第21話

 その様を、離れた砂丘の裾で、伏せながら見ているだけだった。

 砂丘の裏に身を隠すのは、アルナ、苦し気に息を漏らす亜粋と、その工員たち。皆――刷り込まれた逸脱機への畏怖もあるのだろうが――その武牢の超然たる異形を、慄然としながら只見ていた。

 どれ程の膂力を以ても殺せぬ不死身の体躯。見えない力で何物も砕く異能。邪智を繰り弱者を甚振る残忍性。

 絶対なる暴力を前に、彼らは獅子を前にした子兎のように、慄き潜む、それだけができることだった。

 その時、砂丘の向こうへ射るような視線を向けるものがただ一人いた。アルナは何かを決意したように瞑目すると、駆け出すために片膝を上げる。

「お、お役人サン、あんた馬鹿か!?何してんですか!」

 工員の一人が、声を潜めながらも恐慌状態でアルナに詰め寄る。己よりも二回りも年上な髭面の工員に対し、少女は憶することもなく答える。

「あのままでは炉那と言えど死んでしまいます。ただ一瞬だけでもいい、武牢の拘束が解かないと」

「それが馬鹿だって言ってるんです!アイツの逸脱機、見たでしょう!?銃すら持たない俺らに何ができるってんですか!」

「心配なさらず。無策ではありません……あれを使えば、あの逸脱機相手でも武牢を傷つけられるはず」

 そう、一切の衝撃を受け流す利器でも、逃れ得ぬ弱点はある。

 確信と決して揺るがぬ意思を以て言うアルナに、工員たちは憶する。誰か一人が、憎々し気に言い放った。

「あんたどうかしてるよ……怖さとか、感じてねえんですか」

 アルナには打開策があるのだろう。逸脱機すら持たぬ己たちでも、武牢を倒す可能性が零ではないと言うのだろう。だがそうとわかっても――あの破壊の暴風を前にして、人間が本能的に恐れないわけがない。恐怖は、論理で抑え込める代物ではない。

だがそんな中で、この少女は一時も躊躇うことなく死線へ飛び出そうというのだ。

 一陣の風が砂海を奔り、その長髪が月光を浴び白絹へと変わる。玲瓏たるその一房を指で梳くと、アルナは申し訳なさそうに笑い、戦場へと走る。



 愉悦を全身で堪能しながら狂笑する異形の視界の外で、何かが小さく動いた。横目で見れば、あの愚かで脆い太陽官だ。銀糸を風にたなびかせ地を駆ける姿は健気で絵になるが、その行動の無意味さに武牢は哀れみさえ覚える。

 少女は何かをスーツの上着で包み、抱えていた、恐らく自動二輪の部品の一部だろう。確かにそれで殴りつけるなり投げつけるなりすれば一介の人間は昏倒するだろう。だが今の武牢を殴れば、その分衝撃が少年に伝わり苦しむだけだ。

 わざわざ無駄な足掻きに付き合う必要もない。武牢がそのチューブを伸ばし、走るアルナの足を絡みとれば、少女は滑稽なほど綺麗に転んだ。そしてチューブを引き、彼女の身体すらも絡めとり拘束する。

「アル……ナ……!なにやって」

 呻く少年の口をチューブで塞ぐ。その時、武牢の内で暗色の嗜好が唾液を垂らした。この少年の目の前でこの少女を弄び尽くしたらば、どれほどに楽しいかと。

 転んだ瞬間脳が震えたのか、虚ろな意識のアルナ。その足にチューブが絡み、関節を曲げてやれば、すぐに覚醒し、苦痛に叫び声が上がる。

「うぁっ……!」

 それを聞いて、少年の顔が痛ましく歪んだ。しかしそれに対して当の少女は、脂汗を掻きながらも、瞳に光を、口に笑みを浮かべて見せる。

「……炉那。少しだけ痛むと思うけど……赦してね」

 武牢がその言葉を理解するよりも早く、アルナは未だ拘束されていないそれで、抱えてた何かを彼へと投げつけた。

 武牢は避けない。そんな行動は不死身の身体を手にした彼にとって無意味だからだ――だが、それを目にした瞬間表情が驚愕に歪む。

 それは自動二輪に備わっていたバッテリーだった。その接続部が武牢に触れ、紫電を散らす。


 武牢の叫声が地に轟いた後、アルナと炉那は荒っぽく投げつけられ、原野の斜面を滑った。

 その身には武牢の身体から伝わった電流が逸脱機を通し自分たちにも流れ、僅かに身体が痙攣している。炉那は掌を閉じ、開き、体の感覚を取り戻すと、脇に転がるアルナを抱き留めた。

「本当にっ!無理をするな、お前は!」

「あはは……バッテリーを抜いたんです。衝撃は受け流すけど、電気はそうじゃないだろうと」

 アルナは未だ意識が混濁しているのか、うわごとめいて繰り返す。だが一拍、瞑目した後再び瞳を開ければ……そこには常なる光が戻っていた。暗中でさえ失われないその輝きに、炉那の心が調律チューニングされる。

「だから、炉那。あいつが受け流せるのは衝撃だけなの。それ以外のものならきっとあいつを倒せる……電気や、熱なら」

 熱、それを聞いて炉那がはっと顔を変える。

「……あれを打つには時間と、姿勢を安定させる必要がある」

「時間は……賭けるしかない、だけど姿勢は、私にまかせて」



 武牢が砂原に跪く。グラスの表面の結露が如く、噴き出る脂汗を苛立った様子で拭った後、深く深く息を漏らす。凍える砂漠にその息は湯気となり、噴煙めいてたなびいていった。

 武牢が視線を動かす。少年と少女を投げ飛ばした、下りの斜面の方向ではない。半壊した自動二輪が転がっていた場所だ。

 その場所に、案の定青色吐息の亜粋が、自動二輪の座席部だったものにもたれていた。

「ほほ……カンカンだの。一計謀られたことがそんなに悔しいか」

「糞、爺。悪知恵を、働かせやがっ、て」

「発案はあの嬢ちゃんじゃよ。まったく……ニトロよりも危なっかしい生き方だの」

 少し思案するように目を細める老爺の顔を武牢が睨みつけ、そののちに踵を返す。賢明だ、囮を買ってでたことが明白な死にかけの老人よりも、目下危険たる少年少女を殺しにいくというわけか。

 だが、そんな彼を横から飛び出した影が停める。その体当たりの衝撃すらも伝播させたため、武牢が倒れることはなかったが。その工員は尚も武牢を離さないため、進むこともできない。

「なんだ……てめえは……!」

 先ほどまで怯え切っていた囚われの工員が、今や窮鼠の如く己にかみついた。その一人を蹴り飛ばした後にも、また一人、また一人と庇うように進路を立ち、武牢の前進を阻む。

「どけ!邪魔だッ!無能な畜生が何ぴき来ようが俺を止められるわけねえだろうが!」

「じゃあなんだ!?黙って座ってろってか!?」

 そのうちの一人、未練がましく足にしがみついてきた髭面の工員が、血と唾を噴きながら情けない程に喚きたてる。だが、腫れと涙に隠された瞼の内には、確かに埋め火の如き光彩が垣間見えた。

「月都のお役人さんは……あの子はな!ビビッてる俺らよりも先に、一人で飛び出してったんだぞ!俺らがあのガキを見捨てようなんて、考えちまってた時だ!」

 自責めいて繰り返される譫言に、武牢は少女に灯された男たちの士気を見た。別の、年若き工員が武牢の首を絞め上げ咆哮する。

「そうだ、二十歳にもならねえ子供ガキが、笑って逝こうとしてんだ。それなのに――肝心のオッサンたちは見てるだけか!?」

「馬鹿いうんじゃねェ……そうさ、俺らにゃお前を止められるわけがねェ。死ぬほど弱っちいのはわかってる」

「だがただ見てるくらいなら――あいつらが逃げる0.1秒でも稼げだほうが、御の字だろ!」

「そうだの。まったくあの勇敢な嬢ちゃんを前にすると、己が嫌になる……臆病で無力な己が。そして奮起したくなる。己も行動したくなる」

 吐息を宙に飛ばしながら、亜粋はもはや武牢にも聞こえぬほどのか細い声で独り言ちた。

 アルナが砂丘から飛び出していったとき、それまで立つこともできなかった部下の一人が、毒づきながらも駆け出した。一人、一人と彼女を追った。少女に感化されたものもいた。少女の蛮勇を最後まで止める者もいた。いずれにしろ、それまで首を垂れていた彼らが、否応なしに立ち上がらされた。

「それがあの嬢ちゃんの“毒”であり……“力”なのだろうな。戦旗が如く衆目を誘い、そして賛歌の如く奮い立たせる力。誰かの“星”となる才覚」

 成程、確かに彼女なら、“タイヨウ”を墜として見せうる――亜粋はこの時初めて、あの白金の太陽官を認めた。


 弾き飛ばしてもなおまた一人、一人と飛び掛かり、武牢にしがみ付く。殴打ではなく拘束の手段をとってくるため、逸脱機を以てしても彼らから逃れることはできない。

 足に纏わりつく一人を踏みつけろっ骨を折る。その衝撃を首を絞める一人に伝播し、苦悶に失神させる。その様に身を竦ませた一人の首に手をかけ、鉄拳をその鼻面に叩き込む。

 されど武牢が覚えたのは脅威、そして屈辱だ。外ならぬあの少女の持つ指導者としての才覚に――武牢は薄ら寒いものを感じた。

 武牢も壊都自警の長である。そして彼自身、人々を意のままに操ることにある種の自負を持っていた。その手腕は畏怖と教練を以て忠誠心を養うもの。事実、壊都自警の団員は武牢を忠実な猟犬となっている。

 だがあの少女はそれよりも尚激しく瞬く士気と忠誠を、己が先駆けとなることで工員たちに生まれさせた――それは、もはや意図せぬ行動ですら人を惹きつける統率者カリスマの資質。

 指導者としての武牢の自尊心をぐちゃぐちゃに潰し、そして未来の敵として恐れさせるには十分だった。今、少女を嬲っていた時のような余裕は武牢にはない。

 殺さねば、なんとしてでも、あいつだけは。


 その時、冷えた空気を突き抜けて、よく通る声がこの場の全員の耳に届いた。

「皆さん!もう、いいですっ……離れて!」

 外ならぬ、アルナの声。その声は武牢より30m余りは離れた砂上から聞こえた。見ればそこには――膝を立たせて座る少年を、背後から支えるかのように抱く少女を。

「もう十分貴方たちは戦いました。そして……勝機は掴めました。後は、“私たちが彼を倒します”」

 不動の確信を感じさせるその言葉を誰しもが耳にし、工員たちは武牢から離れ、飛び出していく。武牢もそれをわざわざ追いはせずに、彼らの士気の動力炉たるアルナへ一心に進んでいく。その瞳は殺気に燻り狂っていた。

 アルナは向かってくる四肢ある暴力を、真っすぐに見つめていた。そして目の前にいる炉那の腰に手を回し、足で彼の身を挟み込む。ちょうど、炉那を座ったまま後ろから抱くような形だ。

「……確かにこれなら、姿勢は安定するけどな」

「でも今はこれしかないの!」

「…………わかったよ」

 背中に当たる柔らかく温かい感触から炉那が片膝を立て、そこに右腕を乗せ、掌を開く。

「発射の瞬間、ものすごい轟音と反動が来る」

「大丈夫。覚悟はもう何度もしているから」

 毅然と言い放つ彼女に炉那はうなずき、己も正面へと向き直る。

 全身のチューブの束を、螺旋状に噴きあがる火焔の如く蠢動させ口から白煙を噴く影が、こちらへ距離を詰めていく。如何なる攻撃が来ようと己の身を傷つけることには能わぬと思っているのか、避ける気配すらない。

 その様に目を閉じ、瞳の内に武牢を、空を、砂海を、月を、星を、タイヨウを焼き付けたならば、炉那の右腕の機構が開き弩を形作る。


 その弩の両端より光線が放たれ、弦を構築。左腕でその弦を引き絞り、照準を固定。

 射線の先には異形の影。もはや寸刻と経たず、その触腕の射程圏内にこちらは入る。

 痛みか、疲労か、僅かに痙攣しだした炉那の右腕を、乳白の繊手が優しく包み込む。アルナがこの身に密接し、照準のずれを止めてくれる。

 彼女の身を通して、その脈動が伝わってくるのを、炉那は感じた。

 この余りにも小さな小さな震えを――確かに、炉那は感じていた。


 鉄腕のスリットから白光と白煙が漏れ出し、指を開いて掌を武牢に見せる。

 何かを感知した武牢がその身を僅かに引くが――もう、遅い。

 弦を限界まで引き絞る。そして、祝詞のような呪詛を。

「失せろ」

 此処は、お前の舞台じゃない。


 指が弦から放れた。



 砂塵を巻き上げ駆動する赤銅色の球体が一つ。

莫琉珂の操縦する全鋼機蟲だ。身を丸めた甲殻の機蟲の内で、莫琉珂は外部カメラから月下の砂原を見回す。そのうちのどこかに、己の育ての親と雇い主がいるのだろうから。

されどこの機蟲を取りに行っている内に炉那も見失い、当てもなく砂原を駆けまわってしまった。焦りが彼女の心を炙る。

 その、外部カメラの一つに、奇妙な影が映った。幾筋もの触手の集合体のような。

 駆動を止めずその画面に目を向ければ、思わず莫琉珂は目を剥いた。

「ぬあっ……!」

 それはそこに映る触手の巨人にではない。それに向かい合い、鉄腕を向ける少年の影にだ。

 その掌より白光が零れ、そして弓引くかのような仕草を見せれば――。


 視界一杯に瞬いた光が、地を這う一縷の流星となり、千腕の異形を撃ち貫いて、奔る。


 かつて、天狗という精霊がこの地には居たという。様々な姿が前文明の伝承に残っているが、本来は「天の狗」という名の通り天を野の様に駆ける犬の姿をしているとされる。即ち夜空を天翔ける、流星の象徴化だ。

 人々が星雲にそれを見だしたように炉那が放った一条の流星あまいぬも、まさしくその超常を想起させるに足る――神話のような光景だった。

「そ、そんなことが、あるかぁ~~~~っ!!!」

 だが少女はそんなものは歯牙にもかけず、ただただ画面に顔を押し付け喚きたてる。その目は一時的にだが養父のことを忘れ、その様を食い入るように見ていた。

 画面の内では半身を射貫かれ消失した武牢が、驚愕の表情のまま倒れていく。

そこから逆再生、ある一点から再び一フレーム送りにし、発射の瞬間を千分の一の時間で再生する。高解像度の外部カメラが捉えたその映像を、この目で再び確かめるために。

「や、やはりか……ならば、あの逸脱機は何なのだ……!?」

 天才は唾を飲み、驚異にその栗毛を逆立たせる。

 液晶の内、少年の掌には――たった須臾の間だけ、小さな光球が出現していた。

 どこか“タイヨウ”を思わせる完全なる真球を。

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