現実に引き戻してあげなさいよ」

 なんでわたしはたった今わたしが呼び出した霊体に指図されてるんだろう。なのに抗えないというか、従わずにいられない感じがあるのはどうしてだろう。

「紫音さん。紫音さん!」

「ひゃっ!?」

 肩を叩くと、今まで見た事がないくらいにびっくりして飛び上がった。

「嗚呼、なんだ、樹里ちゃんか」

 なんだとはご挨拶である。よほど驚いたようで、紫音さんはまだ心臓のあたりを押さえている。

「吃驚じゃ済まないよ。まさかあんなのを降ろして来られるとは私も思ってなかったからね」

「あれ? そっち?」

「ん?」

「いや、私が声をかけたことに驚いたのかと思って」

「うん、それにも勿論驚いたけどね。そもそもなんで固まってたのかって、アレを見たからだよ」

 紫音さんは未だ服も着ないで部屋の中をジロジロと眺めている二人を指さした。

 途端、紫音さんの人差し指が有り得ない方向に向かって、べキッと音を立てて曲がった。明らかに折れている。

「ただの人間の分際で私達の方を指さすとはどういうつもり?」

 ガヴリエルが紫音さんを睨みつけている。

「ちょ、ちょっと! 何してるんですか!」

 わたしは思わず叫んでいた。

「いや、いいんだ、樹里ちゃん。アレはね、聖書に登場する、使使だよ。指さしたりなんかすればそりゃ折られるわ」

 そう言った紫音さんの指はもう元の通りに治っている。今の時間だけで詠唱せずに、魔術陣も使わず治療できるのだから、紫音さんはやはり天才なのだろう。まあ、詠唱云々には紫音さんの特殊な体質が関係しているらしいのだけども。

「あら、よく分かってるじゃない。そう、私は大天使ガヴリエル。より正確に言うなら、その偽物」

「そして私が大天使ミカエル。勿論私も、偽物」

「大天使でありながら、大天使ではない何か。でもこの肉体からだはいいわ。極上ものね。大天使の権能がほぼ引き出せる。あぁ、心配しないでいいのよ。主様には絶対服従。それが基本だもの」

「主様にその自覚がないように見えるのは私だけ?」

「ちょっと黙ってミカエル。ねえ、主様? 貴女の名前は?」

 ちょっと黙って、と言う時だけ口調がキツかったが、それ以外の時は優しく包み込む様に話している。悪い人、いや、悪い天使ではないのだろう。悪い天使とか、想像もつかない。というかそれはもう悪魔だ。

「答えてあげなよ、樹里ちゃん。呼び出したのは樹里ちゃんなんだから、樹里ちゃんが彼女達の言う『主様』だよ」

 あ、そうなのか。アルジサマなんて言葉をかけられることなんてなかったから(普通そうだよね)気が付かなかった。

「え、えっと……若菜樹里です。よろしくお願いします」

「若菜樹里。それで樹里ちゃんね。なるほど、納得したわ」

「こちらこそよろしく、主様」

 一通りの挨拶が済んだそのタイミングで、ガヴリエルが今更のように訊いた。

「ところで、なんのために私達を呼んだの?」


 五分後、私達は三階の紫音さんの部屋にいた。

「つまり、ものは試しとやってみたら、いきなり私達が降ろされたって訳なのね?」

 紫音さんも私も頷いた。

「凄いね、私達は人間が呼び出せる最高位の霊体だよ。それを二人もなんてね」

 きっと凄いのはわたしではなく紫音さんの魔術陣や総角さんの人形なのだろうけど、わたしは何も言わなかった。

「まあ、何にせよ良かったわ。降ろされた先が戦争中、なんて事になってなくて」

 ガヴリエルが安堵のため息を漏らした。それはそうだろう。しかし、別に戦争中でない訳ではないのだ。わたしはさっきの会話を思い出す。まだ30分も経ってないと思うのだけど、感覚的にはとてもそうは思えない。

「じゃあ、私達の事も話さないといけないね。私達が大天使だってのはさっきそこの橋姫さんが言った通りなんだけどね。別に、大天使そのものって訳じゃないの」

 今度はミカエルが話し始めた。大天使そのものではないとは、どういう事だろうか。わたしの理解出来ないという顔を見てとったのだろう、ガヴリエルが補足した。

「つまり、私は確かにガヴリエルだけど本物の大天使ガヴリエルではないの。偽物だってさっき言ったでしょう? 大天使の権能を使えるだけの、ただの小学生みたいなものよ」

「どう見てもただの小学生じゃないんですけど……」

「まあ、それは言葉の綾ってことで見逃して頂戴。うん、体格的にも中学生か高校生くらいね、確かに。それは良しとして、さっきはあんな事言ったり指折ったりしたけど、別に天使だとか気にしなくていいわよ。あ、いや、ちょっとは気にして欲しいけど」

「結局、何が言いたいの?」

 紫音さんが口を挟んだ。遮られたガヴリエルが紫音さんを睨みつける。

「もう! ちょっとは仲良くしてください! それが出来ないなら紫音さんには私に対する以上の敬意を払ってください!」

 珍しく大きな声を出した。紫音さんが目を丸くしている。

「言ってること無茶苦茶だよ、それ」

 ミカエルが即座に突っ込んだ。

「……まあ、いいでしょう。他でもない主様のお願いだもの。良かったわね、大天使を好きに扱えるのよ、貴女」

「でも、実態は違うんですよね?」

「そう、だからね、その敬語を止めてもらいたいのと……」

 何故だか凄く言いにくそうにしている。

 しばし沈黙した後、とても恥ずかしそうに、

「その……衣食住と、名前をください」

 と言った。

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