第13話

 その轟きは穹窿自体を震動させ、炉那でさえ僅かによろめいた。白亜のパネルを、幾何学模様的に組み合わせた地面に、破片がはらはらと降り積もる。

 見上げれば――あの降下スポットに亀裂が入り、轟轟と煙霧と共に崩れ落ちている。

「なっ……!」

「おいおいまじかよ!嬢ちゃんたちは……!」

 ここは最上層から七番目。さすがの二人でも、面に広がる崩落の中から点の如き少女の影を見出すことはできない。だが、爆炎を反射する、銅鋼の球体は目視できた。

「炉那!」

 答える声はなく、代わりに少年は駆けだし、階層の淵から迷うことなく飛び降りる。そして――軌跡を描き天駆ける、金の蜻蛉に指を駆けると、空を切って飛翔した。

 落下していく大質量を潜り抜け、一段、二段と階層を上昇していく。鎧・零七式の影が見えた。

黄金翅にかかる指に、自ずと力がこもる。

 少女は機蟲の側で宙を踊っていた。その白金の髪が気流に流され。風に梳かれる。アルナは声すらも失って、重力に捕らわれ落下していた。

 地面に吸われるという未知の感覚。手を伸ばしても何も掴めぬという絶望。そんな様に少しずつ思考は失われていき――悲鳴のための息さえも、既に肺から抜けていった。


 少女の肌が、ビルの壁面に触れる。その間際に金糸が弧を描き、その体を掴んでいった。

 か細く、柔い体を、赤茶けた腕が力強く抱きしめる。

 炉那はそのまま第三階層の壁面に接触、蜂の巣めいたパネルを擦り落ち、着地する。

 左腕に抱えたアルナの顔は蒼白で、高鳴る心拍がこちらにも聞こえてきそうなほど。過呼吸めいて、何度も何度も肩を上下させている。

「ろ、ろなさ、なに、な、なにこ、これ」

「……悪い。休んでる暇はない」

 アルナの肩に回した手に力がこもり、隙間風の如く呼吸を漏らす彼女をそれでも立たせた。不安げにその眼で彼の顔を見上げれば、炉那は周囲を睥睨し、舌打ちを一つ。

「こ、こん、今度は……?」

「遺跡でこんだけ騒いだんだ。刺激してしまったに違いない……獣も、機械も」


 ギロチンめいた齧歯が火花を散らして地に突き立つ。それが何十、何百と、唾液に濡れて滑りを見せる。大型害獣の断頭窮鼠だんとうきゅうそがそれこそ洪水の如く清廉なる街を跋扈し、象牙色の路面に穢れを残す。

 一匹がビルを吸盤を備えた四肢で駆け上がり、鋼板を食いちぎるその齧歯を90度に開き――宙を舞った。

 炉那の鉄腕が齧歯を砕き体躯を弾き飛ばす。輪転する窮鼠が他の窮鼠を巻き込んでいる内に、彼のサスペンダーを吊り上げる金の蜻蛉がビルを上昇していく。だがされど、飢えと恐慌の只中にある獣たちは止まらない。

 舌打ちを一つ。腕の内に目を向ければ、気色を蒼白に変えたアルナがその蠢動にくぎ付けとなっていた。

「下を見るな。それより莫琉珂を探してくれ」

「!はいっ!」

 窮鼠に銃弾を撃ち込み、さらに上へ。ついに建築物の屋上を過ぎ去る。瞬間、壁面が溶解。

「っ!糞、塗壁とへきか!」

 壁面を一蹴。爛れてきた液状の鋼を回避。ビルの屋上には三本の足を二対備えた巨大な円柱型の機械が鎮座していた。暴走し、己の任であった壁面の補修を永久に続ける自律装置。その腹の下より溶鋼を吐き出し、苦悶する窮鼠たちさえも巻き込み、壁面の下に塗り重ね続ける。

 安息地の消えたビルから離れ中空を浮遊。だがそれでも触腕と咀嚼口が迫る。有翼百足。墜落蛭。巡回警吏機。鬼灯台。空まで跳ねる跳鮫に、狂った解体機人が建築物を崩壊させる。

 魔界と現世のその合間を、ぎりぎりで掻い潜りながら階層都市を飛行すれば、アルナがある一点を指さした。

「!炉那さん、あそこ!」

「――――ああ!」

 示した第四層では、巨大な黒綱が蜷局とぐろを撒いていた。

 それは現世のものとは思えない、規格外に巨大な生物だった。粘液を纏うその身体に四肢はなく、蛇の如き一本綱。頭には宇宙の虫食いがごとき無明の咀嚼口。そして皮膚のないむき出しの表面には鋼線を絡み合わせたがごとき筋肉が蠢動しており、蜷局の渦の中心にて、丸まった銅蟲を圧迫している。

渦龍うずりゅうか……腕の“矢”を使わないとさすがにあいつは殺せない」

「で、でも」

「ああ。今は無理だ」

 炉那の鉄腕が放つ、全鋼機蟲さえも貫く一撃は反動が強烈だ。それ故に狙いを定めるには安定した姿勢が必要となる。無論、飛翔している今は不可能だ。

 だがこうしている間にも、莫琉珂の搭乗する鋼の丸虫は軋みを上げている。衝撃には耐えれど圧迫には弱いであろうその鋼板がひび割れ、外部スピーカーを通し童女の悲鳴がこだまする。

「心配するな」

 瞳の淵に涙を浮かべたアルナを、少年の腕が抱き留める。

「俺たちは遺跡荒らし。渦龍と戦うのも、初めてじゃない」


 軋む外殻。その内側の操縦球内にて莫琉珂は硬直していた。

操縦席の前の液晶画面には、外部カメラが映す無数の筋肉と、洞穴めいた怪物の顔。目も鼻もなくただ咀嚼口があるだけの頭部。

コールランプが赤く騒ぐ。とうとう童女は常なる威勢を削ぎ、悲鳴を上げて蹲る、その時に

「莫琉珂さーーーーーーーーんっ!!!」

鐘声の様に透き通り、何処までも通る声がした。それこそ演説に向いた、誰かに届くための声音。

 見れば上空より金の翅と二人の影が急降下し、そして片割れの鉄腕が、渦龍の頭部に突き立った。

 悶絶。八倒。渦龍は蜷局とぐろを解くと、建築物を砕きながら乱舞する。鎧・零七式が拘束から抜け出し、飛翔する二人と輪転しつつ並走する。

「にゅ、にゅ……うえああああああああああああ!!!お、おまえら、心細かったぞー!」

「よ、よしよしよし。もう大丈夫ですからねー」

 スピーカーのひび割れた音声を通して喚く莫琉珂が、即座に悲鳴を上げる。

 鎧・零七式が逃げ出せたのも束の間、疾風のごとく渦龍が移動、転輪疾駆する鎧・零七式に追従。その大口を開き呑みこもうとする。

 炉那がアルナを残して黄金翅から飛び降り、渦龍の進路上へ。アルナは線路上の人間の如く、彼の身が散り散りに轢き飛ばされると想像した。だが、炉那は恐れず轟く巨大質量に対し右腕を上げ――その存在を受け流す。

 受け流された渦龍はそのまま下の階層へと落下。土煙を上げ悶絶するが――即座に立ち戻り、目で追えぬほどの速度で建築物を滑り、上昇してくる。

 渦龍は遺跡では最大級の生物であり、そして最速の類に入る。その質量に見合わぬ速力は、体の80%を占める筋肉とその表皮から分泌される多量の粘液からなる。

 かつてこの世には大森林があり、その大河にはアナコンダと言う生物が居たという。その蛇は巨躯のあまり動きが鈍重になり、代わりに水中を素早く泳ぐようになった。

 渦龍は同じことを、体に粘液を纏うことで成し遂げた。粘性はその体躯にかかる抵抗と摩擦を激減し、かかる重力以上の速度を見せる。

 莫琉珂はその威容に慄き声も出ないが、炉那が外部カメラを叩いたことで正気に戻り、視線を向ける。

「莫琉珂、見えるか?あそこの少し傾いた高層建築物。あそこへ全速力で進んで、駆け上がるんだ」

「にゅわっ!?」

 示す先には、確かに45度程度傾いた建築物。ここから駆ければ、全速力でその壁面を駆け上がれるだろう。だが……

「た、足りぬ。この距離では渦龍にはすぐに追いつかれる」

「かまわない。それと今の隙に、俺らも乗せてくれ」


 推進していた渦龍が炉那たちの階層へと至り、頭をぴくりと曲げる。

 その虚ろな咀嚼口がこちらを見るのを、操縦球内、外部ガメラ越しに三人は見ていた。即座に操縦席の莫琉珂はアクセルペダルを踏み、鎧・零七式を疾駆させる。

 目指す先は傾いたビル。だが全速力の推進をもってしても、すぐ後ろを渦龍が追従する。

 巨大な質量が空気を震わし宙を駆ける。アルナはその鳴動に、貨物列車を想起した。

 鎧零七式がビルの壁面に到達。そのまま斜めに駆け上がる。一秒と立たず渦龍もほとんど垂直に、その表面を推進する。

「にゅわああああああっ!やはり間に合わん!というか、このままだと建築物から真っ逆さま!」

「いい!むしろ……落ちる」

「にゅわっ……わあああああああああああああああ?!」

 壊都の天才が狂乱する。それを押しのけ炉那はアクセルペダルを踏みこみ、屋上まで弾丸が如く加速。加速。加速。

 だが同時に渦龍も突進。ビルの壁面をカタパルトめいて推進し、さらに加速。加速。加速。表面上の粘液が摩擦を奪い、その巨躯の速度を比例させていく。

 鎧零七式がついに最上階へ到達。その先は無。階層都市の空。

「あそこから最下層まで落ちたら鎧でもぺしゃんこだぞっ!」

「いいや!このまま地上まで、行ける!」

 ビルの間際から転輪する機蟲が、跳んだ。


 無数に重なる都市の円環の中心、穹窿の空間を、球となった蟲が飛ぶ。

 放射線を描き、隔壁に穿たれた洞穴まで、するすると舞っていくが――やがて勢いを失い、重力に絡めとられ、降下する。

 その間際に――大爬虫が激突。その口がぶつかって潰れ、鎧零七式を、天へと弾き飛ばす。


 速度と膂力を持つ渦龍。だが弱点もまた存在する。それは暗中の生活圏で不要となり捨てた視力。そして、その速度。

 実はこの速度は諸刃の剣だ。地下空間を高速で摩擦抵抗なく移動できる。裏返せば、粘液により滑って行ってしまう。

 渦龍は急には止まれないのだ。そして視力が乏しいせいで、進路上が崖の先だったとしても――知覚できないし、止まれない。


 ビリヤードめいて撃たれ、宙を舞った鎧零七式は、そのままぐんぐんと高度を上げていく。その背後にはビルの先から跳んだ渦龍が、対岸まで行きつくこともできぬまま、遺跡の真底へと落下していくのが、見えた。

 機蟲は第三層、第二層、第一層を瞬く間に過ぎ去り――開いた洞穴から外界へ飛び出し、日射の中にどんと落ちた。

 鎧が球体上から蟲の姿へと戻り、腹の下から三人がごろりと出てくる。

「ああーーーー」

「にゅわーーーーー」

「…………はぁ」

 三者三様の安堵の吐息が、壊都の炎天になびいて消えた。

 遺跡の暗がりの只中にいた瞳からは、雀色時の斜光すらも目に染みる。外殻の影と地を染める朱の目覚ましいコントラストが、死線をくぐった後だからか、非現実的な光景に見えた。

 生きて帰ってこれたのだ、と、今になったようやく実感する。

「……だが、電想式は結局手に入らなかったな」

「……その」

「謝るなよ」肩を落としたアルナに、鬱陶しそうに炉那は吐き捨てる。

 実際こんなふうに遺跡が崩落することなど中々ない。人災の類とみて間違いないはずだ。それもこんな都合よく、あるいは都合悪くアルナが巻き込まれるなど。

 そこに暗澹とした作為性を感じていた炉那は、背後から鋼を打つ音を耳にし、振り返る。

 いつの間にか地上へ上がっていた蛮風が、愉快そうにそのヒゲ面を歪ませた。その背後には……電想式と思わしき、四角形の棺めいた遺物が、錆まみれの表面を朱光に染められ鎮座している。

「ば、蛮風さん!無事だったんですね!」

「それにその機材……い、いつのまにっ!」

「カカカッ。まぁ俺ともなりゃあ火事場泥棒もお手の物よ。そっちの坊主は女の子を助けるのに夢中だったようだしな」

「……あのまま埋まってたらよかったのに」

 けっと毒づく。元より、この男の心配はしていない。いつだって、ふらりと消えては平気な顔して戻ってくる。どんな異邦でも、どんな戦場でもそうだった。心配する方が馬鹿になる、いつだって変わることのない飄然とした気風。

 視界が真っ暗闇に落ちる。炉那の顔に蛮風の皮帽子がかぶせられ、そのままぐりぐりと頭を撫でられた。

「素直じゃないなぁ炉那!……まぁなんだ!仕事はこっからだぜ!」

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