第5話

 もし、タイヨウが無くなればどうなるか。現在、廃殻の平均気温は年間を通して53度。時には60度を超すこともある。

 だが前文明はそうでなかったらしい。もっと涼しく、空は青空以外にも変化を見せ、蒸留装置を使わなくても水が手に入り、¨四季¨という気候の移ろいもあったのだという。

 タイヨウの放つ有害な電磁波である太陽風が無くなれば、電子機器も使えるようになる。衛星通信が回復して、月都じゃなくても無線で会話できる世界になるかもしれない。出稼ぎに行った親の声を、子が忘れることも無くなる。

そういう世界に、なるのだろう。

「……なぁ」

 だけど、炉那はその甘露のような希望に、触れもしない。静謐でどこか乾いたような声で呼びかける。

「ところで、なんでアンタは襲われてたんだ?」

 その一言に敵意を意味する言葉はない。だが炉那のむき出しの拒絶の感情が、形なき刃物がアルナの心に突き立った。

 か細く返答しようとしたアルナを押しのけ、尚も詰問は続く。

「さっきの奴らは月都のやつもいたし、雇われただろう廃殻の奴もいた……いやそもそも、あんな兵器を持ち出せるのは月都の有力者だろ、つまり」

―――-この計画への敵はあまりに多く、強大だ。

「計画の反対者は、恐らくは太陽光発電プラントを稼ぎにしてる富豪とか、政治家とかだな。違うか?」

「……はい」

 事実だ。アルナが“タイヨウ停止”を掲げ太陽官選挙に出馬した際、賛同したのは月都の市民だが、反対したのは富裕層や貴族階級だ。特に太陽光発電系企業は“自由経済の疎外”を声高に唱え、アルナを独裁政治と糾弾した程だ。

「そんな奴らを相手にした計画が長続きするとは思えない。飛び火するのが怖いから受けないよ、この仕事は」

 突きつけられた事実はまるでフェーン風だ。現実という山勢から奔り落ち、少女の身体を乾かしていく。先ほどまであった気勢は目に見えてなくなり、頼りなさげな細腕が、無意識に髪の一房をきゅうと摘まんだ。

 子供が綿の詰まった熊にそうするかのような行為を、炉那は曇った瞳で眺める。

「……仕方ないことだろ。お前の理想は立派なことなんだろう」

 だけどな

 気づけぬほど僅かに、されど確かに、少年のその身が強張る。

「この世界はそう変わらないんだよ」

 廃殻で人々は枯れ果て衰え続け、月都は疑似天球の生み出す麗光の元、富を増やし続ける。力あるものが尚力を得るこの構図は、普遍的に強固で不動だ。炉那は、それを知っている。

 世界は分断されたまま回り続ける。これからも、この先も。


「それでも」

 ぽつり、言葉は零れて宙に染みた。

 声量は小さい、だけど確かにここまで響く声。

「それでも――私は、それを成します。世界を変えるための号砲として、この大羿は打ちあがります」

 それは駄々をこねる子のようであったから、炉那は眉を顰めた。だけど気が付けば、すぐそこに、こちらを射貫くように見据える顔貌が迫っていた。

「その為に此処まで来ました。下級官吏認定、上級監査官、太陽官選挙――そして、≪大羿≫計画の立案。“千年宗家”からの、賛同の御言葉。批判は多い、ですがそれ以上の賛同をいただき此処まで、来れたのです」

 千年宗家――月都随一の貴族から理解を引き出せたというならば、確かにただ演説台に立ち美辞麗句を並べ続けていたというのではないのだろう。

 今、眼前には先ほどまでの萎縮しきった少女はどこへやら。容易に手折れそうな幼い容姿でありながら、背を伸ばし胸を張ってみせ、自分に迫る全てへ、威嚇射撃の様に眼光を剥ける。

 その姿を、情けないものと切り捨てることもできる。強がれど所詮はただ一人の少女、風が吹けば容易く消える蝋燭の灯みたいに揺らぐ姿だ。

 だが、そのこころは熾火よりも苛烈に瞬く。

「逆に考えて見てください。もはや非合法的な手段を使わねば、この計画は止められない。支持者を止める言葉を彼らは持たないのです」

 炉那も蛮風もその逆説に返す言葉を止めた。炉那の言葉への反撃の一矢。

 その白磁のような手先が前髪を梳き、黄金の双眸が露わになった。そこに見える、不動の意思。

「そして想像してみてください。この計画の情報が月都廃殻問わず伝播した場合を。嘲笑するものも多く生まれるでしょう。ですが賛同してくれる方も生まれていくのです。巨砲は息を吹き返したら、もはや事実として状況は変動しつつある」

 その瞳の色、それは皮肉にも、それは少女が墜とそうというあの日輪と同じ色彩だった。

「強制は致しません。ですが只二つだけ言わせてください。私には、貴方たちが信用するだけの価値がある、そして――世界は、変えられます」


 少年は、気づけば視線を逸らしていた。無意識だった。

 圧されたとでも言うのだろうか――月都の、何も知らない人間に。

 じっと目を閉じ、それでもと拒絶の声を上げようとするが、それを遮るものがあった。

「乗った」

 ぽん、と炉那の頭を叩くのは、相棒であり師の皮の厚い掌だ。

 先ほどまでの威風も何処へやら、唖然とする少年と少女を他所に、その髭面をにっとゆがめる。

「え、え、その、本当、ですか?」

「なんで嬢ちゃんが驚いてんだ。あんたは信用できるって自分でいったじゃねえかよ」

「……どういうつもりだ」

 撃鉄の起きた銃のごとき剣呑な視線を、蛮風は快活に笑って見せる。

「そりゃァお前単純な話さ。計画が続く2、3年、安定した仕事がつくんだ。あちこちの遺跡を巡る必要なんてなくなる。いい話じゃないかァ」

「言っただろ。さっきみたいに殺し合いにもなる」

「わりと前々からそうだろ。逸脱機の争いとか同業者とかから。あと炉那くんがすぅぐ喧嘩するからぁ~~~」

 炉那が無表情ながら夥しき怒気を見せる。それすらも放っておいて、蛮風は巨砲の内部をかつかつと歩く。伽藍のように広がった空間の、先見えぬ天井の闇を仰ぎ、

「まぁ一番は、単純にそこの嬢ちゃんが面白いって思っただけさ。だから俺はその話、乗った」

「蛮風……!」

「炉那、厭ならお前はいいんだぞ」

 無意識にだが、肩が竦んだ。目の前の師は平時の軽薄な口調ながらも、その語勢は律とし炉那を揺さぶってくる。

「何度も言うが、お前がどうするかはお前のことだ。壊都なら仕事もあるし、お前もそろそろ一人でやれるだろ?ならお前が……どうしたいか、だ」

 それは少年にとってあまりに残酷な問いかけだ。その由をこの男は知っている。知っていた上でそれでも尋ねる。故に、この男は残酷なのだ。

 外に広がる砂丘のように、乾き静的だった少年が、口惜し気に顔を歪ませる。少女にとって初めて見る、そして予想もつかないような表情だった。炉那もそれを恥じ入るように、二人に背を向けると

「……俺も乗るよ」

「ほお?」

「¨荷車¨を無くしたまま、旅をするのは面倒だ」

 僅かな抵抗か報復か、思いっきり毒を吐く。「傷ついた!」と倒れこんだ蛮風を他所に、白金線が炉那の目の脇で揺れた。見れば、アルナがすっと手を伸ばしている。

「……握手か?」

「当然でしょう?」

「礼儀を払われるような身分じゃないし、俺は正直ってあんたに賛同してない」

 二度、アルナはその面を振り微笑んだ。

「礼儀ではありません。敬意です。私が貴方にそうしたいと思ったから、です」

 そう言って、笑顔を煌めかせる。炉那は苦手な野菜を前にした子供のように顔を顰めると、それこそ嫌々といったように手を出した。

 その手をきゅっと、温度の低い白の指先が握り、結ばれる。


「あなた達の信用を無下には致しません。私は必ずや――タイヨウを、墜としましょう」

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