第11話

電子端末の液晶を何度も指で撫で、探る探る探る。おかしい。たしかに電想式でんそうしきは昨晩中に納品されているはずだ。

 自律式知能機構・電想脳は前文明の技術を端に発している、多量な因数や複雑なアルゴリズムを一瞬で計算できる高度な人工知能だ。建築など数多くの数値が登場する場では、あるだけで大きく工期が短縮できる。そしてこれは、廃殻の強い日射と電磁波を伴う太陽風の下では製造できない精密機械だ。それ故に月都からの供給が必須であり、いち早く確保しておいたはずなのに。

 そうであるはずなのに。

「なぜ……ですか?百道さん」

 技術者たちを一先ず待たせ、アルナが駆けだした先は、太陽発電プラントの下に立っているその男。外ならぬ自身の秘書、百道ももちモモマルである。

 そう、電想式の調達は月都の企業と提携を結んだあと、この男に任せていたはずだった。発注から納品までをチェックさせ、昨日も報告を受けたはずだった。

 百道の、真一文字に結ばれていた唇が、嫌らしく弧を描き、鴉の尾羽めいた七三わけをきゅっと撫でる。

「大変失礼致しました北辰太陽官。お伝えし損ねてましたが、電想式は発注が遅れていた内に……太陽発電系企業群にあらかた買い占められるか、あるいは某自警団の略奪に遭ってしまい確保することができませんでした」

「なっ……!それならばなぜ報告してくれなかったのですか!?」

「完全なわたくしの怠慢でございます。さぁお好きなように処分を。免職、退職、如何様にも」

 今の百道はまるで慇懃無礼、厚顔無恥、そんな言葉の体現そのものだ。だがアルナは知っている。彼はそんな無能ではない、自分よりも数十年も月都の政界でいき、部下として優秀に有り余る男だ。

 故にこんな間違いを起こすはずがない。ともすれば――なぜ、故意に?

「……まさか、そんな」

「感づかれましたか!遅い!太陽官がこれでは計画の先行きも暗澹ですなぁ!」

 その七三をさらりと撫でつけ高らかに笑うと、百道はその背広の太陽官勲章を取り去る。代わりに輝くのは、月都企業連理事の月面印だ。

「太陽官補佐にして、月都企業連理事就任“予定”!百道モモマルで御座います!太陽光発電産業の要たるタイヨウを勝手に撃墜し、月都の自由経済を阻害する独裁政治は、僭越ながら“糞”と吐き捨てさせていただきましょう!」

 そう、この男は――おそらく初めの初めから――企業連の手先だったのだ。今日この日まで、敵側の身中に伏し、情報を企業連へと内通し、虎視眈々と寝首を掻くのを狙っていたのだ。

 腹心の叛意に心痛を覚えながらも、アルナはその思考を停めなかった。だとしたら何故今ここで?確かに物資の買い占め策は計画への痛打だ。だが“大羿”計画は月都政府と廃殻都首の承認を得た事業、その程度で止まることはない。

 いや――それらの権勢すらも止める策が、ここに来て?


 アルナの予感を見透かしたかのように百道は鼻を鳴らすと、彼女を過ぎ去り技術者たちの前へ歩み出す。そこへ彼の部下と思わしき作業員たちが追従し、宿舎より伸びる有線の通信機を運びだす。

「廃殻民の皆様方、よくお聞きください……月都企業連理事会を代表し、今から“大羿”計画の不可能性を説かせていただきます!」

 ざわつく技術者たちの中、白髯を弄りながら亜粋が片眉を上げる。

「ふむ?この計画が困難なのはもう嬢ちゃんから何度も聞いたがの。それでも完遂できる算段があると」

「はっはっは。それは所詮太陽官の見解です。専門家じゃぁない……故にここは“当代一の専門家”の見解をお聞かせしましょう!」

 当代一、その言葉が鍵となって、アルナの中で開錠音が響く。そうか、それが狙いか。目的は計画の直接的頓挫ではない。

 本当の目的は廃殻で提携を結んだ技術者達からの信用を、失墜させること。それは間接的な計画の頓挫に繋がる。そしてそのために必要なのは、アルナの失態と、アルナ以上の権勢ある存在の一言。

 通信機が轢音を上げた後、太陽風によるノイズ混じりの声が届く。備え付けのウィンドウには、九曜を示す幾何学図形。

『――通信越しに失礼いたします。私は月都象牙学院ヶ天文学士、計都けいとナクシャと申します』

 天風が砂礫を巻き上げるように、驚嘆が技術者達より巻き起こった。炉那やアルナでさえも目を丸くし――そして歯噛みした。

 月都は風習として、星を尊ぶ。故に天文に由来する姓名は――外ならぬアルナの家系もそうだが――叙勲を受けた名家や英才の証左だ。

 そして運命を導く兆星の名を冠する彼は、“千年宗家”よりその名を当代で授かりし、本物の天才。計都ナクシャ、月都に比類なき星見の識者。生きる電想式。

 その名は実績と産物により、当然廃殻にさえも轟いている。そして以前交渉したときは、彼はこの計画へは参画しなかったはずなのに、なぜ今に。

『あまり弁舌は得意でないため……要点だけ述べさせてもらいます。対衛星用超高高度射砲“大羿”が成層圏のタイヨウを撃ち落とすことは不可能です』

 そしてその英俊が不可能と断じる。これだけで今まで生み出されていたか細い信用の綱は、急速に解けていく。

 アルナは焦燥に駆られながらも、画面上の九曜紋に向き直った。

「……その理由を、お聞かせ願えますか」

『もちろんです。まずお送りいただいたデータで“大羿”は荷電粒子砲ということを認知しました。故にこそ、砲弾となる亜光速の粒子が“タイヨウ”まで届くのは困難なのです』

 磁場に揺れる九曜紋から響く、男とも女ともとれぬひび割れた音声。それは一切の情緒を感じさせぬままに、淡々と論を並べていく、

『なぜならば“タイヨウ”は太陽風という大量の電子が常に放出されているから。加速した重荷電粒子はこの太陽風を通過する際粒子層に妨害されてしまいます。さらに荷電粒子は大気中では推進力が阻害されやすいことも判明しています……そうですね。大羿から放たれた、光の矢は“タイヨウ”を包む光と空気の壁に遮られてしまう、とお考えください』

 最後にたとえ話に変えたのは、天文学に疎い廃殻民たちに理解させるための機転だろう。それは見事に功をそうし、彼らの目から“大羿”への畏敬が、急速に消えていくのがわかる。

『少なくとも私の算出した大羿の射出速度では、タイヨウに到達する前に加速した荷電粒子は逸れていき、上空20km地点で消滅すると推測します』

「ふふ……わかりますか?わーかりますかな?北辰太陽官」

 さも己の発見が様に不遜に言い放ち、百道はアルナに迫った。屈辱がその身を苛むが、既に彼の策の中。

「月都の至宝がかく言うのです!廃殻民の皆様、この計画はもはや泥船!落城!羽の折れた旅客機!その上、電想式さえもままならぬならば、これ以上の参画は無益で御座しょう!?」

 しん、と鎮まる一同。百道の言葉を、計都の論理を否という言葉は上がらなかった。

 かに、思われた。

「月都の至宝~~~~?」

 ぷしゅーーっ!風船から空気が抜ける音がしたと思えば、百道の背後で栗毛の少女が腹を抱えていた。どうやら可笑しくて噴き出しているらしい。

 少女は頭を上げる。そこにいるのは酷暑の中、白衣を取り去り、つなぎ姿でタールに汚れた“廃殻の天才”莫琉珂だ。

「にゅわーはっはっは!笑わせるでなーい!そんな『けいとくん5ちゃい』みたいな論しか語れぬ天文学者が、月都の至宝だと言うならば、この天才は星間宇宙のブルーダイヤモンドだぞ!」

『…………』

「なぁ……こ、この小娘……!」

 血管を浮き立たせる百道には目もくれず、莫琉珂は通信機の前に歩み出て、その画面を引っ掴む。

「愚か者に教えてやる!お前の言う通り重荷電粒子では太陽風や大気中で推力が減衰する!だが私は天才なのでそんなこと既に考慮済みだ!」

『……では如何に?タイヨウに重荷電粒子を着弾させると?』

「にゅふふ。タイヨウが粒子の層に守られているならば、そこを開通させる“トンネル”を作ればよいのだ!……そのための副砲が“大羿”には存在するっ!」

『それは?』

「正確には二段階発射ともいうべきか。まず第一段階の副砲、これは電磁加速砲だ。音速を越えたこの砲弾でタイヨウまでの大気を貫く。その過程で砲弾は蒸発し、真空状態が生まれる」

 莫琉珂の小さな掌と掌が重なり合い、徐々に開いていく、大気が引き裂かれる様を現しているのだろう。タイヨウまでの道が、空気と光の層で遮られているならば、物理的な砲弾でそれを引き裂き、強引に遮るものは何もない道を開こうというのだ。

そして指の先まで開いたのち、ぱっと人差し指を立て、

「そして開いた真空の路に――遮るものの無い荷電粒子を、放ち、叩き込む!」

どん!と通信機の液晶を突いた。


 液晶の向こうでしばし、沈黙が続いた。

『成程……しかしそれならば大羿の電磁加速砲機構と超電導体の製造が必須ですね』

「そんなもの、天才からすれば朝飯前どころか夜食のラーメンだ!」

『その表現は不可解ですが、廃殻のスキル標準で可能とは考えられませんね』

「なっ……なぁにぃ~!」

 ばんっ!莫琉珂がその顔を液晶に張り付けわめきたてる。背後で百道が「高価なのに!」と悲鳴を上げた。

「貴様―!よくも天才をなじったな!タイヨウを見たこともないのに天文学を語ってる凡才がくせに!」

『タイヨウの直接目視は不要です。パラボラアンテナからの放射線計測とカメラによる軌道観測で十分に論証可能です。それが日震学というものです』

「ふしゃーーーっ!」

「ば、莫琉珂さん!そこまででっ!」

 小さな害獣めいて爪を立てる莫琉珂を抱え、アルナは引き下がる。もういい。これで効果は十分だ。

 背後では先ほど以上に技術者たちが喧々諤々、互いの見解を交わし合っていた。無理もない、月都の碩学が不可といい、廃殻の天才が可能といったのだ。計都という権威の風により急速に冷めきるかに思われた計画への信用は、紙一重で保たれた。

 資材供給の不手際と、計都による計画の否定。それによる技術者たちの離散、それが企業連の狙いだったのだろう。後者は容赦ない駄目押しだったのだが、これは莫琉珂の登場によって保たれた。

 だが……前者はどうか。

 髪の一房を弄るアルナの腕の内から、逞しい掌が莫琉珂をつまむ。見れば亜粋が彼女を見下ろしていた。

「まぁその、うちの馬鹿がまた迷惑をかけたの」

「いえ……謝罪しなければならないのはこちらのほうです」

「だが、それでこの事態が済まぬのも、十分わかっているはずじゃな?」

 好々爺の瞳が、年輪のような皺の下、静かに細められる。アルナは小さく唇を噛んだ。そうだ、前者はもう十分に効いたのだ。

「あんたの不手際であろうが、誰かの謀りごとであろうが、わしらからすれば同じ。如何様な理由であれ計画が頓挫するならば……利益はない。付き合ってはおられんぞ」

 物資も十分に届かないようではいずれ破綻する計画。参加する意味はない。そう考えているのだろう。既に何人かはその工具を片付け始めていたり、百道の提案する新たな事業に興味を示しだしている。

 そうだ。彼らは善意でここに集ったわけではない。どこまで行っても商売なのだ。そうである以上、確実な利益を示す“信頼”ある方へと帆を進める。アルナはその信頼という灯台を失いつつあるのだ。

 あくまで老婆心を見せながらも、壊都の技術者を率いる長としての非情さを持つ、この老人もそう。

「少なくとも早いとここの電想式の件はなんとかせぬと……砂丘が崩れるように、ざあっと協力者が消えていくぞ」



 自分は太陽官になるまでに、それなりに政争を潜り抜けたと思っていた。狡知ある蟒蛇の一匹に成れたと思っていた。だが本物の肉食獣たちは自分以上に賢しく、非常で、そして周到だ。馬鹿な少女が骨まで信頼させるため、何年もの年月を潜伏に費やす程には。

 自分の元から技術者たちが一人、一人と離れていく。人垣の向こうで、百道が笑う。

 アルナの瞳の白金が、少しだけ、滲んだ。

「……電想式が無いなら、用意すればいい」

 だから、その声は季節風みたいに突然に、だけど、冷えた身に染みていく。

 振り返ればそこにはあの不愛想な――だけど、完全に無関心なわけではない――炉那が立っていた。

 亜粋が片眉を上げる。遠くで百道が噴き出す。炉那が小さく目を細める。百道がそれに少しだけ身を竦ませ、そして牙をむく。

「愚かしい少年ですねぇ。わかんないのですか?大型電想式は既に買収済み、今から月都を往復して発注したって一か月二か月じゃ用意できませんよ。その間、技術者様方をお待たせするんですか?」

「いーや。んな必要はないね。明日までにゃ、なんとか間に合う」

「は、ハア~~~ッ!?」

 百道の眉間に青筋を浮かび上がらせたのは、軽快にギターを奏でる蛮風だ。集う猜疑の視線に一切患わず、彼と炉那はアルナを見る。

 それはいつしか、“大羿”への路で自分を助けてくれた時のような……これから軽い仕事をこなすぞ、という程度の顔。

 だからこそ、信頼できてしまう、そんな彼らの姿勢。

彼らが笑ってくれるのだ。自分は信じ、そして矢面を引き受ければいい。

 小さく息を吐き、傍らの炉那に「ありがとうね」とか細く伝える。彼が顔を逸らしたのを見て、アルナは一歩踏み出し、衆目を一身に浴びながらも宣言した。

「ええ。ご心配なく――皆さま、宿屋を離れる必要はありません。明日までには、必ずご用意いたします」

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