第十三話 そこは地獄か天国か  


 女の子の会話に話題はきないということは、天文同好会の部室ですでに学んでいた。それはここでも同じらしく、女子たちは永遠と「キャッキャウフフ」な会話に花をかせていた。


 そんな空間にただ一人ひとり、存在をさとられまいと息を殺してひそんでいるやつがいることは秘密だった。


「こっち!」


 ドッとせてきた女子部員の中、若菜さんの咄嗟とっさの機転で、ぼくはロッカーの中に身をかくした。人っ子一人ひとりがやっと入れるスペースにめられたぼくは、身動きもとれずにいた。


暗闇くらやみの中、通風孔つうふうこうからこぼれる光をたよりに、ぼくは外の様子をうかがう。視界は思いの他良好であり、若菜さんはもちろん、ほかの女子が何をしているのかまで確認かくにんできた。


 更衣こうい室だからということで、彼女かのじょたちのかみや身だしなみは、普段ふだん外でお目にかれないような、くだけた恰好かっこうをしていた。


 胸元むなもとまで見えるくらいブラウスのボタンを外した女子や、かたからブラのヒモが見えている彼女かのじょ、そして、ほぼ下着同然の恰好かっこうでおしゃべりしている女の子まで。そこには、男子が卒倒そっとうしそうなほど魅惑的みわくてきな世界が広がっていた。


ぼくはゴクリと生唾なまつばみながら、外の様子を見守っていた。まさか女子更衣こうい室に男子が潜伏せんぷくしていることなど、彼女かのじょたちは考えもしないだろう。


 ぼくだって、できればその男子にはなりたくなかったのだ。本意ではないということは、ここではっきり伝えておきたい。決して、女子の下着を見たかったとか、乱れた姿を目に焼き付けたいとか、そういったやましい気持ちは微塵みじんもないのである。


「秋月君、大丈夫だいじょうぶ?」


 ロッカーとびらへだてた向こう側。若菜さんは周りをうかがうように小さな声でぼくの無事を確認かくにんしてきた。


「な、なんとか……」


 小声で返事したつもりだったが、ぼくの声は低くひびいたらしい。バンッととびらたたかれて注意された。はい、すみません。


「とにかく、わたしが良いっていうまで秋月君は動いちゃダメよ」


「分かった」とぼくが返事をした、ちょうどその時だった。


「あれ? 香織かおり着替きがえないの?」


「ほえ?」


となり着替きがえていた若菜さんの友達ともだちが、彼女かのじょのことを不思議がったのだ。友達ともだちすでに上着をいでおり、大人おとなびた下着があらわになっている。


「あ、うん。ちょっと……。親から連絡れんらくが入っててさ」


 若菜さんは咄嗟とっさにスマホを開くと、さも面倒めんどうなメールが届いたような表情で返した。その瞬時しゅんじな判断は流石さすがだな、と感心してしまうほどだ。


「駅前に新しくできたカフェに行ってみようって言ってたじゃない。早く着替きがえていこうよ」


「う、うん。そうだね」


 彼女かのじょ曖昧あいまいに笑いながら、「ふー」と呼吸を置くと、ゆっくりとロッカーを開いた。


「なっなっなっなっ!」


ぼくは思わずそんな声をらしてしまった。どうしてとびらを開けてしまうんだ、若菜さん! ぼくあわてぶりを察した彼女かのじょくちびるに指を当てると、「シー」とぼくのことをたしなめた。


大丈夫だいじょうぶ、そこでじっとしてて」


 「じっとしてて」って、これじゃほかの部員にバレバレじゃないか。現に、若菜さんの後ろにいる女子の姿がもろに視界に映りこんでいる。


「落ち着いて。ここのロッカーは奥行おくゆきがある分、周りからは見えにくいのよ。だから気をつければバレないわ」


 そんなこと言ったって。そこには私服に着替きがえる女子たちの姿が見えているわけで、つまりそれは彼女かのじょたちからもぼくの姿が見えているというわけで、つまりそれは……。あれ?


彼女かのじょたちがぼくの存在に気が付いてさわてる様子はない。若菜さんの言った通り、ロッカーのおくまで見ようとする人は一人ひとりもいなかった。となりにいる友達ともだちでさえ、ぼくのことにまったく気が付いていないみたいだ。


「ねえ、香織かおり早く!」


「うん、分かってる」


 「ちょっとそこどいて」彼女かのじょは小声でぼくささやくと、ぼくの背中でつぶれていた洋服を一式いしき、引っ張り出した。そして、


「静かにしててね」


そう念をし、再びとびらを閉めたのである。


ふう。


何とか一難をえたぼくは、ホッと一息ついた。とびらを開けられたときはどうしようかとあせったが、今の所ぼくはまだ見つかっていない。


「…………ん?」


 なんだろう? ふとぼくは、背中に違和感いわかんを覚えた。背中に何かがまっているような感じがする。若菜さんの洋服の取り残しだろか? 


モゾモゾと身体を動かすと、背中にある違和感いわかんつかまえた。暗くて良く見えないけれど、それは靴下くつしたみたいな、ハンカチ見たいな布切れであった。手触てざわりからそれが何なのか考えていると、


「そう言えば、また高野君にさそわれたんだって?」


そんな会話がんできた。なぬ? ぼくあわてて耳をかたむけた。


「ん? うん、まあ。食事だけだよ。普通ふつうに食事に行って、それでおしまい」


「またまた! 高野君、絶対本気だって!」


「どうかな? 高野君って、みんなに気を持たせてるから」


香織かおりは特別だよ! 分かんないかな?」


 高野のやつめ。若菜さんにちょっかい出しやがって。彼女かのじょらの会話を聞く限り、高野は女子に人気があるようだった。


若菜さんとその友達ともだちは、高野についてああだこうだと見解を述べているが、ぼくの意見を言わせてもらえば、アイツなどクソらえである。


 若菜さん、ぼくがこんな状況じょうきょうになっているのはアイツのせいなんだよ。あんなやつ、付き合う価値ないって。


 そんなぼくの思いもむなしく、


香織かおり、高野君と付き合っちゃえばいいじゃない!」なんて友達ともだちからお墨付すみつきをもらっていた。一難去ってまた一難である。


 若菜さん、アイツはね……。


「もういいじゃない、その話は終わり」


 彼女かのじょずかしがりながら話をさえぎった。そして話題をそらそうと洋服に手をかけると、「あれ? ブラがない」とそうつぶやいた。


 彼女かのじょはためらいがちに、もう一度ロッカーを開いた。ぼくと目があった彼女かのじょは最初、なんともない表情をしていたが、次第しだいにその表情が険しくなっていった。明らかに怒気どきをはらんでいる。


「なんで君がわたしのブラジャーを持ってるのかな?」


「え?」


 ぼくあわててうでを見た。確かにさっき背中にある違和感いわかんつかんだが、まさかそれがブラジャーだったなんて……。


 光を帯びて見えるようになったそのブラジャーは、ブラジャーにしてはやけにかざのない、シンプルなモノであった。バストも小さめである。


「ち、ちがうんです。暗くて良く見えてなくて……」


「本当に?」


 若菜さんのうたぐるような視線がぶつかる。


「ホントにホント。だって、さっきまでハンカチをにぎってると思ってたんだもん。それくらい、シンプルで素っ気ない肌触はだざわりだったからてっきり――」


 そこまで言った時、パチンっと彼女かのじょの右手が、ぼくほおを盛大にたたいた。


「ん? どうしたの、香織かおり


「あ、ううん。何でもないの! がね、がいたからたたいたの!」


?」


 友達ともだち怪訝けげんな声を発したが、若菜さんは何とかごまかした。そして、キッとした目つきでこちらに向き直ると、


「いい? 余計なことは絶対にしないで」


 彼女かのじょにそうおどされぼくは「はい、ごめんなさい」とただあやまるしかできなかった。若菜さん、目がこわいです。


「あと、今からは目をつぶっていること。絶対に開いちゃダメよ?」


 そう言って、彼女かのじょとびらをしめた。ジンジンと左ほおが痛んだが、にぎっていたものが若菜さんのブラジャーであったことと比べると、おりが出るくらいである。


 ぼくはまだ右手に残る感触かんしょくを思い出していた。


「アタシ、絶対高野君、良いと思うんだけどなあ……」


 まだいうか、友達ともだちよ。もうやめてくれ。ぼくの気持ちと同調した若菜さんも、


「その話はもう良いの。早く着替きがえてカフェ行こ!」


 そんな感じで話を切ると、彼女かのじょはゆっくりと着ていたシャツをはじめた。ロッカーしからでも分かる彼女かのじょの真っ白な素肌すはだが、眼前に現れたのだ。


ぼくは思わず動揺どうようして、身じろいだ。そのせいで、ガタンッとロッカーがれてしまう。


「ねえ、今の何?」


 明らかに不審ふしんがる友達ともだち


「あ、ううん。たぶん、ペットボトルが落ちたんだと思う。飲みかけだったから!」


 言い訳に苦しむ若菜さんを他所に、ぼく彼女かのじょの姿にくぎ付けになっていた。ブラと生はだが織りなすブレンド酒にぼくの脳ミソは瞬時しゅんじぱらい、視界がクラクラとしている。


「ちょっと秋月君。目を閉じている約束でしょ?」


 とびらしにしかってくる若菜さん。あい、ごめんなさい。


これ以上は刺激しげきが強すぎるので、ぼくは両目をふさいで、あらしが過ぎ去るのを待った。


 これは夢、これは夢、これは夢、これは夢……。そうつぶやいてみても、頭の中では、彼女かのじょの下着姿が、グルグルグルグルと渦巻うずまいて、はなれないのだった。


「それにしても香織かおり、相変わらずスタイル抜群ばつぐんねえ。このくびれ、わたししいわ」


 「ぷにんっ」友達ともだちはからかう様にそういうと、若菜さんのおなかをくすぐったらしい。「キャッ」という悲鳴と共に、「もう、やめてよ!」とずかしそうに抗議こうぎする彼女かのじょの声が聞こえる。


「でもこれをだれかに見せないのは勿体もったいないわね。香織かおり、大学に入ってから彼氏かれしとか作ったことないでしょ? なんで? レズなの?」


「止めてよ、そういう話題は。別に良いでしょ。ごふちがなかったの」


「だから、この際高野君とくっつけばあんたの体も――」


「変なこと言わないで!」


 二人ふたりの会話はぼくにとって刺激しげきが強すぎた。若菜さんのくびれの入った肢体したいを想像してしまったぼくは、もうダメだった。


 ぷっつりと意識の切れるような音が頭のおくの方でひびくと、視界が真っ暗になった。その直前「そっか、若菜さん。まだ、フリーなんだ」と思ってしまったのは、きっとまだまだ彼女かのじょに未練がある証拠しょうこだろう。

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