第12話 策士の朝食

 ……風切り音がして、ジョリーは目が覚めた。

 久しぶりのベッドだ、もう少し寝させて欲しい……彼女は枕に顔を埋めた……


 ……ビュッ……

 ……

 ……

 ……

 ……ヒュッ……



 刃音は連戟ではなく、間隔を空けて聞こえてくる。

 音の主は、レイだろう……朝練という事か……ジョリーはもう目が覚めてしまった、レイのせいだ……


 ……ジョリーは音を注意深く聴きながら、ベッドから半身を起こし、 ベッド脇の窓から音のする庭を見た……


 ……レイは、庭の真ん中で胡座をかいて座っている。左手は、柔らかく、木刀の鞘に添えられている……よく見ると、完全な胡座ではない……

 微動だにしないレイを観ながら、ジョリーは朝の寒さに思わずくしゃみをした。


「くしゅん!」


 ……ヒュッ……


 くしゃみとレイの刃音は同時だったようだ。

 ジョリーは再び庭を見ると、いつに間に抜いたのか、レイは片膝立ちで、上段に木刀を構えていた。


 ジョリーは、窓を開け拍手した。

「すごい!すごい!」


 ジョリーの屈託のない称賛を背に受けながらもレイは少しの間、微動だにせず硬直していた……それから石化が解けたかのようにガクッと身体が動き、次いで振り向き、僅かに苦笑しながら木刀を鞘に納めた……

「いつから見ていた……」とレイ……

「胡座からね、すごい早業ね」ジョリーは欠伸をしながら答えた。

 木刀はよく見ると、刀身が反っており、抜刀する際に抵抗無く抜けるようになっていた、これが、直刀なら、先程のようには行かないだろう……だが、それにしてもそこそこの長さの刀身だ、余程鍛練していないと、あれほどの早さで抜けないだろう。

 昨晩の件といい、ジョリーはレイに興味が湧いた。剣匠という人種が皆レイの様なのか?

 或いはレイだけが変わっているのか?

 何にせよ、戦乱の世から丁度20年が経過し、戦いの傷跡も消え去りつつある今の世の中で、この男は戦の事しか考えていない様だった。

「……遅いよ……袈裟掛けに斬られた即死だ……」レイはひとりごちた。

「……何の事……?!」ジョリーはレイの言葉の意味が前半しか判らなかった。遅いよ……は、自分の鍛錬が足りず所作が遅いと云う事なのだろう、この戦馬鹿ならいいそうな事だ……ジョリーは既に言葉少ないレイから内容を汲み取る事が出来るようになっていた。

 これは昨日の仕合が影響していると彼女は思った。

 ただ、後半の言葉の意味は突飛すぎて理解不能だった……ジョリーが怪訝な顔をしているのをレイが察したのか、すまなそうに、「相手に斬られたんだ袈裟で……」とレイは言った「あぁ、イメージトレーニングしてたのね」とジョリー言った。

 レイは頷き、「まぁ、きっちり死ねたからいいんだけどな……」とまたまた意味不明な独り言を云うと、火照った身体を冷ます為か、井戸の方に歩いて行った...

 ジョリーはレイの独り言の意味を理解出来ないままではあったが、隣室から流れてくる子気味良い包丁の音に引き寄せられる様に食卓へ向かった。

 マダムユナは朝食調理の真っただ中だった。

 今日はジョリーの分も合わせて3人分の料理を作らねばならない。

 マダムユナは張り切っていた、少し早めに起きて料理を始めたのは、3人分の物量の為だけではない。

 料理をする人なら分かるが、2人分が3人分になった所で、作業時間が大きく伸びる訳では無い、要はマダムユナはジョリーにおもてなしをする為に、いつもより腕によりをかけて料理を作りたかっただけなのだ。

 品数はいつもより2品は多く作りたかった。あの時助けてくれた "網切" のゴードンの娘さんに感謝の気持ちも込めて……出来れば本人に感謝の気持ちを伝えたいが、それはかなわない事だった……ならばせめて娘さんに喜んで貰える様にと、マダムユナは考えた……急な来訪の為、自宅に保存している食料から出来るものは限られたが、それでも昨晩、遅くまで献立を考えて下ごしらえもしておいたのだ。


 早起きした甲斐もあり、何とか料理は間に合った、マダムユナは一安心して、テーブルに料理と食器を並べた。

 そうしている内に鼻をクンクンさせながらジョリーがやって来た、あまり行儀が良いとは言えないが、それが嫌味なく可愛く見える子だった。

 ジョリーはテーブルに並べられた沢山の料理に目をキラキラさせながら、「スゴイ!おいしそう!」と開口一番言い放った後に、「ごめんなさい……おはようございます……」と恥ずかしそうに付け足した。

 マダムユナはジョリーの反応にとても満足した、レイもこの位反応が良ければ嬉しいのだけれど……と思う……ジョリーに椅子をすすめ、自分も座った、後はレイを待つだけだ。


 ••••今朝の献立••••

 ナッツ入りサラダ

  かぼちゃのスープ

 鹿肉の赤ワイン煮込み

 キノコとジャガイモの煮物

 チーズケーキ ブルーベリージャム添え


 今の食材で出来る限りのおもてなしだった。


 暫くすると髪の毛を濡らしたままで、レイがダイニングに入って来た。

 食卓の料理を一瞥して一言「……どうした……」とだけ言い自分の椅子に座った。

 マダムユナは、席を立ち引き出しからタオルを出すとレイの頭を拭き始めた...

「……自分でやるよ……」と言いながらレイはマダムユナの手からタオルをひったくった。マダムユナは少し不満そうに、水を取りに台所に行った……

 ジョリーは二人を見ながら、初めてレイの18歳らしい仕草を見た気がした……また、母親の優しさを感じる……自分には感じた事が無いものだ、ジョリーの母親はジョリーが赤子の頃に流行り病で亡くなった……ジョリーは早くから片親だった。

 その後は父親は盗賊からスカウトへの仕事内容の変更に忙しく、彼女に構っている暇は殆ど無く、ジョリーは祖父母宅で大きくなったのだった。

 それでも父親が忙しい中で愛情を注いでくれた事は今となっては理解出来るし、北ラナ島戦が終戦した直後だから片親の友達も沢山いたから自分が特段不幸な境遇とは考えなかった。

 それでも、この光景を見て羨ましい気持ちが無いと言えば嘘になる。

 ジョリーは目の前の光景をとても眩しく感じる、眩しくて、食卓から目を逸らし、庭を観れる小窓を見つめながら夢想する。

 自分がどう頑張っても得る事の出来ない母親からの愛情……レイも2年前に父親を亡くした訳だが、16歳まで両親が健在だった事は、ジョリーからすればとても幸せな事に思えた。

 少なくとも彼女の様に、母親の愛情を知らないと思わなくて済む、思い出•記憶はとても大事だと彼女は最近思う様になった……


 ……ザクッ、ザク……ザク、ガッ、ザク……


 彼女が感傷に浸っている数刻、子気味良い音が聴こえてきた、見つめていた小窓から視線を食卓に戻すと、髪を拭いたタオルを無造作に首に巻いたレイが無言でサラダをフォークで突き刺して口に放り込んでいた、なんの魔法を使ったのか、既にサラダは大半が消え失せており、煮物からホクホクしていそうなジャガイモの殆どはレイの皿に載せられ、次は鹿肉の煮込みに標的をあわせフォークを突き刺す寸前だった……


「……ちょ、ちょっと何なの、待ちなさいよ!!!!」ジョリーは思わず乱雑な言葉で叫んだ。


 丁度、マダムユナもレモン水を入れたガラス瓶を持って戻って来た所だった。


「ジョリーどうかしたの?その様な物言いは余り感心しませんよ……」マダムユナはにこやかにそういいながらガラス瓶を食卓に置こうとして固まった……


「……レイ?……貴方?……もう食べちゃってるのね……」呆れ顔でマダムユナが言う。


「ジョリー本当にごめんなさい、貴女を饗す為の料理なのに、レイどうして殆ど食べちゃっているじゃないの!!!」マダムユナが珍しく早口でまくし立てた。


「……饗してたのか……」……と言っていたのか???多分……


 ジャガイモを口一杯頬張っているレイからは無理に喋った為に、モゴモゴと空気の漏れる音と煮込のソースが数滴、滴り落ちただけだった……

 レイの咀嚼が終わり、喉をならして嚥下するのを二人の女性は半ば放心状態で眺めていた……


 マダムユナは、『ジョリーにどうして謝ろう、息子にもっと礼儀作法を教えるべきだった、ヤーンに任せ過ぎた……』後悔先に立たずとは正にこの事、と彼女は顔から火が出る思いだった……


 ジョリーは、『サラダは殆ど無いし、レイの皿には美味しそうなジャガイモがどっさりと盛られている、せめてメインの鹿肉は置いといてよ馬鹿!!!』ジョリーの中に先程の感傷は全て消え失せていた……しかし心の声とは裏腹に、出てきた言葉はコレだった「……いいんです……男の子って沢山食べるから……見ていて気持ちがいいですね」「あと、荒っぽい物言いごめんなさい……家族が男ばかりだから……つい……」ジョリーは赤面を隠す為か頬を両手で挟んで俯た。

 その間にもレイは自分の皿に盛った料理を無言で食べている……

 俯いたジョリーにマダムユナは恐縮しつつ、ジョリーの前に跪いて言った……

「貴女が謝る必要は無いのよジョリー、本当に謝るのはこちら、この子にこういった常識を教えなかった私の落ち度です……」マダムユナは美しい眉をしかめ、

「レイ、いい加減にしなさい、もう貴方は食べてはダメ」マダムユナは食品の残った大皿を両手で抱える様にして、レイのフォークから料理を守る仕草をする。

 今度は口に料理が入っていなかったのか明瞭にレイは返事をした……

「……あぁ、そうなのか、まぁ、俺はもう十分食ったよ……」レイはそいう言うと自分の皿に載った最後のジャガイモをフォークで一刺しし、名残惜しそうに口内に放り込んだ。

「……鹿肉はいいの???」思わずジョリーは尋ねた、どう考えても鹿肉が一番のメイン料理である、ここまで、ガツガツ食べておいて、鹿肉は遠慮するのか、ジョリーの頭は混乱していた。

「……もう時間切れだ……」レイはまた意味不明な言葉を言い、静かに手を合わせ今日も朝食を頂けた事を神に感謝した後、立ち上がり、音も立てず椅子を仕舞い玄関から外へ出て行った……

 その所作を観て、ジョリーは思う。

 この男は粗暴な真似をしているだけなのか??ちぐはぐなのだ、全てにおいて、荒っぽく朝食をかっこんだと思ったら、行儀良く、食事を終わらせる。

 良く観れば、ナイフとフォークはあれだけバクバク食べた筈なのに、先端付近しか汚れておらず、作法道理に、綺麗に並べて皿の上に置かれ、食事終了を示してある。

 マダムユナは再三の謝罪をし、ジョリーに食事を促した。

 ジョリーは少し残ったサラダを皿に盛りフォークで口に運んだ、採れたての野菜は瑞々しく、ナッツの食感も心地良い、酸味の効いたドレッシングは更に食欲を増進させる。

 そして、スープとジャガイモの煮物を堪能し、最後にたっぷり残った念願の鹿肉を思う様皿に盛り、ソースをたっぷり撫で付けた鹿肉を頬張った……柔らかく豊かな肉汁を口いっぱいに感じながら、もう次の鹿肉へ視線は定められている。

 結局、ジョリーは一人で鹿肉の赤ワイン煮込みを食べ尽くし、鹿肉だけでは足らなかったのか、パンをちぎっては、皿に残ったソースを掬い取り甘く濃厚なソースを味わった。

 ジョリーはやっと食べるのを止め、レモン水を一息で飲み干すと、深呼吸と共にマダムユナの方に向きなおり、

「おば様、とても、とても美味しかったです……」と言った……

 ……マダムユナはジョリーが食事に満足している事を感じ取り一安心した……

「ありがとう、レイの事はごめんなさいね…⁉️」マダムユナは再び謝罪すると、「あの子は、本当に……何なのかしらね……」細く長い首を傾げ独りごちた。

 ジョリーは尋ねたかった話が向こうから来た事に内心喜んだが、平静を装いつつ訊いた……ここからが勝負だと気合を入れ……上目遣いでマダムユナを見ながら質問を投げかける。


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